イツカノヨル ~5omeday, Under the Starlight~ 作:アムロ・メイ
処刑前夜。
夜の勤務が始まる数時間前、シュウは監獄の地下にある機密文書保管室へと忍び込み、懐中電灯の光を頼りに過去の事件の調査報告書を必死に漁っていた。
昨日の夜、マリーが語った言葉がどうしても頭から離れなかったのだ。
『私は、竜族としては出来損ないの未熟な個体なのです。他の同胞のように巨大な竜へ変身する力は持っていません』
もしその言葉が本当なら、彼女の罪状である「自らの炎で村を火の海にした」という事実は、根底から覆ることになる。
「あった……! 『現場検証記録』……!」
シュウは茶色いファイルを引き抜き、震える手でページをめくった。
そこに記されていた現場の調査記録を読んだ瞬間、シュウの目は大きく見開かれた。
「――やっぱり、ここにいたのか。シュウ」
背後から冷たい声が響き、保管室の明かりが一斉に灯された。
振り返ると、険しい表情をしたライラックが入り口を塞ぐように立っていた。彼はシュウの手にある機密ファイルを見ると、ギリッと奥歯を噛み締めた。
「看守が許可なく機密文書を持ち出すなんて、懲戒免職ものだぞ。……何をやってんだよ、お前は!」
「ライラック! 丁度良かった、これを見てくれ!」
シュウはファイルを開いたままライラックに詰め寄った。
「あの村の火災現場の記録だ! 現場からは、人間が使う軍用の『黒色火薬』と『精製油』の成分が大量に検出されている! 竜のブレスによる火災じゃない、人間の兵器による放火だ! マリ……ミラは無実なんだよ!」
しかし、ライラックは書類を見ようともせず、シュウの手からファイルを乱暴に叩き落とした。
バサッ、と紙束が床に散らばる。
「ライラック……!?」
「無実だと? 仮にそいつが直接火を吐いていなかったとしても、そいつが人間を騙して引き入れたかもしれないだろうが! いい加減にしろシュウ、どうしてそこまであの化け物の肩を持つんだ!」
「化け物じゃない! 彼女はただ、不器用で優しいだけの竜族だ!」
シュウが言い返した瞬間、ライラックがシュウの胸倉を強く掴み上げた。
普段の面影はどこにもない。ライラックの瞳は血走り、幼い日の地獄を見ているかのように激しく揺れていた。
「あいつらは――竜族は、俺の両親を焼いたんだぞ!」
悲痛な叫びが保管室に木霊する。
「燃え盛る家の下で、俺を庇いながら黒焦げになって死んでいった親父とお袋の肉が焦げていくあの匂いを、俺は今でも毎晩のように思い出すんだ! 竜族なんて、一匹残らずこの世から消えればいい! なのにお前は……! よりにもよってその竜族を守るために、自分の人生まで捨てる気か? アァ?!」
ライラックの拳が小刻みに震えている。怒りだけではない、親友が自分の知らない場所へ行ってしまうことへの恐怖と悲しみが、その手から痛いほど伝わってきた。
シュウは胸を締め付けられるような痛みに耐えながらも、ライラックの目を真っ直ぐに見つめ返した。
「……だけど、無実だと分かっている子を、竜族だからっていう理由だけで見殺しにしたら――俺は一生、前に進めなくなる」
シュウはライラックの手を静かに振り解き、床に散らばった調査資料を拾い集める。
「ごめん、ライラック。お前の痛みを、俺が全部理解できるなんて、そんな傲慢は言わない。それでも俺は今から、彼女に本当の事を聞きに行く」
立ち尽くす親友を背に、シュウは保管室を飛び出し、地下の特別監視室へと走った。
◆
四日目の夜。明日には、彼女の処刑が執行される。
荒い息をつきながら監視室の扉を開けたシュウを、マリーは静かな微笑みで迎えた。彼女はもう死を受け入れ、最期の夜にシュウへ感謝を伝えようとしているかのように見えた。
「こんばんは、シュウさん。そんなに走って、どうなさったのですか?」
「マリー! これを見てくれ!」
シュウは挨拶も抜きに防弾ガラスの前へ駆け寄り、拾い集めた現場検証の記録をガラスに押し当てた。
「君の村の火災現場から、人間の軍が使う火薬と油の痕跡が見つかっている! それに昨日、君は竜に変身できないと言ったよな? 竜に変身できない君が、村を火の海にするほどのブレスなんて吐けるはずがないんだ!」
マリーの顔から、すっと微笑みが消えた。
紅い瞳が激しく揺れ、彼女は顔を背けるようにして一歩後ろへ下がった。
「……なんの事か、分かりません。私が村を焼いたんです。だから明日、処刑されるんです」
「嘘をつくな! 本当の事を教えてくれ、マリー!」
シュウが防弾ガラスを拳で強く叩く。ゴン、と重い音が独房に響き、マリーはビクリと華奢な肩を震わせた。
「自分の角を『竜族の誇り』だと言ってあんなに大切にしている君が、同じ竜族の仲間もいる村を焼くわけがない! どうしてやっていない罪を被ってまで、死のうとするんだ!?」
シュウの純粋で、一切の曇りもない真っ直ぐな言葉が、マリーの心を幾重にも縛り付けていた鎖を激しく揺さぶる。
マリーは自分の両肩を抱きしめるようにして俯き、唇を噛み締める。
やがて、彼女の瞳からぽろぽろと涙が零れ落ち、絞り出すような声が通気孔から漏れた。
「……星が、教えてくれたのです」
「星が……?」
「あの日、私の『星読み』の力は、恐ろしい未来を予知していました。私のこの角を目当てに、重武装した人間の強盗団……いいえ、盗賊に偽装した人間の軍の部隊が、村を襲撃してくるという未来を」
マリーは遠い悪夢を振り返るように、震える声で真実を語り始めた。
「私は必死に村の人たちに訴えました。今すぐ村を捨てて逃げてください、このままでは皆殺しにされてしまいます、と。……ですが、誰も信じてはくれませんでした。『疫病神がまた不吉な嘘をついて村を惑わしている』と、石を投げられて追い返されたんです」
「そんな……」
その夜、彼女の予知は最悪の形で的中した。
夜の闇に紛れて現れた人間の武装部隊は、銃を乱射し、油と火薬を詰めた焼夷弾を村中に投げ込んで、隠れ里を瞬く間に火の海へと変えたのだ。
「燃え盛る炎の中で、気づいたのです。連中の狙いは最初から私の角だけだった。私が差し出されなければ、連中は生き残った村の子供たちまで皆殺しにするつもりでした。だから私は……連中の前に飛び出して、『村を焼いたのは暴走した私だ。他の者には手を出さないでくれ』と叫んで、自ら捕まったんです」
軍の一部隊にとっては、非公式な略奪行為の証拠隠滅として「暴走して村を焼いた凶悪な竜族を討伐・捕獲した」という筋書きは好都合だったのだろう。
だから裁判すら行わず、秘密裏に彼女を処刑して角だけを奪い取る手筈を整えたのだ。
「結局、同じことなんですよ、シュウさん!」
マリーは顔を上げ、涙に濡れた紅い瞳で悲痛に叫んだ。
「私が直接火を放っていなくても、私のこの角が人間を呼び寄せ、私の無力さが村を滅ぼしたんです! 私が生きている限り、周りには死と絶望しか訪れない……! だから私は、死ぬべきなんです!」
「ふざけるな……! そんなの、哀しすぎるじゃないか……!」
シュウはガラスに額を押し付けるようにして叫んだ。
誰も信じてくれなかった孤独な予知。それでも自分を迫害した村人たちを守るために、すべての罪を一人で背負い、死刑台へと向かおうとしている少女。
そんな理不尽を、神様だって許していいはずがない。
「もう誰かのために自分を犠牲にするのはやめろ、マリー! 名付け親がくれた『可憐な愛情』の名前を、そんな悲しい嘘で終わらせるな! 答えてくれマリー!、他の誰でもない、君自身の本当の望みは何だ!?」
シュウの魂からの問いかけに、マリーは息を呑んだ。
彼女の脳裏に、温かいパンの味と、シュウの優しい笑顔、そしてまだ見ぬ夜空の輝きがフラッシュバックする。
張り詰めていた諦観の糸が、ぷつりと音を立てて切れた。
「私の、望みは……っ!」
マリーはガラスの前へと駆け寄り、涙を振り乱しながら、生まれて初めて自分の本当の願いを声に出して叫んだ。
「私は、死にたくありません……! 貴方と一緒に、外の世界で綺麗な星空を見て、美味しいものをたくさん食べたい……!」
それは、ずっと独りぼっちだった少女が初めて見せた、年相応の無垢で切実な魂の叫びだった。
シュウは強く頷き、ガラス越しの彼女の手に自分の手を力強く重ね合わせる。
「ああ、約束する。……明日の夜、処刑なんか絶対にさせない。俺が必ず、マリーをここから連れ出す!」
看守と死刑囚という壁を完全に越え、二人は固い誓いを交わしたのだった。
◆
四日目の夜が明け、決意に満ちた顔でシュウが看守室を去った後。
残された独房の中で、マリーは閉ざされた鉄扉をじっと見つめていた。
今日が処刑日であることを知りながら、彼女の紅い瞳には、これまでで最も穏やかで、しかし胸を焦がすような切ない熱が宿っていた。
(言ってしまいました。私の、たった一つの願い)
自分の口から出た「生きたい」「貴方と星空を見たい」という言葉を思い返し、マリーは熱くなった自分の頬にそっと手を添えた。
(シュウさん、私は……貴方に恋をしてしまったのですね)
種族の壁も、これまでの絶望もすべて溶かしてくれた、太陽のように温かく純粋な人。その人を想うだけで、胸の奥がこんなにも甘く痛むのだと知った。
けれど、だからこそ、マリーは静かにかぶりを振った。
(……でも、貴方は優しい人間です。私のために貴方が人間たちの裏切り者になって罪人として追われるくらいなら……私は、喜んで死を選びます)
星読みの力は、明日の夜に起こる激しい嵐と血の匂いを、すでに微かに感じ取っていた。
マリーは自分の誇りである二本の角にそっと指を触れさせ、誰もいない部屋で、祈るように呟いた。
(どうか、無茶だけはしないでください。私の愛しい人……)
そして、運命の日が幕を開ける。