イツカノヨル ~5omeday, Under the Starlight~ 作:アムロ・メイ
五日目の夜。運命の日。
地下の特別監視室へと駆け込んだシュウを待っていたのは、いつもの静寂ではなかった。
部屋の中には、険しい顔で立ち尽くすライラックと、恰幅の良い一人の男――この監獄の所長であり、元人類軍でもあった上官、ロベリアが立っていたのだ。
「シュウ・シラクサ。貴様が昨日、機密文書保管室を荒らしていたことは既に分かっている」
ロベリアは冷酷な笑みを浮かべ、机の上にある『赤い処刑ボタン』を指先でコツコツと叩いた。
防弾ガラスの向こうでは、マリーが顔を青ざめさせ、必死にこちらを見つめている。
「所長……! あの火災現場の記録を見たんですね!? なら分かるはずです、村を焼いたのは彼女じゃない、人類軍の焼夷弾です! マリーは無実だ、処刑は中止してください!」
「無実? ハッ、青臭い新米が何を寝ぼけたことを言っている」
ロベリアは鼻で笑い、隠そうともせずに下卑た視線をガラスの向こうのマリーの頭――美しい二本の角へと向けた。
「無実だろうが何だろうが関係ない。上層部には『暴走した竜族を処刑した』と報告すればそれで済む話だ。……さあシュウ、貴様の最後の仕事だ。今すぐそのボタンを押して、その娘を毒ガスで殺せ。死体から角さえ綺麗に切り取れば、闇市場に流して一生遊んで暮らせるだけの大金が手に入るんだからな」
――闇市場。大金。
耳を疑うような言葉にシュウは言葉を失うが、ロベリアの高説は続く。
「そうだ、この処刑方法の特許を取るのもいいな。あわよくばミームになってくれれば莫大な財産が手に入る! 思考実験の一種として同じ竜族の少女を集めて処刑までのリアル・タイムアタックの大会を開くのも面白い! まぁ、仮にそれを開いたとして私の記録を破る者などおらん筈だがね!」
カカカ、と下卑た笑みと共に発せられる、幼稚で、知性の欠片も感じられないロベリアの言葉。
「あぁ、そうそう。新人刑務官である君に死刑囚を割り当てたのも、私の判断による物だよ。君と、そこの竜人が心を通わせようとする姿は実に滑稽だった。楽しませてもらったよ」
――下衆が!
吐き気を催す邪悪とはこういう事か。
シュウは全身の血が逆流するような感覚を覚え、銃を取り出し、銃口をロベリアへと向けていた。
「……何の真似かな、シュウ・シラクサ」
「撃つんですよ。貴方は――いや、アンタの様な独善は、撃たれるべきなんだ」
「……ハッ! 若造が芝居がかった事を言いおって。人を殺した事の無い甘ったれが撃てるものかよ」
「――ッ!」
図星だった。
人間に銃を向けている。それがどんなに邪悪な存在でも、引き金を引く事が出来なかった。
そんなシュウの様子を見て鼻で笑いつつ、銃を突き付けられている状況でもロベリアは顔色一つ変えず、命令する。
「おいライラック! 銃を抜いて、この裏切り者を撃て! 竜族を誰よりも憎んでいる貴様なら、こいつの愚かさが分かるだろう!」
ロベリアの命令に、隣に立っていたライラックが銃を抜き、銃口をシュウに向ける。
しかし、その銃口は小刻みに震えていた。
ロベリアは苛立たしげに舌打ちをし、更に口を滑らせる。
「早くしろ! せっかく俺の部隊があの隠れ里を焼き払い、竜族どもを追い詰めたってのに、そこの小娘が騒いだせいで現場から角を奪い損ねたんだ! ここで確実に回収しなきゃ、俺の計画がすべて水の泡だろうが!」
その言葉に、ライラックの瞳が大きく見開かれた。
「――ロベルタ所長。今、なんて言いました……?」
「聞こえなかったのか? あの村を焼いたのは俺達だって言ったんだ。竜族なぞどうせ生かしておけば害になるだけの存在、角で金儲けをして何が悪い!」
ライラックの脳裏に、幼い日に見た炎の記憶と、昨夜シュウが叫んだ『村を焼いたのは人間だ』という言葉が重なり合う。
自分が信じていた正義――人間と竜族という正義と悪の構図が、足元からガラガラと崩れ落ちていく音だった。
「――撃てません。親友を撃つなんて、俺には出来ない!」
「チッ、怖気づいたか、役立たずめ! なら俺が直接始末してやる!」
ロベリアの指が、シュウを狙って引き金にかかった。
ガラスの向こうで、マリーが悲鳴を上げる。
乾いた銃声が地下室に轟いた――その瞬間。
「――ッ! シュウッ!」
勢いよく飛び出してきたライラックが、シュウを強く突き飛ばす。
それと同時にライラックの左肩から鮮血が噴き上がる。
鉛の銃弾をまともに受けたライラックは、苦悶の声を上げて床へと崩れ落ちた。
「ライラック! おい、しっかりしろ!」
シュウは血まみれになった親友を抱き起こし、必死に傷口を押さえる。
「ぐ、うぅ……っ。わ、悪かったな、シュウ……。お前が正しかったのに、俺は、お前を……」
「喋るな! 今すぐ手当を……!」
「ハッ、馬鹿な奴等め。二人仲良くあの世へ逝け!」
ロベリアが再び銃口を向け、引き金を引こうとした、まさにその時だった。
「――やめてください! その人たちを、傷つけないでぇっ!」
防弾ガラスの向こうで、マリーの魂を振り絞るような叫びが響き渡った。
彼女の紅い瞳が、燃えるような深紅の光を放つ。
次の瞬間、マリーは自らの両手で、竜族としての唯一の誇りであり、命よりも大切にしていた『二本の角』のうち――左側の角を、両手で強く掴んだ。
「マリー!? 何をする気だ、やめろ!」
シュウの叫びにマリーは苦悶の表情を浮かべながら微笑む。――そして。
バキィッ! と、硬質なものが砕ける、生々しい音が響き、マリーの左の角が根元近くから力任せにへし折られた。
「あ、ぐ、あぁぁぁぁぁっ!」
断面から鮮血が流れ落ちる程の激痛の中で、マリーの身体から、大気を震わせるほどの膨大な魔力が噴き上がる。
竜族の角を自らの意思で折る行為――それは本来、理性を焼き切り、自らを犠牲にして内に秘めた竜人の力を暴走させ、周囲のすべてを吹き飛ばして皆殺しにする『破壊と絶望の力』の解放を意味する。
独房の石壁がミシミシと音を立ててひび割れ、天井から激しい砂塵が降り注ぐ。ロベリアが「ば、化け物――!」と恐怖に顔を歪めて後ずさった。
このまま力が暴走すれば、監獄全体が吹き飛び、シュウも、彼を助けてくれたライラックという人も死んでしまう。
しかし、激痛と破壊衝動の渦の中で、マリーは折れた角を強く握りしめ、シュウから教えられた『可憐な愛情』の名前を胸に、荒れ狂う魔力を必死にねじ伏せようとする。
(『壊すため』じゃない……! この力を、シュウさんと、シュウさんの大切な友達を……『守るため』に――!)
マリーの祈りに呼応するように、暴走していた赤黒い魔力が、温かく、安らぎを覚えるような『翡翠の光』へと変わった。
直後、ロベリアが恐怖に駆られて放った銃弾が発射されると同時に、マリーの放った『守護の衝撃波』が爆発した。
パァン! と、分厚い防弾ガラスだけがまるで氷細工のように粉々に砕け散る。
翡翠の風の壁はシュウとライラックを優しく包み込んでガラスの破片ひとつ触れさせず、ロベリアが放った銃弾だけを弾き飛ばし、そのままロベリアの巨体を部屋の壁へと強烈に叩きつけた。
「な、何の光――があああっ!?」
ロベリアは白目を剥き、壁際でそのまま崩れ落ち、気を失った。
ガラスのなくなった境界線を越え、断面から血を流したマリーが、ふらつく足取りでシュウたちの元へと駆け寄ってくる。
「マリー! 君の角が……っ!」
「私のことはいいですから! それより、ライラックさんをこっちに!」
「あ、ああっ!」
シュウは言われるがままライラックの体を運び、マリーの側に置く。
マリーは床に膝をつくと、自らの手でへし折ったばかりの『角の断面』を、大量に出血しているライラックの左肩の傷口へと強く押し当てた。
万能の薬効を持つとされる、竜族の角。
その生きた魔力の結晶が淡い光を放ち、ライラックの傷口へと吸い込まれていく。
すると、あれほど噴き出していた血が嘘のようにピタリと止まり、砕かれた骨と裂けた肉が、時間を遡るかのように塞がっていった。
「ぁ――あ? 傷が、消えていく……?」
ライラックは呆然と自分の肩を見つめ、それから、断面から血を流しながら必死に魔力を注ぎ続ける竜族の少女の顔を見上げた。
自分が『化け物』と呼び、あれほど憎み、一刻も早くボタンを押して殺すべきだと言い放った相手。
その少女が今、自らの最大の誇りである角をへし折ってまで、自分の命を救ってくれている。
人間の悪意によって彼女の村が焼かれた真実と、目の前の献身に、ライラックの価値観は打ちのめされていた。
やがて光が収まり、治療を終えたマリーがその場にへたり込むのを、シュウが慌てて抱き留める。
ライラックはゆっくりと上半身を起こし、震える息を吐き出す。
そして、複雑な感情が渦巻く瞳でマリーを見つめ、静かに口を開いた。
「分かっていたさ……人間も竜族も、良い奴と悪い奴がいる事くらい」
「ライラック――!」
喜ぶシュウの声を聞きながら、ライラックは自分の拳を強く握りしめ、俯く。
「……それでも俺は、親父とお袋を殺した竜族を、完全に許すことはできない。これはもう、理屈じゃないんだ」
「ライラックさん……」
絞り出すような正直な吐露だった。だが、ライラックはそこで顔を上げ、マリーに向かって深く頭を下げる。
「だが……お前が俺の命を救ってくれたこと、そしてお前が優しい竜族だってことは、嫌というほど分かった。……ありがとう、マリー」
「ライラックさん……。いいえ、シュウさんの大切なご友人ですから。無事で、本当に良かったです」
マリーが優しく微笑んでそれを受け入れた瞬間、監獄の廊下中に、けたたましい非常警報のベルが鳴り響いた。
先ほどの銃声と衝撃波を聞きつけ、武装した警備兵たちの足音が階段の上から次々と近づいてくる。
「チッ、もう嗅ぎつけやがったか!」
ライラックは素早く立ち上がると、床に落ちていた自分の拳銃と、気を失っているロベリアの剣を拾い上げる。
そして、シュウとマリーを背後に庇うように、入り口の鉄扉の前に立ち塞がった。
「シュウ! 独房の奥にある換気ダクトをぶっ壊せば、外の地下水路に出られる! マリーを連れて今すぐ逃げろ!」
「お前はどうするんだよ!?」
「親友に酷い言葉を投げかけ続けた罰と、マリーに命を救ってもらった礼だ。ここは俺が食い止める!」
ライラックは悲壮な覚悟を決めた顔で銃を構え、自らを犠牲にして二人を逃がそうとしていた。
しかし、次の瞬間。
チャキッ、と隣で銃の安全装置の外れる音がした。
ライラックが驚いて横を見ると、そこには自分の拳銃を抜いて構えたシュウが、真っ直ぐに前を見据えて並んでいた。
そしてその後ろでは、マリーもまた「私も残ります」と強い瞳で立っていた。
「なっ……お前、無駄死にしたいのか!? マリーを連れて早く逃げろって言ってんだろ!」
「断るよ、ライラック」
シュウは親友の顔を見て、不敵に、そしていつものお人好しな笑顔で笑ってみせた。
「マリーを救うのと同じくらい、お前を見殺しになんかできない! 俺にとって、お前はマリーと同じ位大切なんだ! ……逃げるなら、三人一緒だ!」
その言葉に、ライラックは一瞬だけ目を見開き――やがて、堪えきれないといった様子で「ハッ」と吹き出した。
肩の力が抜け、いつもの気さくで頼もしい親友――ライラック・クローバーの笑顔が戻る。
「……まったく、お前はどこまでもお人好しだな、シュウ!」
「それはお互い様だろ? ――行くぞライラック! マリー、俺の後ろにしっかり掴まっていろ!」
「はい、シュウさん!」
鉄扉が蹴り開けられ、なだれ込んでくる警備兵たちに向かって、シュウとライラックは同時に威嚇射撃を放ち、煙幕弾を叩きつける。
五日間の孤独な夜を打ち破り、二人の青年と一人の竜族の少女は、手を取り合って夜の監獄からの脱出劇へと駆け出したのだった。
◆
時は遡り、シュウが看守として働き出して間もない頃の話。
彼は、中々仕事仲間と打ち解けられず、一人、食堂の窓際で晩飯を食べていた。
「隣、いいかい?」
シュウの了解も得ぬまま、ガシャッ! というガサツな音と共に隣の席に座る男。
見ると、そこには日頃の訓練で常にトップクラスの成績を収めている男――。
「……ライラック・クローバー?」
「ん? 知ってんのか?」
「有名人だからな」
「へぇ、周りではそう思われてんのか。知らなかった」
有名人だという事を興味なさげに振る舞うライラック。
「……それで? いきなり俺に話しかけて、何の用なんだ?」
「いや、いっつも同じ場所で飯食ってる奴が居るからさ、興味が湧いて話したくなった。……んで、その理由はよ?」
あっけらかんとしたライラックの口調。同情とかそういう類の感情では無く、純粋に興味といった類の聞き方だった。
「話し相手が居ないからだよ。ここの人達は大抵望んでこの職業を選んだらしいけど、俺はそうじゃないから」
「へぇ、珍しいな。そりゃまたどうして?」
「……地元で流行り病が起こって両親が死んでさ。頼れる身内も居なくてメシにありつける仕事が、これしか無かった」
「そっか……」
シュウの理由を聞いた途端、ライラックのトーンが下がる。
暫くの沈黙の後、ライラックがおもむろに口を開いた。
「なぁアンタ、俺と友達にならねぇか?」
「は?」
いきなりの言葉に、シュウは声を失う。
「友達だよ『ト・モ・ダ・チ』。意味ぐらい分かってんだろ?」
「そりゃ、まぁ……」
「で、どーなんだ? 友達になってくれるか?」
馴れ馴れしい笑顔を浮かべるライラック。だが、不思議と不愉快な気分はしなかった。
「あぁ、よろしく頼む」
「よっしゃ! 今日から俺達は『親友』だ! よろしく頼むぜ。ええと――」
「シュウ・シラクサ。『シュウ』って呼んでくれ」
いつの間にか『友達』から『親友』にランクアップしていたその言葉に内心苦笑しながらも、差し伸べられたライラック・クローバーの右手を握り返した。