the bottom friend 孤高の死神 作:イルハン
真央霊術院の夜は早い。消灯時間を過ぎた薄暗い和室の一室。部屋を照らすのは、一本の蝋燭の、今にも消えそうな小さな灯りだけだった。
藍染は布団の上に座り、頑なに壁を作るようにして静かに本に目を落としていた。しかし、その静寂は、同室となった男――弦の容赦ない質問攻めによって、あっけなく破られることになる。
「なぁ藍染、寝る前に少し話そうぜ。流魂街ではどんな生活をしてたんだ? 家族はいるのか?」
「……静かにしてくれないか。僕は本を読んでいるんだ」
「いいじゃん、同じ部屋なんだからさ。好きな食べ物は? あ、やっぱり家族はいるのか? 兄弟とかさ」
弦はめげずに、次から次へと他愛のない質問をぶつけ続けた。前世の平死神だった頃には、声をかけることすら恐れ多かった雲の上の存在。その男が、今は手の届く距離で困惑している。今度こそ彼を闇から救うため、弦は必死に藍染の「心の防壁」を叩き続けた。
あまりのうるささに、藍染はついに読書を諦めた。本を深く溜息と共に閉じ、冷たい、だけどどこか諦めたような目を弦に向ける。
「……君は、本当に諦めの悪い人だね。……家族は、いないよ。物心がついた頃には、もう両親は死んでいた」
藍染は、蝋燭の揺れる炎を見つめながら、淡々と、まるで他人の歴史を語るかのように静かに言葉を紡いだ。
「父親も母親も、普通の平死神だったそうだ。流魂街のパトロール中に、虚(ホロウ)に襲われて死んだと聞かされている」
弦の胸が、ドクリと跳ね上がった。未来でも語られることのなかった、藍染惣右介の幼少期の真実。驚きに言葉を失う弦の前で、少年の藍染は、その理知的な瞳の奥に仄暗い炎を宿らせていった。
「けれど、僕は自分を襲った虚に対して、憎いとは思ったことがないんだ。……本当に憎むべきなのは、虚ではない。この、歪んだ『制度』そのものだ」
「……制度?」
「そうさ。護廷十三隊も、中央四十六室も、ただ今の現状維持に甘んじているだけだ。力のない平死神を流魂街の防波堤として使い潰し、根本的な世界の歪みからは目を背けている。僕の親が死んだのも、虚が強かったからじゃない。この死神の腐った体制が、彼らを見殺しにしたんだ」
少年の口から漏れ出たのは、のちに尸魂界を震撼させる反逆の、あまりにも純粋な始まりの言葉だった。まだ「天の座」という言葉こそ使わないものの、彼の世界に対する失望と怒りは、すでにこの頃から完璧に形作られていたのだ。
「だから、僕は誰よりも強くなる。強くなって、この世界の頂点に立ち、すべてを正しい形に作り変えるんだ。……圧倒的な、誰の干渉も受けない力を持ってね」
そう語る少年の横顔は、やはりどこか寂しげで、圧倒的に孤高だった。
前世で難しい勉強をしてこなかった元平死神の弦にとって、藍染の言う「体制」だとか「現状維持」だとかいう難しい理屈の、本当の意味までは分からなかった。
だけど、弦にははっきりと伝わっていた。
この少年が抱えている、世界に対する凄まじい「怒り」と、誰にも理解されずに一人で世界を背負おうとする、悲しいほどの孤独が。
(……藍染隊長。あなたは、この頃からたった一人で、その怒りと戦ってきたんだな)
「……変なことを言ったね。忘れてくれ」
我に返った藍染が、自嘲気味に笑って蝋燭の火を吹き消した。
部屋は一瞬で真っ暗な闇に包まれる。しかし、暗闇の中で布団に入った弦の目は、かつてないほど強く輝いていた。理屈は分からなくてもいい。彼が世界を壊そうとするなら、自分がその怒りを受け止め、今度こそ、ただの「親友」として隣で支えてみせる。弦は暗闇の中で、静かにそう誓った。
翌朝。昨夜の重い空気を引きずることもなく、弦はいつも通り元気に藍染を起こし、共に教室へと向かった。
この日の授業は、現世の守護と虚(ホロウ)の討伐を主な任務とする十三番隊から、特別講師が招かれていた。教壇に立っているのは、若き日の浮竹十四郎。白い長髪を揺らし、病弱ながらも誠実で温かみのある声で、虚の生態や危険性についての座学を進めている。
周囲の生徒たちは、いつ虚に襲われるかもしれないという恐怖から、浮竹の講義を一言も聞き漏らすまいと真剣にノートを取っていた。もちろん、弦の真ん前に座る藍染も、完璧な優等生の態度で真っ直ぐに教壇を見つめている。昨夜、死神の体制への激しい怒りを口にしていた藍染にとって、護廷十三隊の理想を体現するような浮竹の言葉は、皮肉なほど綺麗事に聞こえているはずだった。
そんな中、ただ一人、全く真面目に聞いていない男がいた。弦である。
前世で十三番隊に所属し、実際に何度も現世で虚と戦ってきた彼にとって、いま浮竹が教えている基礎知識は、すべて耳にタコができるほど叩き込まれた内容だった。弦は頬杖をつき、うとうとと船を漕ぎながら、目の前の藍染の背中をぼんやりと眺めていた。
パシィン!
「いったぁっ!?」
不意に、弦の頭に小気味よい衝撃が走った。見上げると、いつの間にか目の前に移動していた浮竹が、丸めた教科書を手に、困ったような、だけど厳格な学校の先生の顔をして弦を睨んでいた。
「これこれ、伏見くん。授業中に居眠りとは感心しないな。特例で入学したと聞いたが、ちゃんと僕の授業を聞いているのかい?」
「き、聞いてるよ、浮竹先生! バッチリ聞いてますって!」
弦が慌てて頭を掻きながら答えると、教室内の生徒たちからクスクスと失笑が漏れた。
浮竹はフッとため息をつくと、弦を試すように腕を組み、教科書の一頁を指さした。
「ほう、本当に聞いているなら質問だ。いま説明していたのは、虚の最上位種に位置する大虚(メノスグランデ)についてだ。……では伏見くん、大虚がその進化の過程で、最初に至る形態の名前と、その生態について答えてごらん」
周囲の生徒たちが「まだ習っていない難問だ」「嫌がらせに近い質問だぞ」とざわめき立つ。
しかし、弦にとっては初歩中の初歩だった。弦はフッと不敵に笑うと、すらすらと言葉を紡ぎ出した。
「大虚の第一段階は『ギリアン』。通称、最下級大虚です。巨大な体に黒い外套のような姿をしていて、知能は低く、野獣に近い。基本的には個としての意識を持たず、同じ個体が無数に集まったような存在です。流魂街の平死神が数人がかりで挑んでも勝てないほど霊圧は高いですが、動きが鈍重なので、退路を確保しつつ鬼道で距離を取れば、下級席官でも十分に対処可能です」
「……なっ!?」
弦の完璧すぎる回答に、浮竹は目を見開いて驚愕した。
教科書に書かれている基礎知識を遥かに超え、実際の戦場を経験した死神でなければ出てこないような「実戦的な対策」までをも、この少年は完璧に答えてみせたのだ。
「す、素晴らしい……。生態だけでなく、対処法まで正確に把握しているなんて。君は一体、どこでそんな知識を……」
浮竹が驚きと感動で言葉を失う中、弦の真ん前の席で、藍染がゆっくりとこちらを振り返った。
その顔には、先ほどまでの冷徹な拒絶ではなく、いつもの完璧な優等生としての「穏やかな笑顔」が貼り付けられていた。しかし、その瞳だけは弦の様子をじっと観察している。
藍染は感心したように声を漏らし、柔らかい声音で弦に語りかけてきた。
「驚いたね、伏見くん。まさか、君がそこまで虚(ホロウ)に興味があったなんて思わなかったよ。流魂街にいた頃から、独自に死神の文献でも調べていたのかな?」
言葉の上では、弦の深い知識を純粋に称賛し、引き立てるような物言いだった。周囲の生徒たちに「伏見くんは勉強熱心なのだな」と思わせるための、藍染らしい巧みな、そして自然なフォロー。
あはは、まぁちょっと小耳に挟んだだけさ」と苦笑いで返す。
浮竹先生の虚の授業が終わり、休憩時間。
藍染はノートを抱え、静まり返った図書室へと足を運んでいた。
しかし、図書室の重い扉を開けて中に入っても、背後からはやはりトコトコと規則正しい足音がついてくる。
藍染が本棚の陰で振り返り、弦を睨みつけようとした、その時だった。図書室の奥から、品の悪い大声と、少女の不機嫌そうな声が聞こえてきた。
「おい、矢胴丸! お前、四大貴族の四楓院家の下にある、この大前田家の俺に逆らう気か? その生意気な態度をやめろってんだよ!」
「……うっとうしいなぁ。大前田先輩、静かにしてくれない? ここは図書室だし、あんたの自慢話なんかより、私はこの本を読みたいの」
見ると、身なりの良い高級な死覇装をまとった大柄な上級生――大前田希ノ進が、眼鏡をかけた下級生の少女、矢胴丸リサを本棚の隅に追い詰め、上級生の権力を笠に着て理不尽に絡んでいるところだった。
(……大前田。あいつ、前世の歴史だと、のちの二番隊副隊長(大前田希千代の父親)になる男か……!)
弦が前世の知識でその正体に気づいた瞬間、弦の隣にいた藍染の纏う霊圧が、一瞬にして氷のように冷たく張り詰めた。
藍染は、いつもの穏やかな優等生の歩調のまま、すうっと大前田たちの前へと進み出た。
「上級生の方とお見受けしますが、図書室でのそのような乱暴な振る舞いは、真央霊術院の生徒として感心しませんね。おやめになっては如何ですか?」
「あぁ!? なんだお前、流魂街出身の分際で主席になったっていう、あの生意気な藍染か! 一年生の癖に俺に指図する気――」
大前田が激昂し、藍染の胸ぐらを掴もうと太い腕を伸ばした、その刹那だった。
――ドンッ!!!
図書室の床に、凄まじい衝撃音が響き渡る。
何が起きたのか、大前田本人にも、助けられたリサにも分からなかった。ただ、一瞬で大前田の視界が上下反転し、次の瞬間には、彼は藍染の圧倒的な力による『白打(体術)』で、容赦なく床へと叩きつけられていたのだ。
「が、はっ……あ、が……っ!?」
床に沈み、苦悶の声を漏らす大前田。藍染はその大柄な身体を冷徹に見下ろし、大前田の喉元へ、自身の竹刀の先端を正確に突き立てた。衣服の擦れる音すらしない、あまりにも鮮やかで、容赦のないコテンパンな制裁だった。
「ひ、ひえぇっ……! 覚えてろよ!」
大前田は藍染の底知れない眼光に完全に恐怖し、這いつくばるようにして図書室から逃げ出していった。
「ふぅ……。大丈夫かい、矢胴丸さん」
藍染は一瞬でいつもの優しい優等生の笑顔に戻り、リサに手を差し伸べた。リサは「……あ、ありがと。あんた、やるじゃん」と少し照れくさそうに眼鏡の位置を直した。
その一部始終を見ていた弦は、藍染の隣へ歩み寄り、感心したように声をかけた。
「おいおい藍染。お前、なかなか良いところあるじゃないか。困ってる下級生を助けるなんてさ」
弦の言葉に、藍染はリサに差し伸べていた手を引っ込め、ゆっくりと振り返った。その顔からは、先ほどまでの「優しい優等生」の笑みが、跡形もなく消え失せていた。
藍染は、弦の目を冷たく射抜くように見つめ、低く、残酷なほど澄んだ声で言い放った。
「……勘違いしないでくれ、伏見くん。僕は彼女を助けたわけじゃない」
「え?」
「僕はね……大前田先輩のような、本当の力を持たない『弱者』が、家柄や学年というくだらない後ろ盾を笠に着て、まるで自分が『強者』であるかのように振る舞う姿が、ただ無性に嫌いなだけさ。……反吐が出るほどにね」
それは、のちに世界を支配しようとする藍染惣右介の、歪みのない純粋な「力への執着」と、既存の制度(家柄や上下関係)への激しい嫌悪が剥き出しになった本音だった。
そう言い残すと、藍染はリサや弦にそれ以上の視線をくれることもなく、冷たい風を置いて図書室を去っていった。
大前田が泣きながら図書室を飛び出し、藍染もまた冷たい本音を残して去っていった。本棚の陰には、弦と、眼鏡をクイと直すリサの二人だけが取り残される。
すると、近くの大きな本棚の陰から、そろそろと大きな巨体がおびえたように這い出てきた。ピンク色の髪をした大柄な学生――二年生の有昭田鉢玄(うしょうだ はちげん/ハッチ)だった。
ハッチは大きな身体を小さく縮めながら、オドオドとリサの顔を覗き込んだ。
「あ、あの……矢胴丸さん、大丈夫でしたか……?」
「大丈夫に見えるわけないでしょ!」
リサはハッチを見るなり、眉を吊り上げて激怒した。
「ハッチ! あんた、二年生の先輩のくせに、そこにいたなら見てないで助けにきなさいよ! なんで隠れてんのさ!」
「ひ、ひえぇっ、ごめんなさい……っ。だって、大前田先輩はさらに上級生だし、逆らうと実家の大前田家から何をされるか分からないから怖くて……」
一年生のリサの剣幕に本気で震え上がり、涙目になりながら弁明するハッチ。どうやら本当に大前田が怖くて動けなかったらしい。ハッチの情けない姿に、リサは「はぁ……全く、頼りにならないんだから」と大きな溜息を吐いた。
ハッチはずっと傍観していた弦に気づき、慌てて背筋を伸ばしてお辞儀をした。
「あ、僕は二年生の有昭田鉢玄です。よろしくお願いします」
「俺は一年生の伏見弦だ。よろしくな、ハッチ先輩」
弦が笑顔で応じたその時、ふとハッチが両手で大事そうに抱え込んでいる一冊の古びた本に目が留まった。表紙には大きく「鬼道」の文字が刻まれている。
「なぁハッチ先輩、その抱えてるのって、鬼道の本か?」
「え、あ、はい! 僕は将来、護廷十三隊ではなく、『鬼道衆(きどうしゅう)』に入りたいと思っているんです。だからこうして、図書室で古い結界術や縛道の文献を調べていたところで……」
鬼道衆。その単語を聞いた瞬間、弦の頭に強烈な電流が走った。
自分が過去へ飛んでくる原因となった、あの理を歪める禁術――『天道・第五番』。鬼道のさらに上位互換とされる神の領域の術について、鬼道専門の彼なら何か知っているかもしれない。
弦はハッチの肩を掴み、真剣な目で問いかけた。
「ハッチ先輩! 鬼道の本をいっぱい読んでるなら教えてくれ。『天道(てんどう)』っていう術について、何か聞いたことはないか!?」
「えっ? て、天道……ですか?」
ハッチは丸い目をぱちくりとさせ、うーんと首を傾げた。
「いえ、そんな名前の鬼道は聞いたこともないです……。破道や縛道、回道(かいどう)のどれにも属さない名前ですね……」
「そうか、やっぱり知らないか……」
弦がガックリと肩を落とした。やはり最初から存在する禁術とはいえ、大真央霊書庫の奥深くに封印されていたレベルの代物だ。ただの学生が知るはずもなかった。
しかし、ハッチはすまなそうに指を弄びながら、ある重要な名前を口にした。
「あの……僕のような学生じゃ分かりませんけど……。いまの鬼道衆のトップ、大鬼道長を務められている、あの『握菱テッサイ(つかびし てっさい)』殿なら、もしかしたら何か知っているかもしれません」
(……握菱テッサイ……!)
前世の記憶が、その名前に瞬時に反応する。
のちに浦原喜助と共に現世へ追放されることになる、あの圧倒的な鬼道の神童。この時代なら、彼はすでに鬼道衆の最高責任者(総帥)として瀞霊廷に君臨しているはずだ。
「テッサイ殿のところに行けば、何か分かるかもしれないんだな!?」
「え、ええ、恐らくは……。ただ、大鬼道長は一般の学生が簡単に会える御方では……あ、これ、伏見くん!?」
ハッチの制止の声が届くより早く、弦は図書室を飛び出していた。
天道の詠唱を間違えたせいで、ここに飛ばされた。もし、あの鬼道の最高峰であるテッサイのところへ行けば、自分がなぜこの時代に来てしまったのか、そしてこの術の本当の『リスク(代償)』について、何かが分かるかもしれない。
藍染を救うための戦いの裏で、弦は自身の運命の謎を解き明かすため、現役の大鬼道長・握菱テッサイの元へと走り出すのだった。
ぜんかいのさいごに 東仙と拳西がいましたが それはけしました。時系列が合わないので