the bottom friend  孤高の死神   作:イルハン

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予想外の誘い

ハッチ先輩に大鬼道長・握菱テッサイの存在を教えてもらった弦は、教官室にいた京楽春水に「鬼道衆について訊きたいことがある」と押し通り、テッサイが今どこにいるのか、隠居先や詰所の居場所を訊き出していた。

教えられた瀞霊廷の最果て。幾重もの強固な鬼道の結界に守られた、厳かな庵(いおり)。

弦はその薄暗い生垣の影に身を潜め、中の様子をこっそりと窺っていた。

庵の奥からは、二つの男の声が漏れ聞こえていた。

「いやぁ、テッサイ殿。夜一様には困ったもんです。今日も御所を抜け出して霊術院のガキどもに拳骨を落としてきたらしくてねぇ。おかげで二番隊の部下たちが泣いて探してましたよ」

木下駄を鳴らし、のんびりと緑茶をすすりながら雑談しているのは、緑色の帽子を深く被った男――二番隊第三席・浦原喜助だった。

「ふむ……。夜一様の奔放さは今に始まったことではありませんが、我ら鬼道衆の結界をすり抜けるのだけは、悪戯が過ぎますな」

室内で巨体を揺らし、立派な髭を蓄えて腕組みをしているのが、当代の大鬼道長・握菱テッサイ。のちの歴史で現世へ逃亡することになる二人は、この時代からすでに、こうして人目を忍んで深く密談を交わす仲だったのだ。

弦が息を殺し、生垣の隙間から耳を澄ませていた、その時。

テッサイの鋭い眼光が、一切の予兆なく、弦の潜む外の闇へと向けられた。

「――そこにいる君。聞き耳を立てていないで、こちらへ来なさい」

(しまっ……! 見つかった……!?)

弦は冷や汗を流しながら、観念して生垣から這い出て、縁側の前に姿を現した。

「おやおや。霊術院の一年生ですか? どこから迷い込んできたのやら」

喜助が帽子の影から、鋭く、だけど面白がるような目で弦を観察する。

弦は居住まいを正し、二人の大物に向かって深く一礼した。

「……突然押し掛けて申し訳ありません。俺は一年生の伏見弦です。大鬼道長・握菱テッサイ殿に、どうしても訊きたいことがあってここまで来ました」

「私に? 学生が鬼道衆の総帥に何の用ですか」

テッサイの重々しい声が響く。弦はごくりと唾を呑み込み、ずっと胸に引っかかっていた、己の運命の核心にある『名前』を口にした。

「……『天道(てんどう)』という術について、教えてください」

その瞬間、庵のなかの空気が、目に見えて凍りついた。

あの常に飄々としていた浦原喜助すらも笑顔を完全に消し、怪訝そうに眉をひそめて呟いた。「……天道? 申し訳ないが、そんな名前の鬼道は僕の膨大な知識のなかにも、技術開発のデータにも存在しませんねぇ。君、どこでそんな名前を?」

天才・喜助すらも知らない未知の術。

しかし、大鬼道長であるテッサイの反応は違った。彼の太い眉が大きく跳ね上がり、その凄まじい霊圧が、部屋の障子をカタカタと震わせた。

「……伏見弦と言いましたか。なぜ、君のような霊術院の学生が、その名を知っているのです」

テッサイの目は、完全に弦を警戒していた。

「それは鬼道ではありません。かつて……遥か過去の時代に、『五大貴族』の合意によって完全に存在を抹消され、歴史の裏に封印された神の領域の『禁術』です」

五大貴族による封印。その言葉の重みに、弦の背中に冷たい衝撃が走る。

「その術は、世界の因果をねじ曲げ、過去を術師の望むように書き換えることができるとされています。しかし、世界の理を壊すほどの奇跡には、恐るべき代償が必要となる……。使おうとした瞬間、その術師の『魂そのものを完全に消費する』。つまり、過去を書き換えた術師は、魂の欠片すら残らず、二度と輪廻の輪に戻ることもできずに消滅するのです」

テッサイは弦を凝視しながら、低く語りかけた。

「魂の消滅を伴うがゆえに、この世で誰も発動に成功した者はいないとされる、呪われた偽りの神業……。それが『天道』です。それをなぜ、君が知っているのですか?」

テッサイの厳しい追及が、弦の小さな身体に重くのしかかる。

(……魂の消滅。やっぱり、本に書かれていた通り、一真としての俺の命は、あの廃墟で完全に死んだんだ……)

だが、自分は今、詠唱ミスによる大暴走の副作用で、伏見弦としてここに生きている。

喜助とテッサイの鋭い視線に晒されながら、弦は自分の身に起きた「因果の歪み」の大きさに、ただただ圧倒されていた。

テッサイの鋭い眼光と、浦原喜助のすべてを見透かすような視線が、弦の小さな身体に突き刺さる。

(……本当のことを、言うべきか?)

自分が未来の五番隊員であり、藍染の反逆を止めるためにその術を使い、詠唱を間違えてこの時代に飛ばされてきたということ。喉元まで出かかったその真実を、弦は間一髪で飲み込んだ。

まだ何の実績もない霊術院の一年生がそんな荒唐無欺な話を口にすれば、天道を試した危険分子として、それこそ中央四十六室や隠密機動に捕らえられ、「蛆虫の巣」へ一生幽閉されるのがオチだ。それでは、藍染隊長を救うどころではなくなってしまう。

弦はギュッと拳を握りしめ、冷や汗を拭いながら、必死に声を絞り出した。

「……す、すいません! 実は、流魂街のボロ市で拾った、破れて著者も分からないような古い古本に、ただその名前が書いてあったんです。本当に、ただの好奇心で訊きに来ただけで……!」

言葉を濁し、必死にただの学生の勘違いとして誤魔化そうとする弦。

テッサイは弦の様子をじっと観察していたが、やがてふっと張り詰めた霊圧を解いた。

「……そう、ですか。二度とその名を口にしてはなりませんよ。あれは、知るだけでも魂を穢す呪いのようなものですから」

「は、はい! 失礼しました!」

弦がホッとして頭を下げ、その場を立ち去ろうとした、その時だった。横で静かにお茶をすすっていた喜助が、ポンと手を叩いて思い出したように声を上げた。

「あぁ、そういえばテッサイ殿。そんなことより、山じい……失礼、山本元柳斎殿に頼まれていた件ですが。確か、明日から霊術院のガキどもに『鬼道』を教えることになっていましたよねぇ?」

「おお、そうでした。山本先生から、今年の一年生には特待生や特例入学生など、霊圧の優れた者が多いゆえ、私が直々に鬼道の基礎を指導してやってくれと仰せつかっていたのでした」

テッサイのその言葉に、弦の心臓が本日二度目の跳ね上がりを見せた。

(大鬼道長が、明日から俺たちのクラスで直々に鬼道を教える……!?)

「おや、伏見くん。明日からはテッサイ殿が君たちの先生ですよ。授業中、さっきみたいに聞き耳を立ててたら、今度は本当に縛道で縛り上げられちゃうかもしれませんねぇ」

喜助が帽子の下からニヤニヤと意地悪そうに笑いかけてくる。

「う……が、頑張ります! それじゃあ、失礼します!」

弦はこれ以上の追及を逃れるように、一礼すると一目散にその場から走り去った。

夕闇が本格的に瀞霊廷を包み込む中、弦は複雑に乱れる胸中を抱えたまま、一歩一歩踏みしめるように生徒寮への道を戻っていった。

天道の代償は、橘一真という魂の完全な消滅だったはず。なのに、なぜ自分は今、伏見弦としてここに生きているのか。詠唱を間違えたことによる「不発(暴走)」が、一体どんな歪みをこの世界に生み出してしまったのか、その答えはまだ出ない。

(……けど、悩んでる暇はない。明日からはテッサイ殿の鬼道の授業だ。藍染隊長の前で、下手な姿は見せられない……!)

夜の静寂が近づく寮の門を見上げながら、弦は小さく息を吐き、再び前を向いた。

弦は静まり返った生徒寮へと戻ってきた。

 

そっと部屋の引き戸を開けると、暗がりの中に静かな寝息が届いてくる。

部屋の中では、すでに藍染が布団に入り、ぐっすりと眠りについていた。

 

……いや、本当に眠っていたのか、それとも弦に話しかけられないよう眠っているふりをしていただけなのかは分からない。

 

だけど弦は何も話しかけず、そっと自分の布団に入り、そのまま静かに眠りについたのだった。

翌日、霊術院の演習場では鬼道の授業が行われていた。

 

教壇に立つ大鬼道長・握菱テッサイの指導のもと、生徒たちが挑むのは初歩の初歩――『破道の一・衝』。

 

「無形の槌、風を穿て。破道の一・『衝』!」

 

指先から放たれた衝撃波が標的を弾き飛ばす。

藍染はいつものように完璧な霊力制御を見せ、他の生徒たちとは比べものにならない精度と威力で術を成功させていた。周囲の生徒たちから感嘆の溜息が漏れる。

 

そして、その隣で術を放った弦の『衝』もまた、藍染に勝つとも劣らない見事な威力を叩き出していた。

 

(……すごいな。この肉体、驚くほど物覚えが良い……)

 

弦は自分の小さな手を見つめ、驚きを禁じ得なかった。

前世で平死神だった頃の自分は、この『衝』ひとつを習得するのすら、一ヶ月もかかっていたのだ。それが今や、一度教わっただけで身体が自然と霊力を練り上げ、完璧な形で術を発動させている。前世の記憶と、この肉体が持つ優れた資質が見事に噛み合っている証拠だった。

 

ふたりの出来栄えを静かに見届けていたテッサイが、満足そうに太い髭を撫でながら声を張る。

 

「素晴らしい。藍染くん、そして伏見くん。ふたりとも実に見事な構築と威力を与えている。初歩とはいえ、これほど無駄のない発動はそうできるものではありません」

 

テッサイの言葉に、周囲の生徒たちがザワつく。

しかし、テッサイは表情を引き締め、演習場の一角に鎮座する巨大な岩へと歩み寄った。大人数人がかりでも動かせないような、筋骨隆々とした巨岩だ。

 

「ですが――鬼道を極めれば、このようなことも可能となります」

 

テッサイは構えをとることも、詠唱を紡ぐことすらもしなかった。

ただ静かにその右手の指先を巨大な岩へと向け、一瞬だけ霊圧を込める。

 

――破棄詠唱。

 

次の瞬間、音もなく放たれた『衝』の衝撃波が空間を爆破した。

ドガァァァン!!!という凄まじい轟音とともに、目の前にあった巨大な岩が、跡形もなく木端微塵に粉砕される。飛び散る砂埃と激しい風圧に、生徒たちは悲鳴を上げて顔を覆った。

 

詠唱すら無しで、初歩の『衝』だけで巨岩を砕いてみせた大鬼道長の圧倒的な凄み。

白煙が舞う演習場で、弦と藍染は言葉を失い、ただその光景を呆然と見つめていた。

「……上位の死神は、ここまでできるのか……」

 

普段の冷徹な面影を潜め、純粋な驚きと底知れない知性を瞳に宿らせる藍染。その隣で、弦はフッと不敵に笑いながら言葉を返した。

 

「俺がここを卒業したら、これ以上に強くなってやるさ」

 

すると、藍染は弦の方へゆっくりと視線を向けると、いつものようにどこか食えない笑みを浮かべた。

 

「そうか。なら……君がここを卒業したら、僕の部下にしてやってもいいぞ。……そうだな、美味しい紅茶でも淹れてくれ」

 

「はぁ? 俺とお前じゃ実力だって大して変わらないだろ! なんで俺がお前の部下にならなきゃいけないんだよ!」

 

自分の部下にしようとする藍染に対し、弦は即座に言い返した。

 

思わず抗議した弦に対し、藍染の瞳から一瞬で冗談めいた色が消え去った。

 

「……人を、表向きの力だけで判断しないことだね」

 

静かな声とともに、藍染が弦に向かってスッと右手をかざした。

 

次の瞬間――どどどっ、と演習場の空気を押し潰すような凄まじい霊圧が、藍染の小さな身体から解き放たれた。

 

「っ……!? この霊圧は……!!」

 

あまりの重圧に弦の足元が沈み込む。藍染は冷ややかな目を弦に向けたまま、静かに言葉を続けた。

 

「言ったはずだ。僕はここに集う者たちとは違う、とね。真央霊術院へ来る前から、霊圧のコントロールなどとうに出来ていたのさ」

 

圧倒的な才能を見せつける藍染。だが、前世の記憶と死神としてのプライドを持つ弦も、そのまま引き下がる気は毛頭なかった。

 

(くそっ……なめられたまま終わってたまるかよ……!!)

 

弦は歯を食いしばると、己の身体の奥底に眠る霊力を一気に爆発させた。

 

ドドォンッ!!!

 

弦から噴き出した力強い霊圧が、藍染の放った霊圧と真っ向から激突する。二人の間に目に見えるほどの空間の歪みが生じ、バチバチと火花のような衝撃波が散った。

 

「ほう……僕の霊圧を押し返すか」

「当たり前だ……! 俺をただのガキだと思うなよ、藍染……っ!」

 

お互いに意地になり、引くに引けない状況で霊圧を限界まで高め合うふたり。

 

そんな二人の激しいやり取りを、少し離れた岩の上からニヤニヤと見下ろしている男がいた。

十番隊副隊長・志波一心だ。

 

一心は腕を組み、豪快に笑いながら二人を見下ろして呟く。

 

「ハハッ! ガキのくせに、二人ともなかなかイイ霊圧出してやるじゃねえか」

 

一心が岩の上から呑気に声をかけたことで、ピンと張り詰めていた空気がふっと緩み、二人の霊圧の衝突もおさまった。

 

弦と藍染はお互いに視線を外すと、それ以上は言葉を交わすこともなく、静かに元の場所へと戻っていった。

岩の上で見ていた一心は、二人が霊圧を収めたのを確認すると、岩からひらりと飛び降り、ニッと頼もしい笑みを浮かべた。

 

「まあでも、それだけの腕がありゃ十分だ。二人とも卒業したら、ぜひ十番隊に来てくれよな! その頃には、俺も副隊長じゃなくて『隊長』になってるはずだからよ」

 

一心の能天気な言葉を聞きながら、藍染はスッといつもの完璧な優等生の表情に戻り、丁寧に頭を下げた。

 

「お見苦しいところをお見せしました、志波副隊長殿。……それでは、僕は失礼いたします」

 

そう言い残して踵を返した藍染だったが、その胸中では冷徹な思考を巡らせていた。

 

(……たく、五大貴族の奴らに見られたら厄介なことになるところだったぞ。外でおいそれと、あんな霊圧を撒き散らすものじゃない……)

 

自分たちの衝突を周囲、とりわけ五大貴族の目に触れさせかねなかったリスクに苦言を呈しながら、藍染は一瞥もくれることなくその場を立ち去っていった。

 

取り残された弦は、去っていく藍染の背中をじっと見つめていたが、そのまま一心の隣に残り、ぽつりと口を開いた。

 

「……あいつ、大きな力と、それ以上に凄まじい野心を持ってるんです」

 

具体的な未来の反逆や謀略の内容までは明かさず、弦は己の知る藍染の本質だけを一心に語りかけた。

 

「なのに……どれだけ歩み寄ろうとしても、全然心を開いてくれなくて。一体どうしたらいいのか……」

 

前世の記憶と後悔を抱え、切実そうに悩む弦の姿を見て、一心は少しの間顎に手を当て、うーんと唸りながら考えていた。だが、やがて何かを思いついたようにポンと手を叩いた。

 

「よしっ、分かった!」

 

「え……何がですか?」

 

尋ねる弦の問いには答えず、一心はニシシと悪戯っぽく笑うと、「ちょっと待ってろ!」と言い残し、瞬歩でどこかへ慌ただしく走り去ってしまった。

 

突然姿を消した一心の後ろ姿を、弦はポカンと見送るしかなかった。

 

「……一体なんだったんだ……?」

 

理由も分からないまま首を傾げる弦だったが、考えても答えが出るはずもなく、大きな溜息をひとつ吐くと、とりあえず静かになった生徒寮へと戻っていくのだった。

翌日、真央霊術院の教室。

いつものように静かに席についていた藍染と弦の二人のもとに、一人の教師が足早にやってきた。

 

教師は厳しい表情を浮かべたままで二人を見据えると、唐突に告げた。

 

「おい、藍染、伏見。お前たち二人に通達だ。今日から半年間、志波家の屋敷へと赴き、そこで預かられることになった」

 

その予想外すぎる言葉に、二人は思わず目を見開いた。

藍染は一瞬で表情を険しくさせ、教師に向かって鋭い声をぶつけた。

 

「……いったいどういうことですか。私たちの意志も確認せず、勝手にそんな決定を下すなんて……なぜ、そんなことを許したのですか?」

 

本人たちへの相談すらなしに決まった貴族家への預かり沙汰。藍染が不快感を隠せずに問いただすと、教師は気まずそうに目を逸らしながら、頭を掻いて答えた。

 

「仕方ないだろ……。志波家の若頭(一心)から直接そう言われたんだから、やるしかないだろうが。それに、五大貴族の家で働くなんて、お前たちのような平民の出にとってはまたとない栄誉なことなんだからな」

 

その言葉を聞いた瞬間、藍染の瞳の色が変わった。

藍染はゆっくりと頭を回転させ、その冷徹な視線を、隣に座っている弦へと急激に向けた。

 

「……君だな。昨日のあのあと、志波副隊長にいったい何を話したんだ?」

 

前日の放課後、自分がその場を去ったあと、弦が一心と何を話し、この奇妙な預かり沙汰を引き起こしたのか。藍染の鋭い追及の視線が、思いがけない展開にすっかり戸惑っている弦の身体を射抜いていた。

 

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