the bottom friend 孤高の死神 作:イルハン
志波家の居間。畳の上に座るように促され、弦の前に現れたのは藍染惣右介だ。
「はじめまして。藍染惣右介です」
いつものように柔らかく穏やかな笑顔を浮かべ、丁寧に挨拶してくる。まるで優しく真面目な先輩に見える。
弦はその様子を見て、思わず小さく口元をゆるめた。
「…… 藍染さん、相変わらず猫かぶりが上手ですね」
すると藍染は一瞬だけ目を見開き、すぐにいつもの笑顔に戻る。
「…… ふふ。何のことでしょう」
そばにいた志波一心が間に入り、ふたりに向かって言う。
「まあまあ、そういうことにしておいてくれ。—— というわけで、これからふたりをこの屋敷で預かる。並外れた才能を持っているから、普通の生徒たちと一緒にするのはかえって負担が大きいだろう。ここで落ち着いて過ごすのがいい」
一心は続ける。
「稽古は俺がつける。勉強のほうも、必要なら教えられる者に頼むから安心しろ」
そのとき、戸口から「おじさん、そろそろ……」と声がして、若い男が姿を現した。
志波海燕—— まだ十三番隊には正式に入隊しておらず、これからの時期。歳は藍染たちより少し下で、隊士としての実力もまだこれからだ。
「ああ、ちょうどいいところに来た」
一心が海燕を呼び寄せ、弦たちに紹介する。
「こいつは海燕。この志波家の者で、才能はあるから数年後には真央霊術院に入る予定だ。これから一緒に過ごすことも多くなるだろう」
弦は心の中でつぶやいた。
—— この人が志波海燕さん。そして隣にいるのは……。
海燕のすぐそばに、小さな女の子が立っている。
志波空鶴だ。小さな手で海燕の服の裾をそっと引っ張りながら、きょうきょうと弦たちの方をじっと見つめている。
弦は一心に向き直り、尋ねる。
「一心さん。ここでは、どんなことをすればいいんですか?」
一心はにっこり笑って答える。
「そうだな。俺の手伝い、掃除、稽古…… そのときどき必要なことを適当にやってくれればそれで十分だ」
そのとき、すっきりとした着物姿の女性が縁側から入ってきた。
「あらあら、話はそこまで?」
明るく、だけどどこか芯の強い声。志波椿—— 一心の妹だ。
「紹介する。こいつは俺の妹の椿だ」
一心が手を指すと、椿はふたりの前に進み、にっこり笑う。
「はじめまして。椿です。これからよろしくね」
弦は頭を下げる。
「よろしくお願いします」
藍染も続いて丁寧に挨拶する。
「はじめまして。藍染惣右介です」
そのとき、椿と藍染の目が合った。
藍染はいつもの穏やかな笑顔を浮かべていたけれど、椿の瞳はまっすぐ彼を見つめ、少しだけ目を細めた。
空鶴はそんな椿の袖をそっと引っ張り、自分のそばへ引き寄せる。
椿は小さく笑って空鶴の頭をなでる。
「さあ、堅い挨拶はこれくらいにして」
一心が立ち上がり、手をはたく。
「部屋は二階に用意してある。荷物を運んだら、そのあと中庭で軽く体を動かそう。—— 才能があるって聞いてるから、どれだけ動けるか見せてもらうぞ」
用意された部屋に荷物を置き、ふたりきりになった途端 —— 藍染が急に表情を険しくして弦に向き直った。
「まったく…… 君のせいで面倒なことになったものだ」
声は低く、明らかに怒っている。
「僕は元から、貴族連中が大嫌いなんだ。いい気になっている者たちと、わざわざ関わりを持つなんて」
弦はあわててなだめるように言う。
「まあまあ、いいじゃないか。いい経験になるって。それに —— 一心さんはいずれ隊長になる人だ。ここで繋がりを作っておいたほうが、絶対に得だよ」
その言葉に、藍染はますます眉を吊り上げる。
「なんだ、その考えは。貴族に媚を売るような真似をするような人間なんて、将来が思いやられる。そんな生き方で、いったい何が変わるというんだ」
弦はそんな藍染の言葉を軽く受け流すように笑って、話題を変えた。
「そんなことよりさ —— さっきの女性、きれいだったな」
藍染は一瞬言葉を詰まらせ、それから面倒くさそうに適当に答える。
「…… ふ。どうだか。別に何とも思わないが」
藍染はまだ何か言いたげだったが、それ以上は何も口にしなかった。
部屋を出て何処かへ歩き出した藍染の背中に、弦が声をかける。
「どこに行くの?」
藍染は振り返りもせず、足を止めて答える。
「図書室だ」
「じゃあ、俺も行く」
弦はそう言ってすぐに藍染の後を追った。
図書室に着くと、藍染は書棚を見回し、蔵書の多さに小さく感嘆する。
「…… なかなかのものだ」
そうつぶやくと、手際よく本を一冊取り出し、窓際の机に座って読み始める。
弦はその隣に佇んだまま、特にすることもなくぼんやりとしていた。
しばらくして、藍染がページをめくりながら弦に問いかける。
「本を読まないのなら、何をしに来たんだ」
弦は肩を竦めて答える。
「俺は必要なことはたいてい知っているからな」
その言葉に藍染が顔を上げると、弦はさらに続けてからかうように言う。
「おまえだっていつも本ばっかり読んでるくせして —— 実は俺のほうが詳しいこと、いっぱいあるんだぜ」
藍染が突然、ばたんと音を立てて本を閉じた。
表紙に指を置いたまま、まっすぐ弦を見つめて言う。
「前から思っていた。君は流魂街の出身で、ろくに勉強もしていないはずなのに —— なぜか知識が豊富だ。いったい何なのだ」
弦は少しだけ目を伏せ、悲しげな表情でつぶやいた。
「…… いつか、話すかもな」
藍染は即座に食いつく。
「つまり —— やはり何かあるのだな。僕に初めて会ったときも、なぜか『隊長』と呼んで、泣いていた」
矢継ぎ早に問い詰められ、弦は少し強い口調になる。
「だから、いつか話すって言っただろ。だけど今は —— その時じゃない」
そのとき、戸口から明るい声が響いた。
「あらあら、ふたりともなかよしなんですね」
見ると、志波椿が立っていた。手にはお茶の盆を持ち、にっこりと笑いながらこちらを見ている。
椿は盆の上に湯呑みを並べ、そっと机の上に置いた。
「さあ、お茶を持ってきましたよ」
先ほどまで鋭かった藍染の表情が、ぱっと穏やかに変わる。いつもの柔らかな笑顔を浮かべ、丁寧に頭を下げる。
「ありがとうございます」
椿はにっこり笑って告げる。
「お茶を飲んだら、一心お兄さまのところへ行ってくださいね。お呼びでしたよ」
椿に告げられた通り、弦と藍染は志波家の奥へと足を運んだ。
廊下を抜け、縁側を伝って庭へ出ると、そこには一心が両手を組んで二人を待っていた。背後には手入れの行き届いた庭木が並び、風がそよぐたびに葉擦れの音が静かに響いている。
「おう、来たか。まずはそこに座れ」
一心が指した縁側に腰を下ろすと、彼はいつもの冗談めいた調子を少しだけ引っ込めて、真剣な面持ちで語り始めた。
「よろしい。俺からお前たちに、一つだけ教えておくことがある。真央霊術院で習うことなんて、たかが知れている。基礎の基礎、型と知識だけだ。俺だって、死神として本当に大事なことは、全部護廷十三隊に入ってから、血を流して、傷ついて、ようやく身につけたんだ」
一心は庭の砂利をぐっと踏みしめるように立ち上がり、空を仰いだ。
「何よりもだ、『経験』だ。座学ではどうしても手に入らないものがある。お前たちは並外れた才能を持っている。いずれ尸魂界を支え、背負って立つ人間になる。だからこそ、早いうちに本物の戦いの空気に触れさせてやりたいんだ」
言い終わると、一心は脇に立てかけてあった二本の長い箱を取り、二人の前にどんと置いた。蓋を開けると、そこには白い木綿に包まれた、打ち刃のついたばかりの真新しい刀が収まっていた。
「これを持て」
弦は渡された刀の柄を握り、抜き身をちらりと覗いた。無銘の、名前のない刀。死神が最初に手にする、いわば種となる斬魄刀――「浅打(あさうち)」だと、弦は瞬時に理解した。
だが、よくよく手元を見ると、それは浅打ですらなかった。魂を宿す気配もなく、霊圧を受け止める器ですらない、ただの鉄と鋼で打たれた、ごく普通の「剣」だったのだ。
「…… 一心さん。これは、斬魄刀でもなんでもない、ただの剣じゃないですか」
弦が問うと、一心はニヤリと口元を歪め、自らも一本の木刀を手に取って庭の真ん中に立った。
「その通りだ。斬魄刀なんぞ、まだ早え。お前たちにまず教えたいのは、『刀を持って人と切り結ぶ』ということの、本当の怖さと難しさだ。名前も魂もない、ただの鉄の棒で勝負してみろ。それでこそ、己の本当の実力が分かる」
一心は木刀を構えるともせず、だらりと下げたまま、二人をにらみつけた。その佇まいからは、十番隊副隊長として幾多の戦場をくぐり抜けてきた男の、生々しい気配が立ち昇っていた。
「さあ、弦。藍染。二人そろって、かかってこい!」