魔法が技術として確立された時代。
国立魔法大学付属第一高校に、一人の少年が入学する。
その名は九條剣也。
古式魔法界の盟主であり、国家の重鎮として知られる九條家の後継者。
そして、世界中の魔法師や武術家から『剣聖』と呼ばれる天才である。
これは、一人の規格外の少年が、もう一人の規格外の魔法師と出会う物語。
西暦二〇九五年四月三日。
京都。
古都の一角に、広大な敷地を持つ屋敷が存在していた。
九條家本邸。
その起源は鎌倉時代後期にまで遡る。
かつて朝廷の最高位を占めた五摂家の一つ、九条家から分かれた名門であり、現在では日本の古式魔法界における盟主とし
て知られている。
しかし、その影響力は古式魔法界に限らない。
魔法研究、経済、国家安全保障。
様々な分野で重要な役割を担い、時には十師族をも凌ぐ政治的影響力を発揮する。
さらに、現当主である九條宗玄は、日本の裏の権力中枢とされる元老院に名を連ねる人物だった。
その発言力は四大老にも匹敵するとされ、政財界において九條家の名を軽んじる者はほとんどいない。
だが、そんな九條家が近年、特に注目を集める理由は別にあった。
『剣聖』。
その名を冠する、一人の少年の存在である。
│││
「││ふっ」
鋭い風切り音が、静かな道場に響いた。
木刀が振り抜かれる。
ただ、それだけだった。
魔法による身体強化も、加速もない。
純粋な剣術。
しかし、その一振りは異様なほど完成されていた。
踏み込み、重心移動、剣筋、呼吸。
一つとして無駄がない。
まるで人間の肉体が持つ可能性を極限まで追求したような動きだった。
少年は最後の一振りを終えると、静かに木刀を下ろした。
九條剣也。
十五歳。
黒髪に整った顔立ちを持つ、どこにでもいそうな少年。
だが、その実力は決して普通ではない。
剣術、体術、古式魔法、現代魔法。
そのすべてにおいて世界最高峰。
さらに、空間そのものに干渉する特殊な魔法まで操る。
世界中の魔法師や武術家が認めた、現代の剣聖である。
「相変わらず、見事なものじゃな」
道場の入り口から声がした。
剣也が振り返る。
そこには、一人の老人が立っていた。
九條宗玄。
九條家現当主にして、古式魔法界の重鎮。
国家の裏側にまで影響力を持つ元老院の有力者である。
「おはよう、爺さん」
「うむ。おはよう、剣也」
宗玄は道場へ足を踏み入れた。
「高校の入学式の日だというのに、朝から稽古か」
「習慣だからな。別に疲れるほどやってないし」
「お前にとっては、そうじゃろうな」
宗玄は苦笑した。
古式魔法界にその名を知られる宗玄でさえ、孫の剣術には感嘆を禁じ得ない。
かつては自分が教えていたはずの少年。
しかし、今ではその技量が祖父を遥かに超えている。
しかも剣也は、剣術だけの男ではなかった。
魔法師としても、極めて異質な存在である。
《空間干渉》。
空間的な距離や位置関係、接続状態に干渉する特殊な魔法。
対象との距離を無視する斬撃。
攻撃を別の場所へ逸らす防御。
遠隔地への転移。
さらには大規模な空間接続による輸送。
剣也はそれらを、極めて高い精度で操ることができる。
しかも現代魔法も古式魔法も、CADや呪具の補助なしで高度に行使できる。
もっとも、剣也自身は必要に応じて刀剣型CADや拳銃型CAD、各種呪具を使い分けていた。
何を使うかに拘るのではない。
状況に応じて最も合理的な手段を選ぶ。
それが九條剣也の戦い方だった。
「ところで剣也」
「ん」
「第一高校では、くれぐれも問題を起こすでないぞ」
剣也は顔をしかめた。
「いきなりそれかよ」
「当然じゃろう。お前のこれまでの行いを考えればな」
「俺、そんなに問題起こしてないだろ」
「昨年の欧州での演武会を忘れたか」
「……あれは向こうから挑んできたんだろ」
「各国の名だたる剣士を、魔法も使わずに全員倒したのは誰じゃ」
「俺だけどさ」
「それで大騒ぎになったではないか」
「俺が悪いのか、それ」
宗玄は愉快そうに笑った。
「まあ、よい。元気なのは結構なことじゃ」
「適当だなあ……」
「それより、高校生活を楽しんでこい」
宗玄の声が、少しだけ穏やかになった。
「お前は幼い頃から、様々な者に囲まれて育ってきた。魔法師、武術家、研究者、政治家……」
「まあな」
「だが、同年代の友人と過ごす時間は、それらとは違うものじゃ」
剣也は祖父を見た。
「よき友を作れ。九條家の後継者としてではなく、一人の少年としてな」
その言葉に、剣也は笑みを浮かべた。
「ああ。そうするよ」
│││
京都から東京への移動に、剣也は自らの《空間干渉》を用いていた。
本邸の敷地内で安全を確認して空間を接続し、東京側の人目につかない九條家の管理施設へ移る。そこから先は車で向かうのが、今日の段取りだった。
転移先の安全確保も、周囲に不用意な騒ぎを起こさないための配慮も、彼にとっては日常の一部である。
東京都。
国立魔法大学付属第一高校。
日本に九つ設置された魔法科高校の中でも、第一高校は特に高い人気と実績を誇っていた。
その正門前に、一台の車が停車する。
「到着いたしました」
運転手の声に、後部座席の少年が顔を上げた。
「ありがと」
車から降りた剣也は、校舎を見上げた。
「ここが第一高校か」
広々とした敷地。
整然と並ぶ校舎。
そして、新入生と保護者たち。
一見すれば普通の名門高校と変わらない。
ただし、ここに集う生徒は全員、魔法師としての才能を認められた少年少女だった。
「剣也様」
運転手が声をかけた。
「式典終了後のお迎えは、いかがいたしましょうか」
「今日はいいよ。帰りは自分で帰る。東京側の施設までは歩くし、そこからは転移するから」
「承知いたしました」
「あと、学校では様付けしなくていいって言っただろ」
「……失礼いたしました、剣也さん」
「うん。それでいい」
軽く手を振り、剣也は正門へ向かった。
その胸元には、八枚の花弁を模したエンブレムが付いている。
第一高校の一科生。
魔法実技の評価によって選抜された生徒の証である。
ちなみに剣也の入学試験総合順位は第二位だった。
第一位は司波深雪。
その名前については、剣也も既に確認している。
魔法師としての能力が高いという話も耳にしていた。
(どんな奴なんだろうな)
そんなことを考えながら歩いていると、周囲から視線を感じた。
「あれ……九條剣也じゃない」
「嘘。本物」
「剣聖って呼ばれてる人」
「同い年だったんだ……」
剣也は内心で苦笑する。
(やっぱり目立つか)
予想していなかったわけではない。
何しろ、剣聖という異名は日本国内に限らず、海外でも知られている。
魔法師を志す学生たちが、その存在を知らないとは考えにくかった。
とはいえ、剣也自身は特別な対応を求めるつもりなどない。
近くの新入生と目が合うと、軽く会釈した。
相手は慌てて頭を下げる。
(……普通にしてくれていいんだけどな)
そう思いつつ、剣也は校舎へ歩いていった。
│││
入学式の会場へ向かう途中。
剣也は、二人の新入生に目を留めた。
男子生徒と女子生徒。
女子生徒は、思わず目を引かれるほど美しかった。
艶やかな黒髪。
整った容姿。
凛とした佇まい。
だが、剣也が注目したのは容姿ではない。
(……へえ)
魔法師としての気配。
その制御が、非常に精密だった。
無駄が少なく、極めて安定している。
同年代としては驚異的な水準だ。
(あれが首席か)
名前を知っているわけではない。
しかし、そう考えたくなるほどの能力だった。
そして、その隣に立つ男子生徒。
こちらは、さらに奇妙だった。
(……何だ、あいつ)
通常の魔法師とは、何かが違う。
魔法能力が低いというわけではない。
むしろ、その評価基準そのものが合っていないような違和感がある。
剣也は目を細めた。
彼の知覚能力《万象把握》は、魔法に関連する様々な情報を高精度で捉えることができる。
だが、万能の未来予知でも、他人の秘密を自動的に読み取る能力でもない。
分かるのは、目の前の少年が極めて特殊な魔法師らしいということだけだった。
(面白いな)
そのとき。
男子生徒が、ふとこちらを向いた。
目が合う。
一瞬だけ、互いを観察するような視線が交わされた。
剣也は軽く笑ってみせた。
相手は少しだけ目を細めたが、特に反応せず視線を戻した。
(気づいたか)
剣也は内心で感心した。
どうやら、ただ者ではないらしい。
もっとも、初対面の相手を追い回してまで能力を確かめるつもりはない。
そのまま会場へ向かった。
このとき、剣也はまだ知らなかった。
その少年こそ、後に親友となる司波達也であることを。
│││
入学式の会場。
一科生用の座席へ向かった剣也は、空いている席に腰を下ろした。
周囲からは相変わらず視線が向けられている。
だが、気にするほどのことでもない。
式典が始まるまで、少し時間がある。
剣也が配布された資料に目を通していると。
「……九條剣也君」
隣から、小さな声がした。
顔を向ける。
そこには、茶色がかった髪の少女が座っていた。
整った顔立ち。
落ち着いた雰囲気。
表情はあまり動かないが、その目には知的な光が宿っている。
「そうだけど」
「やっぱり」
少女は小さく頷いた。
「北山雫。よろしく」
「ああ、よろしく。北山さん」
「雫でいい」
「じゃあ、俺も剣也でいいよ」
「うん。剣也」
あまりにも自然なやり取りだった。
剣也は少しだけ驚いた。
剣聖の名を知っている人間は、たいてい何かしら特別な反応をする。
しかし、雫にはそうした様子がない。
興味はあるようだが、必要以上に畏まることもなかった。
「北山って、もしかして北山家の」
「うん」
「うちとも仕事で付き合いがあったよな」
「そう。お父さんから聞いたことがある」
「へえ」
「九條家とは共同研究もしてるって」
「そうなんだ。俺は詳しく聞いてなかったな」
「私も」
二人は顔を見合わせた。
そして、小さく笑った。
「ところで」
雫が口を開く。
「剣也って、魔法も得意なんだよね」
「まあ、一応」
「一応」
「そこそこは使えると思う」
「……入試二位なのに」
真顔で返され、剣也は思わず笑ってしまった。
「ははっ。確かにそれはそうだな」
「うん」
「得意だよ。魔法も剣術も」
「そう」
雫は満足そうに頷いた。
「今度、魔法の話を聞いてもいい」
「もちろん。俺も色々聞きたいし」
「私に」
「ああ。人によって得意分野は違うからな。他人の考え方を聞くのは面白いだろ」
雫は少しだけ目を丸くした。
それから。
「……うん。楽しみ」
そう言って、小さく微笑んだ。
そのとき、会場に開式を告げる案内が流れた。
二人は会話を切り上げ、正面へ向き直る。
剣也にとって、それはごく普通の会話だった。
雫にとっても、話しやすい同級生ができた程度の出来事だっただろう。
だが、その出会いが後に特別な意味を持つことになる。
もちろん、今の二人はまだ知らない。
│││
入学式が始まった。
学校長の挨拶。
来賓の祝辞。
式典は滞りなく進んでいく。
剣也は静かに話を聞いていた。
九條家の後継者として、幼い頃から礼法や儀礼を教え込まれている。
こうした式典は慣れたものだった。
やがて、新入生総代の名前が呼ばれた。
「新入生総代、司波深雪」
壇上に進み出た少女を見て、剣也は僅かに眉を上げた。
(ああ、さっきの)
入学式の前に見かけた、あの少女だった。
(やっぱり首席だったか)
深雪は壇上で一礼し、落ち着いた声で挨拶を始めた。
その姿は堂々としていた。
所作に無駄がなく、話し方も洗練されている。
魔法師としての能力だけでなく、こうした場での振る舞いも優秀らしい。
(なるほどな)
剣也は素直に感心した。
隣では、雫も真剣な表情で壇上を見つめていた。
「……綺麗」
小さな呟きが聞こえた。
「そうだな」
剣也が答えると、雫はこちらを向いた。
「聞こえた」
「隣だしな」
「そっか」
それだけ言って、再び壇上へ視線を戻す。
剣也もそれ以上は話しかけなかった。
やがて、深雪の挨拶が終わる。
会場には大きな拍手が響いた。
剣也も惜しみない拍手を送った。
│││
式典終了後。
剣也は会場を出て、校内の案内表示を確認していた。
まだ帰るには少し早い。
せっかくなので、校舎を見て回ろうか。
そう考えていたところへ。
「剣也」
背後から声がした。
振り返る。
雫だった。
その隣には、明るい髪色の少女が立っている。
「雫。どうした」
「紹介したい人がいる」
そう言って、隣の少女を示した。
「光井ほのか。私の友達」
「あ、初めまして 光井ほのかです」
少女が元気よく頭を下げる。
「九條剣也です。よろしく」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
ほのかはそう言ってから、少しだけ身を乗り出した。
「あの、本当にあの剣聖の九條君なんですか」
「一応、そう呼ばれてるな」
「わあ……本物なんですね」
「偽物がいたら困るけど」
剣也が冗談めかして返すと、ほのかは慌てた。
「あっ、そういう意味じゃなくて」
「ははっ。分かってるよ」
剣也が笑う。
雫が小さく口を開いた。
「ほのか、落ち着いて」
「だ、だって雫 あの剣聖だよ」
「うん。知ってる」
「反応薄くない」
「同級生だし」
あまりにも当然のような返答だった。
剣也は思わず笑ってしまった。
「ははっ 確かに、そのとおりだな」
雫は少し首を傾げた。
「変なこと言った」
「いや。むしろ、すごく正しい」
「そう」
雫は納得したように頷いた。
そんな二人を、ほのかが交互に見つめる。
「……なんか、もう仲良くなってない」
「少し話しただけだよ」
「うん」
剣也と雫の声が重なった。
二人は顔を見合わせる。
「……また一緒」
「そうだな」
今度は雫も、小さく笑った。
│││
その頃。
第一高校の生徒会室。
生徒会長である七草真由美は、新入生の資料に目を通していた。
「九條剣也君、ねえ……」
表示されているのは、入学試験の成績だった。
総合第二位。
筆記、実技ともに極めて優秀。
しかし、真由美が注目していたのは、それだけではない。
九條家。
五摂家の一つである九条家から分かれた、古式魔法界の盟主。
国家中枢にまで影響力を持つ名門であり、七草家の人間である真由美も、その存在をよく知っていた。
もっとも、九條家の政治的な影響力のすべてを把握しているわけではない。
元老院との関係ともなれば、十師族の子弟であっても簡単に知ることのできない情報だった。
だが、そんな秘密を知らずとも十分である。
九條家が普通の魔法師の家とは異なることくらい、真由美にも分かっていた。
しかも、その後継者は世界的な剣聖。
「本当に、とんでもない新入生が来たものね」
真由美は小さく笑った。
世界的に有名な魔法師が、自分の学校に入学してくる。
普通なら、それだけでも大事件だ。
しかし、彼女は一つのことを決めていた。
家柄がどうであれ、学校では一人の生徒として扱う。
必要以上に特別扱いするつもりはない。
「一度、お話ししてみたいわね」
そう呟いて、次の資料へ視線を移す。
そこには、別の名前が表示されていた。
司波達也。
筆記試験で極めて優秀な成績を収めながら、実技評価によって二科生となった新入生。
「……あら」
真由美は目を細めた。
「今年は、本当に面白い子が多いわねえ」
楽しそうな声が、生徒会室に響いた。
│││
同じ頃。
京都、九條家本邸。
当主の九條宗玄は、静かな書斎で一通の通信記録を確認していた。
差出人は、四葉家。
現在の当主、四葉真夜である。
九條家と四葉家は、長年にわたって親密な友好関係を維持してきた。
古式魔法界の盟主として国家中枢に強い影響力を持つ九條家。
そして、日本最強格の特殊戦力を有する四葉家。
総合的な家格、政治力、組織力では九條家が一段上に位置する。
しかし、宗玄は四葉家を下位の家として扱うことなどなかった。
四葉家には四葉家の歴史があり、独自の実力がある。
何より、真夜自身が極めて優れた魔法師であり、当主なのだ。
互いに独立した名門として尊重し合う。
それが、両家の関係だった。
「……ふむ」
宗玄は通信記録を読み進めた。
共同研究についての連絡。
そして、剣也の入学を祝う短い言葉。
宗玄は僅かに笑った。
「真夜殿も、気にかけてくれておるか」
彼女の事情を考えれば、無理もない。
今年、第一高校には司波達也と司波深雪が入学している。
宗玄は、その二人が四葉家と無関係ではないことを知っていた。
しかし、その詳細を孫へ伝えるつもりはない。
友好関係にあるからこそ、守らなければならない秘密もある。
「さて……」
宗玄は窓の外へ視線を向けた。
春の陽光が、庭園を柔らかく照らしている。
「剣也よ。よき友に出会えるとよいのう」
その呟きは、誰に聞かれることもなく消えた。
一方、東京。
剣也は雫とほのかを相手に、楽しそうに話していた。
世界的な剣聖。
古式魔法界の盟主の後継者。
国家の権力中枢にもつながる名門の御曹司。
様々な肩書きを持つ少年だったが、今はただの高校一年生である。
やがて剣也は、司波達也という少年と親しくなっていく。
それが九條家と四葉家の政治的な関係によるものではなく、互いの実力と人格を認め合った結果であることを、後に二人は
知ることになる。
そして。
北山雫という少女との、ささやかな出会い。
その意味を理解するのは、まだ先の話だった。
九條剣也の高校生活は、こうして幕を開けた。
第一話では、九條剣也の生い立ち、九條家の社会的地位、第一高校への入学、そして北山雫との出会いを描きました。
九條家は古式魔法界の盟主であり、元老院にも強い影響力を持つ名門です。四葉家とは親密な友好関係にありますが、互いの独立性と秘密を尊重しています。
剣也は世界的に知られる『剣聖』ですが、学校では普通の生徒として生活しようとしています。
次回、第二話「入学編Ⅱ 二人の規格外」。
司波達也との本格的な交流が始まり、剣也の高校生活が動き出します。