新入部員勧誘週間が始まり、二人は風紀委員として初めての仕事に臨む。
しかし、世界的な剣聖が普通の高校で活動するということは、本人が考えている以上に周囲へ影響を与えることだった。
西暦二〇九五年四月六日。
国立魔法大学付属第一高校。
春の陽光が差し込む校門を、一人の少年がくぐった。
九條剣也。
世界的に知られる剣聖であり、日本古式魔法界の盟主である九條家の後継者。
そして今日から、本格的に風紀委員として活動することになった高校一年生である。
「……さて」
剣也は校舎を見上げた。
「初仕事か」
昨日、風紀委員長の渡辺摩利から簡単な説明を受けている。
新入部員勧誘週間。
各部活動が新入生を勧誘する、第一高校の恒例行事だった。
当然ながら、魔法科高校の部活動は普通高校のそれとは少々事情が異なる。
剣術部、剣道部、各種魔法競技部。
実技を伴う部活動が多く、勧誘活動が過熱すれば魔法の不正使用や生徒同士の衝突に発展することもある。
それを防ぐのが風紀委員会の仕事だった。
「まあ、何も起きないのが一番なんだけどな」
剣也が独り言を呟いた、そのとき。
「剣也」
聞き慣れ始めた声がした。
振り返ると、北山雫が立っていた。
その隣には光井ほのかもいる。
「おはよう、雫。ほのかも」
「おはよう」
「おはよう、剣也!」
ほのかは元気よく挨拶した後、剣也の腕に付けられた腕章へ視線を向けた。
「あっ、もう風紀委員の腕章を付けてるんだ」
「ああ。今日から仕事だからな」
「似合ってる」
雫が言った。
「そうか?」
「うん」
「ありがとな」
剣也が笑うと、雫は小さく頷いた。
ほのかはそんな二人を見比べた。
「ねえ、剣也」
「ん?」
「風紀委員って、やっぱり大変なの?」
「まだ始まってないから分からないけど、今日は忙しくなるらしい」
「そうなんだ……」
「まあ、何かあったら呼んでくれ。校則違反なら対応するから」
「何もなくても呼んでいい?」
雫が尋ねた。
「もちろん」
即答だった。
「ただし、仕事中に雑談ばっかりしてたら渡辺先輩に怒られそうだけどな」
「それは困る」
「だろ?」
三人は笑いながら校舎へ向かった。
その様子は、ごく普通の高校生のものだった。
少なくとも、周囲から向けられる視線を除けば。
◇◇◇
風紀委員会の詰所。
剣也が到着すると、既に何人かの委員が集まっていた。
その中に、見知った顔がある。
「よう、司波」
「おはよう、九條」
司波達也だった。
昨日、生徒会副会長の服部刑部少丞範蔵を模擬戦で破った少年。
二科生でありながら風紀委員に選任された、第一高校では異例の存在である。
「早いな」
「初日だからな。遅刻するわけにもいかない」
「真面目だねえ」
「お前も時間前に来ているだろう」
「まあな」
二人が話していると、背後から声が響いた。
「二人とも揃っているな」
渡辺摩利だった。
風紀委員長であり、第一高校でも屈指の武術家。
彼女は二人を見て満足そうに頷いた。
「今日から本格的に活動してもらう。まずは勧誘区域の巡回だ」
「了解です」
「承知しました」
「ただし」
摩利は二人を交互に見た。
「くれぐれも騒ぎを大きくするなよ」
剣也は首を傾げた。
「俺たちがですか?」
「主にお前だ、九條」
「何でですか」
「自覚がないのか?」
「何のです?」
摩利は額に手を当てた。
「世界的な剣聖が部活動の勧誘会場を歩いていたら、どうなると思う?」
「……勧誘される?」
「分かっているじゃないか」
「でも、風紀委員の腕章を付けてますよ」
「それで諦める連中ばかりなら、私も苦労しない」
達也が隣で小さく笑った。
「人気者は大変だな」
「お前、昨日も同じこと言っただろ」
「事実だからな」
「他人事みたいに……」
摩利はそんな二人を眺め、口元を緩めた。
「まあいい。九條は司波と組んで巡回してもらう」
「了解です」
「分かりました」
「判断に迷うことがあれば連絡しろ。強引に解決する必要はない」
剣也は頷いた。
「それは大丈夫です。必要以上に力を使うつもりはありません」
「お前の場合、必要最低限の力でも十分すぎるんだがな」
「……そこまで言います?」
「言うとも」
摩利は笑った。
◇◇◇
新入部員勧誘週間。
第一高校の中庭は、普段とは比べものにならないほど賑わっていた。
各部活動が設置した案内板。
実演用の設備。
新入生を呼び止める上級生たち。
剣也と達也は、その間をゆっくりと歩いていた。
「随分と賑やかだな」
剣也が言った。
「毎年こうらしい」
「へえ。司波は何か部活に入るのか?」
「今のところ、その予定はない」
「俺もだな」
「剣術部から勧誘されそうだが」
「絶対来るだろうな」
剣也は苦笑した。
実際、その予想はすぐに的中した。
「……九條剣也君?」
背後から声がかかった。
振り返ると、剣道着姿の男子生徒が立っていた。
上級生らしい。
「はい。そうですけど」
「やっぱり! 剣聖の九條君だよね!」
周囲の何人かが反応した。
「剣聖?」
「え、九條剣也?」
「本物?」
剣也は内心でため息をついた。
(やっぱりこうなるか)
男子生徒は興奮した様子で続けた。
「俺、剣道部の者なんだけど、ぜひ一度道場に来てもらえないかな!」
「すみません。今、風紀委員の仕事中なんです」
剣也は腕章を示した。
「あっ……そうだったのか」
「また機会があれば見学には行きますよ」
「本当か!」
「ええ。ただ、入部するかは別ですけど」
「それでも構わない!」
上級生は嬉しそうに頭を下げ、去っていった。
達也が横から言った。
「随分と慣れているな」
「まあ、こういうのは昔からだから」
「大変だな」
「慣れたよ」
そう答えた直後だった。
少し離れた場所から、怒鳴り声が聞こえた。
「だから、こっちが先に使ってたんだ!」
「そっちこそ、勝手に場所を広げただろ!」
剣也と達也は同時に顔を向けた。
二つの部活動の勧誘区域が重なっている。
どうやら、実演場所をめぐる口論らしい。
「行くか」
剣也が言った。
「ああ」
二人は騒ぎの中心へ向かった。
◇◇◇
「どうしました?」
剣也が声をかけると、口論していた上級生たちが振り返った。
「風紀委員か……」
一人がそう言いかけ、剣也の顔を見て固まった。
「……九條剣也?」
「はい。風紀委員の九條です」
剣也は穏やかに答えた。
「事情を聞いてもいいですか?」
「え、ああ……」
先ほどまで怒鳴っていた上級生が、急に大人しくなった。
剣也は苦笑しそうになるのを堪えた。
「別に怒ってませんから、普通に話してください」
達也が隣で状況を確認する。
地面には、勧誘区域を示す目印が設置されていた。
しかし、一方の部活動が実演設備を広げたことで、隣の区域へはみ出していた。
「原因はこれだな」
達也が言った。
「そうみたいだな」
剣也は双方へ向き直った。
「まず、割り当てられた区域を確認しましょう。どちらが悪いか決める前に、設備を安全な位置へ戻す必要があります」
「でも、これを動かすのは……」
「手伝いますよ」
剣也は設備の構造を確認した。
大型の実演用器具だったが、分解すれば運搬できる。
「司波、そっちを頼めるか?」
「ああ」
二人は協力して設備を移動させた。
剣也は必要に応じて、ごく弱い重量軽減の魔法を使用する。
大規模な《空間干渉》を使う必要などない。
数分後。
問題は解決していた。
「助かったよ、九條君」
「いえ。次からは区域を確認してくださいね」
「ああ、気をつける」
二人が立ち去ると、達也が口を開いた。
「意外だったな」
「何が?」
「もっと簡単に片付ける方法もあっただろう」
「まあな」
剣也は頷いた。
「でも、あれくらいなら普通に運べばいいだろ」
「合理的だな」
「魔法って、使えばいいってもんでもないしな」
達也は僅かに笑った。
「同感だ」
◇◇◇
昼休み。
巡回の合間に、二人は中庭のベンチへ腰を下ろしていた。
「それにしても」
剣也が飲み物を口にする。
「司波と組むと楽だな」
「そうか?」
「ああ。説明しなくても、だいたい必要なことをやってくれる」
「お前も同じだろう」
「そうか?」
「少なくとも、判断が速い」
達也は淡々と答えた。
剣也は少し笑った。
「褒め言葉として受け取っておくよ」
「そのつもりだ」
そこで、二人の前に人影が現れた。
「剣也」
北山雫だった。
その隣には、ほのかもいる。
「おう、雫。ほのか」
「お疲れさま!」
ほのかが笑顔で言った。
「風紀委員のお仕事、どう?」
「今のところ順調だな」
「よかった」
雫が剣也の隣へ視線を向ける。
「司波君も、お疲れさま」
「ああ、ありがとう」
達也が答えた。
雫は少し考えてから、剣也へ向き直った。
「今日、放課後は忙しい?」
「仕事が終われば空いてると思うけど」
「この前の話」
「ああ、魔法研究か」
「うん」
剣也は笑った。
「覚えてるよ」
「よかった」
雫は小さく頷いた。
ほのかが口を開く。
「私も参加していい?」
「もちろん」
「司波君も、よかったら」
達也は少し考えた。
「風紀委員の仕事が終われば、参加できると思う」
「決まりだな」
剣也は満足そうに頷いた。
そのとき。
巡回用端末が通知音を鳴らした。
剣也が画面を確認する。
「……おっと」
「どうした?」
達也が尋ねる。
「体育館付近で部活動同士のトラブルだってさ」
達也は立ち上がった。
「行くか」
「ああ」
剣也も立ち上がる。
雫が二人を見上げた。
「気をつけて」
「ありがとな」
剣也は軽く手を振った。
「また後で」
「うん」
二人の風紀委員は、再び校舎へ向かって歩き出した。
世界的な剣聖。
そして、規格外の能力を秘めた二科生。
そんな二人が並んで歩く姿を見て、周囲の生徒たちは興味深そうに囁き合っていた。
しかし、当の二人は気にしていない。
「九條」
「ん?」
「今日の仕事、思ったより楽しんでいるだろう」
「分かる?」
「ああ」
「まあな」
剣也は笑った。
「せっかくの高校生活だからな。こういうのも悪くない」
達也は僅かに口元を緩めた。
「そうだな」
二人は体育館へ向かった。
風紀委員としての本当の忙しさは、まだ始まったばかりだった。
第四話は、剣也と達也の風紀委員としての初活動を描きました。
剣也は世界最高峰の実力者ですが、学校内では必要以上の力を使わず、状況に応じた解決方法を選びます。
次回は、体育館付近で発生した騒動と、二人の風紀委員としての連携を描きます。