その目に映る未来は、ひとつではない 作:並行世界とかという概念最高
騎馬戦が終わり、午前の全競技が終了した。
熱狂に包まれていたスタジアムは、一時間の昼休憩に入る。観客席を埋め尽くす人々がぞろぞろと通路へ流れ出し、グラウンドには競技の余韻と、午後に控える本番への独特な緊張感が漂っていた。
僕は控室へ向かう人波から少し外れ、日陰になった通路のベンチに腰を下ろした。
自動販売機で買ったスポーツドリンクのペットボトルを押し当て、火照った首筋を冷やす。冷気が出なくなった皮膚から、じんわりと疲労が染み出してくるようだった。
「……はぁ」
軽く息を吐き、自分の手先を握り込んで開く。
指先にほんの少しの遅れがある。脚の太ももの裏側にも、じわじわと筋肉の疲労が蓄積していた。
無理な動きをしたつもりはない。だが、目まぐるしく変化する障害物競走と騎馬戦で、秒単位の判断と体捌きを繰り返した代償は、確実に肉体へ蓄積している。
鍛えていないわけではない。孤児院の図書室にあった本を読み、並行世界の自分からの助言を受けながら、日常的に身体は動かしてきた。
けれど、それはプロヒーローやヒーロー科の生徒たちのような、圧倒的な身体能力を意味しない。
僕の身体は、どこまでも「普通」だ。
(午後は一対一のトーナメント……動きの精度を落としたら、怪我をするな)
冷静に自分の限界を見極める。
過大評価も過小評価もしない。できることと、できないことの境界線を引く。それが、僕が自分自身の人生を維持するための最低条件だった。
「……ここにいたのか」
低い声がして、顔を上げる。
汗を拭ったタオルの首掛け姿で、心操が立ち止まっていた。
「心操」
「を探したんだよ。食堂にもいねえから、どっかで倒れてんのかと思った」
「倒れてないよ。少し休んでいただけ」
隣に腰を下ろすよう促すと、心操は静かに僕の隣へ腰掛けた。背もたれに深く体重を預け、天井のコンクリートを仰ぎ見る。
「……行ったな。個人戦まで」
「うん。心操のおかげだね」
「ハッ、お前が余計な提案をしなきゃ、もっと楽に洗脳でメンバー集めてたけどな」
悪態をつくような口調だったが、その声に棘はなかった。
青山と尾白。あの2人と自分の意思でチームを組み、泥臭く連携して掴み取った3位という結果。それが、心操にとっても悪くない経験だったことは、その横顔を見れば分かった。
しばらくの間、二人の間に心地よい静寂が流れる。
やがて、会場の大型モニターの方から微かな効果音が響き、昼休み終了後の「トーナメント組み合わせ発表」を知らせるアナウンスが聞こえてきた。
心操がゆっくりと立ち上がる。その背中に、今までとは違う重苦しいまでの緊張感が宿るのを僕は感じた。
「行くか」
「うん」
僕たちもモニターが見える中央通路へと足を運んだ。
すでにグラウンド周辺には、個人戦進出を決めた16名の生徒たちが集まっていた。
ヒーロー科の面々――緑谷、爆豪、轟、麗日、飯田、切島、上鳴たちが、固唾を呑んで巨大モニターを見上げている。
モニターの画面が切り替わり、トーナメント表が一気に映し出された。
『さあお待ちかね! 午後の個人戦トーナメント、組み合わせはご覧の通りだァッ!!』
プレゼント・マイクの声が響き渡ると同時に、名前に目を通す。
【1回戦 対戦カード】
* 第1試合:緑谷出久 vs 心操人使
* 第2試合:轟焦凍 vs 瀬呂範太
* 第3試合:僕(主人公) vs 上鳴電気
* 第4試合:飯田天哉 vs 発目明
* 第5試合:青山優雅 vs 芦戸三奈
* 第6試合:常闇踏陰 vs 八百万百
* 第7試合:尾白猿夫 vs 切島鋭児郎
* 第8試合:爆豪勝己 vs 麗日お茶子
ざわめきが広がった。
「……第1試合か」
心操が呟く。その視線は、第1試合の相手――緑谷出久へと向けられていた。
緑谷もまた、驚いたように心操の方を振り返り、それから自分の手を見つめて表情を引き締めている。
心操の目的は明確だ。ヒーロー科への編入。
そのために、オールマイトの継承者である緑谷という大きな壁を、1回戦からぶち破らなければならない。
「……手強い相手だね」
僕が言うと、心操は口元を歪めて小さく笑った。
「願ったり叶ったりだろ。ヒーロー科の『主人公』みたいな奴を引きずり下ろすには、絶好の舞台だ」
その声には、冷たい執念と熱い覚悟が混ざり合っていた。
僕はそれ以上、励ましも同情も口にしなかった。
彼がどれほどの想いでここまで来たのかを知っているからこそ、安易な言葉は必要ない。
「頑張って」
「……ああ。お前もな」
心操は視線を僕の対戦カード――第3試合へ向けた。
「上鳴電気か。ヒーロー科の個性がド派手な奴だ。どうするつもりだ?」
「相手を見てから考えるよ。僕は僕のやり方でやるだけだから」
「……お前、本当にブレねえな」
心操は呆れたように首を振ると、第1試合の選手待機室へと向かって歩き出した。その背中は、ひとりの戦士のそれだった。
*
「うおっ! マジかよ! 俺の相手、普通科の奴じゃん!」
少し離れた場所で、黄色い髪に黒い稲妻模様の入った少年――上鳴電気が高らかに声を上げていた。
「ラッキーだな電気! 普通科相手なら個性の暴力で一発ノックアウトじゃねえか!」
周りの生徒――切島鋭児郎が笑いながら上鳴の肩を叩く。
「へへっ、まあな! 障害物競走と騎馬戦じゃなんか上手いこと立ち回ってたみたいだけど、一対一のガチンコ勝負なら俺の全方位放電で即終了だろ! 楽させてもらうわー!」
上鳴はヘラヘラと余裕の笑みを浮かべている。
彼にとって、僕は「たまたま立ち回りで上位に滑り込んだ、個性のパッとしない普通科の生徒」に過ぎないのだろう。
僕はそのやり取りを、感情を挟まずに観察していた。
(全方位放電……威力が高い反面、予備動作が大きい。そして何より、過剰に出力を使えば脳がショートするリスクがある)
すでに、相手の特性とつけ入る隙が頭の中で整理されていく。
勝ちたいわけでも、自分を誇示したいわけでもない。
ただ、与えられた競技の中で、自分の身体と判断力を正確に機能させ、無駄なく対処する。それが僕のスタンスだった。
「……なあ、緑谷」
人混みの端で、切島が緑谷に声をかけていた。
「あの普通科の奴、どう思う? 騎馬戦でも尾白や青山と組んで変な勝ち方選んでただろ」
緑谷は手元のメモ帳を握り締めながら、僕の方をじっと見つめていた。その瞳には、ヒーローオタク特有の深い分析の色が宿っている。
「……わからない。個性を使っているようには見えなかった。でも、障害物競走のロボットを避けたタイミング、あれは偶然じゃないよ。相手が動く『前』に、もう足が動いてたんだ……」
「え? 予知とかそういう個性か?」
「わからない……でも、上鳴くん、油断しない方がいいと思う。あの人の動きには……一切の『無駄』がないんだ」
緑谷の言葉に、隣にいた爆豪勝己が「チッ」と不機嫌そうに舌を鳴らした。
「ハッ! 観察眼だか何だか知らねえが、地味な雑魚が小細工して上がってきただけだろ! 力で押し潰せば終わりだ、くだらねえ!」
爆豪は吐き捨てるように言い放つと、背を向けて去っていった。
評価は人それぞれだ。
期待する者、警戒する者、見下す者。
けれど、周囲が僕をどう見ようと、僕がやるべきことは変わらない。
「あ、君!」
声がして振り向くと、尾白が近づいてきていた。
「尾白くん」
「対戦カード、見たよ。第7試合……俺の相手は切島くんだ」
尾白は少し緊張した面持ちで、自分の腕を見つめた。
「切島くんの『硬化』は正面からの打ち合いじゃかなり厳しい。でも……さっきの騎馬戦で君の判断を見ていて、考えさせられたんだ。自分の得意な間合いと技術でどう崩すか、最後まで諦めずに戦ってみるよ」
「うん。尾白くんの武道なら、きっと良い戦いができると思う」
僕が淡々と答えると、尾白は「ありがとう」と短く笑い、気持ちを切り替えるように拳を握りしめた。
目的も、戦う理由も、ここにいる全員が違う。
ヒーロー科の生徒たちは将来のプロを目指し、心操は己の存在を証明するために戦う。
そして僕は――今日という体育祭という行事を、自分自身の意思で全うするために戦う。
『さあァァッ! 昼休憩終了! 観客の皆様、お待たせいたしました!!』
スタジアム全体を揺るがすプレゼント・マイクの叫び声。
『雄英高校体育祭、最終種目――1対1の個人戦トーナメント、開幕だァァァッ!! 第1試合の選手、入場!!』
万雷の歓声が降り注ぐ中、緑谷出久と心操人使が、それぞれの通路から中央のリングへと歩みを進めていく。
僕は観客席の端で静かに腰を下ろし、呼吸を整えた。
自分がコートに立つのは、第3試合。
指先の感覚を確かめながら、僕は静かにその時を待った。