その目に映る未来は、ひとつではない 作:並行世界とかという概念最高
『両者、位置についたな……それじゃあ、2回戦第2試合――スタートォッ!!』
号砲と同時に、飯田天哉が地を蹴った。
開幕から切り札の『レシプロバースト』を使うような無謀な真似はしない。あの技には使用後にエンジンがストールするという大きなリスクがあることを、飯田自身が誰よりも理解しているからだ。
だからこそ、飯田は基本に忠実に、だが圧倒的な脚力で一気に間合いを詰めてきた。
「はあぁぁッ!」
鋭い直線的な踏み込みからの、重い前蹴り。
普通なら、その初速と威力だけでリング外へと弾き飛ばされる。
(――脚の引きつけ。目線は僕の胸元。技は直線的な蹴り)
透野視希は、飯田が軸足を深く沈め込んだ瞬間に最小限のステップで体を横へ滑らせた。
耳元を風切音が掠める。
「なにっ!?」
飯田は驚愕しつつも、すぐさま軸足を滑らせて鋭く反転し、二撃目のローキックを放つ。
だが、それすらも透野は足裏を地面から浮かせず、紙一重の重心移動だけでかわした。
(早い……だが、直線的だ)
透野の眼は、飯田の体の軸、エンジンの回転による微細な震え、そして手加減も含めた彼の「大真面目さ」を完璧に捉えていた。
(僕を怪我させないよう、場外への押し出しを第一に狙っている。だから、攻撃の軌道がどうしても予測しやすい)
「くっ……! 手加減して対処できる相手ではないようだな!」
数度の打ち合いの末、透野が自分の攻撃をすべて最小限の動きで回避していることを悟った飯田の顔つきが変わった。メガネの奥の目が、真摯な覚悟で鋭く光る。
「君のその圧倒的な観察眼……ならば、僕も全力を尽くさせてもらう!!」
飯田が低く身構えた。
ふくらはぎのエンジンが、高レベルの排気音を鳴らし始める。
(くる――『レシプロバースト』)
短時間の超加速。一度発動すれば、今の透野の肉体では反応すら間に合わない。
(狙いは……僕の逃げ場を塞ぐための、正面からの超高速抱え込み)
「――『レシプロバースト』!!」
爆発的な青い火花とともに、飯田の体が視界から消えた。
暴風が吹き荒れる。
コンマ数秒後には、飯田の巨体が透野を捉えてリング外へと押し出すはずだった。
だが――透野は、飯田が地を蹴る「前」からすでに動き出していた。
前へも後ろへも逃げない。
「真横へ、身体の軸を倒す」。
(直線運動の超スピード……途中で旋回はできない)
突っ込んできた飯田の腕が、透野の服の胸元を僅かにかすめる。
飯田の目が驚愕に見開かれた。最大加速の直線攻撃を、真横への死角移動でかわされたからだ。
(加速しすぎたエンジンは、急には止まれない)
すれ違いざま、透野は右手を出した。
飯田を力で殴るのではない。すれ違いの莫大な運動エネルギーを利用し、飯田の肩口へと手のひらを滑らせ、ほんの少しだけ「横方向への回転力」を加えた。
ほんの小さな力。
だが、超スピードで直線運動をしている物体にとって、そのわずかな角度のズレは致命的だった。
「うおあっ!?」
ベクトルを狂わされた飯田の身体が、制御を失って斜め前方へと滑り出す。
ストールしかけた脚で必死に踏みとどまろうとするが、勢いを殺しきれない。
ズザーッ!!
爆音とともに土煙が上がり、飯田の身体は白線を越えてリングの外へと大きく滑り出していった。
静寂。
審判のプロヒーローが、一瞬遅れて手を掲げる。
「飯田選手、場外! 勝者、透野選手!」
『〜〜〜〜っつ!! 勝負ありィィィッ!! 飯田の怒涛の猛攻と決死の『レシプロバースト』を、間一髪の横かわしとベクトル誘導で場外へ追いやったァァッ!! 2回戦第2試合を制したのは、普通科・透野視希だァァッ!!』
プレゼント・マイクの叫び声で、スタジアムが一気に歓声に包まれた。
「……僕の……負けか……」
リングの外で立ち上がった飯田は、停止した自分の脚を見つめ、それから透野に向かって深々と頭を下げた。
「見事だった、透野くん! 僕の通常攻撃を見切られ、切り札のスピードさえも運動のベクトルを利用された……完璧な敗北だ!」
「……ありがとう、飯田くん。怪我はなかった?」
「ああ! 問題ない!」
飯田は悔しさを噛み締めながらも、毅然とした態度でリングを後にした。
*
観覧席のA組生徒たちは、言葉を失っていた。
「……あいつ、何なんだよ」
切島が眉をひそめて呟く。
「飯田のあのスピードを、普通に捌いて自滅させただと……!?」
緑谷はノートをめくりながら、寒気を覚えたように腕を抱えていた。
「……透野くんは、飯田くんの真面目な性格や足技の癖を最初から観察して誘導していたんだ。そして切り札を使わせた瞬間に、一番安全な死角へ逃げた……。力で勝ったんじゃない……完全な『理』の勝利だ……」
「ハッ、小癪な真似ばかりしやがって……!」
爆豪が手すりを強く握りしめ、凶悪な笑みを浮かべる。
*
一方、メインスタンドのVIP席。
「いやあ、実に興味深いねえ!」
両手を前でちょこんと合わせ、湯気の立つお茶の湯呑みを手に満足そうに目を細めていたのは、雄英高校校長・根津だった。
「個性のパワーに頼りがちになりやすい年年歳歳において、あの透野くんという生徒は、実に理にかなった動きをしている! 相手の出手を観察し、自分の肉体の限界値を正確に理解した上で、極めて効率的に勝利のパーツを組み立てているよ。素晴らしいじゃないかい!」
隣で腕を組んでいた相澤消太が、疲れたように溜め息を吐きながら手元の端末に目を落とす。
「……学術的成績もトップクラスの特待生です。ですが校長、あんな相手の行動心理を完璧に読んだ上での命懸けの「引き算」は、普通の高校生が机上の学習で身につけられるものじゃありませんよ。一体どこで培った経験なんです」
「ふむ! 過去の書類を見る限りはごく普通の経歴だけれど……僕たちには想像もつかないような独自の『観察の目』を持っているのかもしれないねえ」
根津はフフフと可愛らしく、けれど底知れない笑みを浮かべ、肉球のある手で顎を撫でた。
「ヒーロー科への編入……もし本人が望むのなら、雄英にとっても実に面白い試みになりそうだねえ!」
「……ですがね校長。あいつのあの顔を見てると、そもそもヒーロー科だのヒーローになりたいだのっていう熱量をまるで感じねえんですよ」
相澤は吐き捨てるように言い、リングを下りていく透野の背中に鋭い視線を向けた。
*
控室への通路で、透野は壁に背をもたせ、水分を補給していた。
これでベスト4(準決勝)進出。
だが、透野の胸にあるのは達成感や誇りではない。
(……そろそろ、体力の限界が近いな)
観察眼と判断力で危険を回避してきたとはいえ、飯田のようなプロ予備軍の猛攻を捌き続ける神経の消耗は激しい。脚の疲労もピークに達しつつあった。
次の相手は――準決勝。
(轟焦凍か……)
広範囲の氷結。上鳴や飯田とは違い、「かわすスペース」そのものを潰してくる相手だ。
(……どう動くか)
透野が思考を巡らせていると、通路の先から足音が近づいてきた。
現れたのは、右半分を白く凍りつかせ、左腕から微かに湯気を登らせている少年――轟焦凍だった。
二人の視線が、静かな通路の中で交差する。
「……透野」
轟が、低く静かな声で呼びかけた。