その目に映る未来は、ひとつではない 作:並行世界とかという概念最高
校長室から戻った透野は、自室の小さな机の上に、相澤から手渡された一枚の用紙を広げていた。
【1年普通科・透野視希 宛 指名一覧】
雄英体育祭での活躍を受け、ヒーロー科以外の生徒にも一部のプロヒーローから指名(スカウト)が届くことがある。
だが、透野の指名リストは、爆豪や轟、緑谷たちのそれとは決定的に毛色が異なっていた。
「……派手な武闘派事務所は、一つもないな」
当然といえば当然だった。個性の威力を前面に出して戦ったわけでもなく、相手の自滅や退場を誘発するような地味で理詰めの立ち回り。
指名を送ってきたのは、情報収集や事件分析、後方支援を主とする特殊な事務所ばかりだった。
透野は鉛筆を手に取り、リストに目を通していく。
(……ここはキャッチーなメディア露出が多いから除外。ここは巡回・戦闘の手伝いに引っ張り出されそうだから除外……)
透野の選定基準は徹底していた。
「いかに安全で、無駄な体力を使わず、一週間の学校課題(職場体験)を穏やかに消化できるか」。
ヒーローとしての売名も、実績作りも、透野には何の意味もなさない。自分のペースと日常を守ることが最優先事項だ。
だが――リストの最下部に書かれた一つの名前に、透野の鉛筆がピタリと止まった。
『ナイトアイ事務所(協力アナリスト枠)』
「……佐々木未来」
その名前を目にした瞬間、透野の頭裏に、遠い日の景色が鮮やかに蘇った。
◇
――施設の応接室。
疲弊し、目元を緊張させ、浅い呼吸を繰り返しながら自分を見つめていたスーツ姿の男。
オールマイト救出の未来を追い求め、半ば縋るように施設を訪ねてきた男――サー・ナイトアイ。
『私は、君に聞きたいことがある』
『未来は、変えられると思うか?』
あの日、縋るような目を向けてきた男に対し、透野はただ淡々と問いを返した。
『変えられる未来も、変えられない未来もあるんじゃないですか』
『ただ、未来がどうなるかを知っている人がいたとしても、その人が見たものが全部だとは限らないと思います』
男は絶望し、そして期待をかけた。けれど、透野は彼のドラマにも、背負っている絶望にも寄り添わなかった。ただ目の前の人間を観察し、客観的な事実だけを述べたのだ。
◇
(……あの時の人だ)
体育祭の映像を見た佐々木未来は、画面の中で「確率と運動」だけを読み取って立ち回る自分の姿を見て、確信したのだろう。
あの施設で出会った、無個性と称する気味の悪い少年――透野視希本人であると。
そして、あの日答えを得られなかった「未来を変える鍵」を、まだ諦めきれずに自分に求めている。
(……行けるわけがない)
透野の目元が、静かに冷えていく。
あの男は『未来予知』という絶大で呪いのような個性を持っている。
あの鋭すぎる視線の前に身を晒せば、自分が隠し続けている「万象の眼(観測)」の違和感や、身体構造を誤認させる転相薬の存在、そして自分という人間の立ち位置そのものを暴かれかねない。
何より、他人の絶望や救済のドラマに巻き込まれるのは、透野の生き方と根本から矛盾する。
(絶対に関わらない)
透野は迷うことなく、ナイトアイ事務所の名前に二重線を引いた。
最終的に選んだのは、都内にある「都市治安データ分析・後方支援を中心とする中堅ヒーロー事務所」だった。
防犯カメラの映像解析や、ヴィラン出現率の統計データを扱う地味な事務作業がメインの場所だ。ここなら、怪我をするリスクも、佐々木未来の深い執念に巻き込まれるリスクも限りなく低い。
*
翌日。職場体験の提出書類を相澤に提出すると、相澤は書類を受け取り、死んだような目で透野を見つめた。
「……ナイトアイ事務所からの打診を蹴って、この地味な分析事務所か」
「はい。僕の適性に合っていると思いましたので」
透野が淡々と答えると、相澤は深く溜め息を吐いた。
「……まあ、お前らしい選択だな。ナイトアイの奴、わざわざお前を指名してきたから何か深い理由でもあるのかと思ったが……断ったならそれでいい。プロの世界は、興味本位で首を突っ込むにはきな臭すぎる場所も多いからな」
相澤の言葉には、どこか忠告めいた響きがあった。
「……相澤先生。プロの世界って、そんなに『きな臭い』んですか?」
透野が素直に尋ねると、相澤は首の捕縛布を少し緩め、静かに窓の外を見やった。
「体育祭で光を浴びたヒーロー科の連中は、プロの華やかさと厳しさを学びに行く。……だが、街の影には表のニュースには流れない『歪み』や『処理』が存在する。公安も、ヒーロー協会も、綺麗事だけじゃ回ってねえよ。お前のように静かに暮らしたい奴なら、なおさらその深みには関わらないことだ」
社会の裏側。Public Safety(公安)という名の巨大な機構。
透野は自活する一人暮らしの中で、この世界が手放しで安全な平和な社会ではないことを肌で知っていた。
「……はい。身の丈に合った場所で、ちゃんと課題をこなしてきます」
「ああ。気をつけて行ってこい」
*
放課後。
職場体験に向けた準備のため、透野は一人で街のスポーツ用品店と文房具店を回っていた。
一週間の滞在に必要な着替え、メモ帳、そして疲労を軽減するためのインソール。
家計簿と相談しながら、最安値のものを一つずつカゴに入れていく。
(……一週間の体験中、アパートの冷蔵庫の中身は空にしておかないとダメだな。電気代の節約にもなるし。転相薬の予備も、厳重にポーチへ分けておこう)
どこまでも現実的な「生活者」としての思考と危機管理。
買い物を終え、夕暮れの写真のような街並みを歩いていると、路地裏の大型モニターにオールマイトの笑顔と、最新のヒーローランキングのニュースが映し出されていた。
『平和の象徴・オールマイト! 本日も街の治安を完璧に死守!』
街ゆく人々が、その映像を見て歓声を上げ、安心したように微笑み合っている。
けれど――透野の目には、その平和の眩しさが、どこか薄氷の上に成り立っている脆いもののように映っていた。
(あの人も……誰もが『平和の象徴』に依存して、自分の足で立つことを忘れている)
もし、あの象徴が倒れたら。
もし、この張り巡らされたヒーロー社会というシステムが崩壊したら。
その時に自分を守れるのは、プロヒーローでも社会の秩序でもない。
自分の足で立ち、自分の手で選択し、自分の意思で生き抜く力だけだ。
あの日の佐々木未来の疲弊した目と、窓の外を流れていた暗い雲を思い出しながら、透野は買い物袋を持ち直し、夕闇が迫るアパートへの道を静かに歩き出した。