その目に映る未来は、ひとつではない 作:並行世界とかという概念最高
「——保須警察署から連絡だ! 透野くんのプロファイリング通り、東口エリアの監視カメラの死角で、怪しい人影の目撃情報が入った!」
『インサイト事務所』のオフィス内に、アナライズ(諸星)の鋭い声が響き渡った。
時刻は夜の九時を回っている。
本来なら定時で退勤し、アパートで自炊した夕食を食べているはずの時間だった。しかし、透野が昼間に提出した「ステインの行動ロジックと潜伏エリアの割り出し」が保須署の捜査本部で極めて高く評価された結果、事務所全体が緊急のデータ支援体制に突入してしまっていた。
(……おかしい。僕は一番安全で地味な事務作業を選んだはずなのに)
透野はデスクの上で、コンビニで買ったおにぎりの袋を静かに開けながら、心の中で溜め息を吐いた。
残業代が出るわけでもない(職場体験の高校生だから当然だ)。疲労と神経の消耗だけが無駄に蓄積していく。
「透野くん、申し訳ない! 君をこんな時間まで残らせてしまって……だが、君の提示してくれた分析モデルがなければ、犯人の足取りすら掴めなかった! 警察側も君の『観察のロジック』を絶賛しているよ!」
「いえ……お役に立てたなら良かったです」
透野は省エネモードの微笑みを浮かべつつ、内心で頭を抱えていた。
これ以上手柄を立てて目立ってしまえば、それこそPublic Safety(公安)や他の大手事務所から余計な注目を浴びることになる。
(これ以上の発言は控えよう。あとはプロと警察に任せて、僕は指示されたデータ入力だけを淡々とこなそう)
透野がそう決意した、まさにその時だった。
プロトコル緊急アラートが、オフィスのメインモニターから甲高い警告音を鳴らし始めた。
『緊急入電! 保須市中心部にて大規模な爆発および火災が発生! 現場周辺に複数の『脳無』と思われる謎のヴィランが出現!』
「な……『脳無』だと!?」
アナライズが跳ね起きるようにモニターへ駆け寄る。
USB(USJ事件)で雄英高校を襲撃したとされる、あの異形の人造人間。それが保須市の市街地に突如として複数体現れ、街を破壊し始めたのだ。
「死柄木弔か……!? ステインの件と連動しているのか!?」
オフィス内が騒然となる。
透野もまた、モニターに映し出される現場のライブカメラ映像を冷たく見つめていた。
(……いや、連動じゃない。これは『上書き』だ)
透野の脳内で、瞬時に計算が組み上がる。
(ステインは思想犯だ。自分の『美学』に基づかない無差別破壊や混乱を嫌う。一方で、脳無を投入して街を混乱させている者は、単なる破壊衝動と話題の略奪が目的……。両者は協力関係ではなく、むしろ互いの足を引っ張り合っている)
そして、その混乱の最中に――あの男たちがいる。
保須市の現場には、職場体験でエンデヴァー事務所に行っている轟焦凍や、マニュアル事務所に行っている飯田天哉、そしてグラントリノのもとにいる緑谷出久がいるはずだった。
(飯田くん……)
兄をステインに襲われた飯田天哉の、あの生真面目すぎるがゆえの脆さ。
混乱に乗じて、彼が一人でステインのもとへ向かってしまう確率は、限りなく100%に近かった。
「保須署から緊急のデータ解析要請だ!」
アナライズが焦燥感を露わにしながら叫ぶ。
「脳無の出現により、東口エリアの警戒網が手薄になっている! ステインがこの混乱に乗じて別の場所へ移動する危険性がある! 透野くん、脳無の出現ポイントとステインの思考パターンを重ねて、最も危険なエリアを再計算してくれ!」
アナライズの目が、縋るように透野に向けられる。
透野は、目の前のキーボードに置いた指先を一瞬だけ止めた。
ここで完璧な計算を出せば、事件の早期解決に貢献できるかもしれない。
だが、それは同時に「自分がヒーロー社会の渦中に深く足を踏み入れる」ことを意味していた。
(……断るべきだ)
自分はヒーローではない。ただの普通科の特待生で、自分の生活と日常を守りたいだけの人間だ。
誰かを救う義務も、正義の味方を演じる義理もない。
「……透野くん?」
透野は深く、小さく息を吐いた。
そして、死んだように静かな瞳でモニターを見つめ、静かにキーボードを叩き始めた。
(……手短に終わらせて、早くアパートに帰ろう)
自分が表に出ないよう、あくまで「統計データ上の確率」として淡々と数字を打ち込んでいく。
「……現在、脳無が暴れている火災現場から北西へ三〇〇メートル。路地裏の防犯カメラが壊れているブロックです。もしステインが行動を起こすなら、脳無の騒音で悲鳴が掻き消され、かつヒーローの応援が届かない『その場所』しかありません」
透野が弾き出した座標。
そこはまさに――飯田天哉がステインと対峙し、そして緑谷出久が駆けつけることになる「あの路地裏」の正確な位置だった。
「よし! この座標を保須署と現場のヒーローに転送する!」
アナライズが受話器に向かって叫ぶ。
東京の静かなオフィスにいながら、透野視希の弾き出した「理」の計算は、遠く離れた保須市の惨劇の裏で、確実に現場の運命の糸をたぐり寄せていた。
本人の「巻き込まれたくない」という強い意志とは、裏腹に。