その目に映る未来は、ひとつではない 作:並行世界とかという概念最高
『——被害に遭われた生徒の保護者の皆様、そして社会の皆様に、多大なご心配とご迷惑をおかけしましたことを深謝いたします』
テレビ画面の中で、雄英高校の代表陣が深々と頭を下げていた。
中央に根津校長、両脇に相澤消太、そして1年B組担任のブラドキング。全国生中継された緊急謝罪記者会見の場だった。
林間合宿で拉致された1年A組・爆豪勝己。
そして——都内の自宅アパートから突如として姿を消した普通科1年・透野視希。
ふたりの生徒が同時にヴィラン連合に奪われたという事実は、ヒーロー社会に絶大な衝撃を与えていた。だが、集まったフラッシュの渦の中で、新聞記者が向けたマイクの刃は、不気味な方向へと研ぎ澄まされていった。
『校長! もうひとりの被害者、普通科の透野視希生徒についてですが!』
記者が声を荒らげる。
『彼は「無個性」でありながら体育祭でヒーロー科の有力選手を破ってベスト4に入り、保須市事件でも警察の捜査網を動かすデータ解析を行ったと聞いています! 本当に彼は「無個性」なのですか!? 雄英高校は危険な「未登録の個性」や特例措置を隠蔽しているのではないですか!?』
会場が騒然となる。
『さらには、ヴィラン連合がわざわざ普通科の無個性生徒を指名して拉致したという点です! 彼自身がヴィラン側の内通者、あるいは狂言誘拐の協力者であった可能性は否定できるのですか!?』
理不尽で、悪意に満ちた疑念。
「無個性なのに凄すぎる」という異質さが、世間にとっては恐怖であり、不気味な攻撃対象へとすり替わっていたのだ。
壇上のブラドキングが激高し、マイクを握りしめた。
『——ふざけた推測は概当を欠く!! 透野生徒は自らの卓越した観察力と、泥臭いまでの努力で結果を出してきた、本校の正当な生徒だ! 事実無根の疑念で傷ついた生徒をこれ以上貶めることは許さん!!』
相澤もまた、死んだような、しかし射抜くような鋭い瞳で記者を一睨みした。
『彼はただ……自分の生活を必死に生きているだけの子供です。事実を歪曲して興奮するのはやめなさい』
だが、世間のネットやテレビのコメント欄は、すでに「無個性の怪物」「不気味な普通科」という歪んだ好奇心で埋め尽くされ始めていた。
*
その頃。
闇に包まれた廃ビルの一室で、透野視希は静かに目を覚ましていた。
体に縄や金属の拘束具はない。だが、目の前に立つ存在――生命維持装置のチューブを繋いだ巨大な影、オール・フォー・ワン(OFA)の解き放つ異様な威圧感が、空間そのものを縛り付けていた。
『やあ、目覚めたかね、透野視希くん』
重々しく、腹の底に響く声。
『世間は冷たいものだね。君がどれほど理詰めで努力を重ねようと、彼らは君を「不気味な異物」として叩く。……ヒーロー社会に絶望したろう? 私のもとへ来なさい。君のその素晴らしい観察眼と合理性を、私のために振るってみないか?』
圧倒的な悪の絶対者からの誘い。
並の人間であれば、恐怖で平伏すか、絶望に呑み込まれる場面だった。
だが、透野は死んだような瞳でパチパチと瞬きをし、ゆっくりと首を振った。
「……断ります」
『ほう? 理由を聞こうか』
「あなたのやって居ることは大迷惑だからです。僕の今月の生活費の計画も、夏休みの課題のスケジュールも台無しになりました。家賃の支払い遅延が発生したら、僕の信用に関わります」
『……なに?』
OFAの口元が、わずかに固まった。
「社会が混乱すれば物価が上がり、僕の生活コストが高騰します。僕にとって一番の不利益です。世間が僕をどう叩こうが、僕の家賃が安くなるわけではありません。……頼むから、僕を早く家に帰してください」
恐怖でも、正義感でもなく、徹底された「個人的な生活のロジック」での一蹴。
OFAは一瞬の沈黙の後、呆れたように、そして心底から可笑しそうに低く笑った。
『フフ……ハハハハ! 素晴らしい! 君のその徹底された利己性と合理性……実に気に入ったよ。だが、今すぐ帰すわけにはいかなくてね』
OFAが手をかざすと、空間が歪み、透野の身体は別の場所――爆豪勝己が拘束されている神野区のアジトへと強制転送された。
「あぁ!? なんで普通科の無個性クソガキがここに捕まってやがる!?」
椅子に縛り付けられた爆豪が、爆破の火花を散らしながらブチギレている。
「巻き込まれただけだよ、爆豪くん」
透野は平静を保ちながら、さりげなくアジトの構造、防犯カメラの位置、壁の強度を「観測」し、退路の計算を開始していた。
*
そして――破局の瞬間が訪れた。
ドガァァァン!!!
「ピザをお届けにまいりました!!」
壁が木っ端微塵に砕け散り、オールマイトをはじめとするプロヒーローたちが突入してきた。
混乱の中、OFAの強制転送により、爆豪も、死柄木も、透野も、更地と化した神野区の現場へと吹き飛ばされた。空を切り裂くような爆音と、オールマイトとOFAの規格外の衝突。
絶叫と爆風が吹き荒れる地獄絵図の中で、空中から切島や緑谷たちが飛び出し、爆豪を救出していく。
「来いーーーーーっ!!」
爆豪が凄まじい爆風を巻き起こして跳躍し、空中で手を取り合う。
誰もが爆豪救出に目を奪われ、ヒーローもヴィランもその頭上を見上げている――そのコンマ数秒の隙を、透野視希は見逃さなかった。
(今だ)
透野の『万象の眼』が、崩壊する瓦礫の落下軌道、爆風のベクトル、そして周囲の人間の意識の死角を完全に解き明かしていた。
誰かに助けを求めることもない。プロの保護を待つこともない。
透野は音もなく体を滑らせ、瓦礫の隙間を縫うようにして影から影へ移動した。一瞬の無駄もないステップ。風の抵抗すら最小限に抑え、混乱する戦場の中心から、完全な「自力」で無傷のまま抜け出したのだった。
*
神野区の激闘の喧騒から数キロ離れた、静かな路地裏。
着古した部屋着は泥と煤で汚れていたが、透野の身体にはかすり傷一つなかった。
(……まずは、連絡をしなきゃ)
透野はポケットに残っていた小銭を取り出し、街角の緑色の公衆電話へと歩み寄った。
受話器を上げ、10円玉を投入する。指先がダイヤルしたのは、雄英高校の緊急連絡先だった。
深夜、しかも神野区で大事件が勃発している最中だ。繋がる保証はなかったが、数回の呼び出し音の後、荒い息遣いとともに電話が繋がった。
『はい! こちら雄英高校・緊急対策本部デスク!』
「夜分遅くに申し訳ありません。普通科1年の透野視希です。無断欠席や失踪扱いの手続きでご迷惑をおかけするといけないと思い、お電話しました」
『……は? と、透野……!? い、いたずら電話か!? 今どんな状況だと思ってるんだ、神野区でオールマイトが――』
受話器の向こうの事務員がパニックと混乱で声を荒らげかけた、その時だった。
『電話を代わりたまえ!』
受話器の奥で、甲高い声が響いた。直後、スピーカーから聞こえてきたのは、根津校長本人の声だった。
『透野くん!? 根津だ! 無事なのかい!? 今どこにいる!?』
「はい、怪我はありません。神野区の戦場から自力で離脱して、今は〇〇町の公衆電話からかけています。ご心配をおかけしてすみません」
『自力で離脱……!?』
根津校長が息を呑む音が聞こえた。プロのヒーローでも困難な混戦の中、無個性の生徒が一人で無傷で抜け出してきたという事実に、校長ほどの頭脳でも一瞬思考が止まったようだった。
『……透野くん。まず、君に深く謝罪させてほしい』
根津校長の声から、いつもの軽妙さが消え、心からの重みと痛切な謝意が込められた。
『記者会見での対応、そして君を守り切れなかったこと……そして何より、君の正当な努力や成果に対して、世間が理不尽な疑念と不気味がり方をぶつけてしまっていることについてだ。本校の校長として、誠に申し訳ない』
「いいえ。世間がどう言おうと、校長先生が気にする必要はありません。僕はただ、自分の生活を守りたいだけですから」
透野の淡々とした返答に、受話器の向こうで根津校長が静かに息を吐いた。
『君という生徒の強さと異質さ……改めて痛感させられるよ。……よし、君の位置情報を確認した。今すぐ警察の保護車両をそちらへ向かわせる。動かずに待っていなさい。学校の手続きや世間への対応は、すべて私たちが引き受ける。君は安心して、自分の日常へ帰りなさい』
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
電話を切り、受話器を戻す。
街頭の大型モニターでは、激闘の末にオールマイトが立ち上がり、天に向かって拳を掲げていた。
そして、カメラに向かって放たれた、あの言葉。
『次は、君だ』
街中が歓声と涙に包まれる中、透野視希は静かに夜空を見上げた。
ヒーロー社会の象徴が崩れ去り、時代が大きな終わりと始まりを迎えた瞬間。
だが、サイレンを鳴らしてやってくる警察車両の赤色灯を見つめながら、透野は自分の手元(生活)のことだけを考えていた。
(警察の手続きが終わったら、部屋の掃除をして……明日はスーパーの安売りに行こう)
世間が自分をどう評価しようが、時代がどう揺れ動こうが関係ない。
透野視希は、自分の足で、自分の現実を、どこまでも強く生き抜いていく。