その目に映る未来は、ひとつではない   作:並行世界とかという概念最高

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全寮制の恩恵と公安の視線

神野区の大惨事から数日後。

保護された警察署の奥にある取調室で、透野視希はパイプ椅子に静かに腰かけていた。

室内には、保須署の警察官だけでなく、黒いスーツを隙なく着こなした男が二人、壁際に立っていた。警察とは明らかに雰囲気が違う――「公安委員会」の人間だった。

「……重ねて確認するが、君はヴィラン連合の拠点から、プロヒーローの救出を受けることなく『自力で離脱した』のだな?」

取り調べを行う公安の男が、書類から目を離さずに低い声で問いかけてくる。

「はい。崩落する建築物の落下軌道と、現場にいた人間の意識の死角を計算し、物理的に一番安全な隙間を通って離脱しました。特別な力ではなく、単なる幾何学と行動心理の計算です」

透野はパチパチと瞬きをしながら、淡々と事実だけを答えた。

「君のその『計算』だよ、透野くん」

男は書類をテーブルに叩きつけ、身を乗り出してきた。

「保須市でのステイン捜査でのデータ支援、体育祭での立ち回り、そして今回の神野区からの無傷の離脱……。君の頭脳と観察眼は、とても『ただの無個性の高校生』の域に収まるものではない。国家の防衛、ひいては治安維持のために非常に有用な『資源』だ」

男の目が、粘りつくような圧力を帯びる。

「雄英の普通科に埋もれさせておくのは不経済だ。我が方の管理下に入り、専属の分析官としての訓練を受けることを勧める。……断るという選択肢は、君にとって得策ではないと思うがね」

あからさまな暗黙の圧力。

だが、透野は眉ひとつ動かさずに、至極平然と言い返した。

「お断りします。僕は雄英高校の特待生として学費免除を受けています。もし退学や転校をすれば違約金が発生し、僕の経済計画が完全に破綻します。生活がかかっていますので」

「……君の個人的な都合など聞いていない」

「僕にとっては一番重要なことです。それに、僕には公安の職務に就く法的義務もありません」

完璧な論理の壁。

公安の男は不機嫌そうに目を細め、手元の資料へ視線を落とした。

透野視希という少年の身辺データ――親族との関係、交友関係、資産状況。

揺さぶりをかけるための「弱み」を探そうにも、彼は徹底して無欲で、身軽で、隙がなかった。私生活で怪しい噂ひとつなく、スキャンダルも存在しない。

(……まともな人間関係すら、ほとんど作っていないか。唯一、接触頻度が高いのは……)

公安の男の脳裏に、同じく雄英普通科の生徒――『心操人使』の顔写真が浮かび上がる。

(この心操という生徒くらいか。……まあいい、焦る必要はない。全寮制になれば、監視の機会はいくらでもある)

「……今日のところは結構だ。だが、君のその異常な『頭脳』から、我々が目を離すことはないと思いたまえ」

「はい。お送りいただきありがとうございました」

透野は丁寧にお辞儀をし、冷ややかな取調室を後にした。

*

神野区の事件を受け、雄英高校では全生徒を保護するための「全寮制(ハイアライザ)」が急遽導入された。

敷地内に建設された普通科寮の自室。

新しい鍵を受け取り、ベッドと机だけが置かれた綺麗な部屋に入った瞬間、透野は静かに胸の前でガッツポーズを作っていた。

(……素晴らしい)

脳内で電卓が弾ける音がする。

(アパートの家賃免除。水道光熱費も学校負担。これで毎月のバイト代と奨学金が、丸々自分の手元に残る……! 生活費にかなりの余裕ができるぞ……!)

普通の生徒たちが「親と離れて寂しい」「自由が減る」と落ち込む中、透野にとって全寮制は「最高のコストパフォーマンス向上」でしかなかった。

必要最低限の荷物を15分で整理し終えた透野が真っ先に向かったのは、寮の敷地内に併設された「生徒用トレーニングルーム」だった。

ランニングマシン、ウェイト器具、ストレッチマット。プロ仕様の最新設備が整った清潔な空間。

「……無料使い放題……なんて素晴らしいんだ……」

透野は目を輝かせ、さっそくストレッチマットの上で体幹トレーニングと柔軟運動を開始した。

「……おい」

引きつった声が入口から聞こえた。

操縛布を首に巻き、自主トレに来た心操人使が、入口で固まっていた。

「あ、心操。お引っ越しお疲れ様」

「お前……なにしてんの?」

「トレーニングだよ。ここの設備、すごいね。体幹マシンも最新型だし、マットのクッション性も完璧だよ」

心操は呆れたように頭を抱え、深々とため息を吐いた。

「お前さぁ……ヴィラン連合に拉致されて、オールマイトが苦戦するような凄まじいヴィランの現場にいたんだろ? 普通、トラウマで寝込むか、精神ケア受けるだろ……なんでそんなウキウキでジム使い倒してんだよ」

「だって、せっかくの無料設備を使わない手はないじゃない。それに、家賃が浮いたから今月は食材のランクをちょっと上げられるんだ。すごく嬉しいよ」

「……お前、本当に誘拐された奴の反応じゃねえよ……」

心操は心の底から呆れ果てた顔で壁にもたれかかった。

「まあ……無事でよかったけどな。お前がいなくなったら、誰から安くて美味い飯をたかればいいか分からなくなるところだった」

「ひどい言い草だね。でも、心操が無事でよかったよ。これからもよろしくね」

透野が柔らかく微笑むと、心操は照れくさそうに「ふん」と鼻を鳴らした。

(心操……)

透野は静かに汗を拭いながら、公安の男たちの冷酷な視線を思い出していた。

自分自身の生活を守ることはもちろん、自分と関わったことで心操に余計な火の粉が飛ばないよう、より一層「理詰めの立ち回り」を徹底しなければならない。

「よし、心操。操縛布のフォームチェック、手伝うよ」

「おう、頼む」

全寮制という新しい城で、透野視希のマイペースで計算し尽くされた日常が、再び動き始めていた。

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