その目に映る未来は、ひとつではない 作:並行世界とかという概念最高
全寮制(ハイアライザ)が始まって数日。
雄英高校の職員室では、相澤消太と根津校長が温かいお茶を手に密談を交わしていた。
「……校長。神野の件、あの普通科(透野)を1年A組へ緊急編入させる案は取りやめになったんですか」
「ああ、相澤くん。本来ならオール・フォー・ワンに直接指名で狙われた彼を、君の目の届く1-Aで24時間厳重警備下に置く予定だった」
根津校長は湯気を立ち上らせる湯呑みを置き、黒い瞳を細めた。
「だが、全寮制が完成したことで『雄英バリア』をはじめとする防衛システムが全敷地に適用された。普通科寮であってもプロヒーローの巡回警備とセキュリティレベルは同じだ。本人が『平和な普通科での自活』を望んでいる以上、下手に環境を変えてストレスを与えるより、今のまま見守るのが一番の保護だと判断したよ」
「……本人は寮の無料トレーニングルームを使い倒して、家賃が浮いたと喜んでますからね。まあ、それが一番でしょう」
相澤は心底呆れたように吐き捨てたが、すぐに目つきを鋭くした。
「ですが……『公安』が黙っていませんよ」
「分かっているさ。あの異常な分析力と観察眼……彼らはどうしても透野くんを『有能な駒』として管理下に置きたいようだ」
根津校長は静かに首を振った。
「大人というものは、自分たちの手に負えない異質な才能を見ると、すぐに縛り付けたがる」
*
その翌朝。校長室に呼び出された透野視希は、根津校長から「公安からの特例要請により、ヒーロー仮免許試験を受検してもらう」という通達を受けた。
校長室を出て廊下を歩く透野の足音は、普段よりほんの少しだけ重かった。
パチパチと瞬きをする瞳の奥。
いつもは死んだように静かなその黒目に、恐ろしいほど冷ややかな、不気味なまでの「不機嫌」が渦巻いていた。
(……僕の生活スケジュールを、勝手に乱さないでほしい)
ヒーローになりたいわけでもない。
自分の足で立ち、奨学金とバイト代で自活する平穏な日常を守りたいだけなのだ。それを大人たちの勝手な都合や思惑で、危険な現場へと引きずり出される。
「自分の人生の決定権を他人に握られる」ことが、透野視希にとって最も許しがたい不快感だった。
*
仮免試験当日の朝。
1年A組の専用バスの前に、指定の運動着を着た透野がポツンと立っていた。
「ええええっ!? 透野くん!?」
緑谷出久が目を丸くして叫んだ。
「なんで透野くんがA組のバスに……!? え、仮免試験受けるの!?」
「うそ、普通科なのに!?」と麗日お茶子や飯田天哉たちも騒ぎ立てる。
バスの影から見送りに来ていた心操人使が歩み寄り、眉をひそめて透野の顔を覗き込んだ。
「……おい。ヒーロー科を目指してる俺を差し置くようなムーブやめろよ」
心操は呆れたように口の端を歪めたが、すぐに言葉を止めた。
透野の顔は相変わらず穏やかな笑みを浮かべている。しかし、その「目」が一切笑っていなかったのだ。
「……透野。お前、何かあったのか?」
「ううん、何でもないよ、心操。ただ……大人が勝手に僕の予定を詰め込んできただけだよ」
透野の低い声を聞いた瞬間、心操は察した。
自身も「不遇な個性」として大人や周囲の身勝手な評価に振り回されてきた過去がある。詳しい事情は知らずとも、社会の汚い裏事情や大人たちの都合が、この友人を無理やり引っ張り出したのだと。
心操はポン、と透野の肩を叩いた。
「……大変だな。さっさと終わらせて、また安い飯でも食わせろ」
「うん。……自分の時間を奪われた分は、ちゃんと払ってもらうよ」
透野はバスへ乗り込んだ。その背中には、一切の迷いもない冷酷なまでの計算が漂っていた。
*
試験会場である「国立場外魔賽闘技場」。
全国各地から集まった1540名ものヒーロー候補生たちが熱気を放つ中、目良(目良善広)の手によって一次試験のルールが告げられた。
「受検者1540名中、通過者は……先着100名です」
残酷な狭き門。そして、ターゲットシールを身体の開けた箇所に3つ貼り、専用のボール(自球)を当て合う乱戦が始まった。
「雄英潰しだ―――ッ!!」
試験開始と同時に、名門・雄英をターゲットにした他校の集団攻撃が始まる。
緑谷たちがチームワークで応戦し、爆豪や轟が個別の戦域へ散っていく喧騒の中、運動着姿の無個性――透野の元にも、真幌羽学園などの三人組の生徒が襲いかかってきた。
「ハッ! 個性発動の構えすらない! いただき――」
カツン。
突進してきた相手の膝の裏へ、透野の足先が最小限の動きで滑り込む。
コンマ数秒のベクトル計算。相手の体重移動と慣性力をそのまま利用し、支点をズラす。
「え……がはっ!?」
勢い余った相手は一人で畳に叩きつけられ、その拍子に後ろの仲間と激しく激突した。
透野はコンマ一秒の無駄もなく滑り込み、重なり合って倒れた二人の胸のターゲットシールへ、正確無比に自球を点滅させた。
『ピピ――ッ! 2人撃破!』
「な……んだと!? 個性を使ってない……!?」
残る一人が驚愕で凍りついた瞬間には、透野はすでにその死角へと回り込んでいた。相手の腕を軽く引き、重心を崩させて最後のシールを突く。
『ピピ――ッ! 3人撃破! 一次試験通過!』
「……よし。次は二次試験だね」
肉倉精児の「肉」の個性や、夜嵐イナサの圧倒的な風の猛威で会場が混乱に陥る中、透野は一度も汗をかくことなく、開始わずか数分で先着100名の枠を勝ち取った。
*
続いて始まった二次試験――崩壊した市街地での「救助演習(バイスタンダー救出)」。
プロの被災者役集団「HUC(Help Us Company)」が配置され、厳格な減点方式での採点がスタートした。
多くの受検生が「大丈夫ですか!?」と無計画に駆け寄り、HUCから「状況確認もなしに無暗に近づくか! 減点!」と怒声を聞く中、透野の真骨頂が炸裂した。
「う、うおー! 助けてくれー!」
瓦礫の下で叫ぶHUCの男性。
透野は十メートル手前でピタリと足を止め、全周の二次崩落リスクと風向きをコンマ一秒で確認。それから落ち着いた、しかし通りやすい声で呼びかけた。
「これより救助に入ります。お名前と、痛みのある場所を話せますか?」
(……よし、第一声と声かけ、周囲の安全確認OK。減点なし)と心の中で採点基準をチェックするHUCの男。
だが、透野の観察眼はそこからさらに異次元の領域へ踏み込んでいた。
「右大腿部の角度と皮膚の腫脹から骨折の疑い。呼吸音がかすれているため胸部圧迫による気道閉塞リスクあり。意識は清明ですが、軽度のショック状態です」
「……は!?」
HUCのプロ演技者が思わず素の声を漏らした。
透野は迷いなく瓦礫の隙間へ滑り込み、持ち込んでいた包帯と副木で素早く右足を固定。気道を確保する完璧な体体位へ男性を誘導した。
「優先度(トリアージタッグ)は『黄色』。救護所へ搬送します」
手際があまりにも完璧すぎる。救命救急の専門家すら顔負けの無駄のない動き。
「こ、こいつ……プロのレスキュー隊より手際が良いぞ……!? 初期対応から処置まで減点項目が1つもない……!」
HUCのスタッフたちがインカム越しに震え上がっていた。
知識、観察、実践。
ただ己の「自活」と「生存」のために磨き上げてきた透野の知性が、救援演習というフィールドで圧倒的な高得点を叩き出していく。
*
合格発表。
電子掲示板の最上部に、透野視希の名が刻まれていた。減点方式の二次試験において、100点満点中の満点という異例の成績だった。
仮免証を受け取り、控室の廊下を歩いていると、壁際から黒スーツの男――公安の担当者が姿を現した。
「……素晴らしい成果だ、透野くん」
公安の男は口元を歪め、満足そうに頷いた。
「君のその戦闘処理能力、そして即座のトリアージ。やはり我が方の『特殊分析・救護班』として登録するのが国家の利益だ。仮免許を得た以上、公安からの緊急出動要請を断る口失(こうしつ)はなくなった。これからは我々の指示に従ってもらう」
強固な管理と拘束。
公安の男は、これでこの「無個性の天才」を手中に収めたと確信していた。
だが――透野は冷ややかな瞳で男を見つめ返し、ポケットから一枚の書類を取り出した。
「いいえ。ヒーロー仮免許保持者の権利規定・第28条に基づき、僕は『学業および普通科特待生制度の維持を最優先とする個人的権利』を行使します」
「……なに?」
男の表情が硬直する。
「仮免許とは、『有事において自己防衛および救助活動を法的に許可する資格』です。法的に『公安の出動命令を強制受諾する義務』はありません。……勝手に受験させてくださったおかげで、僕は今後、あなたたちからの理不尽な圧力を受けた際、『ヒーロー保護法』に基づき学校と弁護士を通じた保護を要請できる法的ポジションを得ました」
透野の言葉は、氷のように鋭く、完璧に計算し尽くされていた。
「僕の意思に反して出動を強制すれば、僕は即座にその事実を根津校長、およびメディアへ法的手続きとともに開示します。……ご協力、ありがとうございました」
「お、前……!!」
公安の男の顔が怒りで赤く染まる。
自分たちが透野を縛り付けるために用意した仮免試験という舞台を、透野は「公安の圧力から身を守るための法的な盾」として完璧に逆利用してみせたのだ。
男の横を、透野は一切の躊躇もなく通り過ぎる。
「……さ、早く帰って寮の課題をやろう」
ポツリと呟いた言葉には、先ほどまでの不機嫌さは欠片もなく、いつものマイペースな「生活者」の響きが戻っていた。
夕空の下、透野視希は誰にも己の人生を渡さない強い足取りで、自分の城(日常)へと帰っていくのだった。