その目に映る未来は、ひとつではない 作:並行世界とかという概念最高
仮免試験の翌日。
雄英高校の職員室で、相澤消太は公安から届いた不機嫌きわまりない報告書を眺め、珍しく口元をわずかに緩めていた。
「……公安の連中を法論理で完封して返り討ちか。相変わらず恐ろしいガキだな」
缶コーヒーを一口すすり、相澤は背もたれに体を預けた。
彼の脳裏に、数年前――まだ「イレイザーヘッド」として地下街や路地裏の違法薬物事件、そしてヴィジランテたちが蠢く暗闘の現場を駆け回っていた頃の記憶が蘇る。
(あいつと最初にすれ違ったのは、保須でも雄英でもない……あの暗い路地裏だったな)
当時、警察もプロヒーローも手を焼いていた地下組織の暴走事件。
街の影で、大人の死角を突き、廃棄された薬品やジャンクパーツを淡々と拾い集めていた小さな子供がいた。危険なヴィランやならず者が行き交う現場で、その子供は恐怖に怯えることもなく、ただ相手の視線、足音、ベクトルの死角を正確に「観測」し、気配を消してすり抜けていたのだ。
『おい、ガキ。こんな場所で何をしてる』
物陰から声をかけたイレイザーに対し、幼い透野視希は死んだような瞳でパチパチと瞬きをし、拾った試薬瓶を見せてこう答えたのだ。
『タイムセールの見切り品を買うより、この廃棄薬品を精製した方が今月の生活費が浮くんです。邪魔をしないでください』
ヒーローにも、ヴィランにも、力(個性)の誇示にも興味がない。
ただ己の「生存」と「生活」のためだけに、世界を冷徹に観察し、理詰めで生き抜こうとする異質な存在。
「あの頃から、1ミリも変わってねえ……」
相澤は深々とため息を吐き、報告書をデスクの引き出しに放り込んだ。
*
その夜。全寮制が始まった普通科寮の自室。
静まり返った部屋で、透野は机に向かい、ピンセットとスポイトを使って「転相薬」の調合を行っていた。仮免試験での極度の集中と疲労により、体内のホルモンバランスと波長が乱れていたためだ。
(精製度を0.02%調整して……よし)
薬を飲み干した瞬間、身体の深部から不気味な熱が広がった。
仮免試験で限界まで研ぎ澄まされた『万象の眼』の観測波長と、薬の持つ細胞の「位相(フェーズ)をズラす」成分が、偶然にも奇跡的な共鳴を起こした。
ズズ……ッ、と空間の「目」が歪む。
感覚が物理的な部屋を離れ、次元の隙間――無限の鏡が重なり合うような不思議な精神世界へと滑り込んでいく。
「……ここは?」
四方が透明な境界に囲まれた部屋。
そこには、透野視希と同じ顔をし、しかし全く異なる「空気」を纏った二人の人物が静かに座っていた。
「……あ、繋がったみたいだね」
最初に声をかけてきたのは、藤の花の刺繍が入った和装を纏い、薬研(やげん)を研いでいる青年だった。【鬼滅の刃軸の透野視希】だ。
「初めまして、僕。そっちは『個性』なんていう曖昧な能力が存在する世界なんだね」
「……君は?」
「僕は全集中も呼吸も使えないただの無才さ。でも、鬼の細胞構造や日光の波長、毒草の成分を理詰めで分析してね。毒と罠だけで鬼を退けながら、薬売りとして自活しているよ。……どこの世界でも、生活費の確保が一番大変なのは同じみたいだね」
鬼滅軸の透野は苦笑しながら、藤の毒を詰めた小瓶を弄んだ。
そして、もう一人。
スチームパンク調の革エプロンを身にまとい、大量の化学式と力学の図面が描かれたノートを開いている青年――【鋼の錬金術師軸の透野視希】が眼鏡の奥の目を細めた。
「やあ。僕の世界は『等価交換』の理で動く錬金術の世界さ」
ハガレン軸の透野は、オートメイルのパーツをドライバで調整しながら淡々と言った。
「軍部や国家錬金術師の利権、賢者の石なんていう不確定要素には興味がない。僕は構造の解析と理解だけで、安価に生活用品を精製して自活している。……君、公安とかいう組織に勝手な都合でスケジュールを乱されたろ?」
「……知ってるの?」
「わかるさ、僕たちだからね。軍部も公安も鬼殺隊も、大人や組織はいつだって自分たちの手に負えない異質な観察者を縛り付けたがる。『構造』を理解している僕たちが、一番扱いづらいからだ」
三人の「透野視希」の視線が交差する。
世界線も、世界の法則も、存在する脅威(ヴィラン・鬼・人造人間)も全く違う。
けれど、根底にある思想は完璧に一致していた。
「誰もが正義や大義に酔い痴れても、僕たちは『自分の足』で立つ」
鬼滅軸の透野が言えば、ハガレン軸の透野が頷く。
「理不尽な力や組織に人生の決定権を渡すな。『観測』と『計算』こそが、僕たちの最強の武器だ」
透野視希は、自分たちの言葉を胸の奥深くに染み込ませた。
(そうだ。世間が僕をどう評価しようが、公安がどう迫ろうが関係ない。僕はどの世界でも、僕の理屈で、僕の日常を守り抜くだけだ)
「……ありがとう。自分のやるべきことが、はっきりしたよ」
「お互い、明日の生活費のために頑張ろうね」
三人が静かに微笑み合った瞬間、境界の世界が淡い光となって弾けた。
*
ハッと目を開けると、そこはいつもの見慣れた寮の自室だった。
窓の外からは、静かな東の空から朝焼けの光が差し込んでいた。
机の上には、調合を終えた薬の小瓶と、昨日公安を返り討ちにした際の書類、そして――いつもの家計簿ノート。
透野は深く息を吐き、静かにペンを握りしめた。
「……さて。朝のストレッチをして、今日も安売りスーパーのチェックから始めよう」
時代がどう揺れ動こうと、大人の都合がどう迫ろうと関係ない。
透野視希は、どこまでも強く、冷徹に、己の日常を紡ぎ出していくのだった。