その目に映る未来は、ひとつではない 作:並行世界とかという概念最高
「……おい、透野」
呼び止められた透野視希が振り向くと、そこには缶コーヒーを手にした相澤消太が立っていた。相澤の目元には、仮免試験後の処理と秋学期の指導に追われた疲労の色が色濃く滲んでいる。
「相澤先生。お疲れ様です。何か手続きでしょうか?」
「いや。……仮免試験で落ちた爆豪や轟たちの補習が始まる。あいつらに足りないのは、現場での瞬時の状況判断とトリアージ(優先度判断)の解像度だ」
相澤はポケットからメモ用紙を取り出し、透野に差し出した。
「お前が試験で満点を取ったあの救助シミュレーションの思考プロセス……『第一声の掛け方から二次災害の計算、優先度判定の手順』を言語化した指導シートを作れ。補習の教材として使わせてもらう」
頼みごとというよりは、なかば業務命令に近い打診。
だが、透野は安易に「はい」とは言わず、パチパチと瞬きをして相澤を見つめ返した。
「……対価は何ですか?」
「……あ?」
「僕は普通科の生徒で、ヒーロー科の指導助手ではありません。自分の学習時間を割いて資料を作成する以上、相応のインセンティブが必要です」
相澤は一瞬呆れ顔になり、深々とため息を吐いた。
「……食堂の特別メニュー引換券5枚でどうだ」
「それと、理科室の蒸留器具や実験道具の優先使用権もほしいです」
つい、日常の調合作業の効率化が頭をよぎり、うっかり言葉が口をついて出てしまった。
直後、相澤の目つきがスッと細くなった。
「……お前、理科の実験道具なんか何に使うんだ? 普通科の課題じゃそんな大掛かりな備品は使わないはずだが」
(……しまった)
透野はコンマ一秒で心拍数をコントロールし、死んだような瞳のまま平然と言ってのけた。
「自炊で使うハーブオイルや抽出調味料を自作して、食費を浮かせるためです。家庭科室の備品だと精製度が足りないので」
「……お前、どこまで節約に命かけてんだ……」
相澤は心底呆れ果てたように眉間を押さえた。
「はぁ……分かった。事故を起こさない範囲なら、理科室の備品利用も許可を出しておく。明日までにA4用紙2枚で提出しろ」
「交渉成立です。ありがとうございます」
間一髪で追及をかわし、透野は密かに胸を撫で下ろしたのだった。
透野が密かに胸を撫で下ろしたその時、廊下の奥から重く荒々しい足音が近づいてきた。
仮免試験を落とし、補習を受けることになった爆豪勝己だった。
鋭い眼光で透野を睨みつけ、すれ違いざまに肩をいからせて吐き捨てる。
「……あぁ!? テメェの書いたクソシートなんぞ見なくても、次は速攻で受かってやらぁ!! 見下してんじゃねえぞ、無個性!!」
一触即発の威圧感。だが、透野は顔色ひとつ変えず、穏やかに微笑んで手を振った。
「うん、頑張ってね、爆豪くん。時間は有限だから、感情的にならず効率的に復習するといいよ」
「……っぜ、テメェのそういうところが一番ムカつくんじゃ!!」
青筋を立てて補習会場へ向かっていく爆豪の背中を、相澤が頭を抱えながら見送る。
「……お前、煽る天才だな」
「まさか。僕はただ、事実と助言を述べただけですよ」
透野はペコリとお辞儀をし、自分の寮へと足早に去っていった。
*
その夜。自室の灯りを落とし、透野は机の上で転相薬の調合を行っていた。
薬液が青紫色に澄み渡ったその瞬間、手元にあった『万象の眼』の観測波長が、突如として不気味なノイズを弾き出した。
ザザ……ッ、と空間の「位相」が大きく揺らぐ。
部屋の空気が一瞬で「潮の香り」と「猛烈な風圧」に包まれた。
視界が歪み、眼前には荒れ狂う大洋の上に立つ、もうひとりの「透野視希」が佇んでいた。
革のロングコートを羽織り、腰に数種類の試薬瓶とナイフを下げた青年――【ONE PIECE軸の透野視希】だった。
「……やあ、僕。そっちは相変わらず静かな『学校』をやっているみたいだね」
OP軸の透野は、見聞色の覇気と共鳴した鋭い眼光で、こちらを静かに見つめていた。
「……君の世界も、随分と慌ただしいみたいだね」
「まあね。『絶対的正義』を掲げる海軍と、自由に暴れる海賊たち。どっちの言い分も不合理で腹が立つよ。僕はただ、薬草を売って船の維持費を稼ぎたいだけなのにさ」
OP軸の透野は肩をすくめたが、すぐにその表情から冗談の色が消えた。
「……ところで、僕。気をつけた方がいい。お前の世界線、なにかがおかしい」
「……どういうこと?」
OP軸の透野は『万象の眼』をこちらに向け、空間の糸を手繰り寄せるように目を細めた。
「僕たちの観測眼と存在(位相)は、本来ひとつの世界線にひとりしか存在しない。だが……お前の時空には、まったく同じ波長を持った『もう一人の透野視希』が同時に存在している」
透野の背筋に、冷たい氷が押し当てられたような寒気が走った。
「もうひとりの……僕?」
「ああ。それも、お前とは決定的に異なる選択をした存在だ。お前が『日常の自活』のために理屈を使っているなら……そいつは『世界を壊すための合理』に傾倒している」
OP軸の透野の言葉が、透野の脳裏でバラバラだったパズルを一気に繋ぎ合わせた。
(……神野区の事件の時だ)
あの夜、オール・フォー・ワン(OFA)がアジトの奥で面会し、指名で拉致していた存在。
なぜOFAが「無個性の普通科の生徒」にそれほど強い執着を持ち、極秘裏に手元に置こうとしたのか。
OFAの手元にいたのは――「この時空に存在する、もうひとりの敵(ヴィラン)側の透野視希」だったのだ。
「僕たちには、ひとつの試練が課されているみたいだね」
OP軸の透野が静かに呟いた。
「同じ時空に存在するふたつの『観測者』。ふたりの存在は、消滅させることも……あるいは、ひとつの存在として『統合』することもできる。どちらの理屈、どちらの観測がこの世界に生き残るに相応しいか……それを決めるのは、お前自身だ」
「……統合、それとも消滅か」
透野は自分の手を見つめた。
自分自身、ヒーローの語る「正義」が絶対だとは思っていない。プロヒーローの歪みも、世間の理不尽さも知り尽くしている。
だが同時に、ヴィランの撒き散らす破壊や混沌もまた、自分の穏やかな「生活」を脅かす大迷惑な存在でしかない。
「正義が勝つか、悪が勝つか……そんなことは僕にとってどうでもいい」
透野は冷徹な瞳で、空間の歪みを見つめ返した。
「でも、僕の家賃や生活スケジュール、心操との平和な日常を脅かすというなら……それが『もう一人の僕』であろうと、容赦なく消滅してもらうだけだ」
その言葉を聞いたOP軸の透野は、心底満足そうに笑った。
「……フッ、さすが僕だ。ブレないね。それじゃ、健闘を祈るよ」
潮風の香りが消え、意識は静かな自室へと戻った。
*
翌朝。
透野は完成した「トリアージ指導シート」を整然とファイルに収め、家計簿ノートを開いた。
「今月の食費は、食堂の特製チケットのおかげで1200円浮く予定……よし」
窓から差し込む秋の光を浴びながら、透野は静かにペンを走らせる。
同じ時空に潜む「もうひとりの自分」という不穏な影。
しかし、透野視希の足取りには1ミリの揺らぎもなかった。
誰のためでもない、自分自身の現実と生活を守り抜くために。
冷徹な観測者は、今日という一日を淡々と、そして強く歩み出すのだった。