その目に映る未来は、ひとつではない   作:並行世界とかという概念最高

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佐々木未来の来訪

来客があったのは、その日の午後だった。

 施設の職員が玄関へ向かい、しばらくしてから少年の名前を呼んだ。

「少し、お話をしたいという方が来ているんだけど」

「僕に?」

「そう。遠くからいらしたそうよ」

 少年は本を閉じた。

 知らない大人が自分を訪ねてくる理由に、心当たりはなかった。

 職員の後について応接室へ向かうと、そこにはスーツ姿の男が座っていた。

 姿勢は整っている。

 身なりにも乱れはない。

 しかし、少年は男の顔を見て、最初に別のことを考えた。

 疲れている。

 目元の緊張。呼吸の浅さ。落ち着かない指先。

 何かを長い間考え続けて、十分に眠れていない人間の様子に似ていた。

 男は少年を見るなり、立ち上がった。

「君が、例の少年か」

「例の、というのは?」

 男は一瞬、言葉を詰まらせた。

 ここまで来るあいだ、何度も想定していたはずだった。

 どんな質問をするか。

 どんな答えが返ってくるか。

 少年が本当に噂の人物なのかを、どう確かめるか。

 しかし、実際に目の前に立たれると、用意していた言葉がひどく頼りなく思えた。

「私は佐々木未来。ヒーローとして活動している。サー・ナイトアイと呼ばれることもある」

「ヒーローの方ですか」

「そうだ」

「遠かったでしょう。ここまで来るの」

 佐々木は、返答に迷った。

 確かに遠かった。

 普段の活動地域を離れ、いくつもの交通機関を乗り継ぎ、わずかな情報を頼りにここまで来た。

 だが、少年の言葉には、特別な意味などないようだった。

「……ああ。少しな」

「お疲れさまです」

 少年はそう言って、空いている椅子を示した。

「それで、僕に何か用ですか?」

 佐々木は座らなかった。

 目の前の少年を見つめる。

 噂にあった目。

 未来を見ているようだと語られた、奇妙な目。

 そこには、予知能力を持つ者特有の緊張感があるわけでも、何かを隠そうとする怯えがあるわけでもなかった。

 ただ、相手を観察している。

 まるで、佐々木が何者であるかを確かめるように。

 いや。

 実際に確かめているのだろう。

「君には、少し変わったものが見えると聞いた」

「変わったもの、ですか」

「普通の人には見えないものだ」

「普通の人って、誰のことですか?」

 佐々木は口を閉じた。

 少年は、質問の答えを待っている。

 揚げ足を取ろうとしているわけではなさそうだった。挑発するような口調でもない。

 本当に、言葉の意味がわからなかったのだ。

「……一般的な人間のことだ」

「なるほど。でも、僕は普通の人が何を見ているのか、全部知っているわけじゃありません」

 少年は首を傾げた。

「だから、僕に見えているものが変わっているかどうかは、比べてみないとわからないと思います」

 佐々木は、少年の顔を見た。

 感情の読み取りにくい、動きの乏しい表情。

 両親に置き去りにされた子供。

 施設で暮らし、年相応の友人関係も、特別な後ろ盾も持たない少年。

 調査資料から想像していた姿と、大きく違うわけではない。

 それなのに、どうしてだろう。

 佐々木は、この少年を前にして、妙な居心地の悪さを覚えていた。

 彼には、何かを恐れている様子がない。

 ヒーローを前にして萎縮することもなければ、特別な存在に会えたという興奮もない。

 ただ、目の前に人間がひとりいる。

 その事実だけを受け止めているようだった。

「君は、自分の個性についてどう考えている?」

「個性?」

「そうだ」

「……僕の個性は、無個性ですよ」

 あっさりとした返答だった。

 佐々木は眉を動かした。

「しかし、君には何かが見えるのだろう?」

「目は見えます」

「そういう意味ではない」

「では、どういう意味ですか?」

 佐々木は、すぐに答えられなかった。

 何を聞きたいのか、自分でも整理しきれていない。

 未来が見えるのか。

 未来以外の何かが見えるのか。

 それとも、彼が見ているものは、佐々木の理解できる枠組みそのものから外れているのか。

 どれも、まだ確かめられていない。

 それでも。

 この少年が、自分の知らない何かを知っているかもしれない。

 その可能性だけは、どうしても捨てられなかった。

「……私は、君に聞きたいことがある」

 佐々木は、ようやく椅子に腰を下ろした。

「未来は、変えられると思うか?」

 少年は、しばらく黙っていた。

 それから、佐々木の目を見た。

「変えられる未来も、変えられない未来もあるんじゃないですか」

 佐々木の指が止まった。

「どうして、そう思う?」

「だって、まだ起きていないことなら、変わる余地があるでしょう。でも、もう起きたことは変えられません」

 少年は淡々と続けた。

「ただ、未来がどうなるかを知っている人がいたとしても、その人が見たものが全部だとは限らないと思います」

 それは、あまりにも簡単な答えだった。

 そして、佐々木が誰にも言われたくなかった言葉でもあった。

 自分が見た未来が、すべてではない。

 そんなことは、理屈の上では理解している。

 それでも、個性が示した未来を前にして、彼はそれを絶対のものとして受け止めていた。

 だからこそ、変えられないという現実に追い詰められていた。

「……君は、そういうことを誰から教わった?」

「誰から、というか。いろいろな人からです」

「いろいろな人?」

「はい」

 少年は、そこで初めて少しだけ言葉を選んだ。

「僕と同じ人から、です」

 佐々木は、少年の目を見つめた。

 意味がわからなかった。

 聞き返そうとした、そのとき。

「でも、今日はその話をしに来たわけじゃないんでしょう?」

 少年が先に口を開いた。

「僕に何をしてほしいんですか?」

 佐々木は息を呑んだ。

 そうだ。

 自分は何をしに来たのか。

 この少年に何を求めているのか。

 その問いに、今までなら迷わず答えられたはずだった。

 未来を変える方法を知りたい。

 オールマイトを救いたい。

 それだけだった。

 だが、少年の前に座っていると、別の問題が浮かび上がってくる。

 彼は、まだ何も知らない。

 佐々木が何を見たのかも。

 何を恐れているのかも。

 どれほど必死に、この場所まで来たのかも。

 それなのに、自分はこの少年に何かを求めようとしている。

 彼の能力も、意思も、何も確かめないまま。

「……君の力を、貸してほしい」

 佐々木は、ようやくそう言った。

 少年は瞬きをした。

「何に使うんですか?」

「救いたい人がいる」

「その人は、あなたに救ってほしいと言ったんですか?」

 佐々木は答えられなかった。

 少年は、それ以上追及しなかった。

 ただ、しばらく佐々木の顔を観察してから、静かに言った。

「あなたは、その人を救いたいんですね」

「ああ」

「わかりました」

 佐々木の胸に、わずかな期待が生まれた。

 だが、少年は続けた。

「でも、僕が何をできるのかもわかっていないのに、どうして僕を探したんですか?」

 期待が、音もなく止まった。

 少年の声には、責める響きがなかった。

 それがかえって、佐々木には苦しかった。

 彼は、自分の必死さを理解してほしかったのではない。

 理解される前に、助けてほしかったのだ。

 この少年なら、何かを変えてくれるかもしれない。

 その可能性に、縋りたかった。

 けれど目の前の少年は、佐々木の事情を知らないまま、ひとつずつ問いを返してくる。

 まるで、彼が何を望んでいるのか、本当に理解しようとしているかのように。

 佐々木未来は、そのとき初めて気づいた。

 自分はこの少年を探しに来た。

 だが、この少年が自分の求める答えを持っているという保証は、どこにもない。

 そして、たとえ持っていたとしても。

 彼がそれを差し出してくれる保証も、また、どこにもなかった。

 窓の外では、山の向こうから雲が流れてきていた。

 少年は、天気が崩れそうだな、と考えていた。

 午後の走り込みは、室内でできることに変えた方がよさそうだった。

 目の前のヒーローが、これほど遠くから、自分に縋るようにやって来たことの意味を。

 少年は、まだ知らなかった。

 そして佐々木未来もまた、目の前の少年が、彼の知るどのヒーローとも異なる価値観を持っていることを、まだ理解していなかった。

 この出会いが、少年の人生を大きく変えることになるのか。

 あるいは、佐々木が望んだ未来を、さらに遠ざけることになるのか。

 その答えは、まだ誰にも見えていなかった。

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