その目に映る未来は、ひとつではない 作:並行世界とかという概念最高
「あはははっ! 離せ! 離せよ僕! なんで攻撃を止める……!?」
『ピースサイン』『廻廻奇譚』『紅蓮華』による多次元の波長相殺が上空で荒れ狂う中、透野視希はあえて敵側の少女が放つ圧縮衝撃波を全身で受け止めた。
ドス、と湿った打撃音が骨を揺らす。視界が赤く染まり、全脳の『万象の眼』が過熱(オーバーヒート)によって限界を告げる悲鳴を上げる。私服のパーカーの袖が引き裂かれ、血が滴り落ちた。
しかし、彼女の手は緩まない。華奢なその肩を、泥臭く、けれど圧倒的な確信を持って強く抱きしめた。
「……もう、消すなんて言わない。君の絶望も、AFOに改造された記憶も……全部、僕が引き受ける」
「正気か……!? 壊れるぞ……! そんな大量の絶望のトラウマ、お前の自我ごと弾け飛ぶぞ……っ!」
抱きしめられた少女が狂ったように暴れ、悲鳴をあげる。その声には、かつて自分自身が心の奥底に押し込め、無意識に切り捨ててきた「弱さ」と「恐怖」の残響が混ざっていた。
だが、透野視希の瞳に一切の揺らぎはない。
「壊れない。……理詰めでフォルダ分けして、暗号化して圧縮保存(ソート)すれば済む話だ。……僕のデータ容量(キャパシティ)を舐めるな」
『万象の眼』の光が極限まで解放される。
絶望に狂っていた敵側の少女の身体が、微かな光の粒子となってほどけ、透野の身体へと吸い込まれていった。
インポートの瞬間、脳内へなだれ込む圧倒的なノイズ。過酷な実験の記憶、見捨てられた記憶、世界への憎悪。脳組織が焼け焦げるような感覚に対し、透野は「感情」として受け止めるのではなく、冷徹なプログラマーのように「計算とデータ整理」として処理していく。
絶望を拒絶するのではなく、ただ事実として暗号化し、心の深層にあるディレクトリへ格納する。
――ふっと、上空を覆っていた黒霧状の空間の亀裂が静かに塞がっていった。
「……ふぅ。インポート完了。エラー検出ゼロ」
血のついた口元を腕で拭い、私服のフードを浅く直し直すと、透野視希はゆっくりと向き直った。
そこには、死柄木弔という「世界の破滅」そのものと対峙し、満身創痍で踏みとどまる1-Aの生徒たちとプロヒーローたちの姿があった。彼らが背負うのは、正義と信念、そして未来への希望だ。原作という巨大な物語の「熱」が、そこには渦巻いていた。
対して、透野視希という存在は、どこまでも冷ややかで、計算高く、私服姿のままそこに立つ異物。
「敵の観測者の処理は完了しました。……ですが、せっかくの最終決戦です。普通科の僕から、最後のサービスをしておきます」
透野はマイクを握り直し、深く息を吸い込んだ。
血と焦煙の匂いが混じる空気を胸いっぱいに満たし、響かせたのは——物語の終幕と新たな時代の幕開けを告げる旋律、Vaundyの『カーテンコール』。
『カーテンコールが鳴り止む前に』
—— Vaundy 『カーテンコール』より(作詞:Vaundy)
透明な旋律が、荒れ狂う天空要塞の戦場全体を滑るように広がる。
その音波は、熱狂する戦場に不自然なまでの「静寂の波紋」を落とした。
死柄木弔の肥大化した肉体変異、そして神経伝達系へ、コンマ数秒の決定的な「ラグ(思考・動作の遅延デバフ)」が侵入する。
「っ……!? なんだ……動きが……重い……!?」
死柄木が過敏になった感覚の中で驚愕に目を剥く。コンマ一秒の判断が生死を分ける極限の戦いにおいて、そのわずかな停滞は、死柄木という怪物にとってあまりにも致命的な断層となった。
主人公が自ら前に出て殴り倒すのではない。
どこまでも計算し尽くされた「完璧なお膳立て」として、ヒーローたちが光を掴むための「舞台(幕)」を引き下ろす。
「緑谷くん 今です……僕たちの『日常』を取り戻してください!」
「——応ッ!!!!」
緑谷出久の「拳」が放つ緑の閃光と、そして1-A全員の積年の思いが、透野の作った完璧な隙へと同時に雪崩れ込んだ。
ドゴォンッ!!!!
天空要塞の空間そのものが歪むほどの衝撃とともに、1-Aの決戦の一撃が死柄木を穿ち、戦場全体に圧倒的な光が弾けた。
やがて、静寂が訪れる。
黒煙が風に流され、崩れかけたフロアの上に、疲弊しきった1-Aの面々と相澤消太が膝をついていた。誰もが言葉を失い、荒い息を吐きながら、自分たちの勝利と、そしてその中心でただ一人「普段着」のまま佇む少女——透野視希を見つめている。
「……マジでやり切りやがった、あのガキ……」
相澤が眼帯の奥の目を細め、呆れたように、けれど深い感嘆を込めて吐き捨てた。
熱血でもなく、ヒーローの試練でもなく、ただ己の平穏と計算のために神域の戦局を動かしてみせた異端の存在。
「透野くん……! 本当に……ありがとう……!」
緑谷がボロボロの手を握りしめ、涙を浮かべて駆け寄ってくる。
しかし、透野視希はパチパチと無機質に瞬きを繰り返し、胸ポケットからスマートフォンを取り出して画面を確認すると、いつもの淡々としたトーンで言った。
「お礼には及びません。……さて、僕の仕事はこれで終わりです。急いで下山して帰宅しないと、近所のスーパーの夕飯タイムセールに間に合わなくなります。それから、今回の不規則な参戦で発生した光熱費と、来週の食費スケジュールの再計算をしなければいけません」
あ然とする緑谷。お茶子や飯田も開いた口が塞がらない。
「テメェ……この土壇場で夕飯と光熱費の心配してんじゃねぇよ!!」
爆豪の脈絡のない怒鳴り声が空に響き渡り、緊張の糸が切れた1-Aの面々に、ぽつりぽつりと疲れた笑いが漏れ出した。
崩れ去った規律と過酷な最終決戦の隙間で、私服の観測者は、自身が命がけで守り抜いた「地味で平穏な日常」へと、迷いのない足取りで歩み出していくのだった。