その目に映る未来は、ひとつではない 作:並行世界とかという概念最高
翌日の午後、佐々木未来は再び児童養護施設を訪れた。
昨日と同じスーツ。昨日と同じ、整った身なり。
違うのは、手に小さな箱を持っていることだった。
「こんにちは」
「こんにちは。昨日ぶりですね」
少年は、玄関先でそう返した。
驚いた様子はなかった。
来るかもしれないと思っていたからだ。
昨日の男は、まだ何も諦めていない。あの目は、話を聞いてもらえただけで満足する人間の目ではなかった。
おそらく、今日も何かを確かめに来たのだろう。
「少し時間をもらえるだろうか」
「僕にできることなら」
「ありがとう」
佐々木は、少年の言葉に小さな引っかかりを覚えた。
できることなら。
協力する、とも、話を聞く、とも言っていない。
少年は最初から、どこまで応じるかを自分で決めるつもりなのだ。
佐々木は、そのことを頭に置きながら応接室へ向かった。
*
「昨日、未来予知の個性があると話したな」
「はい」
「今日は、それを実際に見せようと思う」
佐々木は持参した箱を机の上に置いた。
中には、小さな時計と、いくつかの簡単な道具が入っていた。
「君が私の個性を知るためにも、実際に見た方がわかりやすいだろう」
「そうですね」
少年は箱の中を覗き込んだ。
「何をするんですか?」
「まずは簡単な実験だ。私が何をするか、君には教えない」
佐々木は時計を手に取った。
「ただし、私の個性は万能ではない。見える未来にも条件がある。その点は理解しておいてほしい」
「わかりました」
佐々木は目を閉じた。
個性を発動する。
視界が切り替わり、目の前の少年の未来が映し出された。
数秒後。
少年は机の上に置かれた時計を手に取り、裏返す。
その映像が消えた。
佐々木は目を開けた。
「では、君に頼みたいことがある」
「はい」
「机の上にある時計を手に取って、裏返してくれないか」
少年は時計を見た。
それから、佐々木を見た。
「……それが、未来予知ですか?」
「そうだ。少し先の未来を見た」
「僕が時計を裏返す未来を?」
「ああ」
少年は言われた通り、時計を手に取った。
そして、裏返した。
「なるほど」
それだけ言って、時計を元の位置に戻す。
佐々木は、少年の表情を観察した。
驚きはない。
恐怖もない。
かといって、何かを理解したような確信も見えなかった。
「どう思う?」
「便利だと思います」
「それだけか?」
「ほかに、何か必要ですか?」
佐々木は、思わず口元を引き締めた。
少年は本当にそう思っているらしい。
「君は、未来を見ることができる個性を持つ人間を、特別だとは思わないのか?」
「特別かどうかは、何を基準にするかによると思います」
「……基準?」
「未来が見える。それは確かに珍しいことかもしれません。でも、珍しいことと、偉いことは別でしょう」
佐々木は黙った。
少年は、時計の針を眺めている。
「それに、未来が見えるからといって、何でもできるわけじゃないですよね」
「その通りだ」
「なら、できることと、できないことを知っておくのが大事なんじゃないですか」
佐々木は、少しだけ目を細めた。
この少年は、個性を特別視していない。
それは、無個性だからこその考え方なのだろうか。
それとも、個性の有無とは関係なく、もともとそういう価値観なのか。
判断するには、まだ情報が足りなかった。
「では、もうひとつ聞こう」
佐々木は椅子に座り直した。
「君の目には、何が見える?」
少年の指が、時計の縁で止まった。
ほんの一瞬だった。
佐々木が気づいたかどうかはわからない。
「普通のものですよ」
「普通のもの?」
「机とか、時計とか、あなたとか」
「そういう意味ではない」
「では、どういう意味ですか?」
少年は顔を上げた。
昨日と同じ問い返し。
けれど、今回は少しだけ違った。
少年は、佐々木がどこまで知っているのかを測っていた。
どんな噂を聞いたのか。
誰から情報を得たのか。
そして、どこまで話せば、相手に余計な手掛かりを与えることになるのか。
佐々木は、少年の沈黙を待った。
「君には、未来が見えるという噂がある」
「誰が言ったんでしょうね」
「調査の過程で、いくつかの証言があった」
「その人たちは、僕が未来を見ているところを直接見たんですか?」
「……いや。そこまでは確認できていない」
「そうですか」
少年は、少し考えるように目を伏せた。
「なら、噂ですね」
佐々木は反論できなかった。
少年の言う通りだった。
確かな証拠はない。
彼が未来を見ているという話も、どこか別の場所で起きた出来事を知っているという話も、現時点ではすべて伝聞にすぎない。
それでも佐々木は、ここまで来た。
自分が見た未来を変えるために。
「君は、何かを隠しているのか?」
その質問に、少年はすぐには答えなかった。
隠していることはある。
だが、それを初対面に近い大人へ説明する必要はない。
それに、隠し事があることと、嘘をつくことは同じではない。
「誰にでも、話したくないことくらいあると思います」
少年は静かに答えた。
「あなたにも、ありますよね?」
佐々木は言葉を失った。
少年は、彼の反応を見ていた。
未来予知を持つヒーロー。
その能力は確かに珍しい。
だが、彼が何を考え、何を恐れ、何を求めているのかは、目の前の言動から推測するしかない。
未来が見えるからといって、他人の心までわかるわけではないのだ。
少なくとも、少年はそう考えていた。
「……その通りだ」
佐々木は、やがてそう認めた。
「誰にでも、話せないことはある」
「なら、僕も同じです」
それ以上、少年は何も言わなかった。
*
帰り際、佐々木は玄関で足を止めた。
「ひとつ、頼みがある」
「何ですか?」
「もし、君が何か特別なものを見ているのなら……それを私に教えてほしい」
少年は、しばらく佐々木を見つめた。
「どうしてですか?」
「君の力が、私の求める答えにつながるかもしれないからだ」
「あなたが救いたい人のために?」
「ああ」
少年は考えた。
昨日よりも、少しだけこの男のことがわかった。
佐々木未来は、悪意を持ってここに来たわけではないのだろう。
本当に誰かを救いたいと思っている。
けれど、その願いが強すぎる。
自分の求めるものを見つけたら、それが相手にとって何を意味するのかを見落としてしまうかもしれない。
少年は、そういう人間を知っていた。
自分と同じ顔をした、別の誰かの中に。
「考えておきます」
少年は答えた。
佐々木は、その言葉を聞いて、わずかに表情を和らげた。
「ありがとう」
「まだ何も約束していませんよ」
「それでも、話を聞いてくれたことには感謝している」
少年は、少しだけ首を傾げた。
「そうですか」
佐々木は施設を後にした。
少年は、その背中を見送った。
遠ざかっていく足音を聞きながら、彼は考える。
未来を見られる人間。
自分の目とは、何が違うのだろう。
いや。
今は、そこまで考える必要はない。
大切なのは、相手が何を知っていて、何を知らないのか。そして、自分が何を話してよいのかを見極めることだ。
少年は玄関の扉を閉めた。
*
その夜。
少年は机に向かい、昼間の出来事を思い返していた。
佐々木未来の個性は、確かに興味深かった。
未来を予知する。
それは、彼が知っているいくつかの世界でも、珍しい能力だった。
ただし、同じような能力であっても、世界が違えば条件も制約も異なる。
ひとつの例を、すべてに当てはめることはできない。
少年は、机の隅に置いていた小さなノートを開いた。
そこには、いくつかの短い言葉が書き留められている。
今日、新しく加える言葉はひとつだった。
――未来を見られる人間がいる。
それだけを書いて、ノートを閉じる。
詳しいことは、まだ書かない。
今の段階では、確かなことが少なすぎるからだ。
少年は窓の外へ目を向けた。
夜空には、雲の切れ間から星が見えていた。
その光を眺めていると、ふと、別の場所から声が届いたような気がした。
『それで、あの人を信用するのか?』
少年は、しばらく黙っていた。
そして、心の中で答えた。
――まだ。
声は、それ以上何も言わなかった。
少年は椅子から立ち上がり、明日の準備を始めた。
佐々木未来が見た未来は、彼にとってまだ他人の話にすぎない。
その未来を変えるかどうかも。
誰かを救うかどうかも。
自分の目のことを話すかどうかも。
決めるのは、これからだった。