「それじゃあ、みんな。戦車を探してきてねー」
生徒会長の角谷杏は、まるで買い物でも頼むような気軽さで言った。
教室に集められた生徒たちは、そろって顔を見合わせる。
「……え?」
最初に声を漏らしたのは沙織だった。
「探すって、何を?」
「戦車」
「いや、それは分かってますけど!」
杏はにこにこと笑っている。隣に立つ小山柚子は申し訳なさそうに苦笑し、河嶋桃はすでに眉間にしわを寄せていた。
「会長! 説明が足りません!」
「えー? 戦車を探すんだよ?」
「だから、どこにあるのかと聞いているんです!」
「学校の敷地内。どっかにあるから」
「どっかって……」
沙織の口が半開きになる。
みほも、思わず周囲を見回した。
大洗女子学園の敷地が広いことは知っている。けれど、その中から戦車を探せと言われても、すぐに見つかるものなのだろうか。
「詳しい場所は聞いてないの?」
「聞いてないねぇ」
「会長!」
桃の怒声が教室に響いた。
杏は少しも気にした様子がない。柚子が差し出したお菓子を受け取ると、ひょいと口に放り込んだ。
「ま、頑張ってねー」
「まったく……! 各チーム、速やかに捜索を開始しろ!」
桃の号令を受け、生徒たちは戸惑いながらも動き始めた。
「みほ、行こう!」
沙織がみほの腕を引く。
「う、うん」
「どんな戦車があるのかなあ。やっぱり、すっごく大きいのかな?」
「戦車ですから、それなりの大きさはあると思います」
優花里がすぐ横から答えた。
「秋山さん、詳しいね!」
「いえいえ! まだまだ勉強中です!」
そう言いながらも、優花里の目は輝いている。戦車を探すという話そのものが、彼女にとってはたまらなく楽しいらしい。
華はそんな優花里の様子を微笑ましそうに眺めていた。
「まずは、見つけるところからですね」
「そうだね。どこにあるんだろう……」
みほは校舎の向こうへ視線を向けた。
戦車を探す。
普通の学校生活では、まず聞くことのない言葉だ。
それなのに、こうして自分もその一員になっている。
ほんの少し前までは、もう二度と戦車道を選ぶことはないと思っていたのに。
「みほ?」
沙織に呼ばれ、みほは顔を上げた。
「どうしたの?」
「ううん。なんでもないよ」
「そっか! じゃあ、行こ!」
沙織は深く追及せず、みほの手を引いた。
みほはその手を握り返し、歩き出した。
*
「うわあああっ! あったあああ!」
学園のどこかから、ひときわ大きな歓声が響いた。
「見つかったみたいですね!」
優花里が声のした方へ顔を向ける。
「私たちも急ごう!」
沙織が駆け出し、華とみほもその後を追った。
たどり着いた先には、見慣れない戦車が置かれていた。
「おおっ、これが!」
優花里が感激したように声を上げる。
「すごい……本当に戦車だ」
沙織も車体を見上げた。
みほは周囲を確かめながら、車体の形や履帯に目を向ける。長い間、使われずにいたようだ。ところどころに汚れが目立ち、表面にも古びた様子が残っている。
「これ、動くのかな?」
沙織が首を傾げた。
「整備してみないと分かりませんね。長く保管されていた車両なら、確認するところも多いと思います」
優花里はそう言いながら、戦車の周囲をじっくり眺めていた。
「秋山さん、本当に詳しいんだね」
「そ、そんなことはありません! 私なんてまだまだ……!」
「でも、頼りになるよ」
みほが言うと、優花里はぴたりと固まった。
「に、西住殿……!」
頬を赤くした優花里を見て、沙織が笑う。
「よかったね、優花里!」
「は、はいっ!」
そのとき、後ろから聞き覚えのある声がした。
「こっちは38(t)だよー」
振り返ると、杏がひらひらと手を振っていた。
「会長、どうしてここに!?」
桃がすぐさま詰め寄る。
「見に来たー」
「見に来た、じゃありません!」
「まあまあ、桃ちゃん」
柚子が間に入る。
「でも、見つかってよかったじゃない」
「そうだけど、そういう問題では……!」
桃の声が遠ざかる。
沙織はそのやり取りを見ながら、みほの方へ顔を寄せた。
「なんだか、生徒会ってすごいね……」
「う、うん……」
みほは苦笑した。
戦車道を始めることになってから、驚くことばかりだ。
けれど、目の前に戦車があるという事実には、胸の奥が少しだけ弾んでいた。
*
その後も、学園のあちこちから戦車発見の報告が続いた。
バレー部の四人は八九式の周りで大騒ぎし、歴史好きの四人は三号突撃砲を前に、何やら熱心に語り合っている。一年生たちもM3リーを見つけたらしく、遠くから歓声が聞こえた。
それぞれのチームが、自分たちの戦車を囲んでいる。
「へえ、いろんな種類があるんだねえ」
沙織が感心したように言った。
「そうですね。車両によって形も大きさも違いますから」
優花里は楽しそうに頷いた。
「私、戦車って、もっと全部同じようなものだと思ってた」
「私もです」
華も頷く。
「実際に見ると、ずいぶん印象が違いますね」
みほは、少し離れたところに並ぶ戦車たちを眺めた。
戦車のことなら、知っている。
少なくとも、ほかの生徒たちよりはずっと多くのことを。
それでも、ここで自分が知っていることを、どこまで話していいのか迷ってしまう。
以前の自分を知る人がいないこの場所で、できるだけ普通の女の子として過ごしたいと思っていた。
けれど、戦車道を選んだ以上、ずっと何も知らないふりをするわけにもいかない。
「みほ?」
華がそっと顔を覗き込んだ。
「どうかしましたか?」
「えっ? ううん。なんでもないよ」
「そうですか?」
華は少し心配そうだったが、それ以上は尋ねなかった。
沙織が両手をぱんと叩く。
「よーし! せっかく見つかったんだし、私たちも頑張ろう!」
「うん!」
みほは笑顔で頷いた。
「まずは、きれいにしてあげないとね」
*
「せーのっ!」
こはるが声をかける。
バケツの水がT-34の車体にかかり、表面についた泥が流れ落ちた。
「うーん、こうして見ると、まだまだ汚れてるね」
こはるはスポンジを手に、車体の側面を見上げた。
「一度洗ったくらいじゃ落ちないところもあるからね」
千紗が答える。
「特に下の方。泥が残ってるから、そっちはもう一回やった方がいいと思う」
「はーい!」
こはるが元気よく返事をする。
すみれは少し離れた場所で、車体の隅を確かめていた。
「ここの汚れ、もう少し丁寧に落とそう。あとで確認するときにも見やすくなるし」
「分かった。そっちは任せるね」
伊里奈が布を動かしながら答えた。
T-34の修理は、すでに一段落している。
もちろん、何もかも完璧というわけではない。走行も低速での確認が中心で、実際の試合を想定した練習はこれからだ。
それでも、今は自分たちが乗る戦車として、四人で少しずつ扱い方を覚えている。
「ねえ、伊里奈」
こはるが顔を上げた。
「今日、ほかのチームも戦車を見つけたんだよね?」
「そう聞いてるわ」
「どんな戦車なんだろう。あとで見に行ってみたいな」
「洗車が終わったらね」
千紗が即座に返す。
「分かってるってば!」
こはるは頬を膨らませた。
伊里奈が小さく笑う。
「気になるのは分かるけど、まずは目の前のことを終わらせましょう」
「はーい……」
こはるはしぶしぶ車体へ向き直った。
そのとき、少し離れたところから、明るい声が聞こえてきた。
「みほ、そっち流すよー!」
「うん、お願い!」
伊里奈が顔を上げる。
パンツァーIVの周りでは、沙織がホースを持ち、華が布で車体を拭いていた。優花里は車体の細かな部分を見つけるたび、熱心に何かを説明している。
その輪の中心に、西住みほがいた。
伊里奈の手が、一瞬だけ止まる。
あの試合で見た少女。
黒森峰の副隊長として戦場に立ち、そして、仲間を救うために旗車を離れた少女。
その姿を、伊里奈は今でも覚えていた。
けれど、目の前にいるみほは、仲間と笑いながら戦車を洗っている。
「伊里奈?」
千紗に呼ばれ、伊里奈は我に返った。
「どうしたの?」
「……ううん。なんでもない」
伊里奈は手元の布を持ち直した。
今は、まだいい。
ここで自分から近づく理由はないし、向こうも自分のことなど知らないだろう。
そう思って視線を戻したところで、こはるがバケツを持ったまま、パンツァーIVの方へ歩いていった。
「ちょっと、こはる?」
千紗が声をかける。
「バケツの水、替えてくるだけ!」
「だったら先に言ってよ」
「今言ったよー!」
こはるの声が遠ざかっていく。
千紗は呆れたようにため息をついた。
「まったく……」
すみれがくすりと笑う。
「いつものことじゃない」
「だから困ってるんだけどね」
伊里奈は二人のやり取りに小さく笑い、それから再び車体へ向き直った。
*
「あれ? そっちも洗車?」
パンツァーIVのそばにやってきたこはるが声をかける。
沙織が振り返った。
「うん。せっかく見つかった戦車だから、きれいにしてあげようと思って」
「そっかあ。私たちも洗ってるところなんだ」
こはるは自分たちのT-34を振り返る。
「前に洗ったとき、落としきれなかった汚れがあったんだよね。だから、もう一回きれいにしようと思って!」
「前に?」
沙織が首を傾げる。
「えっと、あの戦車って、そっちのチームのなの?」
「うん! 私たちのT-34!」
こはるは胸を張った。
「私たちで直したんだよ!」
「ええっ、自分たちで!?」
沙織の声が大きくなる。
華も驚いたように目を丸くした。
「戦車を修理したんですか?」
「そうだよ! 最初はすっごく汚れてたんだけど、みんなで頑張ってね。伊里奈がいろいろ詳しくて……」
そこまで言って、こはるはふと口をつぐんだ。
「……あっ、私ばっかりしゃべっちゃった」
「ううん、すごいよ!」
沙織が目を輝かせる。
「ねえ、そっちの戦車って、もう動かせるの?」
「うん! まだゆっくりだけどね。前に進んだり、止まったり、曲がったりはできるよ」
「すごい! 私たち、戦車を動かすのもこれからなんだよ」
「えっ、そうなの?」
こはるが目を丸くした。
「うん。私たちも、まだまだこれから!」
沙織が笑う。
「でも、なんだか楽しみだよね!」
「うん!」
こはるも笑顔で頷いた。
「戦車って、思ってたよりずっと大きいし、乗るともっとすごいんだよ!」
「乗ったことあるの!?」
「あるよ! でも、まだゆっくりしか動かしてないから、これからもっと練習しないと」
こはるは得意げに答えたあと、持っていたバケツを見下ろした。
「あっ、そうだった。水、替えに来たんだ!」
「ふふっ、忘れてたの?」
華が微笑む。
「ちょっとだけ!」
こはるは照れくさそうに笑った。
そのやり取りを、みほも聞いていた。
「自分たちで修理したんだ……」
みほが小さく呟くと、優花里が頷いた。
「すごいですね。戦車を動かせるところまで持っていくのは、簡単なことではないと思います」
「うん……」
みほはT-34の方を見た。
車体のそばにいる少女たち。手を動かしながら話している姿からは、戦車を大切にしていることが伝わってくる。
自分たちも、これからあのパンツァーIVと向き合っていく。
そう考えると、胸の奥に小さな期待が生まれた。
「ねえ、こはるちゃん」
みほは思い切って声をかけた。
「その戦車、あとで見せてもらってもいい?」
こはるがぱっと振り返る。
「もちろん!」
返事は即座だった。
「伊里奈に聞いてみるね! きっと大丈夫だと思う!」
「ありがとう」
みほが微笑むと、こはるも嬉しそうに笑った。
「じゃあ、またね!」
こはるはバケツを持ち直し、自分たちの戦車へ戻っていった。
その背中を見送りながら、沙織が感心したように言った。
「なんだか、いい子だったね」
「うん。戦車のこと、本当に好きなんだね」
みほが答える。
優花里も頷いた。
「自分たちで修理した車両なら、なおさら愛着が湧くでしょうね」
「私たちも、そうなれるかな?」
沙織の言葉に、みほはパンツァーIVを見上げた。
「……なれるといいね」
*
洗車を終えるころには、パンツァーIVの車体もずいぶんきれいになっていた。
沙織がホースを片づけ、華が最後に残った水滴を拭き取る。優花里は満足そうに車体を見回した。
「うん、きれいになりましたね!」
「なんだか、ちょっと愛着が湧いてきたかも」
沙織が車体をぽんと叩く。
「これから一緒に頑張ろうね、パンツァーIV!」
「沙織さん、戦車に話しかけているんですか?」
華が微笑む。
「いいじゃない! これから乗るんだもん!」
「ふふっ。そうですね」
みほも車体を見上げた。
洗う前より、少しだけ身近に感じる。
この戦車で何をするのか。自分に何ができるのか。
まだ分からないことばかりだ。
それでも、ここで一緒に歩いてくれる人たちがいる。
「……よろしくね」
みほはそっと呟いた。
*
その日の放課後。
「お邪魔しまーす!」
沙織が元気よく部屋に入ってきた。
「わあ、みほの部屋って、すっきりしてるね!」
「そ、そうかな……?」
みほは少し照れくさそうに笑った。
華も続いて部屋へ入り、持ってきた荷物をそっと置く。
「今日はご一緒できて嬉しいです、みほさん」
「うん。私も」
優花里も加わり、四人は夕食を囲んだ。
沙織が話題を次々に広げ、華が穏やかに相槌を打つ。優花里は戦車の話になると目を輝かせ、みほはそんな三人を見て笑った。
「それにしても、今日はびっくりすることばっかりだったね!」
沙織が箸を動かしながら言った。
「まさか、学校の中から戦車を探すことになるなんて思わなかったよ」
「私もです。保管されていた車両があんなにあるとは……」
華が頷く。
「私は、あのT-34が気になりました」
優花里が身を乗り出す。
「自分たちで修理したと聞きましたが、どのくらいの状態から直したのでしょうか……」
「優花里、また戦車の話になってるよ」
沙織が笑った。
「す、すみません!」
「謝らなくていいよ。好きなんでしょ?」
「はいっ!」
優花里は元気よく答えた。
みほは三人のやり取りを見つめ、自然と笑みを浮かべた。
こうして誰かと食事をするのは、久しぶりだった。
以前は、食事の時間でさえ、戦車道のことを考えていた。次の試合、次の訓練、次に求められること。
自分が何をしたいのかよりも、何をしなければならないのかを考えていた気がする。
今は違う。
目の前にいる三人は、みほが何をできるかを問い詰めたりしない。ただ一緒に笑って、話をしてくれる。
そのことが、思っていた以上に嬉しかった。
「みほ?」
沙織が顔を覗き込む。
「どうしたの? ぼーっとして」
「えっ? あ、なんでもないよ」
「そっか?」
沙織は少し不思議そうにしたものの、すぐに笑顔へ戻った。
「ねえ、明日から、いよいよ戦車に乗るのかな?」
その言葉に、みほの手が止まった。
「……そうかもしれないね」
「楽しみだね!」
沙織は無邪気に笑う。
華も頷いた。
「実際に乗ってみれば、分かることもたくさんありそうですね」
「はい。車両ごとに操作方法も異なりますし、乗員同士の連携も重要ですから」
優花里が答える。
みほは静かに聞いていた。
戦車に乗る。
その言葉を聞くたび、胸の奥に沈めた記憶が揺れる。
水の音。重い車体。離れていく仲間たち。
忘れたことなど、一度もない。
けれど、目の前にいる三人の顔を見ていると、その記憶だけに囚われていたくないと思えた。
「……明日も、よろしくね」
みほが言うと、沙織は笑顔で頷いた。
「もちろん!」
華も穏やかに微笑む。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「私もです!」
優花里の声が重なった。
みほは小さく笑った。
その夜、四人の会話はなかなか途切れなかった。
*
翌朝。
みほは通学路を歩いていた。
空気はまだ少し冷たく、朝の風が頬を撫でる。
いつもより早めに家を出たはずなのに、校門まではまだ少し距離があった。
そのとき、前方にふらふらと歩く生徒の姿が見えた。
足取りがおぼつかない。左右に揺れ、今にも倒れそうだ。
「……大丈夫かな?」
みほは足を速めた。
「すみません。大丈夫ですか?」
声をかけると、少女はゆっくりと顔を上げた。
「……眠い」
「えっ?」
「眠いの……」
そのまま、少女の体が傾いた。
「わっ、危ない!」
みほは慌てて支えた。
「ちょ、ちょっと! 大丈夫ですか?」
「……寝かせて」
「えっ、ここでですか!?」
少女は答える代わりに、目を閉じかけた。
みほは困り果て、彼女の顔を覗き込む。
「と、とにかく学校まで行きましょう!」
少女は不満そうに眉を寄せたものの、どうにか歩き出した。
しばらく進んだところで、少女がぽつりと口を開く。
「……冷泉麻子」
「え?」
「私の名前」
「あっ、私は西住みほです。よろしくお願いします、冷泉さん」
麻子は眠そうな目でみほを見た。
「……よろしく」
それだけ言うと、また目を閉じかける。
「冷泉さん、寝ちゃだめですよ!」
「……分かってる」
「本当ですか?」
「……たぶん」
「たぶん!?」
みほは思わず声を上げた。
麻子は返事をせず、みほに支えられたまま歩いている。
その様子に、みほは思わず苦笑した。
戦車道が始まって、まだほんの少し。
学校の中で戦車を探して、仲間と洗って、少しずつ新しい生活に慣れていく。
そして今、また一人、新しい出会いがあった。
「冷泉さん、もう少しですよ」
「……あとで寝る」
「学校に着いてからにしてくださいね」
「……努力する」
みほは困ったように笑いながら、麻子を支えて歩き続けた。
朝の光が、二人の前に伸びる道を照らしていた。