それぞれが勝手な距離で仕事を受け、報酬をもらい、文句を言い、助け合っている。ユイナはその誰に対しても同じ態度ではない。帳簿には押され、荷の置き場には口を出し、からかいには本気でむくれる。
臣下を従えているのとは違う。それでも、ここを流れる仕事と信用の中心に彼女がいることは、アンルシアにも分かった。
アンルシアは、奥の裁縫台へ目を向けた。布と糸が、三着分ずつ束ねて置いてある。棚には、まだ紐を解いていない包みがいくつも並んでいた。
「ユイナ。あなたの裁縫も、見せてもらえる?」
「剣はもう作ったけど」
「ええ。あれは私のためだったでしょう。今度は、いつもどんなふうに稼いでいるのかを見たいの。二億と聞いただけでは、まだ分からないわ」
ユイナは裁縫台を見て、それからシェリルへ顔を向けた。
「今日の三着、まだ間に合う?」
「受け取りの便までには。先に縫ってくださるなら助かります」
「じゃあ、ちょうどいい」
ユイナは椅子を引き、杖を置く時よりも細かな手つきで針入れを開けた。
「ソポスのころも下。錬金を入れる前の、星三つを三着という注文。自分で使って気に入っているし、どこを難しく感じるかも知ってる」
「棚の布も、同じもの?」
「三十着縫うつもりで揃えたんだけど、今日はそこまで時間が取れない。先に約束した分だけ。残りは、また隙間を見つけて」
「三十着というと、何日くらい?」
「縫うだけなら、一時間半くらい」
アンルシアは、まだ椅子に手を掛けたままユイナを見た。
「三十着で?」
「うん。布を揃えたり、売ったりする時間は別だよ」
聞き違えてはいなかったらしい。アンルシアが座ると、ユイナは卓の端の紙を指で押さえた。今日仕入れた素材の値段だった。さらに針へ目をやり、使った分は道具にも払うのだと言う。
「拾った素材なら、その分はかからないのではない?」
「トビアが今朝歩いた分に、払ったでしょう。自分で拾っても、売れたはずの値段がある。そこを忘れると、儲けたつもりになるんだよ」
ユイナは布を広げた。折り目に沿って撫で、端を揃え、糸を通す。最初の針は、アンルシアが予想していたより深く入った。次の二針は浅い。違いを確かめようと身を寄せた時には、もう別の場所を縫っていた。
「そこ、少し影になる」
「あ、ごめんなさい」
アンルシアは椅子を引いた。玉座の前でも目を逸らさなかった人が、いまは自分より布を見ている。灯りを遮らない位置へ座り直す。その短い間にも、針は止まらなかった。
右手が抜くより先に、左の指が次の場所を送っている。糸の弛みが消える瞬間には、布の向きが変わった。指先が布へ触れる音が続き、針の銀色だけが細かく明滅する。何度か目で追ったアンルシアは、縫い目の一つを追い切るのを諦め、ユイナの両手を見るようになった。
急いでいる顔ではなかった。唇も肩も、いつも通りに緩んでいる。それでいて、手だけには休む隙がない。同じ動きを繰り返しているように見えた次の瞬間、糸を引く幅が変わり、布の膨らみがすっと収まった。
「一着」
アンルシアは、思わず壁の時計を見た。座ってから、三分ほどしか経っていない。
ユイナが布を持ち上げる。重みが均等に落ち、出来を調べると三つの星がついていた。アンルシアは触れてもいいかと聞き、頷かれて受け取った。指で裾をなぞる。雑に縫い飛ばした跡を探しているのだと気づいて、少し恥ずかしくなった。どこにも、見つからなかった。
その裾を卓へ置く頃には、二着目の脇が閉じられていた。
「もう、そこまで?」
「そこは同じ。次が、少し違う」
ユイナの指が、布の抵抗を測るように一度だけ留まった。針を浅く入れ直し、すぐに先へ進む。アンルシアには何が違ったのか分からないまま、二着目にも三つの星がついた。
三着目を縫い始めると、ダナンが空いた側へ回り込んだ。仕上がった二着を広げ、ユイナとは反対の側から縫い目を確かめる。ミトカが乾いた包みを持ってきて、セイルが折り方を教えた。
アンルシアは一着目を返した。見ていたかったのに、いつまでも持っていると、そこだけ仕事が止まってしまう。自分の手から離れた布が畳まれ、包みに収まる。その向こうで、もう最後の糸が結ばれた。
「これも三つ。三着、揃ったね」
ダナンが言った。アンルシアは時計へ目を戻した。まだ十分にもなっていなかった。
トビアがシェリルから受け取った札を、品名の見える向きにつける。小口の便に載せるのはポルテの役だった。
「次の工房へ持っていけばいいんだね」
「先方の受け取りも、忘れずに」
「分かってるって」
ポルテが包みを抱えて出ていくと、ユイナはようやく水を飲んだ。アンルシアは、空になった裁縫台から、棚に残る布へ目を移した。さっきは何日もかかる仕事に見えていた。それが今は、時間さえ渡せば順に服へ変わるものに見える。
シェリルが伝票を持ってきた。注文の代金の下から、三着分の素材代、道具に掛かった分、運ぶ者の報酬が引かれていた。
「一着で、だいたい百万ゴールド残る。今の仕入れと売値ならね」
「百万が、売る値段ではなくて?」
「払うものを払った後。星三つができた時の利益。時期が変われば、同じものを縫っても変わるよ」
アンルシアは三着分の数字へ目を落とした。約三百万。いま、隣に座っていた間の仕事だった。二億と聞いた時より、息を吸うのに時間がかかった。
「……三十着なら」
「全部、今日と同じにできたら、ね。買う人がいなければ、まだ布の代わりに服を持っているだけ」
ユイナは伝票の受け取り欄を指した。そこは、まだ空いていた。
「いつも三つとは限らない。二つ以下が増えたら、素材代で儲けが消えることもある。だから、この仕上がりを続けるのが仕事なんだよ」
アンルシアは、針を拭く小さな手を見た。戦う時には何度も助けられた手だった。その手が、自分の知らないところで、こんな速さで別のものを積み上げていた。
「あなたほど縫える人は、何人もいるの?」
「いたら、もっと仕事を分けられるんだけどね」
答えたのは、ダナンだった。
「勇者の盟友は一人でしょう。あの人と同じだけ遠くへ行って、珍しい素材を持ち帰って、使う側の注文まで分かる職人も、そうそういない」
「全部の職人を掛け持ちしていいって、各ギルドに認めてもらってるのも、そのせい。足りない仕事があるから」
ユイナは針入れを閉じた。
「でも、私が出かけるたびに止まったら困るでしょう。ほかの人にも作れるようになってほしい」
「教える時間も、隙間で?」
「……そこが、困ってる」
今度は、本当に困った顔だった。アンルシアは棚の布を見た。一時間半あれば三十着を縫える人が、その一時間半を持てずにいる。金額への驚きが少し静まると、そちらの方が胸に残った。
しばらくして、ポルテが受取札を持って戻った。ユイナは先方の確認の印を見てから、伝票をシェリルへ渡した。今日の仕事が、ひとつ終わったのだった。
奥から、今度はオーガの女性が顔を出した。
「リーダー、今夜の迷宮、僧侶いける?」
「私は魔法使いなんだけど」
「知ってる。でも僧侶いける?」
「いけるけど」
「じゃあ決まり」
「決めないで」
アンルシアは思わずユイナを見た。
「あなた、魔法使いではなかったの?」
「魔法使いだよ」
「でも、僧侶を頼まれているわ」
「チーム内では、できる職をやらされる」
「大魔王でも?」
「大魔王でも、回復役が足りなければ僧侶」
オーガの女性が頷く。
「ユイナは僧侶もうまいから」
「魔法使いの方が好きなんだけど」
「知ってる。でも僧侶が足りない」
「ラグナはいつもそれ」
ラグナは笑った。
「本来のチーム活動はこっちで回してるからね。リーダーが忙しい時は、こっちで勝手に行く。必要な時だけ捕まえる」
「捕まえるって言った」
「逃げるから」
ユイナは否定しきれなかった。
アンルシアは二人のやり取りを見ていた。勇者と盟友として戦う時、役割はもっと重かった。ここでは、好きな職でも肩書きでもなく、今夜足りない回復役が先に来る。
魔法使いのリーダーが僧侶として捕まり、社長ではないと抗議する者が社長と呼ばれる。本人が嫌がる王女さまという呼び名さえ、仕事の途中で飛んでくる。その乱雑さの中で、ユイナがいない日の冒険も商売も進んでいく。
妙に強い場所だった。ユイナだけを見ていたら、見落としていたかもしれない。
「僧侶の修業も、ちゃんとしたの?」
アンルシアが尋ねると、ユイナはまだラグナの去った方を見ていた。
「したよ。キリカ修道会で。ヘルガ様には、ずいぶん鍛えられた」
「厳しい方?」
「かがり火の石を取ってこいって、サブナックのところへ行かせるくらいには」
名前を口にすると、夢幻の森で聞いた低い唸り声よりも、後から種明かしをされた時の腹立たしさが戻ってきた。おばけキャンドルからでも取れたのだと、あの人は洗礼を終えてから教えたのだ。
魔界へ渡るより前、アズランで久しぶりに顔を合わせた時にも、ユイナはその話をした。ヘルガは買い物帰りで、片腕に紙包みを抱えていた。僧侶の試練を言い渡す時とは、ずいぶん違う姿だった。