勇者と大魔王の欲深い明日   作:折無堂

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第12話 女王からの返書

 そう思った時、入口の方で小さなざわめきが起きた。風待ち商会の者たちが、自然に道を空ける。先ほどまで勇者姫を囲もうとしていたプクリポたちも、今度は何も言わずに荷箱の脇へ下がった。アンルシアは振り返った。

 

 入口に、二人の竜族が立っていた。一人は男。背に大きな盾を負い、鎧には白い粉塵と乾いた泥がこびりついている。鱗の隙間に細かな砂が入り込み、長い道を抜けてきたことが一目で分かった。もう一人は女だった。外套の裾が裂け、腰には短い刃と縄、地図筒。片方の肩には、何度も折り畳まれた革袋が掛かっている。疲れているはずなのに、目だけは妙に冴えていた。

 

 ユイナが顔を上げる。

「ザイード。リュカナ」

 

 男の竜族が、短く頷いた。

 

「戻った、隊長」

「隊長でもない」

「現場で指示を出す者は隊長だ」

「毎回それ」

 

 女の竜族、リュカナが少しだけ笑った。

 

「今回は、隊長の親書の返事もある。呼び方くらいは我慢して」

「それは関係ある?」

「ある。たぶん」

 

 ユイナは諦めたように息を吐いた。アンルシアは二人を見た。

 

「竜族……?」

 

 ザイードがそこでようやくアンルシアに視線を向ける。

 

「勇者姫か」

 あまりにも淡々とした声だった。アンルシアは少し戸惑う。

 

「驚かないのね」

「隊長の周囲では、珍しくない」

「勇者が?」

「大魔王もいる」

 

 アンルシアは言葉に詰まった。リュカナが肩をすくめる。

 

「私たちは、込み入った話より道を開ける方が得意だから。勇者姫に会うより、抜けてきた迷宮の話を先にしたいわ」

「道を……」

「エクゼリアへ抜ける道よ」

 

 ユイナの目が、その言葉で少し鋭くなった。

 

「報告を聞かせて」

 

 風待ち商会の空気が変わった。

 シェリルは開いていた帳簿を閉じ、調査の控えを取り出した。ポルテは茶を置ける場所を探し、ガルドは入口の荷を壁際へ寄せる。雑談の終わりを誰かが命じたわけではなかった。帰ってきた二人の報告を聞くため、それぞれが自分の仕事を変えていた。

 

 ザイードは背負っていた盾を下ろし、丸めた地図を机の上へ広げた。入口の方で荷を預けていた二人も、濡れた外套を脱いで机へ来る。赤い小石を連ねた首飾りのオーガと、地図筒を両腕で抱えたエルフの女だった。

 

「オーグリード側の旧道入口から、大迷宮へ入った。『赤礫団』『灯渡り』『苔石の靴』と合同。苔石の靴は中層で撤退。他の二組はエクゼリア側まで同行した」

「戻ったなら、先に声を掛けてよ、ベリサ」

 

 ユイナが言うと、赤礫団の女戦士は首飾りを指で払った。

 

「先に濡れ物を預けろって、お前のところの倉庫番に止められた。正しいと思うよ。勇者姫の前で水を垂らしたくない」

 

 アンルシアへ会釈してから、ベリサは机の端へ小袋を置いた。中には鱗と、割れた牙が入っていた。

 

「ゴルムが拾ってきた。遠征代の足しにはなるか?」

「ゴルム、あの重い盾を直しながら、これまで拾ってたの?」

「どうぐ使いだからね。フェノが治療をして、ピトが魔物を引きつけてる間も、落ちた留め金を探してた。治療の邪魔だって叱られても、聞きやしない」

 

 ドワーフのどうぐ使いに、人間の僧侶とプクリポの旅芸人が振り回される。話を聞くユイナは、よく知る顔を思い浮かべるように笑った。文句を言う声にも、無事に戻った者への気安さがあった。彼女は鱗を一枚裏返した。

 

「これは買える。牙は二つ、内側まで割れてる。査定はシェリルとね」

「英雄様に高く買ってもらおうと思ったのに」

「英雄の財布も同じだから」

 

 ベリサは笑った。初めての取引ではないらしかった。

 

 エルフの女は、その横で乾いた布を敷いてから地図を広げた。灯渡りのイゼル、とユイナが紹介する。彼女のローブの袖口には、ユイナが自分の仕立てだと分かる、小さな縫い直しがあった。

 

「袖、まだ引っかかる?」

「いいえ。ただ、次は斥候のサージの分も頼みたい。ウェディでも、あの冷たい水に腰まで浸かるのは嫌だそうよ」

「通路が水没してたの?」

「水路を越えた先で、床が抜けた。ドーザが盾ごと支えてくれなかったら、サージは下まで落ちてたわ。あの人の腕力と、メリアの回復がなかったら、私たちも引き返してた」

 

 オーガのパラディンが踏ん張った場所に、細い線が足された。人間の僧侶が立てた灯りの位置も残っている。冒険者四人の名前が、道の曲がり方と結びついた。

 

「この地図、ほかの班にも渡してほしい」

 

 イゼルは紙をユイナへ押した。だが、手は離さなかった。

 

「ただし、写す時に灯渡りの名を消さないで。次の調査も頼むなら、地図の代金は討伐の報酬と別よ。測っている間、魔法使いの私が一人、攻撃から抜けるんだから」

「分かった。買った地図を、次の班へ渡せる条件で。間違いを直した人の名前も残す」

 そこで初めて、イゼルの指が紙から離れた。

「西側通路は崩落。人が一人ずつ抜けるのが限界」

 

 リュカナが地図の一点を押さえた。

 

「木の支えを入れたけど、長くはもたない。上からの圧が強い。鉄材が要る」

「東側は?」

「通れる。けれど、通れるだけ」

 

 ベリサが横から答えた。

 

「階段を上がったのに、同じ傷の柱へ戻った。二度目は違う道へ進んだつもりで、足元に穴があった。戦っている時より、戦い終わって急いだ時が危ない」

「苔石の靴は、その穴で?」

 

 ユイナが尋ねると、リュカナは頷いた。

 

「オルドが先を確かめて、キオルが荷を受け取った時に縁が崩れた。ルッカが縄を結んで引き上げたけれど、スイの腕が折れた。本人は治せると言ったわ。でも、僧侶が自分の痛みをこらえている隊を、奥には連れていけない」

 

 ドワーフのレンジャー、人間の戦士、プクリポのどうぐ使い、エルフの僧侶。シェリルが帰還の印をつけた四人の欄へ、ユイナは視線を落とした。

 

「戻る分の報酬は?」

「渡しました。オルドさんは入口の荷受けを続けたいと。深く潜らなくても引き受けられる仕事があるなら、その条件を聞きたいそうです」

「じゃあ、私から話す。踏破した人だけに払う仕事にはしない」

 

 アンルシアは、地図の穴へ置かれた指を見た。撤退した一組という言葉の中に、痛む腕があり、帰る判断があり、次に稼ぐ場所を探す者がいた。

 

「水場は二か所。一つは使える。もう一つは巣に近すぎる」

 

 ザイードが報告を続けた。リュカナは使える水場のそばに小さな丸をつけた。

 

「ここなら風も通る。最初の補給拠点を置ける。もう一か所、高い岩棚も見つけたけれど、そちらには水を運ぶ必要があるわ」

 

 ユイナは丸の間の距離を見てから、引き返すために残す食料を尋ねた。ベリサが数を答え、イゼルが一日分増やした。道を間違えず、魔物にも止められなかった場合の最短日数では、人を送れない。机に集まった者たちは、その一日分の重さを知っていた。

 

「親書は?」

 ザイードが封筒を取り出した。

 

「届けた。コゼット女王からの返書だ」

「女王?」

 

 アンルシアが聞き返した。リュカナが頷く。

 

「エクゼリア王国の女王。若いけど、言葉ははっきりしていた。こちらの意図も、かなり理解している」

 

 ユイナは封書を受け取り、封蝋を確かめた。

 

「コゼットが、女王に」

 

 声に感慨が混じった。アンルシアもその名を反芻する。

 

「コゼット……。さっき話していたロディア様と、何か関係があるの?」

「妹だよ。ロディアは世告げの姫たちの中心にいた人で、災厄の王を封じるために、他の姫たちと一緒に身を捧げた。だから、王位は妹のコゼットに移ったんだと思う」

「姉が世界のために身を捧げ、妹が王位を継いだのね」

「うん」

 

 アンルシアの表情が曇った。ユイナはその先を急がず、封書の端を指で撫でた。ロディアの不在が、ここでは女王の名と印になって届いている。

 

 封を切ると、女王としての正式な返書が現れた。紙も文面も驚くほど整っている。エクゼリアは、忘れられた小国のままで終わるつもりはない。その意思は、儀礼的な挨拶に続く具体的な条件に表れていた。

 

 通行権と大迷宮の安全調査、盆地側に置く仮設補給拠点。それぞれについて国側が認められる範囲を示し、将来の交易路整備にも触れている。

 

「条件付きで前向き、か」

 シェリルが横から紙を覗いた。

 

「通行権、調査権、それに盆地側の拠点。かなり大きな譲歩ですね。こちらの負担も、返書できちんと示さないと」

「エクゼリアも道が欲しいんだよ」

 

 ユイナは地図を見た。

 

「外へ開けば、人も物も入る。危険は増えるけど、選択肢も増える。忘れられた小国のままではいられないって、コゼットも考えてるんだろうね」

 

 そこで、目が止まった。正式な返書の末尾、儀礼的な結びのさらに下に、小さな追記があった。

 

 ユイナさんが来てくださるものと思っていました。

 

 女王の言葉というより、コゼット個人の声だった。ユイナが黙り込むと、アンルシアが覗き込んだ。

 

「どうしたの?」

「……怒ってる」

「誰が?」

「コゼット。女王としての文面はちゃんとしてるんだけど、最後に私信みたいな追記がある。ユイナさんが来てくれるものと思っていました、って」

 

 アンルシアは目を瞬かせた。

 

「それは……」

 

「ぷんすこしてる」

 

「ぷんすこ」

 

「かなり丁寧にぷんすこしてる」

 

「実際、少し不満そうだった」

 リュカナが口を挟んだ。

 

「リュカナ」

「顔には出していなかったわ。でも、返書を渡す時に一拍置いた」

 

 ザイードも頷いた。

「女王としては礼を尽くしていた。だが、個人としては隊長に来てほしかったのだろう」

 

 ユイナは額に手を当てた。

 

「うわあ」

「行ってあげればよかったのでは?」

 

 アンルシアは少し笑いそうになったが、ユイナがもう一度追記を読んだので、言葉を足すのをやめた。

 

「行きたかったよ。大魔瘴期とか闇の根源とか女神とか、こっちにもいろいろある。でも、そういう事情を抜きにしたら、私が行くべきだったのも分かるんだよね」

「ええ。それは、分かるわ」

 

 ロディアは身を捧げ、コゼットは国を継いだ。いま、その国を外へ開く話をユイナが持ちかけている。コゼットが本人に会いたいと望み、来なかったことを少し怒る権利くらいはある。

 

「返事を書く。正式な返答と、私信を分けて」

「謝るの?」

「謝る。あと、必ず行くと書く」

 

 アンルシアは目を細めた。

 

「本当に行けるの?」

「行く」

 

 今度は即答だった。ユイナは返書を折ろうとしかけ、その前にシェリルへ条件の箇所を示した。

 

「闇の根源の件を片づけてからになる。それは先に伝える。交易の話をするなら、女王本人に会わないといけないし、コゼットには、私から直接話したいこともある」

「そうね。待ってもらうなら、約束は曖昧にしない方がいいわ」

 

 ユイナは頷き、返書を丁寧に畳んだ。それから地図へ視線を戻す。ロディアが災厄を封じ、コゼットが継いだ国へ道を通す。その話を、恩だけで終わらせるつもりはなかった。

 

 アンルシアは、静かに言った。

 

「あなたは、その道を作ろうとしているのね」

「うん」

 

 ユイナは当然のように頷いた。

 

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