「レンダーシアにも、大地の箱舟を通したい」
アンルシアは一瞬、返事を忘れた。
「……鉄道?」
「うん。今の大迷宮は、道としては厳しい。でも、攻略班が通れるなら、まず情報が取れる。崩落箇所を補強して、魔物の出る区画を管理して、補給拠点を置く。そこから、将来的に鉄道を通す」
ユイナの指が、オーグリード側から大迷宮を抜け、盆地のエクゼリアへ、さらにレンダーシア側へと地図の上をなぞった。
「もともと地続きのオーグリードとレンダーシアを、鉄道で結ぶ。エクゼリアはその中継点になる。今は小国でも、駅と補給拠点を持てば立場が変わる」
「待って、ユイナ」
アンルシアは思わず口を挟んだ。
「あなた、今、国の未来をかなり大きく動かそうとしているわよね」
「交易路を整えたいだけだよ」
「それを国の未来を動かすと言うの」
「人と物が動けば、仕事が増える。素材も動く。職人も稼げる。冒険者も移動しやすくなる。エクゼリアにも恩が売れる」
「最後」
「大事」
ユイナは真顔だった。
「恩を売りたいだけではないよ。でも、恩は売れる時に売った方がいい」
アンルシアは額に手を当てた。
「あなた、王女様というより、すでに女王か何かじゃないの?」
ユイナの顔色が変わった。
「アンルシア」
「何?」
「それはだめだよ」
だが、もう遅かった。荷箱の陰から、ポルテが顔を出していた。
「女王様!」
「ポルテ!」
「女王様だ! 王女さまから出世した!」
「してない!」
「すごい! 鉄道女王様!」
「混ぜないで!」
ポルテは嬉しそうに奥へ駆けていく。
「みんなー! 王女さまが女王様になったー!」
「なってない!」
ユイナの叫びは、商会の奥から上がった笑い声に呑まれた。アンルシアは口元を押さえる。
「ごめんなさい」
「絶対にわざとでしょう」
「半分くらいは」
「アンルシア」
「だって、あなたがあまりにも当然のように国家間の交通網を考えるから」
「私は稼ぎたいだけだよ」
「それだけで小国の通行権と補給拠点と大陸間鉄道の話を進める人は、あまりいないわ」
「そうかな」
「そうよ」
リュカナが地図の端を押さえながら言った。
「隊長は、自分の稼ぎ口のつもりで、国をまたぐ道まで作ろうとするのね」
「リュカナまで」
「事実」
ザイードも短く頷いた。イゼルが地図の一番上へ筆を向ける。
「その前に、名前を決めない? 大迷宮、とだけ書いて渡すと、別の迷宮の依頼だと思って来る人がいるわ」
「エクゼリアへの洞窟?」
ユイナの案に、ベリサが顔をしかめた。
「着けるみたいで嫌だね。戻ってくる方が難しい穴もある」
「じゃあ、鉄道女王の――」
「リュカナ、それは採らない」
言い終わる前に止められ、リュカナは笑った。アンルシアは地図を見直した。上の通路が下の通路と重なり、下へ落ちた場所から、同じ柱の裏へ戻る。出口を目指している線が、何度も折り返していた。
「ずいぶん、折れているのね。道が」
「千回くらいね」
ベリサが言うと、イゼルは筆先を止めた。
「
ザイードは一度その名を口にし、頷いた。
「急いで真っすぐ進む者には、いい戒めになる」
「地元に昔からの名があったら、そっちも聞こう。今は私たちの調査名で」
ユイナが答えると、イゼルは地図の上へ『千折れの大迷宮』と書いた。立派な名がついても、穴が埋まるわけではない。乾くのを待つ間、ベリサはもう次の遠征の食料を数えていた。
地図の名が乾くと、イゼルは写しをシェリルへ渡し、ベリサと一緒に査定の机へ移った。ザイードは残った地図へ指を置いた。
「エクゼリア側は、次の調査団を受け入れる構えだ。だが、荷を通すには収納術が要る」
ユイナの目が動いた。
「やっぱり?」
「やっぱりだ」
ザイードは言った。
「今の大迷宮は長すぎる。装備、回復薬、予備武器、食料、照明、ロープ、地図、解除道具。全部を持つと動きが鈍る。帰りは素材も増える」
リュカナが続ける。
「それまで、私は収納術はいらないと思っていた。荷物は持てばいい。足りなければ減らせばいい。でも、エクゼリア交易を考えるなら、それでは足りない」
「ササラナさんとトートさん?」
「仲介を頼みたい」
ザイードは、はっきりと言った。
「ラッカランのササラナによる装備ぶくろ拡張。ジュレットのトートによるどうぐ袋拡張。攻略班にも必要だ」
ユイナは少しだけ笑った。
「分かった。話を通す」
アンルシアは二人の竜族を見て、それから地図へ目を戻した。女神へ向かう前に、小国への親書、鉄道、大迷宮の補強。それだけでも大きな話なのに、いまは装備ぶくろとどうぐ袋に行き着いている。
寄り道に見える。けれど、通路の幅と持ち運べる荷の量を聞いたあとでは、関係がないとも言えなかった。エクゼリアへの交易も、いつかレンダーシアへ延ばす鉄道も、まず誰かがそこへ着き、必要なものを届けるところから始まる。
フィネトカへ行く自分たちの旅も、荷物も準備も要らないわけではない。ユイナが道と呼んでいるものは、地図の上の線より、ずっと手触りが多かった。
「アンルシア」
ユイナが、ふとこちらを見た。
「ついでだから、アンルシアも受けなよ」
「……私も?」
「うん。収納術の基礎になるし、戦闘技術にも応用できる。言ったでしょ。私の武器の持ち替えは、収納術の応用だよ」
「でも、私は」
「剣以外も使えた方がいい。盾の持ち替えも瞬時にできる。まずは基礎がないとね」
アンルシアは、断ろうとして言葉を飲み込んだ。ザイードが言う。
「勇者姫。大迷宮では、荷物を持てる者が生き残る」
リュカナも頷いた。
「出すのに手間取らなければ、傷を負った仲間にも早く薬を渡せる。運ぶだけでは足りないのよ」
アンルシアは静かに息を吐いた。
「……分かったわ」
ユイナが満足そうに頷く。
「よし。じゃあ、ラッカランとジュレットだね」
「フィネトカの前に?」
アンルシアは、少しだけ不安を隠せなかった。ユイナはそれを見逃さなかった。
「アンルシア、不安?」
「ええ」
アンルシアは正直に頷いた。
「あなたがどう戦ってきたかの一端を見られるのはいい。けれど……」
「こんな事をしている場合ではない?」
言葉の先を読まれ、アンルシアは少しだけ目を見開いた。
「そうね」
ザイードが短く言った。
「勇者姫は、隊長よりずっと真面目だな」
リュカナも感心したように頷く。
「さすが勇者ですね」
「もう、二人とも私をなんだと思って!」
ユイナは腰に手を当てた。真面目に心配しているアンルシアを前に、自分ばかり遊んでいるように言われるのは心外だった。
「隊長」
「鉄道女王様」
「リュカナ!」
「大魔王」
「ザイードまで!」
アンルシアは思わず笑いそうになった。
頬を膨らませて二人を見ていたユイナも、アンルシアの口元が緩んだのを見て、抗議をやめた。茶化されることには慣れているし、本気で怒ってはいない。ただ、笑いかけた目に不安が残っていることは、流すつもりがなかった。
地図へ視線を落とす。オーグリードから大迷宮を抜けてエクゼリアへ、そこからレンダーシアへ伸びるはずの道。指先が途中で止まった。
奥では荷札を貼り直す音がし、ポルテが茶器を鳴らした。シェリルのめくる帳簿の音まで聞こえるほど、この机を囲む者たちは黙っていた。
「でもね、アンルシア」
「何?」
アンルシアは背筋を伸ばした。ユイナは地図から目を上げ、こちらの顔を確かめている。職人の計算でも、からかわれた不満でもない話をしようとしていた。
「あいつ、ビビっているよ」
空気が変わった。ザイードとリュカナの茶化しが消える。
「ジャゴヌバ」
その名を聞いた瞬間、二人の竜族の目つきが変わった。ザイードが低く問う。
「理由は」
「全部自分でできるはずなのに、まだ配下を使っている」
ユイナは地図の上に指を置いたまま言った。
「自分が闇の根源だと疑っていない。復活すれば単独で世界を滅ぼせると思っている。なのに、ピュージュも、冥王も、教祖さまも、使っているし、器も必要としている」
アンルシアは、会ったこともないのに、と言いかけて止まった。
ユイナは大魔王で、ジャゴヌバに選ばれた者でもある。冥王を倒した後には、その意思から破邪舟で逃れたと聞いていた。自分がまだ見ていない敵の顔を、ユイナは知っているのかもしれない。アンルシアは先を待った。
「必要がないなら、使わないはずなんだよ」
ユイナの声は静かだった。
「自分だけで完結しているなら、誰かを器にしようとしない。配下の働きに頼らない。だから、あいつは失敗を恐れている。逃げられることを恐れている。自分だけでは届かないものがあると、どこかで知っている」
リュカナが、ふっと笑った。
「でも、それを“ビビっている”で片付けるのはユイナだけだよ」
「分かりやすいでしょう?」
「分かりやすくはない」
ザイードも頷いた。
「普通は、闇の根源の戦略、または復活前の制約と考える」
「それもあると思うよ」
「では、なぜビビっていると?」
「その方が、あいつの腹が立つと思うから。私も腹を立ててるしね」
ユイナは即答した。アンルシアは目を瞬かせる。
「あなたも、腹が立つの?」
「うん。あいつ、全部自分の闇に還るとか言うでしょう。でも実際には、他人の仕事を使っている。配下の働きも、器の価値も、自分の力みたいな顔をしている」
ユイナの指が、地図の端を押さえた。声が少し冷えた。
「そういうの、嫌なんだよね」
リュカナは肩をすくめた。
「闇の根源を相手に、仕事の手柄の話をするのもユイナだけだと思う」
「大事でしょ」
「大事かもしれない」
ザイードが静かに言った。
「だが、侮ってはいないのだな」
「もちろん」
ユイナは頷いた。
「今までの敵より強いのは間違いない。まともにぶつかれば、たぶん勝てない」
「なら」
「だから、まともにぶつからない」
アンルシアは地図の上の手を見た。オーグリードからエクゼリアへ、さらにレンダーシアへ伸びる道。ユイナは世界の上にも、戦いの中にも、自分が通れる道を作ろうとしている。
フィネトカの前にラッカランとジュレットへ行く。収納術を学び、利害のある相手にも会う。それは寄り道ではなかった。必要な準備であり、ユイナがどう戦うかを知るための道だった。