ササラナの部屋を出ると、アンルシアは奥の扉へ目を向けた。さっきユイナが説明してくれた通りなら、ゴーレックはそのすぐ向こうにいる。
「では、このままゴーレック様に会うのね」
「ううん。先にランプ錬金ギルドへ行く」
ユイナは迷いなく廊下を戻り始めた。アンルシアは一拍遅れてついていく。
「すぐそこなのに?」
「すぐそこだけど、先にヴェキオさん」
「理由は」
ザイードが尋ねると、ユイナは振り返った。
「ゴーレックさんに会う前に、話の形を整えたい」
ユイナはササラナの方を見た。
「今、ササラナさんに収納術を見せてもらった。大迷宮を越えるためには、これは必要になる。初期のエクゼリア交易は、凄腕の冒険者に頼ることになるから」
「それは分かったわ」
アンルシアは頷く。
「でも、なぜランプ錬金ギルドへ?」
「収納術だけでは足りないから」
ユイナは言った。
「大迷宮を通るなら、耐性装備が要る。混乱、封印、毒、呪い、転び、即死。何が来るか分からない場所では、装備の性能と錬金が生死を分ける」
アンルシアは、自分の新しいミニュアデスの盾を思い出した。混乱と封印に備えた盾を渡したのと同じ目で、ユイナは大迷宮を通る人たちの装備を見ている。
「それで、ランプ錬金なのね」
「ヴェキオさんに聞いておきたいんだ。遠征用の耐性装備を、どこまで現実的な費用で揃えられるか。大迷宮輸送に向いた錬金は何か。それに、ギルドとしても協力してもらえないかなって」
「ゴーレック様に投資をお願いする前に?」
「金を出してください、だけでは弱い」
ユイナは奥の扉を見た。近くにいるからこそ、整わないまま持ち込む気にはなれないらしかった。
「ゴーレックさんなら、お金を出すかどうかだけはすぐ決められると思う。でも、それだけじゃ続かない。人と技術が要るんだよ」
彼女はササラナの場所へ軽く目をやった。
「収納術に、ヴェキオさんのランプ錬金。攻略班の踏破能力、エクゼリアの通行権、それを結ぶ風待ち商会の物流。そこまで組み合わせて初めて、鉄道の前段階になる」
リュカナが頷いた。
「金だけでは、大迷宮は越えられない」
「そう」
ユイナは少し笑った。
「でも、金がないと越える準備もできない」
アンルシアはユイナと奥の扉を交互に見た。近い順に訪ねているのではない。収納術を見て、遠征装備の目途を立て、それから金を出す相手に会う。話が一つずつ具体的になるまで待つのも、商人の仕事なのだろう。
「その順番なら、ゴーレック様には、何にお金を使うかまで話せるのね」
「うん。ただの投資話ではなくなる」
アンルシアは、今度は納得して扉に背を向けた。
「あなた、本当に商人なのね」
「職人でもあります」
「大魔王でもあるわ」
「今それいる?」
「いるわ」
ユイナは少しだけ嫌そうな顔をした。ザイードは奥の扉を一瞥した。
「金主を待たせるのか」
「待たせるというほど約束の時刻は決めてないよ」
「なら問題ない」
リュカナは少し笑った。
「先にヴェキオを見るのは賛成。耐性錬金は大迷宮では必要だ。道具袋が広がっても、中身が間違っていれば死ぬ」
「そういうこと」
アンルシアは二人を見る。
「あなたたちは、本当に実務で考えるのね」
「道を開ける係だから」
リュカナは、さっきと同じことを言った。
「それに」
ユイナは少しだけ目を逸らした。
「ヴェキオさんとは、少し話しておきたい」
「投資のために?」
「それもある」
「他には?」
「ただ、話したい」
アンルシアは意外そうにした。
「あなたが?」
「うん」
ユイナは短く答えた。
「ヴェキオさんは、軽そうに見えるけど、職人として見ているものがある。ランプ錬金は、腕があっても運に振り回される仕事だから」
「運と、失敗……」
「世界を救う話ばかりしていると、そこを忘れそうになるんだよね」
アンルシアは返事をしかけてやめた。大きな役目の話なら、失敗しないでほしい、で終わってしまう。けれどユイナは、失敗を知る相手と話したがっている。彼女の視線は、もうゴーレックの扉ではなく、通りへ続く廊下に向いていた。
「だから先に、ヴェキオさんに会う」
「どんな方なの?」
アンルシアが問うと、ユイナは少しだけ考えた。
「ぱっと見は変わっているけど、良い人だよ」
ザイードが無表情で言った。
「隊長と同じか」
リュカナが少し笑った。
「隊長と同じね」
「なんでよ!」
ユイナが抗議する。
「私はそこまで変わってない」
ザイードは何も言わなかった。リュカナも何も言わなかった。アンルシアは、少し慣れてきたせいか、思わず笑ってしまった。
「アンルシアまで」
「ごめんなさい。でも、今のは少し」
「少し?」
「分かってしまったわ」
「ひどい」
ユイナは不満そうに頬を膨らませたが、そのままラッカランの通りへ歩き出した。
ランプ錬金ギルドには、鍛冶場の熱気とも裁縫場の静けさとも違う緊張があった。ランプの光が揺れ、香料と金属と魔力の匂いが混じる。机ごとに素材と装備が並び、職人たちは真剣な顔でランプを覗き込んでいた。
誰かの手が止まるたび、アンルシアもついそちらを見る。成功か、失敗か。大成功を願ったところへ、誰にも読めないパルプンテが来るかもしれない。何かが起こる直前の息詰まる気配を、ひときわ明るい声が突き破った。
「ウェ~イ!」
奥から、明るすぎる声が飛んできた。
「来てくれてサンキューでぇーす! オレはこのランプ錬金ギルド……いや、ラン錬ギルドのマスター、ヴェキオどぅえ~す!」
アンルシアは足を止めた。ザイードは眉間にしわを寄せた。リュカナは、こらえきれなかったように少し笑った。ユイナだけは慣れていた。
「こんにちは、ヴェキオさん」
「おっ、ユイナちゃん! 今日もゲキマブじゃーん!」
「その呼び方はやめてください」
「えー、マジ照れ? ラン錬メインにしてくれてもいいんだぜ? ついでにオレと一杯やろうべ?」
「裁縫がメインです。あと飲みません」
「つれねー!」
アンルシアはそっとユイナに顔を寄せた。
「この方が、本当にランプ錬金ギルドのマスターなの?」
「うん。本当に」
ユイナは動じなかった。冗談でも、紹介の手違いでもないらしい。アンルシアはヴェキオの顔へ視線を戻し、ようやく「……そう」と答えた。
ザイードが低く言った。
「軽いな」
「軽く見えるだけ」
ユイナは小声で返す。リュカナはまだ少し笑っていた。
「私は嫌いじゃない」
「リュカナはこういうの平気だよね」
「迷宮の魔物よりは話が通じる」
「比較対象」
その時、ヴェキオがアンルシアに気づいた。
「おお? まさかの勇者サマじゃん! ちょりーっす!」
「ちょ、ちょりー……」
「アンルシア、真似しなくていい」
「ええ、しないわ」
ヴェキオは笑いながらユイナの顔を見ていたが、その目が来客四人をひと渡り確かめると、挨拶の調子を一段落とした。
「で、ユイナちゃん。今日は冷やかしじゃないっしょ?」
「少し、奥で話せますか。かなり真面目な話です」
「オッケー。ちょい奥入るわ。いつもの依頼は回しといてー」
受付へ軽く手を振ると、「はい、マスター」と返事が来た。職人たちは仕事の手順を止めず、必要な依頼書だけを脇へよける。アンルシアはそれを見届けてから、彼についていった。
軽い人ではある。その印象は変わらなかった。ギルドの者たちは彼を軽んじていない。グランゼドーラにも、笑いながら場を回す者はいた。重々しく振る舞わないことと、責任が軽いことは別なのだ。