勇者と大魔王の欲深い明日   作:折無堂

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第17話 高等な協調なんだわ

 奥の部屋は、表の派手さに比べれば落ち着いていた。壁には依頼書と素材表、相場を書いた紙が貼られている。棚には錬金ランプが並び、そのいくつかには修理の跡があった。失敗品らしき装備も、ただ捨てられずに保管されている。ヴェキオは椅子に腰を下ろし、足を組んだ。

 

「で、勇者サマ連れてくるくらいの話って、何?」

 声はまだ軽い。けれど、目はもう笑っていなかった。ユイナは正面に座る。

 

「ヴェキオさん個人ではなく、ランプ錬金ギルドにも話があります」

「お、マジでデカいやつじゃん」

「オーグリードからエクゼリアを抜けて、レンダーシアへつなぐ道を整えます」

「鉄道の話か」

 

 ヴェキオはすぐに言った。ユイナは少し目を細める。

 

「もう聞いていますか」

「ラッカランで金と道の話をすると、だいたい耳に入るんだわ」

「なら話が早いです」

「でも、ラン錬が何するわけ?」

 

 ユイナは地図を広げた。

 

「初期は鉄道ではなく、攻略班と小規模交易で道を作ることになります。大迷宮を通るなら、耐性装備が必要です」

 

 ユイナの指が、大迷宮の線をなぞる。

 

「混乱、封印、毒、呪い、転び、即死。場所ごとの危険を見て、遠征者用の標準錬金を組みたい」

 

 ヴェキオは口笛を吹き、地図の脇へ相場の紙を引き寄せた。

 

「標準錬金ねえ」

「一品物の理論値ではありません。数を揃えたいんです」

「分かってる。冒険者向けの高額品じゃなくて、遠征隊が死なないための実用品。ラン錬ギルドに持ってくる話としては、かなりマジじゃん」

 

 机を叩く指が、地図と相場の間で止まった。ザイードはその先にある大迷宮の線を見ている。

 

「必要だ。耐性があるかどうかで、踏み込める場所も判断も変わる」

「収納術で運ぶ量だけ増やしても、装備そのものが悪ければ意味がないからね」

 

 リュカナが続けると、ヴェキオは「だよなあ」と答えた。声の軽さを残したまま、彼の手は既に仕事に必要な紙を選んでいた。

 

「乗るよ」

 

 ユイナは少し意外そうにした。

 

「早いですね」

「ラン錬ギルドがやらなきゃ誰がやんのって話だし」

 

 ヴェキオはランプの縁を撫でた。

 

「ただし、条件がある」

「何ですか」

「無茶な数値を最初から求めないこと。理論値じゃなくて、死なない装備を作ること。あと、失敗品の扱いをちゃんと決めること」

 

「失敗品」

 アンルシアが小さく呟いた。ヴェキオは彼女を見る。

 

「ラン錬には失敗があるんだよ、勇者サマ。どれだけ腕があっても、最後に女神が笑わないことがある」

「女神……」

「幸運の女神ってやつ」

 

 ヴェキオは少しだけ笑った。

 

「そこを隠すと、ろくなことにならねえ」

 

 ユイナが静かに言った。

「マルコさんのことですか」

 

 ランプの縁を撫でていた指が止まった。アンルシアはその動きで、今の名前がどれほど近いところにあるのかを知った。

 

「……師匠の話か。勇者サマの前でする話としては、あんまキレイじゃねーけど」

 

 軽く流そうとした語尾だけが、いつもの調子を保っていた。ユイナは頷き、先を急かさずに待つ。アンルシアも椅子に座り直した。

 

「聞きます」

 

 ヴェキオは彼女の顔を見てから、ランプへ目を落とした。

 

「マルコは、オレの師匠だった。腕はあった。知識もあった。けど、ある時から幸運の女神に見放された」

 

 彼はランプを見た。

 

「依頼は来るんだよ。昔の名前でさ。でも、結果が出ない。失敗が続く。客は待ってる。金も動いてる。期待だけが残る」

 

 アンルシアは黙って聞いていた。

 

「それで、詐欺を?」

「した」

 

 ヴェキオはごまかさなかった。

 

「悪いことだよ。そこは言い訳しねえ。でも、オレはそれでも、師匠をただ切れなかった」

 

 ユイナが引き取る。

 

「だから、ヴェキオさんは勝負の形にしたんです」

「ユイナちゃんが代理で出てくれてな」

 

 ヴェキオは少し笑った。

 

「マルコが勝てば一億ゴールド。こっちが勝てば詐欺から足を洗う。まあ、今考えてもマジでイカれてる条件だよな」

「イカサマも仕込まれていましたけど」

「そこは師匠も師匠で、往生際が悪かった」

「それで、どうなったの?」

 

 アンルシアが尋ねると、ユイナは妙な顔をした。誇らしげでも、苦しそうでもない。説明する側に回るたび、困る話らしかった。

 

「勝負は、マルコさんの勝ちに見えました。ところが、隕石が落ちてきて」

「……隕石?」

「錬金ランプに衝突して、パルプンテでレアドロップ百倍がついたんです」

 

 アンルシアは続きを待った。それで説明が終わりらしいと分かってから、問い直した。

 

「何を言っているの?」

「私も当時そう思ったよ」

 

 ヴェキオが腹を抱えて笑った。先ほど止まったままだった指も、今は机を叩いている。

 

「あれはマジでラン錬マジパネェっしょだったわ!」

「笑いごとですか?」

「笑うしかねえって。幸運の女神が、隕石ぶん投げてきたんだぜ?」

 

 ザイードは眉をひそめた。

 

「神官としては、女神の扱いに異議がある」

「比喩だって、比喩」

 

 リュカナは少しだけ笑った。

 

「でも、勝ったんだ」

「勝った」

 ユイナは頷く。

 

「マルコさんは負けを認めて、詐欺から足を洗うと約束しました」

 

 アンルシアはヴェキオを見た。今も軽い人に見えるし、実際に笑っている。だからこそ、師匠の詐欺を「した」と言い切った時の声が残った。罪をなかったことにはしない。失敗に追い詰められた理由も見捨てない。その上で、もう一度職人の勝負の場へ引き戻した人なのだ。

 

 許せではない。理解しろでもない。理由を見誤るな。ユイナが以前言った言葉を思い出したが、いま目の前で笑うヴェキオが、きれいな見本に収まるわけでもないだろう。師匠をただ切れなかった、と彼は言った。その未練まで含めて、ここにいる。

 

「だから」

 ヴェキオは話を戻した。

 

「遠征者用の標準錬金をやるなら、失敗品の扱いを決める。成功品は遠征隊へ。微妙な品は予備や訓練用へ。危ない失敗品は流さない。失敗を隠さない。そこまで含めて仕組みにする」

 

 ユイナは真剣に頷いた。

 

「できますか」

「できるようにする」

 

 ヴェキオは笑った。

 

「女王サマの鉄道計画だろ? 半端な仕事はできねーじゃん」

「女王様じゃない!」

 

 ユイナが即座に抗議した。アンルシアは、そこで小さく笑ってしまった。

 

「やっぱり、ユイナ」

「何?」

「あなた、王女というより、女王様よ」

「だからそれはもうやめてよ。ポルテがまた言うじゃない」

 

「でも、そう見えるもの」

「見えない」

「見えるわ」

「見えないことにして」

 

 ヴェキオが横から笑った。

 

「女王サマでいいじゃん。鉄道通して、ギルド巻き込んで、金持ち口説きに行くんだろ? それで女王サマじゃないって方が無理あるっしょ」

「私はもっと稼ぎたいだけです」

「女王サマ、言い訳が商人なんよ」

 

 リュカナが小さく吹き出した。ザイードでさえ、少しだけ口元を動かした。ユイナは不満そうにしながらも、地図の下から二枚の紙を出した。

 

「では、女王様でない方の名前で、お願いを出します。書きかけで持ってきたので、いま決めたところを直させてください」

「ギルドとしての依頼書ね。口約束だけで動かすにはデカいから、助かるわ」

 

 宛先は、ランプ錬金ギルド、マスター・ヴェキオ。ユイナは試作の依頼と、完成品をまとめて仕入れる相談を分けた。試作費は自分が出す。量産の数と納期は、試験と出資の目途が立ってから別に決める。まだ来ていない金を当てにして、職人へ一式を作らせることにはしなかった。

 

「失敗したら、その分を職人の自腹にしない。ここも入れて」

 

 ヴェキオが言う。ユイナは試作費の欄へ筆を戻した。

 

「決めた材料と回数までは、結果にかかわらず払う。それを越えそうなら、続ける前に相談。これでどうですか」

「オッケー。結果を隠すより、途中で言った方が得になるようにしとかないとね」

 

 ユイナは一枚目に『風待ち商会代表 ユイナ』と署名した。試作費を引き受ける二枚目には、肩書きをつけず自分の名を書いた。乾かした二枚を、両手でヴェキオへ渡す。

 

 彼は署名のところで、紙を少し持ち上げた。

 

「大魔王陛下の命令書じゃないんだ」

「商会の装備の依頼です。魔界のお金を使う話ではありません」

「エテーネの王女サマでもなく?」

「その名前なら断りにくくなる人がいるでしょう。条件が合わなければ、断ってください。私の試作費も、王国からは出ません」

 

 ヴェキオはからかう言葉を続けかけ、やめた。二枚を揃え、依頼を受けた日と自分の名を書き入れる。

 

「じゃあ、商会のユイナさん。ギルドとして受け取った。控えも持って帰って」

「急に普通に呼ばないでください。変な感じがする」

「どっちでも文句言うじゃーん」

 

 彼は笑い、戸口から受付を呼んだ。ランプを置いて来た二人の職人に、受け取った依頼書を見せる。

 

「最初は混乱と封印。頭と体の組み合わせで、どこまで揃うかを出して。毒や呪いまで一着で全部、はやらない。区画に合わせて替える方も考える」

「納品数は、まだ空欄ですが」

「今は試作だから。材料を押さえる前に、使う分をここへ書いて。転びみたいにツボの方の仕事が要るところは、オレからポーリアちゃんに話す。勝手にこっちだけで揃う約束はしないでね」

 

 若い職人が赤い札を取り、試作品の棚へ置いた。

 

「基準に届かなかったものは、ここですか」

「うん。ただ、危ない品と、耐性が足りないだけの品は分ける。次の人が札を読まずに着ても分かるように、棚も分けよう。失敗の記録は、オレが見る」

 

 言われた職人は、置いたばかりの札を二つに分けた。もう一人は作業台へ戻り、今受けている依頼の順を確かめている。書面がヴェキオの手に渡っただけで、机と棚の使い方が変わった。

 

 アンルシアは、ユイナが受け取った控えへ目をやった。署名の名前は短い。その名前で誰に何を頼み、どこまで払うかは、短く済ませていなかった。

 

「あと、ゴーレックさんにもちゃんと話を通しな。ラッカランで大きな金と人を動かすなら、あの人を飛ばすのはナシ」

「そのつもりです」

「だよな」

 

 ヴェキオは椅子にもたれた。

 

「で、ユイナちゃん」

「はい」

「難しい話はここまでにしてさ。ラン錬メインにする気、ホントにない?」

「所属替えはしませんよ」

 

「いやいや、そういう意味じゃなくてさ。オレとしては、ユイナちゃんがうちをメインって言ってくれたらアガるじゃん?」

「ただの口説き文句ですね」

「つれねー。じゃあ、せめて今度一杯どうよ」

「それ、まだ言う?」

「言うっしょ。言わなきゃ始まんないし」

 

 ユイナは少しだけ笑った。

 

「そこはユービアに義理立てしてんの?」

「義理だけで、こんなに縫いませんよ」

 

 ユイナは自分の指先を見てから、少し声を和らげた。

 

「でも、最初の針をくれた人ですから。ジュレットへ行くなら、顔を見たいですね」

「そっか。じゃ、よろしく言っといて。ラン錬には口説かれたけど、ちゃんと断ったって」

「ご自分で言えばいいでしょう」

「ユイナちゃんから言う方が効くじゃん」

 

 ヴェキオは悪びれず笑った。

 

「でも、ユイナは裁縫がメインなのでしょう?」

 

 笑いの切れ目を待って、アンルシアが尋ねた。

 

「ランプ錬金ギルドで、そこまで自由に話せるものなの?」

「普通は難しいかも。私は普通ではないので」

「自分で言うのね」

「事実だから」

 

 ユイナは今度は逃げなかった。ヴェキオも笑いながら、机の上の書類を揃える。

 

「勇者サマ、ユイナちゃんはちょっと別枠なんよ。裁縫だけじゃなく、鍛冶も錬金も、道具も調理も、あちこちで実績出してる。しかも盟友で、英雄で、職人で、商人で、王女サマで」

 

「王女さまはやめて」

 

「じゃあ女王サマ?」

 

「もっとやめて」

 

「とにかく、ギルドとしては無視できねーの。所属がどうこうじゃなく、ユイナちゃんが動くと素材も職人も客も動く。うちをメインって言ってくれたら、ラン錬の格も上がるんだけどなー」

 

「もう十分上がっているでしょう」

「もっと上げたいじゃん?」

「欲張りですね」

「職人ギルドのマスターなんて、みんな欲張りだって」

 

 アンルシアは改めてユイナを見た。自分にとっては勇者の盟友であり、魔界では大魔王。エテーネの民で、王女と呼ばれると本気で嫌がり、商人として地図を広げる。その上、いくつもの職人ギルドが同時に彼女を欲しがっている。肩書きのどれかを聞けば残りも分かる、という人ではなかった。

 

「あなた、本当に肩書きが多すぎるわ」

「好きで増やしているわけじゃないよ」

「でも、増えているわ」

「それはそう」

 

 ユイナがヴェキオへ振り返る。

 

「今度、1対1じゃなくてもいいなら、合コンやってもいいよ」

 アンルシアが固まった。

 

「ごうこん?」

「世界を救ったらね」

 

 ユイナは、にこりと笑った。その笑顔は、職人の顔でも商人の顔でも、大魔王の顔でもなかった。少しだけ悪くて、少しだけ明るい、いつものユイナの顔だった。ヴェキオは目を丸くし、それから腹を抱えて笑った。

 

「やっぱユイナちゃんサイコーだわ。俺もうベタぼれ」

「よく言うよ」

 

 ユイナも笑った。アンルシアは、まだ少し戸惑っていた。

 

「ユイナ」

「何?」

「今のは、どういう意味なの?」

「社交」

「本当に?」

「たぶん」

 

 ヴェキオが親指を立てる。

 

「勇者サマ、合コンってのはな、世界が平和になった後にやるべき高等な協調なんだわ」

 

「協調をそういう使い方にしないでください」

 

 アンルシアは真顔で言った。ユイナは笑いをこらえきれなかった。

 

 笑いながらも、アンルシアは、世界を救ったらという約束の前提を忘れられなかった。ジャゴヌバも、大魔瘴期も、何一つ片づいていない。

 

 ヴェキオは未来の席を一つ取り、ユイナは本気でふざけた約束を返した。鉄道や遠征装備の話とは違う軽さで、その日まで生きるつもりの人がいる。アンルシアはまだ「合コン」をどう受け取ればよいか決めかねたまま、二人と一緒に笑った。

 

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