奥の部屋は、表の派手さに比べれば落ち着いていた。壁には依頼書と素材表、相場を書いた紙が貼られている。棚には錬金ランプが並び、そのいくつかには修理の跡があった。失敗品らしき装備も、ただ捨てられずに保管されている。ヴェキオは椅子に腰を下ろし、足を組んだ。
「で、勇者サマ連れてくるくらいの話って、何?」
声はまだ軽い。けれど、目はもう笑っていなかった。ユイナは正面に座る。
「ヴェキオさん個人ではなく、ランプ錬金ギルドにも話があります」
「お、マジでデカいやつじゃん」
「オーグリードからエクゼリアを抜けて、レンダーシアへつなぐ道を整えます」
「鉄道の話か」
ヴェキオはすぐに言った。ユイナは少し目を細める。
「もう聞いていますか」
「ラッカランで金と道の話をすると、だいたい耳に入るんだわ」
「なら話が早いです」
「でも、ラン錬が何するわけ?」
ユイナは地図を広げた。
「初期は鉄道ではなく、攻略班と小規模交易で道を作ることになります。大迷宮を通るなら、耐性装備が必要です」
ユイナの指が、大迷宮の線をなぞる。
「混乱、封印、毒、呪い、転び、即死。場所ごとの危険を見て、遠征者用の標準錬金を組みたい」
ヴェキオは口笛を吹き、地図の脇へ相場の紙を引き寄せた。
「標準錬金ねえ」
「一品物の理論値ではありません。数を揃えたいんです」
「分かってる。冒険者向けの高額品じゃなくて、遠征隊が死なないための実用品。ラン錬ギルドに持ってくる話としては、かなりマジじゃん」
机を叩く指が、地図と相場の間で止まった。ザイードはその先にある大迷宮の線を見ている。
「必要だ。耐性があるかどうかで、踏み込める場所も判断も変わる」
「収納術で運ぶ量だけ増やしても、装備そのものが悪ければ意味がないからね」
リュカナが続けると、ヴェキオは「だよなあ」と答えた。声の軽さを残したまま、彼の手は既に仕事に必要な紙を選んでいた。
「乗るよ」
ユイナは少し意外そうにした。
「早いですね」
「ラン錬ギルドがやらなきゃ誰がやんのって話だし」
ヴェキオはランプの縁を撫でた。
「ただし、条件がある」
「何ですか」
「無茶な数値を最初から求めないこと。理論値じゃなくて、死なない装備を作ること。あと、失敗品の扱いをちゃんと決めること」
「失敗品」
アンルシアが小さく呟いた。ヴェキオは彼女を見る。
「ラン錬には失敗があるんだよ、勇者サマ。どれだけ腕があっても、最後に女神が笑わないことがある」
「女神……」
「幸運の女神ってやつ」
ヴェキオは少しだけ笑った。
「そこを隠すと、ろくなことにならねえ」
ユイナが静かに言った。
「マルコさんのことですか」
ランプの縁を撫でていた指が止まった。アンルシアはその動きで、今の名前がどれほど近いところにあるのかを知った。
「……師匠の話か。勇者サマの前でする話としては、あんまキレイじゃねーけど」
軽く流そうとした語尾だけが、いつもの調子を保っていた。ユイナは頷き、先を急かさずに待つ。アンルシアも椅子に座り直した。
「聞きます」
ヴェキオは彼女の顔を見てから、ランプへ目を落とした。
「マルコは、オレの師匠だった。腕はあった。知識もあった。けど、ある時から幸運の女神に見放された」
彼はランプを見た。
「依頼は来るんだよ。昔の名前でさ。でも、結果が出ない。失敗が続く。客は待ってる。金も動いてる。期待だけが残る」
アンルシアは黙って聞いていた。
「それで、詐欺を?」
「した」
ヴェキオはごまかさなかった。
「悪いことだよ。そこは言い訳しねえ。でも、オレはそれでも、師匠をただ切れなかった」
ユイナが引き取る。
「だから、ヴェキオさんは勝負の形にしたんです」
「ユイナちゃんが代理で出てくれてな」
ヴェキオは少し笑った。
「マルコが勝てば一億ゴールド。こっちが勝てば詐欺から足を洗う。まあ、今考えてもマジでイカれてる条件だよな」
「イカサマも仕込まれていましたけど」
「そこは師匠も師匠で、往生際が悪かった」
「それで、どうなったの?」
アンルシアが尋ねると、ユイナは妙な顔をした。誇らしげでも、苦しそうでもない。説明する側に回るたび、困る話らしかった。
「勝負は、マルコさんの勝ちに見えました。ところが、隕石が落ちてきて」
「……隕石?」
「錬金ランプに衝突して、パルプンテでレアドロップ百倍がついたんです」
アンルシアは続きを待った。それで説明が終わりらしいと分かってから、問い直した。
「何を言っているの?」
「私も当時そう思ったよ」
ヴェキオが腹を抱えて笑った。先ほど止まったままだった指も、今は机を叩いている。
「あれはマジでラン錬マジパネェっしょだったわ!」
「笑いごとですか?」
「笑うしかねえって。幸運の女神が、隕石ぶん投げてきたんだぜ?」
ザイードは眉をひそめた。
「神官としては、女神の扱いに異議がある」
「比喩だって、比喩」
リュカナは少しだけ笑った。
「でも、勝ったんだ」
「勝った」
ユイナは頷く。
「マルコさんは負けを認めて、詐欺から足を洗うと約束しました」
アンルシアはヴェキオを見た。今も軽い人に見えるし、実際に笑っている。だからこそ、師匠の詐欺を「した」と言い切った時の声が残った。罪をなかったことにはしない。失敗に追い詰められた理由も見捨てない。その上で、もう一度職人の勝負の場へ引き戻した人なのだ。
許せではない。理解しろでもない。理由を見誤るな。ユイナが以前言った言葉を思い出したが、いま目の前で笑うヴェキオが、きれいな見本に収まるわけでもないだろう。師匠をただ切れなかった、と彼は言った。その未練まで含めて、ここにいる。
「だから」
ヴェキオは話を戻した。
「遠征者用の標準錬金をやるなら、失敗品の扱いを決める。成功品は遠征隊へ。微妙な品は予備や訓練用へ。危ない失敗品は流さない。失敗を隠さない。そこまで含めて仕組みにする」
ユイナは真剣に頷いた。
「できますか」
「できるようにする」
ヴェキオは笑った。
「女王サマの鉄道計画だろ? 半端な仕事はできねーじゃん」
「女王様じゃない!」
ユイナが即座に抗議した。アンルシアは、そこで小さく笑ってしまった。
「やっぱり、ユイナ」
「何?」
「あなた、王女というより、女王様よ」
「だからそれはもうやめてよ。ポルテがまた言うじゃない」
「でも、そう見えるもの」
「見えない」
「見えるわ」
「見えないことにして」
ヴェキオが横から笑った。
「女王サマでいいじゃん。鉄道通して、ギルド巻き込んで、金持ち口説きに行くんだろ? それで女王サマじゃないって方が無理あるっしょ」
「私はもっと稼ぎたいだけです」
「女王サマ、言い訳が商人なんよ」
リュカナが小さく吹き出した。ザイードでさえ、少しだけ口元を動かした。ユイナは不満そうにしながらも、地図の下から二枚の紙を出した。
「では、女王様でない方の名前で、お願いを出します。書きかけで持ってきたので、いま決めたところを直させてください」
「ギルドとしての依頼書ね。口約束だけで動かすにはデカいから、助かるわ」
宛先は、ランプ錬金ギルド、マスター・ヴェキオ。ユイナは試作の依頼と、完成品をまとめて仕入れる相談を分けた。試作費は自分が出す。量産の数と納期は、試験と出資の目途が立ってから別に決める。まだ来ていない金を当てにして、職人へ一式を作らせることにはしなかった。
「失敗したら、その分を職人の自腹にしない。ここも入れて」
ヴェキオが言う。ユイナは試作費の欄へ筆を戻した。
「決めた材料と回数までは、結果にかかわらず払う。それを越えそうなら、続ける前に相談。これでどうですか」
「オッケー。結果を隠すより、途中で言った方が得になるようにしとかないとね」
ユイナは一枚目に『風待ち商会代表 ユイナ』と署名した。試作費を引き受ける二枚目には、肩書きをつけず自分の名を書いた。乾かした二枚を、両手でヴェキオへ渡す。
彼は署名のところで、紙を少し持ち上げた。
「大魔王陛下の命令書じゃないんだ」
「商会の装備の依頼です。魔界のお金を使う話ではありません」
「エテーネの王女サマでもなく?」
「その名前なら断りにくくなる人がいるでしょう。条件が合わなければ、断ってください。私の試作費も、王国からは出ません」
ヴェキオはからかう言葉を続けかけ、やめた。二枚を揃え、依頼を受けた日と自分の名を書き入れる。
「じゃあ、商会のユイナさん。ギルドとして受け取った。控えも持って帰って」
「急に普通に呼ばないでください。変な感じがする」
「どっちでも文句言うじゃーん」
彼は笑い、戸口から受付を呼んだ。ランプを置いて来た二人の職人に、受け取った依頼書を見せる。
「最初は混乱と封印。頭と体の組み合わせで、どこまで揃うかを出して。毒や呪いまで一着で全部、はやらない。区画に合わせて替える方も考える」
「納品数は、まだ空欄ですが」
「今は試作だから。材料を押さえる前に、使う分をここへ書いて。転びみたいにツボの方の仕事が要るところは、オレからポーリアちゃんに話す。勝手にこっちだけで揃う約束はしないでね」
若い職人が赤い札を取り、試作品の棚へ置いた。
「基準に届かなかったものは、ここですか」
「うん。ただ、危ない品と、耐性が足りないだけの品は分ける。次の人が札を読まずに着ても分かるように、棚も分けよう。失敗の記録は、オレが見る」
言われた職人は、置いたばかりの札を二つに分けた。もう一人は作業台へ戻り、今受けている依頼の順を確かめている。書面がヴェキオの手に渡っただけで、机と棚の使い方が変わった。
アンルシアは、ユイナが受け取った控えへ目をやった。署名の名前は短い。その名前で誰に何を頼み、どこまで払うかは、短く済ませていなかった。
「あと、ゴーレックさんにもちゃんと話を通しな。ラッカランで大きな金と人を動かすなら、あの人を飛ばすのはナシ」
「そのつもりです」
「だよな」
ヴェキオは椅子にもたれた。
「で、ユイナちゃん」
「はい」
「難しい話はここまでにしてさ。ラン錬メインにする気、ホントにない?」
「所属替えはしませんよ」
「いやいや、そういう意味じゃなくてさ。オレとしては、ユイナちゃんがうちをメインって言ってくれたらアガるじゃん?」
「ただの口説き文句ですね」
「つれねー。じゃあ、せめて今度一杯どうよ」
「それ、まだ言う?」
「言うっしょ。言わなきゃ始まんないし」
ユイナは少しだけ笑った。
「そこはユービアに義理立てしてんの?」
「義理だけで、こんなに縫いませんよ」
ユイナは自分の指先を見てから、少し声を和らげた。
「でも、最初の針をくれた人ですから。ジュレットへ行くなら、顔を見たいですね」
「そっか。じゃ、よろしく言っといて。ラン錬には口説かれたけど、ちゃんと断ったって」
「ご自分で言えばいいでしょう」
「ユイナちゃんから言う方が効くじゃん」
ヴェキオは悪びれず笑った。
「でも、ユイナは裁縫がメインなのでしょう?」
笑いの切れ目を待って、アンルシアが尋ねた。
「ランプ錬金ギルドで、そこまで自由に話せるものなの?」
「普通は難しいかも。私は普通ではないので」
「自分で言うのね」
「事実だから」
ユイナは今度は逃げなかった。ヴェキオも笑いながら、机の上の書類を揃える。
「勇者サマ、ユイナちゃんはちょっと別枠なんよ。裁縫だけじゃなく、鍛冶も錬金も、道具も調理も、あちこちで実績出してる。しかも盟友で、英雄で、職人で、商人で、王女サマで」
「王女さまはやめて」
「じゃあ女王サマ?」
「もっとやめて」
「とにかく、ギルドとしては無視できねーの。所属がどうこうじゃなく、ユイナちゃんが動くと素材も職人も客も動く。うちをメインって言ってくれたら、ラン錬の格も上がるんだけどなー」
「もう十分上がっているでしょう」
「もっと上げたいじゃん?」
「欲張りですね」
「職人ギルドのマスターなんて、みんな欲張りだって」
アンルシアは改めてユイナを見た。自分にとっては勇者の盟友であり、魔界では大魔王。エテーネの民で、王女と呼ばれると本気で嫌がり、商人として地図を広げる。その上、いくつもの職人ギルドが同時に彼女を欲しがっている。肩書きのどれかを聞けば残りも分かる、という人ではなかった。
「あなた、本当に肩書きが多すぎるわ」
「好きで増やしているわけじゃないよ」
「でも、増えているわ」
「それはそう」
ユイナがヴェキオへ振り返る。
「今度、1対1じゃなくてもいいなら、合コンやってもいいよ」
アンルシアが固まった。
「ごうこん?」
「世界を救ったらね」
ユイナは、にこりと笑った。その笑顔は、職人の顔でも商人の顔でも、大魔王の顔でもなかった。少しだけ悪くて、少しだけ明るい、いつものユイナの顔だった。ヴェキオは目を丸くし、それから腹を抱えて笑った。
「やっぱユイナちゃんサイコーだわ。俺もうベタぼれ」
「よく言うよ」
ユイナも笑った。アンルシアは、まだ少し戸惑っていた。
「ユイナ」
「何?」
「今のは、どういう意味なの?」
「社交」
「本当に?」
「たぶん」
ヴェキオが親指を立てる。
「勇者サマ、合コンってのはな、世界が平和になった後にやるべき高等な協調なんだわ」
「協調をそういう使い方にしないでください」
アンルシアは真顔で言った。ユイナは笑いをこらえきれなかった。
笑いながらも、アンルシアは、世界を救ったらという約束の前提を忘れられなかった。ジャゴヌバも、大魔瘴期も、何一つ片づいていない。
ヴェキオは未来の席を一つ取り、ユイナは本気でふざけた約束を返した。鉄道や遠征装備の話とは違う軽さで、その日まで生きるつもりの人がいる。アンルシアはまだ「合コン」をどう受け取ればよいか決めかねたまま、二人と一緒に笑った。