ランプ錬金ギルドを出ると、ラッカランの人波が先ほどとは違って見えた。カジノのざわめきに、コロシアムへ急ぐ足音が重なる。メダルを握って館へ行く冒険者も、職人の包みを抱える者も、それぞれ欲しい物へ向かっている。その流れを、この島の主は作ったのだ。
「では、次はゴーレック様ね」
「うん。やっと、ただ『鉄道に投資してください』ではなくなった」
ユイナはまとめた資料を抱え直した。アンルシアの頭には、収納術と遠征装備、攻略班とエクゼリアの通行権が、ばらばらの話ではなく並んでいた。
「それに、ラッカランの冒険者経済も入るのね」
「ゴーレックさんに話すなら、そこまで揃えた方がいい」
ザイードは道の先にある館を見た。金だけで大迷宮を越えることはできない。それを身をもって知る二人が、今度は金を動かす相手に会いに行く。
リュカナが「道を整える話には、あの人が要る」と言い、ユイナは同意して歩き出した。
メダル・オーナーの館は、相変わらず静かに賑わっていた。カジノのような騒がしさはない。だが、人は途切れない。冒険者たちが小さなメダルを持ち込み、交換品を見比べ、誰かが隊長ウェルナーの方へ討伐報告に向かっている。アンルシアは、それを見て足を緩めた。
「本当に、不思議な仕組みね」
「メダル?」
「ええ。討伐の実績を報告して、メダルを受け取る。そのメダルを、ここで品物に替える」
「ゴールドではないけど、価値がある」
ユイナは言った。
「ゴーレックさんが交換品を用意し続ける限り、冒険者はメダルを欲しがる。討伐も探索も、報酬に変わる」
「通貨に近い、という話ね」
「うん。少なくとも冒険者相手には」
アンルシアは少し考え込んだ。
「国ではないのに、国に近いことをしているのね」
「だから、ゴーレックさんはただの金持ちじゃない」
ユイナは奥へ視線を向ける。
「冒険者を動かす仕組みを持っている人だよ」
受付の近くにいたクラノッホが、ユイナに気づいて顔を上げた。
「これはユイナ様。お戻りでしたか」
「様いらないです。ゴーレックさんにお会いできますか」
クラノッホは、ユイナの後ろにいるアンルシアを見て、わずかに目を見開いた。だが、すぐに姿勢を正す。
「勇者姫様もご一緒で」
「急なお願いになってしまって、ごめんなさい」
アンルシアが丁寧に頭を下げると、クラノッホはさらに深く礼を返した。
「いえ。オーナーは、ユイナ様がいらっしゃれば取り次ぐようにと申しております」
「だから様は」
「承知しております、ユイナ様」
「承知してない」
リュカナが小さく笑った。クラノッホは表情を崩さないまま、奥へと手を差し出した。
「こちらへ。オーナーは執務室におります」
「執務室?」
アンルシアが少し意外そうに聞いた。
「はい。表のお部屋では、来客も多うございますので」
クラノッホは静かに言った。
「大きなお話は、そちらで」
ゴーレックの執務室には、分厚い絨毯と磨かれた机があった。壁の絵画も、宝飾を施した小箱も、見知らぬ地方の陶器も、安価な品とは思えない。アンルシアは、それらを飾る手間に劣らない注意が、机の上にも払われていることに気づいた。
広げられたラッカランの地図には、カジノ、コロシアム、メダル・オーナーの館、駅、職人ギルド、住宅地の間を結ぶ細い線がある。人の流れを記したものらしい。別の卓には交換品の一覧、小さなメダルの流通量、討伐報告の集計、冒険者の来島数、カジノの収支までが束ねてあった。
派手な調度を見た後では、その冷静な数字がかえって目を引いた。趣味の部屋でもあるのだろう。けれど、ここでは実際に島が動かされている。アンルシアは地図へ寄りすぎていたことに気づき、一歩戻って姿勢を正した。
「ようこそ」
奥の椅子から、ゴーレックが立ち上がった。
「ユイナさん。勇者姫様。そして、竜族のお二方」
大きな体に、穏やかな笑み。だが、その目は部屋の数字と同じように、静かに人を見ていた。
「急な訪問をお許しください」
アンルシアが礼をすると、ゴーレックはゆったりと首を振った。
「勇者姫様がこの島へいらっしゃるなど、そうあることではありません。自分としては、歓迎するほかありませんな」
「自分としては」という、どこか独特な言い方が耳に残った。アンルシアが顔を上げると、ゴーレックはゆったり笑い、彼女たちへ席を勧めていた。
「さて、ユイナさん。クラノッホから、鉄道の話と聞いております」
「はい」
ユイナは地図を広げた。
「エクゼリア王国への親書は返答を得ました。通行権と調査権、盆地側の仮設補給拠点について、条件付きで前向きです」
「エクゼリア」
ゴーレックはその名を繰り返した。
「忘れられた小国、ですな」
「忘れられたままでは終わらないと思います」
ユイナは答えた。
「オーグリードから大迷宮を抜け、エクゼリアを中継し、レンダーシアへつなぐ。最初は鉄道ではありません。凄腕の冒険者による小規模交易と調査です」
ザイードが一歩前に出る。
「大迷宮は通行可能。ただし西側通路は崩落。東側は通れるが、魔物が増えている。補給拠点候補は二か所。水場は一つ使える」
リュカナが地図の一点を示した。
「荷を通すには収納術がいる。ササラナの装備ぶくろ拡張と、ジュレットのトートによるどうぐ袋拡張。攻略班にも必要」
「遠征者用の標準錬金も、ランプ錬金ギルドに話を通しました」
ユイナが続ける。
「ヴェキオさんは協力の意思あり。ただし、理論値ではなく死なない装備。失敗品の扱いも仕組みにする必要がある、と」
ゴーレックは椅子に座り直した。相槌を急がず、二人の竜族が示した箇所と、ユイナの資料を照らし合わせる。
「エクゼリアの通行権。攻略班。収納術。ランプ錬金。風待ち商会の物流。そして、自分の資金ですな」
「はい。レンダーシアに、大地の箱舟を通したい」
アンルシアは地図を見たまま、その言葉を聞いた。最初に聞いた時のような驚きはない。目の前にはもう、崩れた通路も使える水場も、遠征装備の条件も置かれている。ユイナが望んでいるものは大きいままだが、本気でそこへ届こうとしている手順が見え始めていた。
ゴーレックはしばらく地図を見ていた。
「道が通れば、価値が生まれる」
彼は静かに言った。
「価値が生まれれば、人が集まる。人が集まれば、金も動く」
ゴーレックの指が、ラッカラン島の地図の上を滑った。
「自分は、そういう場所を作るのが好きでしてな」
ユイナは黙って聞いていた。
「何もなかった小島に、カジノを置き、コロシアムを置き、メダルの仕組みを置いた。冒険者が来る理由を作り、また外へ出る理由も作る」
ゴーレックは、ユイナの地図へ視線を移した。
「あなたの鉄道計画は、それに似ています」
「似ていますか」
「ええ。今は通りにくいだけの大迷宮に、意味を与えようとしている。忘れられた小国に、中継点としての価値を与えようとしている。人と物の流れを作り、その流れから金を生もうとしている」
ゴーレックは微笑んだ。
「実に面白い」
アンルシアは息をついた。ゴーレックは、金額の話に入る前に、ユイナが作ろうとしている流れを捉えている。だが、彼の指が大迷宮の線で止まると、声は低くなった。
「ただし、これは安い話ではありませんな。時間もかかる。危険も大きい。補給拠点を作り、冒険者を送り込み、やがて鉄道へ至る前に、頓挫する可能性もある」
「あります。今、通れる道が、そのまま線路になるわけでもありません」
ユイナは資料を引っ込めなかった。ゴーレックが彼女を見る。
「それでも自分に持ってきた。なぜです?」
ユイナは、一度だけ考える間を置いた。
「ゴーレックさんは、お金を持っているだけではないからです」
「ほう」
相手の目が細くなっても、ユイナは言葉を飾り直さなかった。
「この島には、冒険者を集める仕組みがあります。小さなメダルもそうです。討伐実績を報酬に変え、交換品を用意し、冒険者にまた旅へ出る理由を作っている」
アンルシアは表の部屋で見た冒険者たちを思い出していた。ゴールドでなくても、望む品に替えられるならメダルを集める。その信用を支えるのは、ゴーレックが交換品を用意し続けることだ。地図の線だけでは人が歩かない、というユイナの話が、先ほどの光景につながった。
「鉄道にも、それが必要です」
ユイナは続けた。
「線路だけでは、人は動きません。乗る理由、荷を運ぶ理由、途中で金を落とす理由、危険区間を整える冒険者を動かす理由。それを作れる人が必要です」
「自分に、それをやれと」
「一緒にやってほしいんです」
ゴーレックは、しばらくユイナを見ていた。やがて、ゆっくりと笑った。
「なるほど。あなたは自分を、ただの財布としては見ていない」
「財布としても見ています」
ユイナは即答した。アンルシアが思わず咳き込んだ。
「ユイナ」
「大事なことなので」
ゴーレックは声を上げて笑った。
「正直ですな」
「嘘をつくと後で面倒です」
「それは良い」
ゴーレックは机の上の別の紙を取り上げた。
「自分は、あなたのことを以前から見ております。もちろん、勇者の盟友としてだけではありません」
「職人として、ですか」
「ええ」
職人として見ている、と言われたユイナの指が、資料の端をきちんと揃えた。褒められる準備をしているようにも、値踏みを受ける覚悟を決めたようにも見えた。
「新しい装備が世に出る時。冒険者が一斉に装備を求め、素材が跳ね、職人たちが針を折る。その時のあなたは、実によく稼ぐ」
「そうなの?」
アンルシアが振り向くと、ユイナは隠すほどのことではないという顔を作った。作った分だけ、照れが見えた。
「タイミングが大事だからね。そこで稼ぐための準備はしてるよ」
ゴーレックは続ける。
「あなたは、金儲けだけをするには、あまりにも忙しすぎますな。冒険者であり、職人であり、商人であり、勇者の盟友であり、今は大魔王でもある」
「大魔王は好きでやっているわけでは」
「存じております」
ゴーレックは穏やかに言った。
「しかし、もしあなたが金稼ぎだけをやったなら」
彼は少しだけ間を置いた。
「いずれ、自分を超えてしまうでしょうな」
絨毯の上では椅子の軋みすら小さかった。アンルシアは、いま聞いた名前とユイナの顔をゆっくり結びつけた。
「ゴーレック様を?」
「瞬間的には、という意味です。資産総額の話じゃなくて」
ユイナは慌てて補った。否定しきらないところに、職人としての自負が残っている。
「新装備が世に出た時の爆発力、という意味ですな。一日で数億ゴールドを動かすことも、不可能ではないでしょう」
「一日で、数億……ユイナ」
「職人なので」
「それで済ませないで」
「でも、職人として稼いだ分だよ」
今度はユイナも少し胸を張った。ゴーレックはその反応を楽しむように笑い、地図へ視線を戻した。
「あなたは、価値が生まれる瞬間を知っている。新しい装備が出る時、需要が一斉に生まれる。あなたはその瞬間を見て、素材を集め、職人として作り、市場へ出す」
彼の指が、エクゼリアの地図へ移る。
「鉄道も同じです」
「同じ?」
「道が通る瞬間、価値が生まれる。今は忘れられた盆地の小国でも、駅ができ、荷が動き、人が通れば、値段がつく。仕事が生まれる。土地の意味が変わる」
ゴーレックはユイナを見る。
「あなたは、それを分かっている。だから、自分のところへ来たのでしょう」
ユイナは息をつき、頷いた。欲しい利益も、その利益が生まれる場所も、ここでは隠す必要がない。
「よろしい。出しましょう」
言葉はあっさりしていた。アンルシアは思わず顔を上げる。
「よろしいのですか?」
「儲かる可能性がある。島の外へ新しい人の流れを作れる。冒険者も動く。自分にとっても、断る理由がありません」
「条件は」
ユイナが間を置かず尋ねた。ゴーレックは、そこまで聞かれて初めて満足したように微笑んだ。
「当然あります」
「第一に、ラッカランを中継の一つに入れること。収納術、ランプ錬金、メダル制度、冒険者の募集。この島を通す意味を残してください」
ユイナは資料の余白に書き込んだ。線路を島へ曲げろというだけの話ではない。人と技術が集まる窓口を、事業の中に確保したいのだ。
「第二に、エクゼリア王国への敬意を失わないこと。中継点として使うだけでは、長く続きません」
「分かっています。通行権も補給拠点も、あの国の返事を受けて進めます」
「第三に、風待ち商会だけで抱え込まないこと。大きくなりすぎる話です。多くの者を利害関係者にしなさい」
アンルシアはユイナの書く手を見た。ササラナ、ヴェキオ、ザイードとリュカナ、エクゼリア。それに、これから会うリーネ。既に何人もの事情が組み込まれている。それでもまだ足りないと、島一つを動かしてきた人が言っている。
「第四に」
ゴーレックは少し笑った。
「自分にも、十分に儲けさせること」
「そこはもちろんです」
ユイナは即答した。アンルシアは頭を押さえた。
「二人とも、そこは本当に迷わないのね」
「迷うところではありません」
ゴーレックは真面目に言った。
「利益がなければ、事業は続きません」
「そういうところ、ユイナと同じことを言うのですね」
「光栄ですな」
「私は少し複雑です」
ユイナが言うと、ゴーレックはまた笑った。
「では、正式な契約は後ほどクラノッホに草案を用意させましょう。隊長ウェルナーにも、大迷宮調査に向けた冒険者募集の形を考えさせます」
「ありがとうございます」
ユイナは深く頭を下げた。アンルシアもそれに倣う。
「ゴーレック様」
「何でしょう、勇者姫様」
「あなたは、世界が危うい時でも、こうして投資を決めるのですね」
ゴーレックは目を細めた。危機を知らないから楽観しているのか、という問いには受け取らなかったらしい。
「世界が危うい時だからこそ、ですな。人は、不安になると金を止めます。だが、金が止まれば仕事が止まる。仕事が止まれば、人が動かなくなる。人が動かなくなれば、助かるものも助からない」
アンルシアは頷いた。ユイナも言っていた。世界が滅ぶかもしれない時だからこそ、動かすべき金があると。けれどこの部屋で聞くと、表で交換品を待つ人の列や、机の集計の一枚ずつまで、その言葉の中に入ってくる。
「ユイナと同じことを言うのですね」
「ユイナさんが、自分と同じことを言ったのでしょう」
「そうかもしれません」
「私が先に言いました」
ユイナが不満そうに割り込んだので、ゴーレックは声を出して笑った。
「では、そういうことにしておきましょう」
部屋を出る時、アンルシアはもう一度机を見た。ラッカランの地図の隣に、エクゼリアへの道と、レンダーシアへ伸びるはずの線が残されている。
廊下では、呼ばれたウェルナーがクラノッホから紙を受け取っていた。ユイナを見ると、隊長は先に地図を求めた。
「人を募る前に、どこまで行かせるのか確かめたい。今の討伐報告にある迷宮と、この千折れの大迷宮は同じ場所でいいのか」
「同じです。調査名を決めたところで」
「なら、札にも旧道入口からの位置を書く。名前だけ立派にして、違う穴へ行かれては困る」
彼は机へ紙を置き、討伐用の書式から『討伐対象』だけを残して書き直し始めた。同行日数、持てる荷の重さ、治療と罠の知識。途中で引き返す時の合流場所も、地図と同じ印にした。
「クラノッホ。エクゼリアの許可の写しは?」
「調査と通行の範囲だけ、別紙にいたします。建設の許可はまだ出ておりません」
「よし。採集も勝手にはさせない。ユイナさん、報酬の案を明日までに。達成時だけでなく、何日働き、どこまで戻ればいくらかが要る」
「入口を守る人にも、帰りを待つ分は払いたいです」
「その人を今から減らしては、戻る者が困るからな」
ウェルナーは書き終えた札を受付へ持っていった。冒険者の一人が、報酬欄の空白を見て眉を上げる。
「金額は?」
「まだ出発の募集ではない。条件を聞きたい者の名を預かる。決まったものを読んでから、受けるか断るか選べ」
「俺は、読み書きが得意じゃない」
「なら、ここで読む。分からないまま名前だけ書かせる気はない」
その声で、通り過ぎかけたドワーフが戻ってきた。魔物を倒す数なら多くないが、坑道の支柱を見る仕事をしていたという。後ろからは、大盾を背負った女が、治療役と組めるのかと尋ねる。
ユイナは二人のために脇へよけた。さっき部屋で結んだ話が、自分の知らない人の予定へ入り始めている。すぐに皆を連れていけるのではない。条件を作るために、まず話を聞く相手が増えたのだった。