勇者と大魔王の欲深い明日   作:折無堂

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第19話 限定弁当と賢者の眼

 昼前のラッカラン駅には、行く人と帰る人が入り交じっていた。カジノ帰りの冒険者が壁に背を預ける脇を、コロシアムへ急ぐ者が通る。メダルの交換品を包んだ袋も、ランプ錬金ギルドの印のある包みも見えた。出資の話を終えたユイナも、その流れに加わったと思うと、迷わず売店へ寄った。

 

「これ、一つください」

「はいよ。勝負師の宝箱弁当、一つね」

 

 アンルシアは、包まれた弁当を見た。

 

「勝負師の宝箱……?」

「ラッカラン限定」

「限定なのね」

「限定に弱い人がいるから」

 

 ユイナが受け取った弁当は、箱まで妙に凝っていた。小さなメダルを模した焼き印。カジノチップのような丸い飾り。中身はまだ見えないが、明らかに観光客と冒険者の財布を狙っている。その時だった。

 

「なんと!」

 

 聞き覚えのある声に、ユイナが振り返った。賢者ホーローだった。アンルシアにも、もちろん面識がある。ルシェンダが集めた叡智の冠の一人であり、アストルティアの歴史と異変を見渡す賢者。その人が、売店の札の前で立ち尽くしていた。

 

「これはいかん。ラッカラン限定弁当が、売り切れておるではないか」

 

 勝負師の宝箱弁当、本日分売り切れ。店員が置いたばかりの札を、ホーローはまじまじと見ている。アンルシアも札を読み、それからユイナの手元を見た。

 

「……本当に、駅弁を買っていらっしゃるのね」

「ね。言ったでしょう」

「聞いてはいたわ。でも、実際に見ると……叡智の冠の賢者が、限定弁当を前にここまで肩を落とすとは思わなかったわ」

「ホーロー様だから」

「それで済ませていいの?」

「だいたい済むよ」

 

 ホーローの視線が、ゆっくりユイナの手元へ移った。

 

「おぬし、その手にあるものは何じゃ」

「お昼ごはんです」

「わしの弁当を!」

「私、いつもホーロー様に買われているので」

「ぐぬぬ……」

 

 悔しがるホーローを前に、ユイナは包みを背へ隠すでもなく持っていた。見せているのだ。アンルシアは、それにも驚いた。世界の異変を語る席で知る賢者と、この老人が同じ人であることは分かる。分かるのだが、二人の遠慮のなさについていくには、少し時間が必要だった。

 

「ホーロー様。このような場所で、何をなさっているのですか」

「弁当を買いに」

 

「いえ、そうではなく」

「もちろん、光の河の様子も見ておる」

 

 答えながらも、ホーローの目は売店を離れなかった。やがて諦めたように肩を落とし、店員へ向き直る。

 

「では、いつもの弁当をひとつ」

「はい、ホーロー様。いつものですね」

「いつもの……」

 アンルシアが呟く。

 

 ユイナが声を落とした。

 

「だいたい、どこの駅でも買ってるよ。売店の人も覚えてるくらい」

 

 その言葉を証明するように、ホーローは注文した弁当を手慣れたやり取りで受け取った。それでようやく売店から注意が離れたらしい。改めてアンルシアを見て、眉を上げる。

 

「おお、勇者姫ではないか。ほっほ、珍しい組み合わせじゃのう」

「ご無沙汰しております、ホーロー様」

 

 アンルシアが頭を下げると、ホーローは満足げに頷いた。

 

「うむうむ。勇者姫も、弁当の大切さを学びに来たのかの?」

「違います」

 

 ユイナが即答した。

 

「ホーロー様こそ、こんなところで遊んでいていいんですか。ルシェンダ様にちくりますよ?」

「なんと!」

 

 ホーローは目を見開いた。

 

「それはいかん。ルシェンダ様に知られると、また小言が長い」

「やっぱり遊んでいたんですね」

「違うぞい。わしもこうして、光の河の様子を見ておるのじゃ」

「弁当を買いながら?」

「観察には腹ごしらえが必要じゃ」

 

 リュカナが小さく笑った。

 

「説得力はないけれど、否定もしきれない」

 

 ザイードは黙っていたが、顔には少しだけ呆れが見えた。

 

 

 大地の箱舟が静かに走り出した。窓の外を駅の柱が流れ、やがて海と島影、その先に架かる橋が見えた。アンルシアは、初めてではない景色を、座席へ収まるのも忘れて見つめた。

 

 鉄道を延ばす、と地図の上で語った線に、今は自分の体重が載っている。人と荷を運ぶ道は、景色の中にあるだけでなく、こうして揺れや音を伴って働いていた。

 

「やっぱり」

 ユイナが、小さく呟いた。

 

「エテーネ王国にも通したいなあ」

 

 アンルシアは振り向いた。

 

「大地の箱舟を?」

「うん。内海側は難しいけど。技術的にも、政治的にも、採算的にも」

「それでも考えるのね」

「橋が架かっているのを見るとね」

 

 腰を下ろしてからも、アンルシアは時折向かいのホーローを見た。世界の異変を語り、必要な時に現れ、ルシェンダとともに大きな流れを見ている人。その手が今は弁当の紐に苦心している。

 

「ユイナ。あなたの知っている賢者たちは、みんなこうなの?」

「みんなではないと思う。ルシェンダ様は、駅弁で肩を落としたりはしないし」

「それは分かるわ」

「でも、たぶん別のところで変です」

「否定できないのが困るわ」

 

 ホーローは向かいの席で弁当の包みを開いていた。

 

「おぬし、また面倒なことを考えておるのう」

「ホーロー様に言われたくありません」

 

「ほっほ。面倒なことを考えるのが賢者の務めじゃ」

「私は職人です」

「盟友であり、商人であり、職人であり、エテーネの民でもある。忙しい娘じゃのう」

 

 ホーローは卵焼きをつまみながら言った。

 

 ユイナは答えず、膝の上の弁当を持ち直した。アンルシアには、彼女が次に口にする言葉の見当がついた。先ほどまで肩書きを並べて笑っていたのに、その一つをこの人へ伝えるとなると、すぐには出てこないらしい。

 

「ホーロー様。報告していないことがあります」

 

「なんじゃ」

 

 箸が止まった。問い返す声も姿勢も大きくは変わらない。それでもホーローの関心が、包みからユイナへ移ったのが分かった。

 

「私、大魔王になりました」

 

 ホーローはしばらく彼女を見た。驚きの大きさを言葉にする代わりに、低く息をつく。

 

「……おぬしは、本当に、行く先々で面倒ごとを背負うのう」

「好きでなったわけではありません」

 

「分かっておる」

 即答だった。ユイナは少しだけ目を上げた。ホーローは弁当を脇へ置いた。

 

「大魔王になったということは、魔界の玉座に座ったということじゃな」

「はい」

「勇者姫」

 

 ホーローはアンルシアを見た。

 

「おぬしは、それを知っておるのじゃな」

「はい」

 アンルシアは頷いた。

 

「最初は、剣を向けました」

「ほう」

「でも、今はこうして一緒にいます」

「ならば、わしがここで騒ぐことではあるまい」

 

 ホーローは静かに言った。

 

「ただし、ユイナ」

「はい」

「大魔王とは、肩書きだけではない。人の目も、魔の目も、歴史の目も変わる。おぬしが自分を変えていないつもりでも、周りはそうは見ん」

「分かっています」

「いや」

 

 ホーローは首を横に振った。

 

「分かっていても、足りぬことがある。だから、言っておく」

 弁当を脇へ置いたまま、ホーローはユイナを見ていた。

 

「一人で背負うでないぞ」

 

 アンルシアは膝の上で手を重ねた。災厄の王を封じるため身を捧げた人々。アルヴァンとカミルの悲劇。そして、いまユイナが会おうとし、道を一緒に作ろうとしている人たち。同じ言葉が重なるというより、忠告の向こうにそれぞれ違う顔が浮かんだ。

 

「ホーロー様まで、それを言うのですね」

 ユイナが小さく言った。

 

「言うとも。おぬしはすぐに、自分で道を作って、そのまま一人で歩き出そうとする」

「そんなことは」

「ある」

 ホーローは断言した。

 

「勇者姫も、そう思うじゃろう?」

 

 アンルシアは少しだけ微笑んだ。

 

「はい」

「アンルシア」

「思います」

「二対一はずるい」

 

 ホーローは弁当に手を戻しかけ、ふとユイナの手元を見た。

 

「ところで、おぬし。その包みは」

 

「勝負師の宝箱弁当です」

 

「やはり!」

 

「分けません」

 

「なんと!」

 

 アンルシアはつい笑ってしまった。大魔王になったという報告も、賢者の忠告も、消えたわけではない。重さを残したまま、ホーローは限定弁当へ戻り、ユイナは譲らない顔になる。それを許してくれる人なのだと、彼女は思った。

 

 ユイナは弁当を守るように抱え、窓の外を見た。ウェナ諸島へ向かう箱舟の向こうで、海の光が細かく砕けていた。

 

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