勇者と大魔王の欲深い明日   作:折無堂

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第20話 勇者と盟友

 箱舟が橋へ入ると、車輪の音が変わった。ラッカランの建物はもう遠い。カジノも、コロシアムの塔も、メダル・オーナーの館も、一つの島影に重なっていた。

 

 アンルシアは窓に目を向けながら、さっきまでいた人たちの声を思い出していた。ササラナは親しげに「ユイナさん」と呼び、ヴェキオは「ユイナちゃん」と笑いかける。ゴーレックとは対等に条件を出し合い、風待ち商会の面々には隊長や王女さま、時には女王様と呼ばれて、本気で文句を言う。ザイードとリュカナも、限定弁当を買いそびれたホーローも、アンルシアの知らないユイナとの時間を持っていた。

 

 盟友、大魔王、商人、職人。どの呼び名も間違っていない。それでも、その一つずつへ自然に振り返るユイナを見ていると、自分の知る彼女が、思っていたより広い場所で生きていることに戸惑った。

 

 寂しいと言い切るには、自分もここにいる。置いていかれたと言うなら、彼女はこうして連れてきてくれた。そのことが分かっているから、胸に引っかかったものを素直に名づけられない。友達が自分の知らない人たちと当たり前に笑う輪の中にいて、自分だけが、輪の外から見ているような時があった。

 

「アンルシア。もやもやしてる?」

 

 横から覗かれ、アンルシアは窓に映る自分の顔を見てしまった。

 

「……顔に出ていた?」

「少し」

「あなた、本当にそういうところはよく見るのね」

「見ないと危ないから」

 

 軽く返したくせに、ユイナはまだ弁当を開けなかった。包みの端に置いた指を止め、彼女の方へ向き直る。アンルシアは何か弁解したくなったが、言葉を選ぶ前に、ユイナが口を開いた。

 

「私のことを盟友として扱えるのは、あなただけだよ」

 

 アンルシアは言葉を失った。そう言ってほしかった、と認めるのも悔しい。そういう意味で悩んでいたのではない、と否定するのも嘘になる。顔が熱くなり、窓へ戻しかけた視線を、なんとかユイナに留めた。

 

「もう。何で口説き文句みたいに言うのよ」

「そういう顔をしていたからね」

「どういう顔よ」

 

「私の知らないところで、私の知らない人と仲良くしないで、みたいな顔」

「していないわ」

「少ししてた」

「していない」

「じゃあ、していないことにする」

「それはそれで腹が立つわ」

 

 ユイナは笑ったが、それで話を打ち切らなかった。

 

「私は、いろんな人と会ってきた。助けられたし、助けたし、取引もしたし、迷惑もかけた。だから呼ばれ方も増えた。でも、勇者の盟友は一人しかいない」

 

 アンルシアは黙って聞いた。慰めるために、他の人とのつながりを小さく言わないところが、ユイナらしかった。

 

「アンルシアが勇者で、私が盟友。それだけは、他の誰にもできない」

 

 言い終えて、ユイナはようやく包みを開いた。小さなメダルを模した薄焼きパン、丸いカジノチップのようなチーズ、コロシアム串焼きに、金貨に見立てた卵焼き。豪華さも俗っぽさもラッカランらしく、普段ならホーローが黙っていない中身だった。

 

 けれど向かいの賢者は、弁当を見ていなかった。蓋を開けたユイナと、その横でまだ赤くなっているアンルシアを見ていた。

 

「おぬしたち」

 

 二人は同時に顔を上げた。声を張られたわけではない。ただ、その呼びかけに弁当の続きを返してはいけないと分かった。

 

「強くなったの」

 

 ユイナは、少しだけ目を瞬かせた。

 

「急に賢者っぽい」

「急にではない。わしはいつでも賢者じゃよ」

「限定弁当でぐぬぬってしてました」

「それはそれ、これはこれじゃ」

 

 ホーローは咳払いをした。ユイナの軽口に答えながらも、視線は二人から外さない。

 

「勇者として立つとは、剣を掲げることだけではない。盟友として隣に立つとは、ただ同じ敵を見ることだけでもない」

 

 アンルシアは、背筋を伸ばした。

 

「人は、ひとつの名だけでは立てぬ」

 ホーローは続けた。

 

「勇者であり、王女であり、友であり、迷う者であり、怒る者でもある。ユイナも同じじゃ。盟友であり、商人であり、職人であり、大魔王であり、エテーネの民であり、時には弁当を横取りする者でもある」

 

「横取りではありません」

「わしから見れば横取りじゃ」

 

 ユイナが抗議しかけたが、ホーローはそれを手で制した。

 

「だが、その多くの名の中で、おぬしらだけが互いに呼べる名がある」

 

 アンルシアは息を吸った。

 

「勇者と、盟友」

「そうじゃ。それは、他の者には奪えぬ。ゴーレックにも、リーネにも、ヴェキオにも、わしにもな」

 

 ユイナは弁当の蓋を持ったまま黙っていた。先に同じことを言った本人まで、賢者の言葉を聞き直している。その横顔を、アンルシアは見た。

 

 もやもやが消えたわけではない。ユイナの知らない顔を見れば、また寂しくなるかもしれなかった。それでも、誰にも見せるなと言いたいわけではないのだと、少しずつ気持ちの輪郭が分かってきた。自分の剣を受け、時には止め、守ろうとしてくれた盟友の顔を、誰かに取り上げられるわけではない。

 

「……そうね。私も、勇者として立つなら、もっと多くの人を見なければならないのね」

「ほっほ。分かっておるではないか」

 

 ホーローは嬉しそうだった。アンルシアは、その評価を受け取って終わりにせず、ユイナへ向き直った。

 

「でも」

 

 アンルシアはユイナを見た。

 

「あなたがどれだけ多くの人と話していても、勇者である私の隣に、盟友として立つのはあなたよ」

 

 ユイナは少しだけ笑った。

「うん」

 

 ホーローは満足そうに頷いた。

 

「よいよい。実によい。若い者が強くなるのを見るのは、賢者の楽しみじゃ」

 

「弁当よりも?」

 ユイナが聞く。ホーローは一瞬、沈黙した。

 

「……同じくらいじゃ」

「そこは勝ってください」

「限定弁当は強いのじゃ」

 

 アンルシアは、今度こそ笑った。

 

 箱舟はウェナ諸島へ向かって進んでいた。海を越えて人と物を運ぶ橋が、窓の向こうにまた現れる。ユイナは卵焼きをつまんだまま、長くその橋を目で追った。

 

「まだ、エテーネ王国まで延ばすことを考えているのね」

 

 アンルシアが言うと、ユイナは隠すつもりもなく頷いた。

 

「やっぱり、通したいなあ」

 先ほど聞いた時より、その声が近くに感じられた。

 

「道を作ることも、あなたの戦いなのね。でも、ひとりで作らないで」

「分かってる」

 

 ユイナは卵焼きを口へ運んだ。返事はすぐだったが、その目はまだ橋を離れなかった。

 

 ホーローが横から言った。

 

「今の返事は、少し怪しいのう」

「ホーロー様まで」

「賢者の眼力にかかれば、一目りょーぜんじゃよ♡」

 

 ユイナは弁当を守るように抱えた。

 

「限定弁当は分けませんよ」

「ぐぬぬ」

 

 アンルシアはまた笑った。笑いながら、ユイナの弁当を覗き込み、金貨に似た卵焼きの残りを見た。こういう時、彼女に言いたいことは、勇者の立場だけから生まれるわけではない。ホーローの言った、友であり、迷う者でもあるという言葉が、遅れて腑に落ちる。

 

 多くの人を見ることと、自分だけの立ち位置を失わないこと。誰かを独り占めしたくなる気持ちと、その人の広さを喜ぶこと。すぐにきれいに両立はできなくてもよかった。ユイナには多くの名があり、自分にとっては盟友だ。その関係まで比べなくていいのだと、今は思えた。

 

 食べ終えたユイナが、弁当の蓋を重ねた。窓に映るその手を見ながら、ふっと笑ったので、アンルシアは首を傾げた。

 

「何か思い出したの?」

「窓を見ていて、鏡のことを。レンドアの宿にあるんだよ。向こうにいる人と話せる鏡が」

「便利なのね」

「最初は、全然。声が途切れて、何を言っているのか分からなかった」

 

 

 

 シーバの鏡を磨いた夜、声がはっきり届くようになってからも、ユイナはしばらく大声で返事をしていた。今までと同じ調子で話しかけると、向こうが小さく笑った。

 

「そんなに声を張らなくても、聞こえますよ」

「あ。そっか」

「今日も、ずいぶん歩いたんですか」

「歩いたよ。あと、魔力を集めた。あなたと普通に話すためにね」

「ありがとうございます。……疲れていたなら、今日はもう休みますか」

 

 そう聞かれると、かえって話していたくなった。ユイナは寝台の端へ座り、靴を脱いだ。鏡に映るのは、宿の部屋と自分の顔だけ。向こうの相手がどこへ腰を下ろし、何を見ながら返事をしているのか、まだ知らなかった。

 

「今日はイオの話、していい?」

「ええ。聞かせてください」

 

「ガチャコッコに使った時、もう少し離れて撃ちたくなったの。目の前で動かれると、杖を振る方に気が行っちゃって」

 

「それで、振ったんですか」

「振らなかった。魔法で倒すところだったから」

 

 言ったあとで、二人で笑った。ユイナは両足を床から浮かせ、ぶらぶらさせた。今日の自分がどう戦ったかを話すと、向こうにも別の考えがある。なぜそこで距離を詰めたのかと聞かれ、説明しようとして初めて、自分でもよく分かっていなかったと気づくこともあった。

 

「ユイナさんは、魔法の話になると、ずいぶんたくさん話しますね」

「そっちもでしょう」

「そうでしたか?」

「さっき、私が話す番だったのに」

 

 相手が黙ったので、今度はユイナから笑った。責めているわけではないと、声で伝えなければ分からない。顔が見えないというのは、不便だった。でも、また聞きたい話があるうちは、夜が少し短く感じられた。

 

「その人は、リュナンというの」

 

 ユイナが言うと、アンルシアは名前を繰り返した。

 

「今も、その鏡で?」

「今は話していない。もっと立派な魔法使いになるまで、連絡を控えるって。最後には猫島へ行くと教えてくれた」

 

 顔を合わせた時には、驚くことも、慌てることもあった。話し相手はねこまどうだったのだと伝えると、アンルシアの目が丸くなった。ユイナは、まだ何も知らず鏡の前に座っていた頃の自分を思い出して笑った。

 

「知らないまま、仲良くなったのね」

「うん。呪文の話をしていたら、そうなってた」

「では、また会えたら話すことがたくさんあるわね」

「大魔王になったって、どこから説明したらいいんだろうね」

 

 少し困って、それからユイナは言った。

 

「でも、先に向こうの話を聞きたい。今度は私が、途中で自分の話を始めないように」

 

 アンルシアは「そこは気をつけないとね」と答えた。ユイナは否定せず、畳んだ包みを袋へ収めた。窓の向こうでは、海の色が近くなっていた。

 

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