勇者と大魔王の欲深い明日   作:折無堂

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第25話 全部欲しい

 ユイナが地図を広げても、リーネは奥の部屋へ案内しなかった。カウンター越しに、エクゼリアの返答、大迷宮の調査、収納術と遠征装備、ゴーレックとの話を聞いている。近くの客たちは初めこそ合成の結果について話していたが、素材や冒険者の募集へ話が及ぶ頃には、声を落としていた。

 

「悪くない話だね」

 

 リーネが言った。それだけで、聞いていないふりをしていた何人かが顔を上げる。冒険者の財布を泣かせ、同時にその欲がどこへ向かうかを見続けている人の言葉には、重みがあった。

 

「では」

 ユイナが続けかけると、リーネは片手を上げた。

 

「ただし、それだけじゃ出資はしないよ」

 

 アンルシアは彼女を見た。冒険者を巻き込む仕組みにも、素材の流れにも、アクセサリーに使えるかもしれないという話にも、楽しそうに反応していたはずだ。その興味を消したわけではないまま、リーネは自分の出す金を一歩手前に留めていた。

 

「理由を聞いても?」

 ユイナが問う。

 

「道ができれば、人も物も動く。冒険者も動く。素材も来る。そこまでは分かる」

 リーネの指がカウンターを軽く叩いた。

 

「でもね、そういう話なら、あたしじゃなくても金を出す奴はいるよ。ゴーレックも乗るだろう。素材商も、職人ギルドも、港や駅を持つ連中も、条件次第で金を出す」

「でしょうね。ゴーレックさんとは、今その話をしてきました」

「なら、あたしが本気で出す理由が欲しい」

 

 その目がユイナの首元へ向いた。さっき合成した幻界王の首かざりは、弱体系耐性を百パーセント以上へ届かせた成功品だ。だが、持ち主の顔はまだ満足しきっていない。リーネは、合成を終えた時からそれを見ていた。

 

「あんたも分かっているだろう」

「……はい」

「アクセサリーは、まだ先へ行ける」

 

 店内の冒険者たちのざわめきが、少し変わった。

 

「先?」

「今でも十分じゃないのか?」

「いや、先ってなんだ」

「リーネが言うと怖いな」

 

 冒険者たちの反応を聞きながらも、リーネはユイナから目を外さなかった。

 

「ひとつのアクセサリーに、ひとつの完成形。今はそういう扱いだね。竜玉ならHP、首かざりなら弱体耐性やほかの効果。冒険者はその時々で一番いいものを選んで、いらないものを消し、欲しいものを残す」

「今の合成では、そうなります」

「でも、消さずに済むなら?」

 

 ユイナの手が止まった。アンルシアはリーネの指先から首飾りへ視線を移したが、まだ意味を掴めない。

 

「たとえば、同じ首かざりに複数の完成形を持たせる。弱体耐性を持ちながら、別の効果も持つ。状況に応じて働くものもあるだろうし、ひとつの中で複数の効果を重ねて保持する形もある」

 

 リーネは、どの効果を諦めるかを聞いているのではなかった。ユイナが首飾りを見る目も、さっきまでの不満から変わり始めた。

 

 冒険者たちが、今度こそ騒ぎ始めた。

 

「おい、それできるのか?」

「できたら装備枠が変わるぞ」

「竜玉と首かざりと指輪とベルトを……いや、無理だろ」

「無理だから言ってるんだろ」

 

 ユイナは息を吐いた。

 

「リーネさん一人では、届かない領域ですね」

「そうだよ。合成で効果を選び、残し、強めることはできる。でも、複数の完成形を同じ器へ矛盾なく収めるとなると、今のやり方では話が違う」

「効果同士が干渉する」

「残るものと消えるものが出る。無理に重ねれば壊れるか、使い物にならない歪なものになる。そこを越えなきゃ、欲しいものを全部持つ話にはならない」

 

 今ある手法の限界を、リーネは惜しむ様子もなく並べた。それが分かっているから、この先へ行く相手を選ぶのだろう。

 

「時渡りの力だけでも無理です」

「だろうね。でも、あんたの弟なら?」

 

 アンルシアの表情が変わった。ユイナはすぐには答えず、カウンターに置いた手を見た。

 

 魔仙卿として生きている弟。錬金術において、並ぶ者がいないと言ってよい、あの子。助けなければならないし、何より自分が助けたい。その名前を仕事の条件の中で聞くことは、家族のことを尋ねられるのとは違っていた。けれど、弟の技術を誰かが求めていることも、ユイナには分かった。

 

「やはり、弟を助ける必要があるわけだね」

 

 声に出すと、アンルシアがこちらを見た。

 

「ユイナ。ただ、助けたいだけではだめなの?」

 

 責める口調ではなかった。だからユイナも、すぐに軽口で返さなかった。商売や技術や出資条件が、弟の救出へ重なる。そのことにアンルシアが戸惑う理由は分かる。

 

「あの子は私の弟だから、助けたい。助けるべきだと思ってる。そこは変わらないよ」

「なら……」

「でも、それだけでもない」

 

 アンルシアは続きの言葉を止めた。店内の声も低くなっていたが、誰もこの話を終わらせてくれはしない。ユイナは自分から先を言った。

 

「私には、あの子の姉としての立場がある。でも、商売人としては、あの子の力が必要。そういうこと」

 

 アンルシアは息を呑んだ。冷たく聞こえる言葉を選んでいるのに、ユイナの目は冷たくない。それが、かえってすぐには飲み込めなかった。

 

「それを、分けないのね」

「別のものだとは思ってる。でも、同じ私の中にあるから、分けられない。助けたい気持ちだけを綺麗な理由にして、あの子の技術が欲しい方を隠すのは、私は嫌」

 

 ユイナはカウンターの上の首かざりへ目を向けた。弟の力があれば届くかもしれない、と言われて、その先を見たくなったのは本当だった。その欲までなかった顔で、姉としてだけ答える気にはなれない。

 

 リーネが、少しだけ目を細めた。

 

「正直だね」

「リーネさん相手に、綺麗事だけで話しても無駄でしょう」

「分かってるじゃないか」

 

 アンルシアは、なおためらっていた。

 

「でも、助けられた後に、その力を求められるのは……」

「無理にはさせない。そこは絶対にしない。あの子が嫌だと言えば、やらせないよ」

 

 ユイナは今度はすぐに答えた。

 

「商売人として必要でも?」

「必要でも。必要だからこそ、無理に使えない。嫌がっている人の力を組み込んだ仕組みは、長く持たない」

 

 優しい理由だけには言い直さなかった。アンルシアはそれを聞き、簡単に安心したと言うこともできずにいた。相手を必要とすることと、相手の返事を待つこと。その二つを、同じ話の中へ残そうとしているのだとは分かった。

 

 リーネは小さく笑った。姉弟の事情へ慰めを差し入れる代わりに、自分の条件を明らかにする。

 

「そこまで言うなら、条件はこうだ。鉄道計画そのものには、まだ本格出資しない。調査と準備には乗るよ。冒険者への噂流し、素材の初期鑑定、アクセサリー用途の見立て。そこまでは協力する」

「十分です。先に動かせるところを動かしたいので」

「本格的に金を出すのは、弟を助けた後。そして、あたしの合成術、あんたの時渡り、弟の錬金術で、複数効果を持つ同一アクセサリーの統合に手が届くと分かった時だ」

 

 ユイナは頷いた。救い出すことと、技術として成立させること。どちらかだけで出資条件を満たしたとは言えない。

 

「分かりました。同じ品の完成形を束ねられるなら、その先も見えます」

「もちろん失敗するかもしれない。成功しても、すぐ商売にできるとは限らないし、危険が残れば客には出せない」

「試して、確かめる必要がありますね」

「それでも、あたしは見たい」

 

 リーネの笑みには、出す金を計る商人と、まだない品を作りたい職人の欲が同時にあった。客が毎日、完成品のさらに先を欲しがるのを見てきた。その先へ進みたがっているのは、彼女自身でもある。

 

「冒険者の欲が、どこまで行けるのか」

 

 ユイナは、静かに頷いた。

 

「私も、見たいです」

「でしょうね」

 

 リーネは楽しそうに言った。

 

「あんたも結局、こっち側だよ」

 

 アンルシアは二人を見た。姉として弟を助けたい気持ちも、商売人としてその力が必要だという判断も、冒険者として新しい強さを欲しがる気持ちも、ユイナの中ではどれも嘘ではない。どれかが強すぎる日には、残りを押してしまわないのか。その怖さがまだあった。

 

「ユイナ。弟さんを助けたいと思っていることを、疑っているわけではないのよ」

「うん」

「でも、少し怖いとも思った。だから、その欲しいと思う気持ちも、隠さないでほしいの」

 

 ユイナは目を伏せた。見せたら安心してもらえる、という話ではないらしい。それでも、隠してくれと言われたわけではなかった。

 

「分かった」

「そして、弟さんが嫌だと言ったら、やらせない。それは約束して」

「約束する」

 

 ユイナが顔を上げたので、アンルシアもその目を見て頷いた。彼の返事は、ここにいる誰も代わりにはできない。

 

「勇者姫様は厳しいね」

 

 リーネが肩をすくめた。

 

「必要なことです」

「そうだね。そういう人が隣にいるなら、ユイナも危ない橋を渡る前に、少しは足元を見るかもしれない」

「リーネさん?」

「褒めてるよ」

 

 ユイナは疑わしそうに見返した。リーネが先ほどまでの話を軽く扱っているわけではないことは、二人とも分かっていた。

 

 リーネは笑った。

 

「さて、まずは調査と噂流しだね。新素材が出たら、あたしに見せる。アクセサリーに使えそうなものは、勝手に流すんじゃないよ」

「分かっています。私は黙っていますけど……この人たちの口までは止められないかな」

 

 ユイナが店内を見ると、客の一人があからさまに目を逸らした。聞いていなかった顔をするには遅い。リーネは笑った。

 

「そんなこと、分かってるよ。でも、言っておく意味はあるでしょ?」

「そうですね」

 

 知られて困るなら、ここでは話さない。その意図をユイナも受け取り、広げた資料の端を揃えた。

 

 その瞬間、店内の冒険者たちが、それまで我慢していたものを放り出すように話し始めた。

 

「おい、聞いたか。新素材だってよ」

「アクセサリーに使えるかもしれないって話だろ」

 

「それより、複数効果の統合って何だよ。できたらやばいだろ」

「何と何を合わせる?」

 

「金のロザリオと竜のうろこだろ。死なないし、軽減できる」

「いや、忠誠のチョーカーを忘れるな。火力がないと始まらねえ」

「お前ら前衛はすぐそれだ」

「じゃあ何だよ」

 

 少し離れたところにいた魔法使い風の男が、杖を抱えたまま声を上げた。

 

「智謀の首かざりを忘れるな」

「あれはあんま使わねえだろ」

「使う!」

「いや、使う場面はあるけどよ」

「あるなら忘れるな!」

 

 別の冒険者が笑いながら言う。

 

「それより俺は戦神のベルトだな。あれをどうにかできるなら、全部変わるぞ」

 

 ユイナの指が止まった。リーネも笑みを保ったまま、目だけを細める。二人の間に言葉はなかった。客たちは自分たちの話に夢中で、手元のその一瞬を見ていない。

 

「戦神かあ」

「属性と武器が噛み合えば強いからな」

「でも引くのが大変なんだよ」

「だから統合だろ。片手剣炎と両手剣雷と杖炎と……」

「そんな都合よくいくかよ」

「夢くらい見させろ」

「戦神をまとめられたら、マジで世界変わるぞ」

 

 アンルシアはユイナを見た。資料を揃える手はもう動いていて、リーネもいつもの笑顔に戻っている。けれど今、二人は確かに同じものを思い描いた。戦神のベルト。アンルシアにはまだ一つの装備の名でしかなかったそれが、交渉の続きを握っているらしい。

 

「ユイナ」

「何?」

「今、少し反応したわね」

 

 ユイナは一瞬だけ黙った。リーネが楽しそうに笑う。

 

「勇者姫様はよく見てるね」

「やっぱり」

「まあね」

 

 ユイナは小さく息を吐いた。

 

「戦神のベルトは、私もリーネさんも考えていたところだから」

「そんなに特別なの?」

「特別というか、厄介」

 リーネが言った。

 

「あれは普通のアクセサリーとは少し違う。効果の種類が多い。武器、属性、種族、攻撃、呪文。冒険者の欲が、かなり露骨に出る」

「欲が」

「そうさ。あれこそ、欲しい効果といらない効果の差が残酷なくらい出る」

 

 ユイナは頷いた。

 

「しかも、完璧な一本を作ろうとすると、きりがない」

「だから、みんな夢を見る」

 

 リーネは店内を見た。冒険者たちはまだ好き勝手に話している。

 

「炎ベルトに氷も乗せたい」

「片手剣と槍を一本にできねえかな」

「いや、種族特効だろ」

「全部だ全部」

「馬鹿か」

「馬鹿でも欲しいだろ」

 

 アンルシアは好き勝手な希望の飛び交う店内を見た。守れるなら攻めたい。攻められるならもっと早く勝ちたい。その終わらない欲が、リーネの説明よりも生々しく、客ごとに違う声で聞こえてくる。

 

「……これを聞かせるために、ここで話していたのね」

「半分はね。もう半分は、あたしが聞きたかったのさ」

 

 リーネはカウンターへ指を置いたまま答えた。

 

「こっちが勝手にすごいと思うものと、冒険者が本当に欲しがるものは違うことがある。こういう場所で勝手に喋らせると、本音が出るだろ?」

「会議室で聞いても、出てこない話ですね」

 

 ユイナが言う間にも、客の議論は別の組み合わせへ進んでいた。誰も、戦神の名に二人が反応したことには気づいていない。自分の欲しいものの話をしているだけだ。それを聞く側では、技術をどこへ進め、何を商売にするかが、少しずつ形を持ち始めている。

 

「少し怖いわね。人の欲が、そのまま道具や技術になるところ」

 

 アンルシアが小さく言うと、ユイナは否定しなかった。

 

「うん。でも、悪いことばかりじゃないよ」

「分かっているわ。強くなりたい、助けたい、勝ちたい、稼ぎたい。そういうもので、人が動くのね」

 

 言い終えて、アンルシアは袋の中の竜玉を思った。強くなりたいという点なら、自分も店の客たちと違わない。どの欲をきれいなものとして分ければよいのか、初めほど簡単には言えなくなっていた。

 

「いいねえ。勇者姫様、分かってきたじゃないか」

「褒められているのかしら」

「褒めてるよ」

 

 リーネは笑ったが、答えを急がせる様子はなかった。

 

 ユイナは、まだ盛り上がっている客たちを見た。

 

「とりあえず、戦神は候補ですね」

「そうだね。ただ、あれに手を出すなら、普通の合成よりずっと厄介だよ」

「分かっています。完璧な一本が欲しいんですから」

 

 ユイナは苦労を承知しても、欲しい方を引っ込めなかった。リーネの声は軽いまま、目だけが真剣になる。

 

「弟を助けてからだね」

「ええ。その時に、本人と話します」

 

 アンルシアの胸には、まだ重さが残った。弟を助けたいという願いへ、仕事や投資の条件までつながることには慣れない。ユイナは、それを隠さない。隠さないからこそ怖い。けれど、隠さないからこそ、隣で止められる。間違っていると思ったら、今度も黙ってはいない。そう決めると、彼女を信じることと怖がることは、もう互いを打ち消さなかった。

 

 冒険者たちは、まだ夢のような話をしていた。

 

「全部まとめられたら最強だろ」

「だから無理だって」

「でも、リーネが言ったんだぞ」

「いや、言ってねえ。ユイナが持ち込んだ」

「どっちでもいい。できたら買う」

「金が足りねえよ」

「じゃあ稼ぐしかねえな」

 

 噂はもう動き始めていた。リーネは客同士のやり取りを聞きながら笑い、ユイナも、ときどき自分の欲しいものを聞きつけたような顔になる。

 

 アンルシアは二人を見た。道はまだできていない。線路もなく、正式な契約はこれからだ。それでも、新しい装備が欲しい者、素材を探したい者、買うために稼ごうとする者が、既に次の仕事を思い描いている。ユイナの言う「道がつながる」は、線路の完成だけを指してはいなかった。

 

「それと、弟を助けたら、連れてきな」

 

 リーネが言うと、ユイナの表情が緩んだ。

 

「はい」

「その時は、きっちり取るよ」

「何をですか」

「技術料に決まってるだろ」

「こっちも協力するのに?」

「それ込みさ」

 

 ユイナは一瞬、本気で値切る顔をした。それから、諦めたわけではなさそうに笑った。

 

「リーネさんらしいですね」

「取れるところからは取るだけさ」

 

 アンルシアもつい笑ってしまった。弟の救出へ商売と技術と欲が絡む、重い話だったことは変わらない。それでも最後には、合成に泣き、笑い、また挑む客たちのいる、リーネの店の空気へ戻っていく。

 

 袋の上から竜玉に触れた。強くなりたいという欲を、自分も持っている。どこへ向けるかを誤りたくないし、ユイナにも誤ってほしくない。彼女は分かっていて、それでも時々、欲しいものへ踏み出す足が速すぎる。

 

 だから隣に立つ。勇者として。そして、盟友に「それでいいの」と尋ね、返事を聞く者として。ユイナの広い道を狭めるためではなく、自分もそこを一緒に歩くために、アンルシアは店を出る支度をした。

 

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