会議は、結論らしきものを得た。もちろん、何も解決してはいなかった。アンルシアがユイナを許したわけではない。シンイが魔界の事情を飲み込めたわけでもない。エステラが感じた不安も、ルシェンダが抱えた疑念も、消えたわけではなかった。
それでも、向かうべき先は見えた。闇の根源。大魔瘴期。女神ルティアナ。そして、魔仙卿となったユイナの弟。ルシェンダは卓上に広げられた地図を見下ろし、静かに言った。
「一つの隊で動くには、調べるべきことが多すぎますな」
ユシュカが椅子の背にもたれたまま、口の端を上げる。
「じゃあ、分けるか」
「それがいいだろうね」
アスバルが頷いた。
「魔界側の記録、アストルティア側の記録、ナドラガンドの記録。それに、光の河とフィネトカの件。全部を一度に追うのは難しい」
アンルシアはユイナを見た。
「あなたは、どうするの?」
その問いに、ユイナは少しだけ考えた。大魔王としてなら、魔界に残って指示を出すべきなのかもしれない。けれど、フィネトカとルティアナの件は、アストルティア側の道でもある。そして、勇者であるアンルシアが動くなら、そこには盟友が必要だった。
少なくとも、今のアンルシアを一人で行かせる気にはなれない。
「私は、アンルシアと行きます」
アンルシアの目が少しだけ揺れた。
「……そう」
短い返事だったが、拒絶ではなかった。ルシェンダは頷いた。
「では、姫とあなたには、光の河とフィネトカへの手掛かりを探っていただきましょう」
そう言って、ルシェンダは懐に手を入れた。アンルシアは、その動きを見た瞬間、思わず眉を寄せた。ルシェンダの手が戻ってくる。そこには、ひとつのツボがあった。小さな、しかし奇妙な光を帯びたツボ。内側に何かが流れているようにも見える。普通の器ではないことは明らかだった。
アンルシアは、しばらくそれを見つめてから、言った。
「……ルシェンダ様」
「何ですかな、姫」
「いつも思いますけど」
アンルシアは、ルシェンダの懐とツボを交互に見た。
「それ、どこから出しているんですか?」
場が止まった。ユシュカが吹き出しかけた。アスバルが視線を逸らす。シンイは少しだけ目を瞬かせ、エステラは真面目に考え込んでいる。カーロウはなぜか自分の服の中を確認していた。ルシェンダは平然としていた。
「生活の知恵ですな」
「生活の知恵で、そんなものは出ません」
アンルシアは即座に返した。するとユイナが、横からさらりと言った。
「収納術だよ」
アンルシアがユイナを見る。
「あなたまで」
「実際、収納術だから」
「そういう問題ではありません」
「いや、かなりそういう問題だと思う」
ユイナは真顔だった。アンルシアは眉を吊り上げる。
「では、あなたがさっき戦闘中に剣から杖へ一瞬で持ち替えていたのも?」
「収納術を、戦闘用に少しアレンジしたんだよ」
「少し?」
「少し」
ユシュカが今度こそ笑った。
「少しであれかよ」
「便利だよ」
ユイナは当然のように言った。
「旅をしてると、武器も道具も荷物も増えるでしょう」
ルシェンダも頷く。
「やはり、生活の知恵ですな」
「もう、二人とも」
アンルシアは呆れたように声を上げた。
「絶対にごまかしていますよね」
「ごまかしてはいますな」
ルシェンダは悪びれなかった。
「ルシェンダ様!」
「しかし、嘘は言っておりませぬ」
ユイナも内心で頷いた。嘘は言っていない。実際、収納術だった。旅の中で道具を取り出し、装備を替え、必要なものを必要な瞬間に出す。その技術を戦闘中に使えるよう、詠唱や姿勢、魔力の流れと繋げただけだ。ただ、それを真面目に説明すると、アンルシアがさらに怒りそうだった。
アンルシアは深くため息をついた。
「……あとで、ちゃんと説明してもらいます」
「可能な範囲で」
「全部です」
「善処します」
「それは説明しない人の言い方です」
ユイナは目を逸らした。ルシェンダは、少しだけ笑みを含んだ目で二人を見ていた。先ほどまでの重い会議の空気が、ほんのわずかだけ緩んでいた。だが、彼女はすぐに表情を戻す。
「これは、光のツボです」
ツボを卓上に置くと、淡い光が広がった。
「光の河の特異点に触れ、創生のチカラを集めるためのもの。フィネトカへ至るには、これが必要になるでしょう」
アンルシアは、もう一度ツボを見る。
「光の河……」
「候補地はいくつかあります」
ルシェンダは地図の上を指で示した。
「獅子門。落陽の草原。ラニアッカ断層帯。知恵の眠る遺跡。オルフェアの町。古い記録と、現在の光の流れから見れば、このあたりが怪しい」
ユイナは地図を覗き込んだ。
「全部を二人で回るのですか?」
「必要ならば」
ルシェンダはあっさり言った。
「ただし、あなた方だけで全てを抱える必要はありません。他の調査は別班に任せます」
ユシュカが指を鳴らす。
「じゃあ、俺は?」
ルシェンダは彼を見る。
「あなたには、シンイ殿と動いていただきたい」
ユシュカの顔から笑みが少し消えた。シンイも、静かに目を上げる。
「僕と?」
「冥王、大魔王、魔界からアストルティアへ続いた災厄。その線を整理するには、あなた方が適任です」
シンイはしばらく黙った。ユシュカは軽く肩をすくめる。
「重い相方だな」
「君も十分に重いよ」
シンイが静かに返した。ユシュカは一瞬だけ目を丸くし、それから笑った。
「言うじゃねえか」
ルシェンダは次に、エステラとアスバルを見た。
「エステラ殿、アスバル殿。あなた方には、ナドラガンドと魔界、そして神の依代に関する記録を追っていただきたい」
エステラは頷いた。
「承知しました」
アスバルも静かに答える。
「役割に人が呑まれる話なら、僕にも思うところがある」
その言葉に、エステラは少しだけ彼を見た。ルシェンダは最後に、壁際のヴァレリアへ視線を向ける。
「そして、あなたには私と来ていただきます」
ヴァレリアは目を細めた。
「私に命じるか、オーガの賢者」
「お願いしています」
「同じことだ」
「では、協力していただけますかな」
ヴァレリアは鼻で笑った。
「何を調べる」
「大魔瘴期です。アストルティア側の古記録と、魔界側の実情を照らし合わせる必要があります」
ヴァレリアは少しだけ沈黙した。
「記録などなくとも、魔界の空を見れば分かる」
「その言葉を、記録と照らし合わせたいのです」
「面倒な女だ」
「よく言われます」
ヴァレリアは、つまらなさそうにしながらも拒まなかった。
「よかろう。大魔瘴期のことなら、話せることはある」
ルシェンダは頷いた。
「助かります」
「礼はいらん。魔界が滅べば、私も困る」
それで班分けは決まった。
ユイナとアンルシア。ルシェンダとヴァレリア。ユシュカとシンイ。エステラとアスバル。四つの組が、それぞれ別の道を進む。アンルシアは、卓上の光のツボを手に取ろうとして、少し迷った。ユイナが先に手を伸ばす。
「私が持つよ」
「また、収納術?」
「うん。ちゃんと出せるから」
「なくさないでよ」
「なくさないって」
「本当に?」
「たぶん」
「たぶん?」
アンルシアが睨むと、ユイナは慌てて言い直した。
「なくしません。今のは冗談」
ルシェンダが穏やかに言う。
「大切なものですからね」
「どこから出したのか分からないものを、どこかにしまうのも不安なのですが」
アンルシアが言うと、ユイナは光のツボを慎重に受け取り、淡い光の輪の中へしまった。それは、消えたように見えた。アンルシアは目を細める。
「……やっぱり、あとで説明してもらいます」
「分かった。あとでね」
「絶対ですよ」
「逃げないから」
ルシェンダが横から言った。
「生活の知恵です」
「ルシェンダ様!」
その声に、ほんの少しだけ笑いが起きた。重い旅の前にしては、小さな笑いだった。だが、その小ささが今はちょうどよかった。ユイナはアンルシアを見る。
「行こう、アンルシア」
アンルシアは頷いた。
「ええ」
勇者と大魔王。その言葉だけで言えば、並び立つにはあまりにも奇妙な二人だった。けれどアンルシアは、その違和感を抱えたまま歩き出した。かつてのように。そして、かつてとは違うものとして。フィネトカへ至る道を探すために。光の河の流れを追うために。そして、もう一度、盟友と並んで戦うために。