落陽の草原で光のツボに創生のチカラを収めたあと、ユイナはアンルシアの腰へ目をやった。翼に似た柄飾りの片手剣、セイクリッドソード。細身の刃には会心を導く性質があり、打ち合わせれば、受け流すような粘りもある。勇者姫の剣として、今でもかなり良いものだった。
ナドラガ神との決戦前、自分が渡した剣だ。ナドラガンドの果てで、手持ちの素材と鍛冶場の火と自分の腕を使い、どうにか間に合わせた。あの時は本当に時間がなかった。
重心も、刃も、魔力の通りも見てある。勇者の光を邪魔せず、会心を生かすアンルシアの剣筋に合うように。刃で受ける時の粘りも、あの頃の彼女には必要だった。あの時点で渡せるものとしては、十分すぎるほどだったはずだ。
けれど、最後の一打が決まらなかった。あと一か所、狙い打ちが入っていれば、星三つへ届いたはずなのに。
星二つ。そのことを、アンルシアには言わなかった。戦える剣だったし、余計な迷いを持たせる必要もない。そう思っていたが、大事に使われる姿を見るたび、ユイナの方にはあの一打が戻ってきた。
竜神との戦いを越え、つい先ほどは玉座の前で自分へ向けられた剣。いまは隣を歩く彼女の腰にある。そこまで戻ってきたことが嬉しくて、なおさら古びたままにはしたくなかった。
アンルシアは、その視線に気づく。
「何?」
「その剣」
ユイナは少し言いにくそうにした。
「まだ使ってるんだ」
アンルシアは剣を胸元に引き寄せる。
「ええ。あなたがくれた剣だもの」
真っ直ぐな答えに、ユイナは一瞬、言葉に詰まった。自分が渡したものを、あの戦いの後もずっと使ってくれている。ただの道具ではなかったのだと分かるのは、嬉しかった。
同じ剣を見ながら、職人の目は別の答えを出していた。世代が古い。いまの敵にも、いまのアンルシアにも、性能が追いついていない。そして何より、星二つだ。
その目で見てしまう自分に、少し呆れた。せめて、喜んだ後で言うべきことだろう。
「嬉しいんだけど」
「けど?」
「さすがに世代が古い」
アンルシアの表情が固まった。
「古い……?」
「違う。大事にしてくれているのは本当に嬉しい。でも、今の敵と、今のあなたの強さに対して、装備の更新が追いついていない」
「装備の、更新」
アンルシアはゆっくり繰り返した。武器の手入れなら知っている。けれど、思い出ごと大切にしてきた剣へ、その言葉を当てられたことはなかった。
ユイナは頷いた。
「剣は思い出だけで振るものじゃない。素材、重心、刃持ち、魔力の通り、付与効果、錬金。全部見る必要がある」
「あなた、今、私の剣を見て何を考えているの?」
「原価と期待値」
「大魔王が?」
「職人なので」
アンルシアはしばらくユイナを見ていた。
「あなた、本当に何者なの?」
「冒険者で、盟友で、大魔王で、商人で、職人」
「多すぎるわ」
「足りないくらいだよ。納品もあるし」
「大魔王なのに?」
「大魔王でも納期は待ってくれない」
アンルシアは額に手を当てた。光の河、女神、闇の根源、大魔瘴期。そういう話をしていたはずなのに、ユイナの口から出てくるのは、素材と納期だった。ユイナは視線を少し逸らす。
「それに」
「それに?」
「その剣、星二つなんだよね」
アンルシアは目を瞬かせた。
「星二つ?」
「最後の狙い打ちが入らなかった」
「……何の話?」
「鍛冶の話」
ユイナは、少しだけ悔しそうに言った。
「あと一打だった。あと一打入っていれば、星三つに届いた。狙い打ちを入れたのに、思ったところまで伸びなかった」
アンルシアはしばらくユイナを見ていた。
「あなた」
「何?」
「ナドラガ神との決戦前に渡した剣について、今もそれを気にしていたの?」
「気にするよ」
「私、その剣で戦えたわ」
「それはアンルシアが強かったから」
「剣も強かったわ」
「でも、もっと強くできた」
ユイナは即答した。アンルシアは、少しだけ呆れたように息を吐いた。
「あなた、本当に職人なのね」
「職人だよ」
「大魔王ではなく?」
「今は、そっちの話」
「盟友でもなく?」
「盟友としても気にしているけど、今のは職人の未練」
アンルシアは剣を抜いた。セイクリッドソードの刃が、落陽の草原の光を受けて淡く光る。
ナドラガンドの燃えるような空と、竜神との戦いが脳裏をよぎった。あの時、ユイナは何でもない顔で剣を差し出し、「使って」としか言わなかった。必要なものを盟友が用意してくれた。それだけで、アンルシアには十分だった。
その横で、渡した本人はずっと最後の一打を覚えていたのだ。星二つの剣に救われた自分と、星三つにできなかったことを惜しむユイナ。同じ剣でも、二人がそこに見るものは違っていた。
アンルシアは少しだけ笑った。
「私は、この剣が好きよ」
「うん」
「でも、あなたがもっと良くできると言うなら」
アンルシアは剣を鞘に納めた。
「見せて」
ユイナは顔を上げる。
「いいの?」
「ええ」
アンルシアは真っ直ぐに言った。
「ただし、捨てないで」
「捨てない」
ユイナは即答した。
「芯は残す。打ち直す。あの時の剣を否定するんじゃなくて、今のあなたに追いつかせる」
その言い方が、少しずるいとアンルシアは思った。剣の話をしているのに、自分の話をされている気がしたからだ。
アンルシアはユイナを見た後、再び剣に目を移す。
「素材には何を使うの?」
「デモニウム鉱石」
アンルシアは、即座に顔を上げた。
「待って」
「何?」
「勇者の剣に、魔界の鉱石を使うの?」
「うん」
「さすがに、それは……」
「でも、あれが一番硬いし、伸びるし、強いよ」
「そういう問題ではなくて」
「魔瘴は入ってないから、そこは心配いらない」
「そうじゃなくてね」
アンルシアは両手でこめかみを押さえた。
「勇者の剣に、魔界の鉱石を使うということに、抵抗があると言っているの」
「魔界の鉱石だからだめ?」
「……そう言われると」
「魔界のものでも、良い素材は良い素材だよ。悪いのは魔瘴であって、鉱石じゃない」
ユイナは剣の鞘に指を添えた。言葉は平然としていたが、アンルシアが手を放すのを待っている。良い素材だと言い切ることと、預けてもらえることは別だった。
「それに、今のあなたは魔界の敵とも戦う。魔界の素材を知り、使えるなら使った方がいい」
アンルシアは口を閉じた。納得したわけではないが、ユイナが言っていることは分かる。
「どこで採掘するの?」
アンルシアが聞くと、ユイナは不思議そうに首を傾げた。
「採掘?」
「鉱石なのでしょう?」
「まさか。落札するのよ」
「らくさつ」
アンルシアの目が、完全に迷子になった。
「行こう。レンダーヒルズに端末があるから」
「端末?」
「バザー」
「バザーは市場でしょう?」
「うん。市場。仕組みはちょっと不思議だけど、慣れると便利」
「ちょっと、不思議?」
アンルシアは、もう一度頭を押さえた。
レンダーヒルズの一角にある取引所へ入ると、アンルシアは足を止めた。壁に、光る板が並んでいた。そこには文字と数字が流れている。素材名、個数、価格、出品者。数字が右から左へ、上から下へと動き、時折色が変わる。
札を書き換える人も、値を読み上げる競り人も見当たらない。光の板の上だけで売り買いが動いている。その速さに、アンルシアは一歩退いた。
「……何これ」
「バザー」
「私の知っているバザーと違うわ」
「便利だよ」
ユイナは慣れた様子で板の前に立ち、指を動かした。
「デモニウム鉱石。最安値。出品数。相場推移。うーん、少し高い」
「鉱石って、こうやって買うものなの?」
「採りに行く時間と、買う金額を比べる。今は時間の方が高い」
「時間の方が高い」
「勇者と大魔王が鉱石掘ってる場合じゃないでしょ」
「それは……そうだけど」
アンルシアは光る数字を見つめた。戦場より理解しにくい。
「この金額は、高いの?」
「今はちょっと高め。でも許容範囲」
「さっき高いと言いながら、もう決めたのね」
「あと、いかずちのたま、たそがれゴケ、火種。黄金素材もいるかな」
「待って。剣一本を作るのに、そんなに要るの?」
「要る」
「勇者が使う剣だと、聖なる力や由緒を先に考えてしまうわ。あなたは、一つずつ材料を数えるのね」
「聖なる力から生まれる剣もあるよ。でも、私が作る分は素材と職人と金策でできる」
アンルシアは黙った。
「勇者の剣に、値段をつけるの?」
「つけるよ。つけないと、作る人も運ぶ人も次の仕事ができないでしょう」
「……あなた、本当に大魔王なの?」
「今は職人だよ」
ユイナは即答し、素材を落札していった。アンルシアは、その手際を呆然と見ていた。剣を振るより速いのではないかと思った。
レシピについては、ユイナは少し迷っていた。
「鳴神のつるぎがいいかな」
「なるかみ?」
「雷と光に寄せられる。あなたには合うと思う」
「雷と光……」
アンルシアは少しだけ興味を持ったようだった。
「それは、どこで覚えるの?」
「製法書を買う。候補はキィンベルと、魔界側のレシピ屋」
「キィンベル?」
アンルシアが首を傾げる。
「エテーネ王国の?」
「うん」
「あなた、あそこにも普通に出入りできるの?」
「できるよ」
ユイナは少し考え、それから何でもないことのように言った。
「言ってなかったけど、実は私も王女様って言っていい立場なんだよ」
アンルシアは数秒、動かなかった。
「……何を?」
「王女様」
「あなたが?」
「うん」
「大魔王で、冒険者で、盟友で、職人で、商人で、今度は王女?」
「正確には、王位継承権が絡む立場」
アンルシアは取引所の壁際に椅子を見つけ、腰を下ろした。立ったまま聞く話ではなくなっていた。
「待って。説明して」
ユイナは指を折る。
「前々王のドミネウスから、その子のクオードへ王位が移ったでしょう。メレアーデはクオードの姉だから、表向きの継承では私より上だと思う」
「ええ」
「でも、ドミネウスが王になった経緯は、少し怪しい」
「怪しい」
「兄だったというだけ、と見ることもできる。正統性なら私の父、パドレの方が高いと主張する余地もある。……もちろん、それで継承順位が決まるほど単純な話じゃないけど」
アンルシアは目を瞬かせた。
「では、あなたが王になってもおかしくない立場なの?」
「そういう理屈を立てることは、できるよ」
「あなた」
アンルシアは、じっとユイナを見た。
「いじわるね」
「え?」
「そんなこと、するはずないじゃない」
ユイナは少しだけ笑った。
「そうね。言ってみただけ」
「本当に、いじわる」
「たぶんメレアーデは、お父さんが戻ってくれば、お父さんに王になってもらいたいかもね。話したことはないけど」
「それもまた、重い話ね」
「あと、それと」
ユイナは何気なく続けた。
「ドミネウス王は私生児もいるんだよ」
アンルシアが固まった。
「……ちょっと待って」
「何?」
「あなたが大魔王だったというだけで、私はまだ追いついていないの」
「うん」
「そのうえ、王女と言ってもいい立場で、王位継承の話があって、ドミネウス王には私生児がいて」
「うん」
「一体、いくら話すの?」
ユイナは少し考えた。
「いくらになるかな」
「まだあるの?」
「もっとあるよ」
アンルシアは両手で顔を覆った。
「もう……」
ユイナは少しだけ申し訳なさそうにした。
「……剣を作りながらでも、続きは話せる。さっきのことも、聞きたいところは聞いて」
「あなた、本当に話の切り替えがひどいわ」
「職人なので」
「それで済ませないで」