製法書も手に入れて鍛冶場に立つと、ユイナの呼吸が変わった。大魔王として言葉を選んでいた時とも、王家の話でアンルシアを困らせた時とも違う。手の届く場所へ道具を並べ、もう一度だけ素材を確かめた。
デモニウム鉱石。雷の力を帯びた素材、火種、黄金の飾り。そして、アンルシアから預かったセイクリッドソード。魔界とアストルティアのものが、同じ台の上に並んでいる。
さっきまで抵抗のあった魔界の鉱石が、そこではただの素材になっていた。硬さ、伸び、魔力の通り。雷と光を受ける性質。ユイナの手は善悪の境界で止まらず、それぞれの性質を確かめながら働いていた。
炉に火が入り、金槌が振り下ろされる。最初は鈍かった音が、打つたびに澄んでいった。赤い鉱石が形を変え、古い剣から抜き出された芯を、新しい金属が抱き込んでいく。
捨てられるのではない。更新される。昔の剣が、今の剣になる。
アンルシアは息を詰めて見ていた。鍛冶の細かな良し悪しは分からない。それでも、ユイナが「捨てない」と言った約束が、いま目の前で形になっていることは分かった。
ユイナは汗を拭わなかった。集中している。火の色を見て、金属の鳴りを聞き、わずかな歪みを叩き直す。最後の一打の前で、金槌が止まった。アンルシアには、その違いが分かった。さきほどまで迷いなく振り下ろされていた槌が、今だけはわずかに宙で静止している。
ユイナの目は、赤く熱された刃の一点だけを見ていた。火の色。金属の膨らみ。刃の中を走る細い歪み。それらを読み切ったように、ユイナは息を止めた。金槌が落ちる。澄んだ音がした。叩かれた金属が、反発せず、逃げず、まるで自分から形を選んだように伸びた。
ユイナは、そこでようやく小さく息を吐いた。炉の赤の中で、刃が静かに鳴っていた。失敗の余地を残さない、整いきった音だった。やがて、剣の形が現れた。鳴神の名にふさわしい、細く鋭い片手剣。雷を宿しながらも、勇者の光を阻まない。むしろ光を走らせるための道がある。
最後の一打を惜しんでいた横顔が、アンルシアの頭に残っていた。完成を急かしたくなくて、声をかけるまでに少し待った。
「今度は、ちゃんとできたの?」
ユイナは刃を確かめ、重心を見るように持ち上げた。火を受けた刃の奥に、三つの小さな星のような輝きが走る。それを見届けて、ようやく笑った。
「うん。今度は星三つだったよ」
隠しきれない安堵があった。細かな基準までは分からなくても、ユイナにとっての一つの決着だとアンルシアには伝わった。
「私は、いくつでもあなたのものなら使うわ」
剣を持つ手が止まった。ユイナはアンルシアを見て、困ったように口元を緩めた。
「それなら、なおさら良いものを渡さないと駄目だね」
「そういうもの?」
「そういうもの」
前の剣を否定したかったのではない。あの時のアンルシアを、あの剣は確かに支えた。だからこそ、いまの彼女に届く剣を渡したかった。できた、と胸を張れるものを、誰より先にこの人へ。
「まだ終わりじゃない」
ユイナは言った。
「錬金を入れる」
「あなた、錬金もやるの?」
「掛け持ちだからね」
「掛け持ちにも限度があるわ」
「ないよ」
「あるわ」
抗議を聞き流し、ユイナは錬金台へ向かった。粉を量り、液体と魔力を帯びた触媒を加える。円環状の器具の中で、剣へ淡い紋様が刻まれていった。
攻撃力だけを追うわけではない。会心へ至る力、雷と光、魔力の流れ。それらがアンルシアの剣技を妨げないよう、余計な癖を抑えていく。説明しながらでも手は止まらず、アンルシアは途中から口を挟まず、その動きを見守った。
最後にユイナは、別の素材を取り出した。
「盾も作る」
「盾?」
「ついでに」
「ついでに作るものなの?」
「作れる時に作った方がいい」
ユイナは平然としていた。取り出したのは、剣と同じくデモニウム鉱石を含む素材だった。ただし、今度は刃ではない。受けるための金属。流すための構造。持ち替えるための軽さ。
「ミニュアデスの盾にしようと思う」
「ミニュアデス……?」
「混乱と封印に強い小盾。あなたには合うと思う」
アンルシアは少し眉を寄せた。
「でも、私には攻める速さも必要よ」
「知ってる」
「それに、盾を持つと剣を両手で握れない。剣でも防御はできるわ」
「それも知ってる」
ユイナはアンルシアを見た。
「剣で受けている間は、その剣で次を斬れないでしょう」
「それは、そうだけれど」
「その瞬間、剣は攻めるためにも、受けるためにも、流すためにも使われる。もちろん上手い人ならできる。でも、全部を剣一本に背負わせる必要はない」
アンルシアは黙った。
「盾があると、剣が自由になる」
「剣が、自由に?」
「そう。盾が受ける。剣は斬る。盾が逸らす。剣は次の動きに入る。役割を分けると、攻めも速くなる」
ユイナは小盾の芯になる金属を炉へ入れた。
「それに、相手は闇の根源だけじゃない。魔瘴、呪い、混乱、封印。勇者の光が強くても、判断を奪われたら終わりだよ」
アンルシアは黙った。判断を奪われる、という言葉が、玉座の間の自分へ重なる。カーロウへ向けた剣を、誰かに操られていたと言い訳することはできなかった。
ユイナはその沈黙を見たが、責める言葉を重ねなかった。炉へ入れた金属を見ながら言う。
「守るものが増えたでしょう」
アンルシアは視線を落とした。小さな魔物を守るために割れた仮面の音が、まだ耳に残っている。
「……私が、守るために?」
「うん。そのためにも、手を空けられるようにしたい」
「でも、私は勇者よ。前に出て、斬らなければならない時もある」
「だから小盾にする」
ユイナは即答した。
「重い大盾じゃない。あなたの剣筋を邪魔しない盾。必要な時だけ出して、受けて、流して、また剣へ戻る」
「収納術の応用?」
「そう」
アンルシアは小さく息を吐いた。
「あなた、本当に全部そこへ繋げるのね」
「便利だから」
「便利、で済ませていい話かしら」
「済ませないために、今作ってる」
ユイナは火の色を見た。金属が熱を持つ。鳴神の剣とは違う音がする。刃の音ではない。もっと低く、内側へ力を抱える音だった。
「アンルシア」
「何?」
「盾は、臆病な人が持つものじゃない」
ユイナは金槌を振り下ろした。澄んだ音が響く。
「守るものがある人が持つものだよ」
アンルシアは何も言えなかった。剣だけを握っていれば、前へ出て、敵を斬り、勇者として光を掲げる方へ意識が向く。自分はそれに慣れすぎていたのかもしれない。
盾は、受ける。庇う。退かずに、誰かを攻撃の線から外す。そういう選択を、左手に残す道具だった。
ユイナが作ろうとしているのは、ただの防具ではなかった。カーロウを斬りかけた自分への、責めではない答えだった。勇者は斬るだけでは足りない。守るものがあってこそ勇者なのだと、アンルシアは受け取った。
やがて、小盾の形が現れた。軽い。けれど薄すぎない。表面には、雷の走る剣とは違う、静かな紋様が刻まれている。混乱と封印を遠ざけるための、細い祈りのような線。ユイナはそれを持ち上げ、アンルシアへ向けた。
「剣で守れるなら、それでいい」
ユイナは言った。
「でも、剣で守れないものもある。盾を持つことで、剣を捨てるわけじゃない。剣をもっと正しく使うために、盾を持つ」
アンルシアは、ゆっくりと手を伸ばした。盾は、思ったより軽かった。左腕に収めると、剣の柄を握る右手が、不思議なほど落ち着いた。
「……剣を両手で握れないのに」
「片手で振るための剣にした」
ユイナは少しだけ笑った。
「鳴神のつるぎも、ミニュアデスの盾も、その前提で合わせてある」
「そこまで考えていたの?」
「職人なので」
アンルシアは呆れたように、けれど少しだけ嬉しそうに盾を見た。
「あなたが作ったなら、大事にするわ」
「ありがとう。でも、盾も更新時期はあるからね」
「……あなた、そういうところよ」
「大事にして。でも更新時期は守って」
アンルシアは小さく笑った。
新しい剣が右手にあり、盾が左腕にある。前へ進むためのものと、踏みとどまるためのもの。どちらもユイナが、自分の使い方を考えて作ったものだった。
アンルシアは試しに剣を両手で握ろうとし、盾の位置を確かめてから腕を下ろした。持ち替え方まで覚えなければ、せっかくの組み合わせを生かせない。大事にする、の中身が一つ増えた気がした。
ユイナはその様子を見て、盾の留め具を少しだけ締め直した。古くなれば更新する。その言葉に寂しさはあっても、次も自分を見て作ってくれるのだと思えば、嫌ではなかった。
勇者の剣にも、値段があり、素材があり、職人がいる。世界を救うにも、装備がいる。大魔王になった盟友は、その手間も金も、自分の手で引き受けてきたのだ。
「大魔王なんて、やっている場合ではないのではない?」
アンルシアが言うと、ユイナは真顔で頷いた。
「本当にそう」
「認めるのね」
「忙しいんだよ。新商品開発もあるし、ギルドマスターたちにも顔を出さないといけないし、相場も見るし、納品もあるし」
「世界の危機は?」
「ある」
「大魔王の仕事は?」
「ある」
「職人は?」
「ある」
「あなた、いつ寝ているの?」
ユイナは少しだけ目を逸らした。アンルシアはため息をついた。
「大魔王になっても、あなたはあなたね」
「褒めてる?」
「呆れているの」
それでも、アンルシアは新しい剣を握った。雷と光が、静かに鳴った。古い剣は失われていない。ただ、今の自分に追いついた。アンルシアは剣を見つめ、そっと呟いた。
「ありがとう」
ユイナは、金槌を置いた手で頬を掻いた。職人として出来を誇りたいのに、その短い礼の方がずっと嬉しい。照れを隠すように、いつもの調子で笑った。
「どういたしまして」