鍛冶場を出る段になっても、アンルシアはすぐには次の目的地を口にしなかった。
フィネトカへ向かうための手掛かりは、まだ残っている。光のツボには、落陽の草原で得た創生のチカラが淡く揺れていた。進むべき道はある。
それでも、アンルシアは戸口で足を止め、ユイナに声をかけた。
「ユイナ」
「何?」
「フィネトカへ行く前に、見せてほしい場所があるの」
「場所?」
「あなたのチーム」
ユイナは瞬きをした。
「うち?」
「ええ。あなたは一人で稼いでいるわけではないと言ったわ。素材を集める人、運ぶ人、作る人、売る人がいると」
アンルシアは、ユイナをまっすぐ見た。
「なら、見ておきたいの。あなたを支えている人たちを」
ユイナは少しだけ困った顔をした。
「格好のつく場所じゃないよ。散らかってるし」
「それは私が決めるわ」
「王女様っぽい」
「あなたも王女様と言っていい立場なのでしょう?」
「今それを返されるとは思わなかった」
ユイナは小さく息を吐き、それから頷いた。
「分かった。案内する」
看板には、風待ち商会とあった。戸口の脇には、もう一枚、雨に褪せた小さな札が掛かっている。風待ち商隊。アンルシアがそちらを見ると、ユイナは札の傾きを直した。
「もとは、この名前の冒険チーム。荷運びを請け負うようになって、商売の帳面だけ商会にしたの。今でも、チームを呼ぶ時は商隊だよ」
勇者の盟友が率いる冒険者の集まり、と聞けば、旗があり、訓練場があり、武器を携えた者たちが整然と待機しているような場所を思い浮かべる。アンルシアも、来るまではそう考えていた。
だが、目の前にあったのは、半分倉庫で、半分工房で、半分事務所のような場所だった。
「半分が三つあるわ」
「そういう場所なの」
ユイナは平然と言った。木箱が積まれている。箱には鉱石、布地、薬草、魚、触媒、菓子といった札がついている。奥では誰かが帳簿をつけ、別の誰かが職人道具を磨き、さらに奥ではプクリポが二人、何かの荷札を見ながら言い争っていた。
アンルシアは入口で立ち止まる。
「ここは……何の場所なの?」
「うち」
「うち」
「チームの拠点。事務所。倉庫。工房。あと、たまに食堂」
「あとが多いわ」
「増えた」
その時、奥から大きな声が飛んだ。
「姐さん、頼まれてた鉱石、奥に入れといたぞ!」
「姐さん言うな。右の棚」
声の主はオーガの男だった。大きな木箱を片手で抱え、もう片方の手で棚を指している。アンルシアが振り返る。
「姐さん?」
「ガルド。護衛と荷運び」
「姐さん呼びなの?」
「やめてと言ってる」
「やめねえけどな」
ガルドは悪びれず笑った。
「仕事をくれる人を何と呼ぶかは、こっちの自由だろ」
「自由ではない」
「じゃあ王女さま?」
「もっとやめて」
ユイナが本気で嫌そうな顔をした。アンルシアはその反応に少しだけ目を細める。
「王女さま呼び、本当に嫌なのね」
「嫌」
「事実ではあるのでしょう?」
「事実だから嫌なの」
ユイナは視線を逸らした。
そこへ、小さな影が荷物の陰から飛び出してきた。
「王女さまー! 帳簿係が呼んでるよー!」
「ポルテ!」
プクリポの少年は、楽しそうに笑った。
「なに、王女さま」
「その呼び方をやめなさい」
「じゃあ、ユイナさん」
「急にまともになるな」
「報酬減らされたくないし」
ポルテは胸を張った。アンルシアはユイナを見る。
「この子は?」
「小口配送と情報収集。ダンダダ団の方から流れてきた」
「ダンダダ団……」
「街の噂に強いし、足も速い。悪いことに知恵を使うくらいなら、うちの仕事で稼いでもらおうと思って」
「それは雇用なの? 更生なの?」
「両方」
「両方なんだ」
ポルテは、そこでようやくアンルシアの顔をまじまじと見た。そして、ぴたりと止まった。
「……勇者さま?」
空気が止まった。次の瞬間、奥から別の声が上がる。
「勇者さまだ!」
「本物!?」
「囲め!」
「囲むな!」
ユイナの声が飛んだ。だが遅かった。帳簿をつけていたエルフの女性が顔を上げ、荷物を運んでいたガルドが目を丸くし、錬金道具を磨いていたドワーフの女性が手を止める。奥からさらに二人ほど、何事かと顔を出した。
アンルシアは一歩後ずさった。
「ユイナ」
「ごめん。うちはこういう感じ」
「かなり近いわ」
「みんな、三歩下がって」
「握手は?」
ポルテが手を上げる。
「あとで」
「あとならいいのか?」
「よくない」
ユイナはきっぱり言った。アンルシアは困りながらも、少しだけ頬を緩めた。グランゼドーラで向けられる敬意とも、戦場で向けられる期待とも違う。もっと雑で、近くて、遠慮のない反応だった。奥からエルフの女性が歩いてくる。髪をきちんとまとめ、帳簿を胸に抱えていた。
「ユイナ様、来客なら先に連絡をください」
「様いらない。急だったから」
「急でも帳簿は待ちません」
「帳簿は待ってくれてもいいと思う」
「待ちません」
ユイナは小さく肩を落とした。
「シェリル。納品管理と帳簿を見てくれてる」
シェリルはアンルシアへ丁寧に頭を下げた。
「風待ち商会のシェリルと申します。お見苦しいところをお見せしました」
「いえ。こちらこそ、急にお邪魔して」
「勇者姫を迎えるには、少々乱雑ですが」
「少々?」
アンルシアは周囲を見る。乱雑ではある。けれど、不思議と無秩序ではない。箱は積まれているが、札は読める。人は騒いでいるが、仕事は止まっていない。誰が何をしているのか、ユイナは一目で把握しているようだった。
シェリルが帳簿を開き直すと、入口から人間の青年が顔を出した。抱えた袋の口から、小枝が一本のぞいている。ユイナを見るなり何か言いかけ、隣のアンルシアに気づいて口を閉じた。
「トビア。枝、引っ掛かるよ」
「あ、はい。……あの、先に納めていいですか」
「もちろん。見せて」
青年は袋を台へ置いた。シェリルが仕入れの控えを開き、ユイナは枝を一本取り出して、濡れていないか指で確かめる。
「今朝、川沿いは避けました。昨日より水が高かったので」
「正解。少なくなった分は?」
「南の道を回って、草を。買い取る数は、先にシェリルさんへ聞きました」
ユイナが頷くと、トビアの肩がやっと下がった。シェリルは数を記し、受取札を彼へ渡した。
「最近、うちに入った人。素材を集めるのと、荷の仕分けを手伝ってもらってる」
ユイナに紹介されて、トビアは改めて頭を下げた。アンルシアも礼を返してから、尋ねた。
「ユイナとは、どこで知り合ったの?」
「カミハルムイの外です。拾える素材の場所を順番に回っていて」
「キラマラ」
ユイナが横から言った。
「私も同じ道を回ってたんだよ」
トビアは、少し照れたように袋の口を折った。あの日は、木の根に残る小さな光を追うばかりで、帰り道も、袋にどれだけ入るかも考えていなかった。追い越していったエルフが少し先で戻ってきた時、拾い残しを責められるのだと思った。
「そっちは戻るのが大変だよ。その荷物で行く?」
声をかけられて、初めて背中の袋を下ろした。肩の紐が食い込んでいた。ユイナは彼の分を自分の物へ混ぜず、道端に枝を並べ、折れやすいものだけ上へ移させた。
「これ、うちなら明日も使う。売り先がまだなら、帰りに寄っていく?」
「値段を、先に聞いてもいいですか」
「聞かないで渡しちゃだめだよ」
その時の言い方を、トビアは覚えていた。持ち込むと、シェリルは傷んだ分も良い分も目の前で分けて値を出した。次の朝は、使える枝を多くして持っていった。三度目にはガルドが、自分の荷を下ろすついでに、空いた棚の位置を教えてくれた。
その次に来た時、トビアは荷運びの便にも加わりたいと言った。ユイナは、自分が留守の日もあるからガルドへ聞いて、と返した。彼の前で、ガルドは翌朝の出発を少し遅らせた。採集の帰りを待てる時刻になっていた。
「採りに行けない日は、行けませんって言っていいんです。だから、続いてます」
話し終えても、トビアは英雄の名を一つも挙げなかった。代わりに、今日の受取札を丁寧に折ってしまった。
「私なんて、道を聞いただけだけどね」
床にしゃがんでいたドワーフの女性が顔を上げた。今まで木箱の陰にいて見えなかったが、膝の前にはドルボードの覆いと、小さな工具箱が置かれていた。
「ミトカ。こちらも、新しく入った人だよ」
ユイナが紹介すると、ミトカは手についた油を布で拭いてから会釈した。
「ガタラで会ったんです。初めてのドルボードを手に入れたくて、修理に要る物を探してた時に」
遺跡へ向かう道を尋ねた相手は、ちょうど素材の袋を抱えて町へ戻ってきたところだった。親切に教えてくれたので、ミトカはもう一つ聞いた。手に入れた後の燃料代は、どのくらいかかるのか、と。
「歩いたら、タダでしょう」
「歩いている間に、店が閉まることもあるよ」
ユイナはそう答えたが、急いで買えとは言わなかった。自分の便が町へ戻る時刻と、ミトカがいつも間に合わないという納品先の店じまいを、二人で比べた。その日、遺跡での用事を終えたミトカは、まだ乗れないドルボードより先に、翌週の配送の仕事を見つけた。
「最初の便、燃料を余らせたと思って喜んだら、帰りの分を数えてなくてね」
「そこで歩いて帰ろうとしたのが、あんたらしいよ」
奥からドワーフの女性が声をかけた。ミトカは苦笑し、工具箱を閉じた。
「今はダナンさんに見てもらってます。減った分だけ足せばいいと思ってると、次の人が困るから」
「貸した工具も、そこへしまう前に拭いて」
「拭きました。ほら」
差し出された工具を確かめるダナンの横を、背の高いウェディの男が通った。彼は入口に乾かしてあった包みをトビアへ渡し、自分は空箱を抱えた。
「セイル、その箱は先に量って」
ガルドに呼ばれ、男は空箱を秤へ載せた。中身がない時の重さを覚えておけ、と言われているらしい。数字を覗き込んでから、箱の底へ小さく印をつけた。
「彼も最近入ったんだよ。セイル。濡らせない荷を任せると、私よりきちんと包んでくれる」
「魚を運んでたので。濡らしたくない物も、濡れてないと困る物もありますから」
セイルは言って、ユイナを見た。
「初めて会った時、この人、雨の中でもまだ拾ってたんですよ」
「あと一か所だったの」
ジュレー島の道で採集を切り上げたセイルは、戻る途中の庇の下から声をかけた。そこで待てば雨が弱くなると教えたのに、ユイナは採った物だけでも先に包もうとした。見かねて敷布を半分空けると、彼女は並んだ品を見て、その草をいつもどこへ売っているのかと尋ねた。
「買う話より先に、乾かしてから数えろって言ったんです。水の重さまで買わせたくないから」
「それで、ガルドに紹介した」
ユイナが言った。セイルは頷き、量り終えた空箱を抱え直した。
「今も、雨なら止まれって言う係です。今日は晴れているので、運びます」
ガルドが笑って、積み上げる場所を空けた。セイルが渡し、ガルドが受ける。その横で、トビアはさっきの袋を裏返して小さな屑を払い、ミトカは次の便に使う燃料を数え始めている。
アンルシアは、自分がまだユイナへ仕事の値段を聞けていないことに気づいた。二億に驚き、もらった剣を握っているだけだった。トビアは、初めて会った日にそれを聞いたのだ。盟友の知らなかった顔を、その青年に少し先に見せてもらった気がした。
ミトカの工具を確かめていたドワーフの女性が、今度はユイナへ手を振った。
「ユイナ社長、錬金済みの在庫、棚を分けといたよ」
「社長でもない」
「帳簿上はだいたい社長だよ」
「やめて」
ユイナはアンルシアへ向き直る。
「ダナン。錬金補助と在庫管理」
「理論値の話をしていた人?」
「その沼を説明できる人」
ダナンはにやりと笑った。
「勇者さま、理論値ってのは性能と見栄と祈りと破産でできてるんだよ」
「破産」
「破産まではしないようにしている」
ユイナが言うと、ダナンは彼女の手首を指した。
「知ってる。だから、そのソポスのうでわは成功品で止めたんでしょ」
ユイナが、ほんのわずか袖を下ろした。アンルシアはその動きを見逃さなかった。
「全部、いちばん良いものではないの?」
「上下と頭、って言ったでしょう」
「ええ。そう言ったわね」
「腕は呪文発動速度。三つとも普通の成功で十八パーセント。充分使えるよ。足は転ばないための備えを揃えた。必要なところを先にね」
「必要なところを選ぶのはいいんだよ」
ダナンは遮らずに聞いてから、ユイナの足元へ目をやった。
「ただ、頭と上下で使いすぎて、サンダルの値札を見た時だけ急に堅実になったのも、私は覚えてる」
「言わなくていいことまで覚えてるね」
「二億で頭から足まで全部を理論値にしようなんて、無理だからねえ。社長にも予算はある」
「社長ではない」
アンルシアは、胸を張って二億と言った時の盟友を思い出した。豪快な金額の下で、うでわ一つ、靴一足にはちゃんと迷っている。それを知っている人が、ここにはいた。
「では、腕と足にも、更新時期があるのね」
「……必要になったら」
「私の時より、返事が慎重だわ」
ユイナが言い返せずにいると、ポルテが横から顔を出した。
「王女様のお買い物、続きがあるの?」
「その呼び方も、続きもいらない」
アンルシアは笑い、それからダナンの言った「破産」をもう一度思い出した。素材を持ち込んだトビアの袋は、もう空になっている。次の仕事まで手元の金でやりくりしなければならない時も、あるのだろう。
「お金の貸し借りは、していないの?」
ユイナは首を横に振った。
「しない」
冗談の余地がない即答だった。近くで帳簿を開いていたシェリルも、その声には目を上げた。
「私は金持ちだと思われてるし、実際そうだけど、ここでは貸さない」
「どうして?」
「関係が変わるから」
ユイナは皆の方を見た。仕事の相談なら遠慮なく来る顔が、借金の話をする顔に変わるのは嫌だった。
「仕事の報酬は払う。必要な消耗品も出す。迷宮に行くなら、世界樹のしずくや魔法の聖水くらいは私が用意することもある。でも、装備は基本的に自前。必要なら作り方や相場は教える。素材の手配もする。けれど、借金では繋がない」
アンルシアは黙った。シェリルが静かに補足した。
「そのあたりは、きっちりしています。ユイナ様は仕事を作りますが、財布にはなりません」
「様いらない」
「これは敬称です」
「それもいらない」
ガルドが笑う。
「まあ、姐さんに金を借りたら、俺たち姐さんに頭が上がらなくなるからな」
「そういうこと」
ユイナは頷いた。
「ここにいる人たちは、私の家来じゃない。自分の仕事をする人たちだから」
アンルシアは、もう一度周囲を見た。
姐さん、ユイナ様、社長、王女さま、ユイナさん、リーダー。呼び方はばらばらで、統一する気もなさそうだった。