Demon's Remnant ― 悪魔の残滓 作:虚空小白
——帝都ヴァルトクローネで杯の試練に参加したが、結果は惨敗だった。悪いことは続いた。セルメア大陸の北には国境があるのだが、その手前に架かっていた橋が、川の増水で壊れてしまった。北のアルテリア大陸に守護の鏡ルミナルディアがある。
警備兵は橋の完成を待つか、別の道を選ぶように告げた。一つは、西のサヴァンナ大陸と北西のヴァルカニア大陸を横断して迂回する。もう一つは、サヴァンナ大陸の北東にある『亡霊の森』を抜ける。亡霊の森は百年前に調査隊が入ったものの、誰一人戻ってこなかった曰く付きの森だった。それを警備兵は笑いながら話していた。
俺もあいつも真剣に聞いていなかった。選択を誤った結果——あいつは命を奪われた。
——帝都ヴァルトクローネを出発してから十日が経過した。
サヴァンナ大陸は荒れ地が広がっている。
日中はうだるような暑さ。夜中でも蒸し暑い場所だった。
不慣れな土地で、ふたりは体力を著しく消耗していた。
それでも互いに励まし合い、亡霊の森に到着した。
周囲に人の気配はなく、静けさが漂う。
ふたりは木陰に移動し、腰を下ろした。
風袋から水入れを取り出し、喉を潤す。
「マーニ、水と食料はまだ残っているか?」
「食料は大丈夫だけど、水が足りないかな」
ソルは手を翳して空を見上げた。
「俺もだな。まさか、こんなに暑いとは思わなかった」
「うん。森の中に果実があればいいけど」
「少し待ってろ」
ソルは立ち上がり、ナイフを取り出し、木の幹を傷つける。
樹液に触れ、においを嗅いだ。
「食材はあると思う。断言はできないがな」
ナイフを風袋に入れ、続けた。
「セルメア大陸とアルテリア大陸を繋ぐ国境の手前には川が流れている。方角からして、森の中に水源があっても不思議じゃない。なければ、この森は枯れているだろうからな」
ソルはマーニに手を伸ばした。
「急ごう。日が暮れる前に、休めそうな場所を見つけて野宿する」
マーニはソルの手を取って立ち上がった。
「うん」
ソルを先頭に、ふたりは森の奥へと進んだ。獣の足跡を見つければ進行方向を変える。
マーニはソルを信じ、その後に続いた。
開けた場所に出て、ソルは足を止めた。
マーニが後ろから顔を出して覗き込む。
ふたりの視線の先には、褐色肌の少女が立っていた。
粗く縫い合わせた獣皮を胴に巻き、肩から背へ白い毛皮を羽織っていた。
首には獣の牙を連ねた飾りが下がり、ボサボサの黒髪が風に揺れる。
両目の下には紅で一本線が引かれている。
腰には剣を下げていた。
茶色い瞳の少女は、剣を抜き、口を開いた。
「Vat a strange geruch……zwei Juugial estar hier. Zis ist ze sacred Raven Romien」
マーニがソルの服を引っ張った。
「ソル、あの子、何を言ってるの」
「わからないが、歓迎されていないのは、確かだな」
少女はマーニを一瞥した。
「Ze femalen lives. Aber ze malen muerto」
ソルは目を細め、盾を構えて叫んだ。
「マーニ、引き返せ!」
マーニは慌てて引き返そうとして、すぐに足を止めた。
数人の男に囲まれていた。男どもは弓に矢を番えた。
少女が叫んだ。
「Warten! Ze femalen wird bear kinder. Solo ze malen Juugial sera hunted!」
次の瞬間、一斉に矢が放たれた。
ソルの脇腹に矢が食い込む。
マーニは目を見開いた。
続けざまに、右肩、左の太もも。
ソルは血を吐いて倒れた。
「マーニ、逃げろ……」
マーニは膝から崩れ落ちた。
手を伸ばし、泣き叫んだ。
「やめてぇぇぇっ!」
少女はソルの背中に剣を突き刺した。
血が流れ、ソルはわずかに痙攣し、動かなくなった。
「……嘘、だよね? ソル……?」
少女は剣を引き抜き、男どもに命じた。
「Blinden ze femalen Juugial. Nein harmen ze anderen」
男どもが近寄り、マーニは地面を這うようにソルのもとへ向かった。
だが、足を掴まれた。
マーニは泣きながら必死に手を伸ばす。
「マーニを泣かすんじゃねぇ!」
ソルが苦痛に顔を歪め、起き上がった。
少女は目を見開き、後退りする。
「Ze messengeral von gott……」
「俺がマーニを守る! その薄汚い手を退けろ!」
ソルは剣を抜き、男どもに斬りかかった。
少女が男どもに命じた。
「Ze malen war ze messengeral von gott. Ze femalen tambien ser ze messengeral von gott. Toten zu confirmalen!」
ソルは必死にマーニを守ろうとした。だが、多勢に無勢。
男の一人が剣を抜いた。
それは無情にも、マーニの胸に突き刺された。
「ソ、ル……」
マーニの伸ばした手が力なく地面に落ちる。
ソルは慌てて彼女のもとへ駆け寄った。
「ごめん、ね……」
「何謝ってんだよ!」
マーニはポケットから手帳を取り出し、ソルの手に握らせた。
「言いたいこと……」
吐血して、続けた。
「山ほどある……」
「回復薬! まだ間に合う!」
マーニは血の気が失せた表情で、精いっぱい微笑んだ。
「聞いて……私は、助からない……」
「変なことを言うな!」
「私の夢……ソル、託す……」
マーニは目を閉じた。力の抜けた手が、地面へ落ちた。
ソルはすぐに自家製の回復薬を飲ませようとした。
だが、マーニの唇から零れた。
ソルはマーニの頬を叩いた。
「目を開けろ! 開けてくれ! 俺を置いて、逝かないでくれ!」
目から涙が流れ落ちる。
「お願いだから、逝かないでくれよ、マーニ……」
マーニは返事をしない。
ソルはマーニの体を強く抱きしめた。
「守ってやれなくて、ごめん。約束を破って、すまなかった——ッ!」
少女の剣が、ソルの背中を突き刺した。
ソルは意識を失った……——
*
——激しい痛みがすぐに意識を引き戻した。
呼吸ができなくなり、首を掻き毟る。
爪で皮膚を裂き、肉を削る。
頭がどうにかなりそうだった。
地面に何度も頭を叩きつける。
牢から声にならない声が漏れ続けた。
——それが五日間続いた。
*
——ソルが不老の魔法を決断してから六日が経過した。
族長は格子の前で足を止めた。
破れた服を纏った銀髪の少年が倒れている。
地面には凝固した血が広がり、岩肌を掻きむしった血痕の下には爪が落ちていた。
抜け落ちた赤い髪が散乱し、噛み砕いたであろう奥歯が転がっている。
族長は自分の前髪を摘まんだ。
「なるほど。不老になると髪の色が変わるのは、僕だけではなかったのですか」
少年は起き上がり、赤い瞳で族長を見つめた。
「途中から意識を失った。声が違うな」
その声は、中性的なものだった。
「まあ、いい。俺は不老不死になったのか?」
「僕の時もそうでした。不老不死になっているはずですよ」
少年は前髪を摘まんで目を見開く。
「髪の色まで変わるのか」
「瞳も赤くなっています」
少年は足元の手帳に手を伸ばし、地面に貼りついたそれを引き剥がして見つめた。
「こんなことになるなら、あんたに預けておけばよかった」
手帳をポケットに入れ、顔を上げた。
「マーニの遺体は、埋葬してくれたのか」
族長は首を縦に振る。
「キミに断りもなくやらせてもらいました。ただし、キミが想像している方法ではありません。我々は自然に生かされています。だから、自然に還すことにしています」
少年は俯いた。
「キミの持ち物と彼女の遺品も保管してあります」
族長は顎にそっと手を当てた。
「キミのことを何と呼べばいいですか。手帳にはソルと書かれていましたが」
しばしの沈黙。
「……あんたたちの言語で、『ソル』はどう発音する」
族長はゆっくりと発音した。
「
「わかった。今後、俺はロゼンと名乗る」
族長が閂板を外し、ロゼンは外へ出た。
——こうして、彼は過去の己と決別した。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
これにて『序章:死を許されなかった者』は完結となります。
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引き続き『Demon's Remnant ― 悪魔の残滓』をよろしくお願いいたします。