Demon's Remnant ― 悪魔の残滓   作:虚空小白

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第十二話 甘美な幻影

 崖を下り、族長はひと際大きな家の前で足を止めた。

 出入口の前には、ヴェラの戦士の少女が立っていた。

 

 ロゼンはその顔に見覚えがあった。

 奥歯を噛み締め、拳を握り締めた。

 

 少女は道を空け、片膝をつき、顔を伏せた。

 

「Kozuchal,nilen ental ze nalcen.

(族長、誰も中には入れておりません)」

 

「Yalen.zenomal ze tiralen naitcone,Kailen.

(これより、彼には試練に挑んでもらう。カイレン、引き続き見張りを頼む)」

 

「Samel ze nalteal.

(仰せのままに)」

 

 族長は振り向き、ロゼンの表情を見て、眉尻を下げた。

 

「そう睨まないでください。彼女は掟に従いました」

 

 それでも、ロゼンは睨みつけるのをやめなかった。

 

「……わかっている」

 

「入ってください」

 

 ロゼンは垂れた布を払い退け、中に入った。

 ふたりの荷物が置かれていた。

 折り畳まれたマーニの旅装束に触れた。

 

「マーニ、ただいま」

 

 返事は返ってこなかった。

 

 族長は静かに息を吐いた。

 

「しばらく席を外します。剣と盾以外は、まだそのままにしてください」

 

 それだけ言い残し、その場を後にした。

 

 ロゼンはマーニの旅装束を強く抱きしめた。

 目から涙を流し、声を押し殺して泣いた。

 

 ひと頻り泣いた後、ロゼンは言った。

 

「マーニ、行ってくる」

 

 剣を腰に下げ、外に出た。

 族長はカイレンと会話していた。

 ロゼンの気配に気づき、会話を中断した。

 

「案内してくれ」

 

「盾はよろしいんですか?」

 

 ロゼンは息を吐いた。

 

「ああ。もう必要なくなった」

 

「案内します」

 

 族長が歩き出し、ロゼンは後に続いた。

 

 ヴェラの民は、族長の気配に気づき、慌てて道を空け、片膝をついて顔を伏せた。

 ロゼンを一瞥し、動揺が広がった。

 

 族長はロゼンに声をかけた。

 

「試練は、集落の外れにある試練の洞で行います。出入口は岩で塞いでいます」

 

 淡々とした口調で続けた。

 

「見張りを二名立たせるので、ヌシを殺し、牙を回収したらすぐに引き返してください。そして、出口の前で声を上げてください。見張りには、それが合図と伝えてあります。彼らが岩を動かして出口を空けるので出てください」

 

 ロゼンは族長に質問を投げかけた。

 

「閉じ込めているのに、ヌシは生きているのか?」

 

 族長は笑いながら答えた。

 

「生命力が桁外れに強いんです。初めて洞に足を踏み入れた時、僕の足に噛み付いたのが原因だと思います」

 

 ロゼンは剣の位置を調整した。

 

「ヌシは不老不死なのか?」

 

 しばしの沈黙。

 

「長命ですが、それはないと思います」

 

 試練の洞の出入口は岩で塞がれていた。

 地面には岩を引きずって動かした跡が残っていた。

 

 二人の見張りが片膝をつき、頭を垂れた。

 

 族長は二人に命じた。

 

「Raven Nishel,zenomal ze tiralen naitcone.nilen ze roken ental ze nalcen.

(これよりヴェラの戦士の試練を行う。中から合図があるまで、決して岩を動かすな)」

 

「Samel ze nalteal.

(仰せのままに)」

 

 二人の見張りが立ち上がり、横から岩を押すと、少しずつ動き出した。

 

 隙間から異臭が漂ってくる。

 動物の排泄物と死骸の腐敗臭だった。

 

 ロゼンは顔を歪めた。

 込み上げる吐き気を抑え込み、すぐに口呼吸に変えて中に入った。

 

 背後で岩が動き、洞内は光を失った。

 

 剣を抜き、耳だけを頼りに暗闇の中を突き進んだ。

 

 奥へ進むと、暗闇の中で赤い眼が左右にゆらゆらと動いていた。

 

 ロゼンは詠唱を始めた。

 

「氷の精霊フロストよ、大気を凍てつかせ、空間を支配せよ。——ブリザード!」

 

 洞内にどこからともなく冷風が吹いた。

 やがて、それは霙となり、洞内で吹き荒れた。

 

 ロゼンは目を細めて敵の正体を視認した。

 

 巨大な蛇だった。

 のたうち回る蛇は凍り付き、最後に低い唸り声を上げた。

 

「こいつがヌシか」

 

 ロゼンはヌシに近づき、剣で抉るように牙の根元を突き刺し、抜け落ちた牙を回収した。

 

 踵を返し、引き返そうとして——

 

 足を止めた。

 

 目の前に、赤い髪の少女が立っていた。

 ロゼンに青い瞳を向けた。

 

「ソル……だよね?」

 

 ロゼンは顔を伏せた。

 

「どうして、何も言ってくれないの?」

 

 ロゼンは剣を強く握り締めた。

 そして、剣を振り上げた。

 

「——あいつの顔で、あいつの声で、俺に話しかけるな!」

 

 だが、剣を振り下ろすことができなかった。

 

 少女は怒るでもなく、怯えるでもなく、ただ柔らかく微笑んだ。

 

「ソル、私ね。ひとりでずっと寂しかったの」

 

 ロゼンの手から剣が滑り落ちる。

 少女の目を見つめ、声を振り絞った。

 

「マーニ、ごめん。ずっと悩んでいたのを、俺は気づいてやれなかった」

 

 マーニは腰の後ろで手を組んだ。

 

「本当だよ。私の気持ちも知らないで、どうせ魔女の日だから機嫌が悪いとか考えていたんでしょう」

 

 ロゼンは笑って誤魔化した。

 

「マーニは、ここで何をしているんだ?」

 

 マーニは頬を膨らませた。

 

「それは私が知りたいよ。気づけば、ここにいたんだよ。ここには誰もいないし、出口も見当たらないんだよ」

 

 ロゼンは少し俯いた。

 

「俺はマーニが死んで埋葬されたと聞いた」

 

 顔を上げ、マーニを見つめた。

 

「マーニも不死だったんだな」

 

 マーニは右の頬に手を当てた。

 

「道理で餓死しないわけだね」

 

 ロゼンは笑って言った。

 

「だが、ここの料理は不味い。俺は無理やり食べさせられて吐いたからな」

 

 ふふっ、とマーニは笑った。

 

「それで、別人のように外見が変わったんだね」

 

 ロゼンは首を横に振った。

 

「これは、不老の魔法でこうなった。今の俺は不老不死なんだ」

 

 マーニはロゼンの元に近寄った。

 

「不老の魔法……?」

 

 ロゼンは頷いた。

 

「ああ。死なないのに、死ぬほどきつかったんだぜ」

 

 マーニが腰を下ろし、地面をポンポンと叩いた。

 ロゼンはマーニの隣に腰を下ろした。

 

 それから、ふたりは話に花を咲かせた——




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