Demon's Remnant ― 悪魔の残滓   作:虚空小白

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第三話 足跡・参

 ——さざ波の宿の食堂で働くメアリーと出会った。彼女の出身地は孤島村だった。だから船長は、俺たちにこの宿を紹介したのかもしれない。何も知らない俺たちのことを考えて。

 彼女からいろいろと話を聞いた。銀貨二枚は、高い勉強代だったと割り切ることにした。

 

 ——翌朝。

 いびきをかいて眠っていたソルは、ドアをノックする音で目を覚ました。

 

「起きて、ソル。朝だよ」

 

 ソルはベッドから降り、目を擦りながらドアを開ける。

 カバンを背負い、手に剣を持ったマーニが立っていた。

 

「マーニ、今起きた」

 

 大きな欠伸をひとつ。

 

「ここで待ってるから、二度寝しないでよ」

 

 ソルのまぶたが半開きになった。

 

 マーニは腰に手を当て、頬を膨らませた。

 

「ねえ、ソル。聞いてるの?」

 

「わかってるって。昨日は寝付けなかったんだ」

 

「それはわかるけど、しっかりしてよね」

 

「ああ。顔、洗ってくる」

 

 ドアを閉めた。

 

 洗面所で顔を洗い、布切れで拭いた後、台に置かれたハーブスティックを一本手に取る。

 殺菌作用があり、いい香りがした。

 

 枝の端を噛み潰し、ブラシ状にしてから歯を磨く。

 使い終わったものはゴミ箱に捨て、口を濯ぎ、布切れで口元を拭いた。

 

 トイレで用を済ませた。

 

 昨夜洗って部屋に干した旅装束に着替え、衣類をカバンに詰め込む。

 壁に立て掛けた剣を腰に下げ、鍵をポケットに入れ、部屋を出た。

 

 マーニは古びた紙を広げて、目を通していた。

 

「お待たせ。何を見ているんだ?」

 

 ソルはマーニの後ろへ回り、古びた紙を覗き込む。

 それは、魔法の設計図だった。

 

「寝癖を直す魔法……?」

 

「うん。メアリーから借りたの」

 

 ソルは首を傾げた。

 

「これは、本当に魔法なのか……?」

 

「一応ね。今は『まじない』だよ」

 

「まじない?」

 

「今と違って、四百年前は魔法という言葉が珍しかったんだよ」

 

 一拍置いて、続けた。

 

「賢者ヴェルナートが魔法を再定義した。この設計図は、『賢者の落書き』と呼ばれているの。当時は魔法だったけど、時代の流れとともにまじないと呼ばれるようになった」

 

「それで、まじないか」

 

「うん。寝癖は櫛があれば十分だからね。賢者の落書きは他にもあるけど、今じゃ銅貨一ルミナの価値すらないんだって」

 

 マーニは賢者の落書きを四つ折りにしてポケットに突っ込んだ。

 

 振り向き、ソルの寝癖を見て、笑みを浮かべる。

 

「何笑ってんだよ」

 

 マーニがソルの髪を指さす。

 

「寝癖ついてるよ」

 

「ほっとけば直るだろう」

 

「ダメだよ。私たちはもう子どもじゃないんだから」

 

 ソルは手櫛で強引に髪を整えようとした。

 

「ちょうどいいや。ソル、じっとしてて」

 

「ん? ああ、まじないか」

 

 マーニは両手をパンッと叩き、まじないをかけた。

 すると、ソルの髪型が元通りになる。

 

「これでよしっと。寝癖を直したよ」

 

 ソルは無造作に髪を摘まんだ。

 

「確かに、寝癖が直っているな」

 

 自分の髪をいじりながらマーニを見つめる。

 

「いつの間にメアリーと仲良くなったんだ」

 

「歩きながら話すよ」

 

 ふたりは食堂へと向かった。

 

「昨日、洗い場で服を洗っていると、メアリーに話しかけられて旅の目的を聞かれたの」

 

 マーニは階段を一段飛ばして降りた。

 

「よっと。メアリーは私の話を笑わずに聞いてくれたよ」

 

「それで、メアリーが賢者の落書きを貸してくれたのか?」

 

「うん。魔法のことをほ(・)ん(・)の(・)少(・)し(・)話したら、賢者の落書きを見せてくれて、朝ご飯を食べに来てくれたら、あげるって言われたの」

 

 ソルは思わず乾いた笑いを漏らした。

 

 マーニは魔法に強い関心を持っている。

 ほんの少しが、常人にとっては耐えがたい苦痛となってしまう。

 

 ソルは疲れ切ったメアリーの表情を想像し、同情した。

 

 ふたりは階段を下り、受付で鍵を返却して食堂へ向かった。

 メアリーがどこか疲れ果てた笑顔で出迎える。

 

「ソルも苦労したんだね」

 

「わかってくれるか」

 

 マーニは小首を傾げた。

 

「二人して何の話?」

 

 ソルとメアリーの顔を交互に見た。

 二人は笑って誤魔化す。

 

 マーニは腰に手を当て、メアリーに尋ねた。

 

「メアリー、朝ご飯を食べに来たので、賢者の落書きは約束通り私がもらってもいいんですよね?」

 

「構わないよ。ウチには必要ないからね」

 

「やった!」

 

 くすっ、とメアリーは笑ったが、死んだ魚のような目をしていた。

 

「こちらの席へどうぞ」

 

 ふたりは足元にカバンを置き、イスに腰を下ろした。

 

「魚介スープと丸パンでいいかい?」

 

 ふたりは頷いた。

 

「少し待っててね」

 

 メアリーは厨房へ向かう。

 

 マーニはソルに顔を向けた。

 その瞳が輝いていた。

 

 ソルは姿勢を正した。

 

「さっきの続きだけど、賢者の落書きは、所有者じゃないと使えない。でも、変だと思わない?」

 

「マーニはメアリーから借りているのに使えたことか?」

 

「そう。本来なら私はまじないが使えないはずなんだけど、この場合、持っている人が所有者として扱われるようだね」

 

 昔は貴重な品だったんだろう。盗まれないように誰かが言った嘘が広まったんだろうな——ソルは内心で思った。

 

「よかったんじゃないか。話は変わるが、食べた後はどうする?」

 

 マーニは座り直した。

 

「物価に関しては、私たちが旅に慣れてくればわかることだから、アクアレインを見て回らない?」

 

「ああ。いい考えだな」

 

 マーニは手を合わせてお願いした。

 

「その前に口入屋へ行きたいの」

 

「今から金の心配か。十年間、村の手伝いをしてコツコツ貯めたから、まだ余裕があるだろう?」

 

 マーニは首を横に振った。

 

「口入屋は仕事を斡旋しているんだけど、依頼人と交渉して報酬を変えてもらうこともできるんだよ。だからね——」

 

 上目遣いでソルを見る。

 

 ソルは大きな息を吐いた。

 

「賢者の落書きを集めたい、か」

 

 マーニはこくんと頷いた。

 

「ソルもまじないには興味があるよね?」

 

「魔法史のことになると、俺以上に熱くなるよな。別に構わないが、旅の目的を忘れるなよ」

 

 マーニは満面の笑みを浮かべた。

 

「わかってるよ。ありがとう、ソル」

 

 メアリーが料理を並べ、苦笑いを浮かべる。

 

「最近、小麦粉の質が落ちてね。丸パンは魚介スープに浸してから食べるといいよ」

 

 ソルはメアリーに話しかけた。

 

「メアリー、食事と宿の相場はわかるか?」

 

「食事は一食、銅貨五ルミナ前後が目安だよ。他の宿だと一泊、銀貨三ルミナかな。昨日、マーニにも伝えたけど、この街のことしか知らなくてごめんね」

 

「いや、十分だ。引き留めて悪かった」

 

「気にしなくていいよ。他の客が呼んでいるから、またね」

 

 すぐに注文を取りに行ってしまった。

 

「さっさと食べて、口入屋へ行くとするか」

 

「うん!」

 

 ソルは丸パンを一口食べて顔を顰めた。

 マーニも同じだった。

 

「何かパサパサしてるな」

 

「スープと合うようにしているんだよ。でも、匂いが良くない」

 

「そうだな。小麦の香りがしなかった」

 

 マーニは丸パンを一口の大きさにちぎって、魚介スープに浸してから口に運ぶ。

 

「魚介スープを濃厚にして、丸パンの香りを誤魔化しているね」

 

 隣を通りがかったメアリーが頭に手を当て、苦笑した。

 

「やっぱりわかっちゃうか。雨が続いたから小麦がダメになる前に収穫したって話だよ。食べられるだけ、まだマシだけどね」

 

 厨房から女将の視線を感じ、メアリーは慌てて仕事に戻った。

 

 ソルはスープに浸した丸パンを口に運びながら、マーニに尋ねた。

 

「口入屋に寄る前に、鍛冶屋へ行かないか。防具を新調したい」

 

「それもそうだね。装備の相場も知る必要があるね」

 

「よしっ、決まりだな」

 

 ——マーニは魔法史のことになると周りが見えなくなる。俺がついてやらないと……——




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