Demon's Remnant ― 悪魔の残滓 作:虚空小白
——ソルは目を覚ました。
「……夢だったのか——ッ!」
吐き気が込み上げ、吐瀉物を撒き散らした。
ふらつきながら立ち上がり、格子へ近寄って声を絞り出す。
「誰かいないのか。喉が渇いた。水をくれないか」
しばらくして足音が聞こえ、男が水入れを持ってやってきた。
ソルに水入れを手渡し、吐瀉物を一瞥する。
「やはり口に合いませんでしたか。ですが、内臓が回復しているようで安心しました」
ソルは水で喉を潤し、男に尋ねた。
「まだ話してくれないのか?」
「顔色も良くなっています」
男は中に入り、出入口を塞ぐように立った。
「それでは話すとしましょう」
男は咳払いをひとつ。
「同行していた少女についてでしたね。彼女は亡くなりました」
ソルは奥歯を噛み締めた。
「あの女のせいだ! 殺してやる!」
男は静かに告げた。
「それを命じたのが、僕です」
次の瞬間、ソルは男の顔面を殴りつけた。
男は尻もちをつく。しかし、ソルから目を逸らさなかった。
「マーニが! あいつが一体何をしたって言うんだよ!」
ソルは男の胸倉を掴み、顔面を何度も殴りつけた。
——ソルは違和感を覚えた。
殴りつける度に傷が癒える。
男は抵抗もせず、ひたすらソルを見つめ返している。
ソルは殴るのをやめ、後退りした。
男は体を起こし、折れた歯を吐き捨てる。
「僕もキミと同じく死を許されなかった。一つだけ違う点は、どれだけ痛めつけられようと傷が癒えてしまうことです」
男は毛皮の内側からナイフを取り出し、自らの左手に突き刺し、傷口を広げてからナイフを引き抜いた。
流れ落ちた血液が逆流するように戻り、傷口が跡形もなく塞がる。
「もう三百年近く生きている不老不死です。ヴェラの民からは神の使いと呼ばれていますが、そんな大それたものではありません。ごく普通の家庭に生まれ、人と同じように育てられました。キミと同じように、気づけば不死になっていました」
ソルは手を振り払って否定し、言い返した。
「それとマーニの死にどういう関係がある!」
男はナイフをしまった。
「不死を見分けることはできません。だから、殺すよう命じました。キミたちを保護するために」
ソルは目を血走らせた。
「保護だと……ふざけるな!」
男は淡々とした口調で答えた。
「今のキミからすれば、そう思うのも無理はありません」
冷たい眼差しを向ける。
「ですが、不死になった者の末路を知っていますか」
ソルは息を呑んだ。
「末路だと……?」
男は息を吐いた。
「あれはいつだったかもう忘れましたが、僕は事故に遭い、それを見ていた者たちは死んだと思ったんです。僕自身も死を覚悟していました。ですが、生きていました。それから、迫害を受けるようになりました」
静かに目を伏せる。
「それが、僕一人ならまだよかったんです。ですが、家族にまで被害が及びました。僕たち一家は生きるのに疲れ果て、死に場所を求めていました」
口元を緩めた。
「そんな時に、魔王ネクロヴァルと出会い、彼に保護されました。彼は不老の魔法を提案しました。僕は彼の提案を受け入れました。不死になった者が、僕と同じ目に遭わないようにするために」
ソルは奥歯を噛み締め、拳を握り締めた。
「だからって、こんなこと許されるのかよ!」
男は目を細める。
「それでは、見て見ぬふりをすればよかったというのですか」
その声には、わずかな怒気が含まれていた。
ソルは言い返そうとした。だが、怒りばかりが込み上げ、言葉にならなかった。
男は咳払いを一つ挟んだ。
「僕は歴史の真実を知ってしまいました。その選択が正しいと思い、行動に移しました」
ソルの目をまっすぐ見つめる。
「僕は彼と盟約を交わしました。僕たち一家は、このヴェラの森に集落を作りました」
男の声がわずかに揺れた。
「ですが、子どもたちに罪はありません。子どもを作るなとは言えませんでした。近親交配にも限界を感じ、森に足を踏み入れた旅人を攫ったこともありました。僕と違い、彼らには寿命があります。彼らは生きるのに必死でした。ですが、我々も被害を受けました」
淡々とした口調で続ける。
男の感情が、ソルには読み取れなかった。
「誘拐、強姦、暴行、殺人——だから僕は族長になり、言語体系を変え、ヴェラの民と名乗り、掟を作り、外部との関わりを極力避けました」
族長は両手を広げた。
「家族を失う痛みは理解しています。キミの気が済むまで、僕を殴ってくれて構いません。懐にあるナイフで突き刺しても構いません。どれだけ謝罪の言葉を尽くしても、あの少女は蘇りません」
ソルは膝から崩れ落ちた。
涙を流し、自身を呪う。
「くそっ」
族長は毛皮の内側から手帳を取り出し、ソルの目の前に置いた。
血痕が付着した手帳は、マーニの物だった。
「これは、キミが手に持っていた手帳です。中を確認させてもらいました。これを読んだ上で決断してください」
一拍置いて、続けた。
「不老不死として永劫の時を生きるのか。すべての記憶を忘却し、理性を失った怪物になるのか」
腰を下ろし、ソルを見据える。
ソルは手帳を手に取り、ページをめくった。
*
ソルへ
これを読んでいる頃、私はもういない。
聖女様と出逢ったあの日、私は彼女から内緒で教えてもらった。
ソルは悪魔化現象に墜ちている。
そして、私は命を落とす。
旅をやめれば、私は助かるけど、ソルが悪魔になってしまう。
ソルには運命を変える力がある。
でも、それは私がいなくなった後の話。
私には思い当たる節があった。
ツェーンに投げ飛ばされた時、ソルが動かなくなった。
ソルは悔しがっていたけど、もし打ち所が悪ければ死んでいても不思議じゃなかった。
だから、私は聖女様の言葉を信じることにした。
それが、いつ訪れるのかわからない。
不安だった。
ソルに話せば、きっと旅を中断する。
そうなれば、ソルが悪魔になってしまう。
それだけは、許せなかった。
レイ・ドランの手記を届ける時、ソルは迷わなかった。
私もあれでよかったと思っている。
マルコスは、養母のためなら、この命すら惜しくないと言っていた。
私は彼の話を聞いて、未来を想像した。
死ぬのは怖いけど、ソルが悪魔になってしまうほうが、私は怖かった。
だから、死ぬのなんて怖くないと思えるようになった。
でも、私の存在を忘れられるのだけは怖かった。
私は後悔していない。
だから、私のせいで自分を責めないでほしい。
私の最期のわがまま。
夢を追いかけて。
マーニ・アルヘイナ
*
ソルの瞳が潤み、涙が頬を伝う。
「言いたいことが、山ほどあるんじゃなかったのかよ……」
手帳には何度もページを破った跡があった。
指先でその跡を撫でる。
「俺がマーニを守ると誓った。それなのに、俺はあいつに守られていたことにすら気づかなかった……」
マーニとの記憶が、波のように押し寄せてきた。
涙がとめどなく溢れる。
「夢を追いかけてって何だよ……。くそっ。これじゃ、さっきの俺がバカみたいじゃないか……」
手帳を握り締めた。
「こんな姿、マーニに見られたら笑われてしまうな」
手の甲で涙を拭い、深呼吸をひとつ。
「俺はマーニのことを忘れない! だから——」
顔を上げ、族長を見据えた。
「俺を不老にしろ!」
族長は立ち上がった。
「不老の魔法は数日の間、激痛を伴います。死に至るほどの苦痛に耐えなければなりません。外見も大きく変化します。生殖機能も失います。——それでも、後悔しませんね?」
「ああ。始めろ。あいつのためにも、足を止めるわけにはいかない」
族長は頷いた。
「わかりました。キミの意思を尊重しましょう」
ソルに近寄り、頭に手を置く。
詠唱を始めた。
「太古の理よ、彼の者に宿れ。朽ちることなく、変わることなく、ただ在り続けよ。刻まれし姿を失うことなく、流転の時を退けよ。刻の契約を、今ここに果たさん」
手を離し、踵を返した。
「僕は失礼します」
足音が遠ざかった直後、変化が始まった。
ソルは吐血し、のけ反るように倒れ込んだ。
奥歯を噛み締め、声を押し殺す。
全身の骨がわずかにずれ、筋肉が隆起し、血管が裂ける。
頭に激痛が走り、脳が焼き切れそうに熱くなる。
嘔吐し、絶叫した。
「があああぁぁぁあ——ッ!」
白目を剥いたまま気を失った……——
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
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