Demon's Remnant ― 悪魔の残滓 作:虚空小白
——……これは、夢の続きか。
——意識を取り戻したソルは、仰向けに倒れていた。
ソルは体を起こし、すぐさま剣を握り直す。
ツェーンと目が合った瞬間、急に足腰が震え始めた。
ソルは後退りし、背後の木に背をぶつける。
ソルはツェーンに恐怖心を抱いていた。
その様子を見て、ツェーンが笑った。
「まるで生まれたての草食動物だな」
ソルは奥歯を噛み締める。
ツェーンの笑みがすぐに消えた。
マーニが剣を構え、ツェーンの前に立ち塞がった。
「ツェーン、あなたに一撃でも当てればいいんですよね?」
ツェーンが鼻で笑った。
「魔法使いが戦士の真似事なんてやめておけ。怪我をしたくなければ、そこを退けっ」
マーニはツェーンをまっすぐ見つめた。
「退きません」
横目でソルを見る。
「ソル、ここは私に任せて」
ツェーンはため息をついた。
「言ってもわかんねぇようだな!」
地を蹴った。
ハルバードを大きく振り上げ、マーニへ振り下ろす。
マーニは左へ半歩分、身体をずらし、剣を振り抜いた。
ハルバードがピタリと止まる。
「何……っ!?」
マーニの剣はツェーンの首筋に届き、裂けた外套から鎖帷子が鈍く光った。
ツェーンは言葉を失う。
マーニは静かに告げた。
「私の勝ちです」
ツェーンは森中に響き渡るほどの大声で笑った。
「マール、お前、見かけによらず強いな」
「マーニです」
「マーニ、一つ聞かせろ。お前はソルよりも強い。なぜ、あいつの後ろに隠れて、こそこそと戦っているんだ」
マーニは静かに息を吐いた。
「八年前、父さんから木剣をもらった日のことです。私とソルは木剣で勝負しました。私が三十二勝、ソルが一勝。幼い頃の私たちの戦績です」
「わからねぇな。それでどうして魔法使いになろうと思った」
マーニは俯いた。
「初めて森で狩りをした時の話です。獣の前で私は一歩も動くことができませんでした。その獣はソルが狩りました」
「恐怖で足が竦んだのか」
マーニは首を横に振った。
「私は、相手の動きを観察してからじゃないと動けないことがわかったんです。ソルに一敗した時もそうでした。獣や虫は動きが予測できません。このままでは旅に支障が出ると思い、ソルに役割を代わってもらったんです」
マーニは苦笑いを浮かべる。
「ソルの魔法は、私よりもすごいんです。でも、剣で私に勝つまで魔法を使わないと言ったきり、魔法を使わなくなりました。私がソルの才能をダメにしてしまったんです」
ソルが「くそっ」と言い、マーニは彼に顔を向けた。
「ソルは、負けず嫌いなんです」
ツェーンはハルバードを肩に担ぎ、ソルを一瞥した。
「お前たちの勝ちだ」
魔獣の頭に目を向ける。
「その首はお前たちにやる。アタシからの詫びだと思ってくれ。じゃあな」
ツェーンはその場を立ち去った。
マーニはソルの元へ駆け寄った。
「ソル、大丈夫?」
「ああ。カバンを背負っていたおかげで怪我をしなかった」
ソルは腰を下ろした。
マーニは唇を嚙み締める。
「ごめん」
ふたりの声が重なった。
「マーニが何で謝るんだよ。俺が危なくなったら手を貸す約束だっただろう」
「じゃあ、ソルは何で謝ったの?」
「また泣かせるところだった」
ソルは静かに目を伏せた。
「俺が守ると約束したはずだったのにな」
マーニはソルにデコピンをした。
ソルは顔を上げ、赤くなった額を手で摩った。
「何するんだよ」
「ソルの気持ちは嬉しいけど、私はもう子どもじゃないんだよ」
「そうだったな」
ソルは魔獣の頭に目を向けた。
「で、これは、どうすればいいんだ?」
「ツェーンは……もういないし、持って帰って口入屋の人に聞くしかないよ」
「わかった。俺が持つよ。マーニ、魔獣は瘴気を放つ。焼き払えるか?」
マーニは首を横に振った。
「精霊痕のない私じゃ、三象の炎の魔法は使えないよ」
ソルは立ち上がり、剣を鞘に収める。
「わかった。俺がやる」
マーニは思わず聞き返した。
「剣で私に勝つまで魔法を使わないんじゃなかったの?」
「二人の会話を聞いて、気づかされた。変な意地は、今日で捨てる。それに、このまま放置できないだろう?」
ソルは左手に巻いた包帯を外した。
露わになった手の甲には、精霊痕が刻まれている。
精霊痕は、生まれつき左手の甲に現れる、三象の魔法を扱える者の証しだ。
マーニは後ろへ下がり、ソルの背中を見つめた。
ソルは呼吸を整え、詠唱を始める。
「炎の精霊イフリートよ、万物を灰さえ残さず焼き尽くせ。——フレアヴァニッシュ!」
次の瞬間、魔獣の死骸を中心に熱波が広がった。
死肉は急速にしぼみ、体液とともに蒸発していく。
やがて、魔獣の胴体が横たわっていた場所には、戦闘の痕跡だけが残された。
ソルは前のめりに崩れ落ち、地べたに手をついた。
全身から湯気が立ち上り、額には大粒の汗が浮かんでいる。
すぐさまマーニが魔法を唱えた。
「水の精霊ウンディーネよ、彼の者を炎熱から護りたまえ。——アクアシールド!」
ソルの足元から水泡が浮き上がり、全身を包み込む。
熱を帯びた体が、急速に冷やされていった。
彼は潰れたカバンの中から水入れを取り出し、喉を鳴らしながら水を飲み干した。
「ぷはーっ、生き返る!」
「私の水もいる?」
「いや、水はもういい。久々に魔法を使ったから効果範囲を見誤った。マーニは大丈夫か?」
「うん。私は魔法に慣れているから平気なんだと思う」
ソルは息を吐いた。
「強がるなよ。汗が出ているぞ」
「これは、ツェーンの攻撃を間一髪で避けた時、安堵したからだよ」
「はいはい。そういうことにしておくよ」
マーニは頬を膨らませた。
「盾、借りるよ。私がソルを守るから」
「おう。それじゃ戻るとするか」
ふたりはカバンを背負った。
マーニを先頭に、ふたりは森を抜け出した。ソルは魔獣の頭を引きずっていた。
*
——水都アクアレインへ戻り、口入屋の前に魔獣の頭を置き、中に入った。
受付がひとつ咳払いをした。
「まずは、依頼の件ですが、ありがとうございます」
ふたりを一瞥し、話を続けた。
「ツェーン様より、報酬をすべて同行者に渡すよう伝言を預かっております。お二人のお名前をお聞かせください」
「ソルだ」
「マーニです」
受付は書類に視線を落とし、顔を上げた。
「確認できました」
口元を緩めた。
「死骸の処理もお任せください」
「それなら俺がやったけど」
受付はソルの精霊痕を一瞥した。
「お手を煩わせてしまい、申し訳ありません。ですが、現場を確認しなければなりません。知っての通り、魔物や魔獣は瘴気を放ち、周辺の土地が汚染されてしまいます。すぐに金剛石級のハウンドを手配します。報酬をご用意いたしますので、少々お待ちください」
受付は足早に立ち去った。
「マーニ、金剛石級のハウンドってすごいのか?」
「うん。エレメンティアは北部平原にあるんだけど、壁を築いて監視しているのがルミナルディアだよ。北部平原に足を踏み入れるためには、ルミナルディアのハウンド管理局で試験を受けて実力を証明しなければならない。序列一位階の実力者が、金剛石級だよ」
マーニは笑みを浮かべ、ソルを見る。
「ソルは精霊痕持ちだから、金剛石級も夢じゃないかもね」
「俺はこれからも剣で戦うからな」
「どうして?」
ソルは拳を握り締めた。
「俺はツェーンに手も足も出なかった。その上、手を抜かれていた。こんなんじゃ英雄になれやしない」
「ソルは私のわがままを聞いてくれた。私もソルのわがままを聞くからね」
「おう」
マーニはソルの拳に、そっと自分の拳を重ねた。
受付が報酬を乗せたトレイを持って戻ってきた。
「こちらが今回の報酬です」
金貨一枚と、黒曜石と
受付が報酬の説明を始める。
「今回、森のヌシ討伐報酬として金貨一ルミナをご用意しておりました。しかし、魔獣の討伐が確認されましたので、追加報酬をお渡しします。魔物や魔獣は、禁忌指定の討伐対象です。発見された場合は、黒曜石を一粒。討伐された場合、今回は魔獣ですので、曹灰長石を一粒お渡しします。これらの輝石の換金は、ルミナルディアの口入屋で行っております」
輝石とは、錬成加工の際に出る宝石の屑を再利用した、濁りのある石。土埃が混ざり、本来の輝きを失っているため、それ自体に金銭的価値はない。
マーニが小首を傾げた。
「ここで換金できないんですか?」
「申し訳ありません。そういう決まりになっております」
受付は顔を近づけ、小声で言った。
「ルミナルディアは北部平原を調査するために強者を募っています。自国に招くため、換金できる場所を一カ所にしたのです」
ソルが笑った。
「目的地は同じだし、いいじゃないか」
「そうね」
受付は姿勢を正した。
「ご理解いただけたようで何よりです」
マーニは報酬を受け取り、布袋に入れた。
「ソル様、マーニ様、一つだけご忠告申し上げます。ひと昔前は討伐対象の一部を持ち込むことで、その証明としていましたが、現代は容易に真偽を見抜くことができます。次回からは持ち込み不要です。ご理解のほどよろしくお願いします」
受付は外に置かれた魔獣の頭に目をやった。
「そちらは金剛石級のハウンドに処理していただくので、そのままで結構です」
「はい」
ふたりは頭を下げて、外に出た。
「怒られちゃったね」
「そうだな」
マーニがソルの手を掴んだ。
「診療所で診てもらうよ」
「もう平気だし、いいって」
「それは、診療所の先生が判断することだよ」
ソルは口をつぐんだ。
マーニの声に、有無を言わせない何かがあった。
——俺は、あいつを守ることができなかった。ただただ悔しかったのを、今でも覚えている。
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