Demon's Remnant ― 悪魔の残滓 作:虚空小白
——あの後、旅支度を済ませ、水都アクアレインからヴェントクレアを目指した。道中、あいつには小言を言われ、八つ当たりのように、まじないの実験台にされてしまった。
この夢は、ヴェントクレアに到着してからの記憶だ。
——セルメア大陸の中央からやや南に位置するヴェントクレアは、小麦粉の産地として有名な村だった。
石造りの巨大な風車が建ち並び、その内部では小麦が粉に挽かれていた。村全体から小麦のいい香りが漂っていた。
ふたりはヴェントクレアに到着し、ため息をついた。
マーニがソルをじっと見つめる。
「ソル、三日で着くんじゃなかったの?」
ソルは地図に視線を落とした。
「地図と方位磁石なんて初めて使ったからな。方角だけだとわからないって」
マーニは息を吐いた。
「地図をくれた警備兵の人が親切で良かったね。あのまま風車が見つからなかったら、今頃どうなっていたことか」
ソルは笑って誤魔化した。
「こうなると思って、食料をたくさん買っておいて正解だっただろう」
マーニが横目でソルを見る。
「それは、ソルが食べたかっただけでしょう!」
マーニに言い当てられ、ソルは返す言葉が見つからなかった。
一陣の風が吹き、広大な小麦畑が揺れる。
ソルは小麦畑の前で屈み、耕された土を手に取り、匂いを嗅いだ。
少量の土を口に含み、飲み込む。
「この村は気候に恵まれているな」
「ソル、その妙な癖、直したほうがいいよ」
ソルは立ち上がり、土汚れを手で払った。
「悪い。雨のにおいがしなかったから、つい気になってな」
マーニは小首を傾げた。
「雨なんか降らなかったよ?」
ソルは腕を組んだ。
「アクアレインでメアリーが言っていただろう? 小麦の質が落ちたって」
「そんなこと言っていたね」
ソルは首を縦に振った。
「だから、気になったんだよ」
「まさか、調べるなんて言わないよね?」
ソルが歩き出し、マーニは隣に並ぶ。
「単に気になったってだけだ」
ふたりは周囲を見渡した。
「マーニ、先に宿と食事ができる場所を探そう」
「うん」
ふたりは通りがかった男性に声をかけた。
「この村はヴェントクレアで間違いないか?」
男性は微笑んだ。
「そうだよ。宿と食事ができる場所を探しているのなら、この通りを歩いた先にある」
「ありがとう。ついでに尋ねるが、レイ・ドランの家族は、どこに住んでいるんだ」
男性は肩を竦めた。
「キミたち、大口叩きのレイに騙されたのか?」
「大口叩きのレイ?」
男性は首を縦に振った。
「ああ。あいつはいつも嘘ばかりついていたからね。大口叩きのレイと言えば、この村で知らない奴はいないよ」
ソルは冷静な口調で言った。
「俺たちは、レイ・ドランについて何も知らない。それでも、残された家族に伝えるべきことがあってやってきたんだ」
男性は言葉の意味を考えた。
「残された家族……?」
ため息をついた。
「そういうことか。高台の大きな家に、あいつの家族は住んでいる」
立ち去ろうとして、足を止めた。
「レイはいつも嘘をついていたが、どこか憎めない奴だった。この村も静かになるな……」
男性の背中が遠ざかった。
「先に、レイ・ドランの家族に会いにいこう」
マーニはソルの服を引っ張った。
「本当に、それでいいのかな」
「じゃあ、このまま次の街を目指すのか?」
マーニは首を横に振った。
「わからないよ」
俯き、そのまま続けた。
「でも、レイ・ドランの家族は悲しむと思う」
顔を上げ、ソルを見つめる。
「楽市露店で買った
ソルはマーニの肩を掴んだ。
「レイ・ドランは嘘つきだったかもしれない。だが、手記を書いた本人が、『故郷の家族に自分の死を伝えてほしい』と望んでいる。マーニの言いたいことはわかるし、間違っていない。だが、俺には死を覚悟したレイ・ドランの気持ちを踏みにじることはできない」
しばしの沈黙。
「……そうだね。この問題は私たちだけで決めていいわけじゃない。高台だったね、行こう」
ふたりはレイ・ドランの家へ向かった。
ひと際大きな家の前で足を止め、ソルはドアをノックした。
ドアが開き、中年の女性は不審な表情でふたりを見た。
「レイ・ドランの家族ですか?」
「はい。母親のケニーです」
ソルは手記を取り出し、ケニーに手渡した。
「これを届けに来ました」
ケニーは首を傾げて手記を見た。
「あの、これは……?」
「レイ・ドランの手帳です」
「まあ、それはご親切にありがとうございます。一カ月前に家出して帰ってこないので、心配していたんです。レイは元気でしたか?」
ソルが言い淀んでいると、マーニがまじないをかけた。
彼の口が勝手に動く。
「偶然道端に落ちていたのを見つけたので、知り合いではないんです」
ケニーは手記を胸元に当てた。
「そうだったんですね」
「俺たちは急いでいるので、これで失礼します」
ふたりは一礼し、足早に立ち去った。
ドアが閉まった。
高台を下りようとしたところで——ケニーの泣き声が背中を打った。
声を押し殺そうとして、押し殺しきれない、そういう泣き方だった。
ふたりは足を止めなかった。止められなかった。
「マーニ、これでよかったんだよな」
マーニは無言のまま、俯いていた。
「俺はレイ・ドランの気持ちを優先したが、残された家族の気持ちを深く考えないようにしていた。喜ばれるとは思っていない。だけど、残された家族の顔を見た瞬間、マーニの言う通り、あれが正しい行いだったのかわからなくなってしまった」
「でも、ソルは決断した。私は……」
マーニはしばらく黙って、ドランの家を振り返った。
それから、ソルに微笑んだ。
「あれでよかったと思うよ。残された家族は、ずっと忘れないだろうから」
ソルは口元を緩めた。
「少し気が楽になった。ありがとな、マーニ」
「うん」
マーニは前を向いた。
「宿で部屋を取ったら、次の目的地を決めよう」
「ああ」
ふたりは宿へ向かった。
——俺はレイ・ドランの意志を優先した。俺の行動で、あいつの覚悟が決まってしまったのかと思うと、俺がやったことは、本当に正しかったのだろうか。それを確かめる術は、存在しない。あいつは、もういないのだから……。
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