Demon's Remnant ― 悪魔の残滓   作:虚空小白

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第八話 足跡・漆

 ——あの後、旅支度を済ませ、水都アクアレインからヴェントクレアを目指した。道中、あいつには小言を言われ、八つ当たりのように、まじないの実験台にされてしまった。

 この夢は、ヴェントクレアに到着してからの記憶だ。

 

 ——セルメア大陸の中央からやや南に位置するヴェントクレアは、小麦粉の産地として有名な村だった。

 

 石造りの巨大な風車が建ち並び、その内部では小麦が粉に挽かれていた。村全体から小麦のいい香りが漂っていた。

 

 ふたりはヴェントクレアに到着し、ため息をついた。

 マーニがソルをじっと見つめる。

 

「ソル、三日で着くんじゃなかったの?」

 

 ソルは地図に視線を落とした。

 

「地図と方位磁石なんて初めて使ったからな。方角だけだとわからないって」

 

 マーニは息を吐いた。

 

「地図をくれた警備兵の人が親切で良かったね。あのまま風車が見つからなかったら、今頃どうなっていたことか」

 

 ソルは笑って誤魔化した。

 

「こうなると思って、食料をたくさん買っておいて正解だっただろう」

 

 マーニが横目でソルを見る。

 

「それは、ソルが食べたかっただけでしょう!」

 

 マーニに言い当てられ、ソルは返す言葉が見つからなかった。

 

 一陣の風が吹き、広大な小麦畑が揺れる。

 

 ソルは小麦畑の前で屈み、耕された土を手に取り、匂いを嗅いだ。

 少量の土を口に含み、飲み込む。

 

「この村は気候に恵まれているな」

 

「ソル、その妙な癖、直したほうがいいよ」

 

 ソルは立ち上がり、土汚れを手で払った。

 

「悪い。雨のにおいがしなかったから、つい気になってな」

 

 マーニは小首を傾げた。

 

「雨なんか降らなかったよ?」

 

 ソルは腕を組んだ。

 

「アクアレインでメアリーが言っていただろう? 小麦の質が落ちたって」

 

「そんなこと言っていたね」

 

 ソルは首を縦に振った。

 

「だから、気になったんだよ」

 

「まさか、調べるなんて言わないよね?」

 

 ソルが歩き出し、マーニは隣に並ぶ。

 

「単に気になったってだけだ」

 

 ふたりは周囲を見渡した。

 

「マーニ、先に宿と食事ができる場所を探そう」

 

「うん」

 

 ふたりは通りがかった男性に声をかけた。

 

「この村はヴェントクレアで間違いないか?」

 

 男性は微笑んだ。

 

「そうだよ。宿と食事ができる場所を探しているのなら、この通りを歩いた先にある」

 

「ありがとう。ついでに尋ねるが、レイ・ドランの家族は、どこに住んでいるんだ」

 

 男性は肩を竦めた。

 

「キミたち、大口叩きのレイに騙されたのか?」

 

「大口叩きのレイ?」

 

 男性は首を縦に振った。

 

「ああ。あいつはいつも嘘ばかりついていたからね。大口叩きのレイと言えば、この村で知らない奴はいないよ」

 

 ソルは冷静な口調で言った。

 

「俺たちは、レイ・ドランについて何も知らない。それでも、残された家族に伝えるべきことがあってやってきたんだ」

 

 男性は言葉の意味を考えた。

 

「残された家族……?」

 

 ため息をついた。

 

「そういうことか。高台の大きな家に、あいつの家族は住んでいる」

 

 立ち去ろうとして、足を止めた。

 

「レイはいつも嘘をついていたが、どこか憎めない奴だった。この村も静かになるな……」

 

 男性の背中が遠ざかった。

 

「先に、レイ・ドランの家族に会いにいこう」

 

 マーニはソルの服を引っ張った。

 

「本当に、それでいいのかな」

 

「じゃあ、このまま次の街を目指すのか?」

 

 マーニは首を横に振った。

 

「わからないよ」

 

 俯き、そのまま続けた。

 

「でも、レイ・ドランの家族は悲しむと思う」

 

 顔を上げ、ソルを見つめる。

 

「楽市露店で買った風袋(ふうたい)の中から遺品が見つからなければ、こんな気持ちにもならなかった――そう考えるようになってしまったの」

 

 ソルはマーニの肩を掴んだ。

 

「レイ・ドランは嘘つきだったかもしれない。だが、手記を書いた本人が、『故郷の家族に自分の死を伝えてほしい』と望んでいる。マーニの言いたいことはわかるし、間違っていない。だが、俺には死を覚悟したレイ・ドランの気持ちを踏みにじることはできない」

 

 しばしの沈黙。

 

「……そうだね。この問題は私たちだけで決めていいわけじゃない。高台だったね、行こう」

 

 ふたりはレイ・ドランの家へ向かった。

 

 ひと際大きな家の前で足を止め、ソルはドアをノックした。

 ドアが開き、中年の女性は不審な表情でふたりを見た。

 

「レイ・ドランの家族ですか?」

 

「はい。母親のケニーです」

 

 ソルは手記を取り出し、ケニーに手渡した。

 

「これを届けに来ました」

 

 ケニーは首を傾げて手記を見た。

 

「あの、これは……?」

 

「レイ・ドランの手帳です」

 

「まあ、それはご親切にありがとうございます。一カ月前に家出して帰ってこないので、心配していたんです。レイは元気でしたか?」

 

 ソルが言い淀んでいると、マーニがまじないをかけた。

 彼の口が勝手に動く。

 

「偶然道端に落ちていたのを見つけたので、知り合いではないんです」

 

 ケニーは手記を胸元に当てた。

 

「そうだったんですね」

 

「俺たちは急いでいるので、これで失礼します」

 

 ふたりは一礼し、足早に立ち去った。

 

 ドアが閉まった。

 

 高台を下りようとしたところで——ケニーの泣き声が背中を打った。

 声を押し殺そうとして、押し殺しきれない、そういう泣き方だった。

 

 ふたりは足を止めなかった。止められなかった。

 

「マーニ、これでよかったんだよな」

 

 マーニは無言のまま、俯いていた。

 

「俺はレイ・ドランの気持ちを優先したが、残された家族の気持ちを深く考えないようにしていた。喜ばれるとは思っていない。だけど、残された家族の顔を見た瞬間、マーニの言う通り、あれが正しい行いだったのかわからなくなってしまった」

 

「でも、ソルは決断した。私は……」

 

 マーニはしばらく黙って、ドランの家を振り返った。

 それから、ソルに微笑んだ。

 

「あれでよかったと思うよ。残された家族は、ずっと忘れないだろうから」

 

 ソルは口元を緩めた。

 

「少し気が楽になった。ありがとな、マーニ」

 

「うん」

 

 マーニは前を向いた。

 

「宿で部屋を取ったら、次の目的地を決めよう」

 

「ああ」

 

 ふたりは宿へ向かった。

 

 ——俺はレイ・ドランの意志を優先した。俺の行動で、あいつの覚悟が決まってしまったのかと思うと、俺がやったことは、本当に正しかったのだろうか。それを確かめる術は、存在しない。あいつは、もういないのだから……。




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