祈りの残響 ー佐倉杏子の幸福の定義ー   作:キルケル

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第6話 君は友人が多いのか

翌週の夕方、神崎はまた紙袋を持っていた。

杏子は玄関の前で、それを見た瞬間に顔をしかめた。

 

「……まさかとは思うけどな」

「そのまさかだ」

 

神崎は靴を履きながら、いつものように落ち着いていた。

白いシャツに、少しだけきちんとした上着。髪も整っている。

それが腹立たしい。

 

「あんた、先週何があったか覚えてるか?」

「当然だ。友人の家に出向いた」

「あのな。押しかけたっていうんだよああいうのは」

「訪問したと考えていいだろう」

「いや、あのリアクションはどう考えて押しかけ扱いだったろ」

「鹿目さんは、次は事前に連絡をと言っていた」

 

神崎は携帯を取り出し、画面を杏子に見せる。

そこには、簡潔な文面が並んでいた。

 

『先日は突然失礼いたしました。

 改めてご挨拶に伺ってもよろしいでしょうか』

 

それに対する返信。

 

『是非お越しください。娘もいると思います』

 

杏子は画面を見て、額を押さえた。

 

「鹿目さん、人が良すぎるだろ……」

「良い方だ」

 

わざわざ本気で確認したらしい。

しばらくはいかないだろうと考えていたのだが、行動力の化身の神崎にそんな予測は甘い考えだった。

 

あの夜、魔女は倒した。

十時半の約束は少し破ったが。

 

あれから一週間。

神崎は仕事をし、講義をし、夜には帰り、杏子の食事を確認し、十時の約束を守らせようとし、クッキーを焼き続けた。

 

そして今日。また鹿目家に行くと言い出した。

 

「いや、別にいいんだけどさあ」

 

杏子は低く言った。

 

「何度も言うけど、あの人は親父じゃねぇ」

「当然だ」

「……鹿目さんは鹿目さんだぞ」

 

神崎は少し黙った。

 

「……私は、友人が多いほうではない」

「むしろいるのか?」

「大学には同僚や学生がいる」

「それは友人じゃなくて職場の人だろ」

 

神崎は真剣に考え込んだ。

杏子はため息をつく。

 

「友達作りたいなら、もっと普通の入り方しろよ」

「……難しいな」

「難しくねぇよ普通にやりゃあ良いんだよこういうのは」

「君は友人が多いのか」

「……」

 

杏子は一瞬、言葉に詰まった。

神崎はすぐに気づいたように、視線を少し下げる。

 

「すまない」

「やめろ。多いし。つうかそれ関係ないだろ!謝んな!」

「今のは不用意だった。すまない」

「だから謝んなって!」

 

杏子は乱暴に上着を取った。

 

「……別に友達なんかいなくても困んねぇよ」

 

魔女退治をしていると、人付き合いは減る。

呼ばれても断る。約束を守れないことがある。

 

それを説明できない。

 

魔女が出るから。結界に入るから。人が死ぬかもしれないから。

 

そんなことを言える相手は少ない。

だから、最初から距離を置く。

 

そうすれば楽だ。誰にも迷惑をかけない。自分も傷つかない。

そう思っている。思っているはずだった。

 

やがて、無言で二人は部屋を出た。

鍵を閉める神崎の手元を、杏子は何気なく見ていた。

 

あの夜。自分が戻るまで、神崎はきっと鍵を閉めなかった。

そう思うと、胸の奥が少し重くなる。

 

 

 

*

 

 

 

鹿目家は、夕方の光の中で穏やかに佇んでいた。

門の前で、杏子は一度足を止める。

 

「最後の確認な……いいか。わけわかんねえ告白とかすんなよ」

「そういう類の感情はないことは前回で確認できた」

「友人として、接するんだぞ」

「当然だ」

「よし」

 

杏子は深く息を吐いた。神崎は呼び鈴の前に立つ。

指先が、ほんの少しだけ止まった。杏子はそれに気づいた。

 

「……ビビってんのか」

「少し」

「大丈夫だっての。押せよ」

 

呼び鈴が鳴る。

少しして、足音が聞こえた。扉が開く。

 

「……ああ!どうも先日は。こんにちは」

 

現れたのは鹿目知久だった。柔らかな笑顔。自然な声。

どこか家の中の温度をそのまま運んでくるような人だった。

 

「佐倉さんも。改めて。先日はどうも」

 

鹿目知久はそう言って、二人を迎えた。神崎は丁寧に頭を下げる。

 

「こちらこそ、突然失礼いたしました。

 本日はお時間をいただき、ありがとうございます」

「あはは。どうぞ、上がってください」

 

杏子は小さく神崎を睨んだ。今のところ、普通だ。

問題ない。むしろ普通すぎて不気味なくらいだ。

 

「お邪魔します」

 

神崎が言う。

 

「あ……お、お邪魔します」

 

杏子も少し遅れて言った。

 

鹿目家の中は、明るかった。

 

きちんと片づいている。けれど、生活感がないわけではない。

子供の靴があり、小さな鞄があり、どこかから夕食の下準備の匂いがする。

 

神崎の部屋とは違う。

 

神崎の部屋は、本と資料と少し焦げた菓子の匂いがする。

鹿目家は、家族の匂いがした。杏子はそれを意識して、少しだけ視線を下げた。

 

「愛する妻の家です。ぜひ自慢したいですが……こちらへどうぞ」

 

案内されたリビングには、テーブルがあり、ソファがあり、明るいカーテンが揺れていた。

 

「私宛のお客さまは来ないのでうれしいです。

 今、お茶を淹れますね」

「……お構いなく」

「いいえ。せっかく来てくださったんですから」

 

鹿目知久は穏やかに笑って、台所へ向かった。

神崎は視線をテーブルに落とした。

 

そのとき、廊下のほうから足音がした。

 

「あれ、お客さんなの?」

 

声がする。杏子が振り向くと、そこに少女が立っていた。

 

桃色の髪。少し丸い目。

 

制服ではなく、家で過ごすための柔らかそうな服を着ている。

 

少女は、神崎と杏子を見て、ぱちぱちと瞬きをした。

 

「……こんにちは」

 

丁寧に頭を下げる。神崎も頭を下げた。

 

「こんにちは」

 

杏子は少し遅れて手を上げる。

 

「……あ、うん。……よ」

 

少女は杏子を見て、少しだけ笑った。

 

「か、鹿目まどかですっ!」

「…………さ、佐倉杏子だ」

「……う、うんっ。杏子ちゃん、でいいかな?」

「……いきなり近いな」

「あ、ごめんね」

「……別にいいけど」

 

まどかは少しほっとしたように笑った。

それから神崎を見る。

 

「えっと、神崎さん、ですよね。パパから聞いてます」

「……光栄です。神崎恒一です」

 

神崎は丁寧に名乗った。まどかはその顔を見上げ、少しだけ目を丸くした。

 

「……わ」

「わ?」

 

杏子が眉をひそめる。まどかは慌てて首を振った。

 

「あ、すみません。なんでもないです」

「なんでもない顔じゃなかったぞ」

「えっと」

 

まどかは少し頬を赤くした。

 

「かっこいい人だなって、思って」

 

杏子は即座に顔をしかめた。

 

正直に言って。

 

杏子もその場だけの印象で言えば同じ思いだった。

 

故に。

同じ立ち位置ではないのだから、瞬時に言葉が出た。

 

「ないっ」

「え?」

「それはないっ!」

 

まどかは困ったように笑った。

 

「杏子ちゃん、すごく強く否定するね」

「強く否定する必要があるからな」

 

杏子は神崎をちらりと見る。神崎は、少し困った顔をしていた。

 

「外見については、判断しづらい」

「しなくていい。

 あんたはそういうのより先にまずは頼むから普通になってくれ」

 

まどかは二人のやり取りを見て、くすっと笑った。

 

「仲がいいんだね」

「これが仲よく見えるなら目ん玉取り替えろ」

「でも、仲が悪かったらそんな風に言えないよ」

 

神崎は少し考えた。

 

「私個人としては非常に良いと考えている」

「……あんたも黙れ」

「君が認めてくれるように努力しよう」

「…………」

 

まどかはまた笑った。

その笑い方が、知久に少し似ていた。

 

柔らかくて、人を責めない。

何も知らないまま、目の前のものをそのまま受け取るような笑い。

 

杏子は少しだけ目を逸らした。

 

まどかは異常に普通だった。

この状態で。

普通に挨拶をして。普通に笑って。普通に神崎をかっこいいなどと言った。

 

その最後だけはいただけない。

 

「本当に、かっこいいと思っただけなんだけどなぁ……」

 

まどかが小さく言う。

 

「こいつはそういう範疇にいれるな。面倒だぞ」

「面倒?」

「ああ。ものすごく面倒だ」

 

神崎は否定しなかった。杏子の判断を尊重しているのだろう。

まどかは首を傾げる。

 

「で、でも、優しそうだよ?」

「はぁ……優しさの出し方が変なんだよ。

 十時に帰らせるためにクッキーすげえ焼くタイプ」

「……?」

 

まどかは少し困った顔をしながらも二人を交互に見た。

 

杏子は深くため息をついた。神崎は少しだけ視線を落としていた。

しかし、二人とも口元には少しだけ笑みが浮かんでいた。

 

そのとき、鹿目知久がお茶を持って戻ってきた。

 

「お待たせ。まどか、対応してくれてありがとうね」

「ううん。ご挨拶してただけ。二人ともすごくいい人そうだね」

「そうだろう?二人とも、パパの友達なんだよ」

 

テーブルに湯呑みを並べる。

動きが自然で、無駄がなく、落ち着いている。

鹿目知久は穏やかに座った。

 

「神崎さんは、大学で講師をされているんでしたよね」

「おっしゃるとおりです」

「何を教えていらっしゃるんですか?」

「近代思想史を中心に」

「すごいですね」

「……いえ」

 

神崎は首を振る。

 

「締切を守らない学生と向き合う仕事です」

 

鹿目知久が笑った。

 

「それは大変そうですね」

「大変です。生徒がですが」

「あはは。確かにその通りですね……

 でもその指導をする神崎さんも大変なのでは」

「仕事ですから」

 

鹿目知久は本当に楽しそうに笑った。

 

神崎の肩が、ほんの少しだけ緩む。

杏子はそれを見ていた。神崎が、誰かと普通に会話している。

 

不思議な感じがした。危なっかしいはずなのに。

少しだけ、よかったとも思う。それがまた腹立たしい。

 

「杏子ちゃんは、神崎さんと一緒に住んでるの?」

 

まどかがそっと聞いてきた。

 

「まあな」

「親戚の人なの?」

「違う」

「じゃあ、えっと」

 

まどかは言葉を探す。杏子は湯呑みを見つめた。

 

「色々あってな」

「……そっか」

 

まどかはそれ以上、無理に聞かなかった。

その遠慮の仕方が、少しだけありがたかった。

 

「神崎さん、優しい?」

 

まどかが小声で聞く。杏子は即答しようとして、少し詰まった。

 

「……変」

「変?」

「優しいっていうか、変」

「あはは……そっか」

 

まどかは笑った。

 

「でも、杏子ちゃんのこと……すごく好きなんだと思う」

「……」

「さっきから、ずっと気にしてる」

 

杏子は神崎のほうを見た。

 

神崎は鹿目知久と話している。

近代思想史から、なぜか家庭での料理の話になっていた。

 

「料理は、あまり得意ではありません」

「そうなんですか?お菓子はお持ちくださったのに」

「今日は市販のものです。自作は重いと学びました」

「重い?」

「杏子に指摘されました」

 

鹿目知久が杏子を見る。

 

「しっかりしているんだね」

「し、してねぇよ」

 

杏子はどもりながらも即答した。

 

「あいつがしっかりしてないだけだ」

「そうなの?」

 

まどかが笑う。

 

「そうだよ」

「でも、神崎さん、落ち着いてるよ」

「落ち着いて変なことするやつが一番危ねぇんだよ」

 

神崎は真面目に頷いた。

自分のことなのに頷いている神崎をみて、まどかは笑った。

鹿目知久も笑った。空気は穏やかだった。

 

杏子は少しだけ、肩の力を抜いた。

 

思っていたより悪くない。

まどかも変に踏み込まない。

このままなら、何事もなく帰れるかもしれない。

 

そう思った瞬間、神崎が言った。

 

「鹿目さん」

「はい?」

「改めて……私は、あなたと仲良くなりたいと思っています」

 

杏子は湯呑みを吹きかけた。

 

「直球かっ!」

 

まどかも目を丸くする鹿目知久は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに穏やかに笑った。

 

「ええ。神崎さん、お若いのに落ち着いていらっしゃるし、

 話していて面白いですから」

 

神崎は少しだけ目を伏せた。

 

「ありがとうございます」

 

杏子は机の下で拳を握る。

 

「私は、友人として交友を持ちたいと考えています」

「友人として交友、ですか」

 

鹿目知久は少し不思議そうにしながら笑った。

杏子は相変わらず直球の神崎に檄を飛ばす。

 

「普通そういうことは言わねえんだよ!」

「だが、言葉にしないと相手に誤解を与えてしまう時もある」

「そうならないように日頃から心掛けろよっ!」

「あはは。お二人は本当に仲が良いんですね」

「っ良くねぇ!」

 

杏子は反射的に否定した。けれど、声が少しだけ遅れた。

まどかがそれに気づいたように、ほんの少し目を細めた。

 

嫌な感じではない。からかうでもない。

ただ、何かを見つけたような目だった。

 

杏子は居心地が悪くなって、顔を背ける。

 

「神崎さん?」

 

鹿目知久が言った。

 

「私でよければ、またお話ししましょう。

 大学のことも面白そうですし、まどかにも勉強になるかもしれません」

「ありがとうございます」

 

神崎は深く頭を下げた。その頭の下げ方が、丁寧すぎた。

杏子は小声で言う。

 

「深い。九〇度まで曲げて礼する必要ないだろ」

「感謝している」

「重いんだよ」

「きちんとした相手だ。そうなる。

 ……もちろん、軽くする努力をする」

「努力じゃなくて成功しろ」

 

まどかが笑った。

 

「杏子ちゃん、その言い方よくするの?」

「何が」

「努力じゃなくて成功しろ、って」

「こいつが努力だけで結果見せないで済ませるからだよ」

「でも、なんかいいね。すごく仲良しな感じがして」

「……だから違うって」

 

杏子はまた否定した。けれど、まどかは本当に純粋に笑顔のままだった。

そのまっすぐさに、杏子は少し戸惑った。

 

 

 

*

 

 

 

大人二人の話が、大学の講義から家事の分担、さらに子供の勉強の見方へ移っていくころ、まどかは杏子に小さく声をかけた。

 

「少し、こっちで話してもいい?」

「……別に」

 

鹿目知久は微笑ましそうに、神崎は普段通りの透明な瞳で見ている。

 

杏子はその視線から逃げるように、まどかについてリビングの端へ移動した。

そこには小さなクッションと、雑誌や本が置かれていた。

 

まどかは杏子に座るよう促す。

 

「ごめんね。急に。杏子ちゃんと二人で話してみたかったから」

「物好きだな」

 

杏子は床に座り、片膝を立てた。まどかは少し迷ってから、その向かいに座る。

近い。だが、不快ではない。

 

まどかは、距離の詰め方が妙に柔らかかった。押しつけない。

でも引きすぎない。

 

「杏子ちゃんって、学校はどこ?」

「風見野のほう。見滝原との境にあるから割と近い

 ……ちょっと前は、行ったり行かなかったりしてたときもあったけど」

「あはは。そうなんだ」

「……説教すんのか」

「ええ?しないよ」

 

まどかはそう言って、考え込むように少しだけ目を伏せてから杏子を見た。

はにかむように笑いながら。

 

「聞かれたくないなら聞かない」

「……」

 

杏子は黙った。聞かれたくない。

けれど、完全に聞かれたくないわけでもない。

 

自分のことを、誰かが普通に知ろうとしてくる感覚が久しぶりだった。

 

「忙しいんだよ」

 

杏子は少し投げやりに言った。

 

「何で?」

 

まどかはすぐに聞いてから、はっとしたように口元を押さえた。

 

「あ、ごめん。聞きすぎた?」

 

杏子は視線を神崎のほうへ向けた。

 

神崎は鹿目知久と話している。鹿目知久が何か言い、神崎が真面目に頷く。

会話としては成立している。今のところ危険は少ない。

 

杏子は少しだけ口の端を上げた。

 

「いや、あいつの手伝いとか……やってる感じかな」

「神崎さんの?大学のお仕事だよね。

 杏子ちゃんすごーい!」

「いやまあだいぶ違うけどさ。

 あいつが手伝えっていうことを手伝ってる感じかな」

 

嘘ではない。完全には、というト書きがつくが。

 

神崎の手伝い。夜に帰る理由になる。

魔女退治をして、何食わぬ顔で戻る。

 

神崎の生活の中に、自分がいる。自分の生活の中に、神崎がいる。

それをどう説明すればいいのかわからないから、手伝いということにした。

 

「ほんとにすごいね。えーいいなあ。

 杏子ちゃんすごいなあ……」

「すごいすごい言い過ぎ。

 あいつ、変な方向に走るからそれ止めてるだけだよ」

 

まどかは少し考えた。

 

「今日みたいに?

 たしかに、少し……ええと。うん。

 少しだけ不思議な人だから、止めてあげないといけないこと、あるかも」

「少しじゃねぇだろどう見ても」

「で、でも、悪い人じゃないよ絶対」

「悪いやつじゃないのは知ってる」

 

杏子は言ってから、少し驚いた。自然に出た言葉だった。

 

悪いやつではない。

面倒くさい。重い。ずれている。

でも、悪いやつではない。それどころか、たぶん。

 

そこまで考えて、杏子はやめた。

 

「杏子ちゃんは、神崎さんのこと大事なんだね」

「……は?いや、意味わかんねえし」

 

まどかはにこにこしている。

その顔が少し腹立たしくて、同時にくすぐったい。

 

「何笑ってんだよ」

「ごめんね。でも杏子ちゃん、わかりやすいなって」

 

まどかは小さく笑った。杏子も、少しだけ肩の力を抜いた。

リビングの向こうでは、神崎が何かを真剣に説明している。

 

「学生に理解させるには、まず学生が理解していないことを、

 こちらが理解しなければなりません」

「なるほど」

「ただし、理解していないことを理解していない学生もいます」

「深いですね」

「深くはありません。実例を言えば、提出期限前日の学生です」

 

鹿目知久が笑う。神崎は真面目だ。

真面目すぎて、時々笑いになる。

 

それを鹿目知久がちゃんと笑ってくれることに、杏子は少しだけ安心していた。

 

父は、神崎を信者として見ていた。

鹿目知久は、たぶん神崎を変わった友人として見ている。

 

「杏子ちゃん」

「なんだよ」

「わたしとも、仲良くしてくれる?」

 

まどかは、少し緊張したように言った。

杏子はまどかを見る。

 

まどかは真面目な顔をしている。

軽い思いつきではなさそうだった。

 

「今日会ったばっかだろ」

「うん」

「……付き合い悪いし変なやつだぞ、あたし」

「神崎さんより?」

「……比較対象が悪い」

「ふふ」

 

まどかは笑った。

 

「でも、杏子ちゃん、神崎さんと同じでやさしいと思う」

「どこをどうみたらそうなるんだよ……」

「神崎さんのこと、ずっと気にしてるし」

「監視だよ監視」

「パパとの話のときも、神崎さんが変なこと言わないようにしてた」

「それも監視っ」

「あ、でもわたしが神崎さんのことかっこいいって言ったとき、

 すごく嫌そうだったね?ブラコンなのかな?」

「やめろっ!!ありえないっ!

 単にやらかさないようにしてただけっ!!」

 

有り得ない想定に杏子は思わず声を大きくした。

神崎と鹿目知久がこちらを見る。

 

「どうかしたか」

「なんでもねぇ!」

 

杏子は即答した。まどかは少し肩を震わせて笑っている。

 

「笑うな……いいか。まず、あいつとはそういうんじゃねえ。

 そもそも、あいつは見た目がどうこうって問題じゃねぇんだよ。

 デリケートなんだよ」

「デリケート?どんな風に?」

「……まあ、色々」

 

神崎が杏子の父に恋をしていた。

 

そんなことを、まどかに言えるわけがない。

軽々しく言っていい話ではない。

 

神崎がゲイであることは、杏子が勝手に話すことではない。

だから杏子は、乱暴に言葉を濁した。

 

「あいつは、ああ見えて面倒な事情がある。

 だから、かっこいいとか言うな」

「え、うん。でもかっこいいって否定しちゃダメな理由なのかな」

「ああ。なんかむかつくからダメだ」

「ええー?それは神崎さん、可哀想だよ」

 

杏子はため息をついた。

まどかは表情の柔らかいまま困ったように笑った。

 

神崎は、嘘をついてまで自分を引き取って、杏子の場所を作った。

夜に帰る理由をくれて、クッキーを焼いて待っている。

 

だから、その分くらいは……こいつがまた自滅しないように、見張るくらいは。

 

そう思っているだけだ。

 

「わたし、杏子ちゃんと友達になりたい」

 

まどかがもう一度言った。今度は、さっきより少しはっきりと。

杏子は返事に困った。

 

友達。その言葉は、魔女退治より面倒な気がした。

 

「……さっきも言ったけど。あたし、あんまり付き合いよくねぇぞ。

 夜とか、用事で急にいなくなるし」

「うん。でも杏子ちゃんとそれでも仲良くなりたい」

「連絡返せないこともある……理由も言えねぇことが多い」

 

まどかは、少しだけ考えた。そして、頷いた。

 

「いいよっ!それでも友達、なりたいっ」

「軽いな」

「ええっ……しっかり考えたつもりだよっ?」

 

まどかは膝の上で手を重ねた。

 

「でも、最初から全部話してもらえるとは思ってないから……

 わたしも、聞きすぎないようにするね?」

「聞きたいんじゃねぇの?」

「でも、無理に聞いたら、杏子ちゃん困るでしょ」

 

杏子は何も言えなくなった。

まどかは、やわらかく笑う。

 

「だから、話せるところからでいいよ」

「……変なやつ」

「神崎さんほど?」

「だから比較対象が悪いって」

 

二人は小さく笑った。それは、本当に小さな笑いだった。

 

でも、杏子には少し久しぶりの感覚だった。

 

魔女のことや父のことに、神崎のことも。

何もかも説明しなくていい場所で、ただ少しだけ笑う。

それが、思ったより悪くなかった。

 

 

 

*

 

 

 

リビングに戻ると、神崎と鹿目知久はなぜか料理の話をしていた。

 

「クッキーが焦げる原因は、温度管理でしょうか」

「それもありますが、生地の厚さや焼き時間もありますね」

「なるほど」

「オーブンによって癖がありますから」

 

神崎は真剣にメモを取っていた。

杏子はメモするほどの内容かと苦笑いをした。

 

「何してんだあんた。そんなメモとるほどのことか」

「メモを取ることで記憶への定着を図ろうとしている」

「重いんだよあんた。困ってんだろ鹿目さん」

 

鹿目知久は苦笑しながらも答えた。

 

「いや、でも嬉しいよ。

 大人になると、新しい友人ってなかなかできないからね」

 

 

 

*

 

 

 

帰るころには、外はすっかり暗くなっていた。

玄関先で鹿目知久が見送ってくれる。まどかも隣に立っていた。

 

「今日はありがとうございました」

 

神崎が丁寧に頭を下げる。

 

「こちらこそ。またいらしてください」

 

鹿目知久は穏やかに言った。

神崎は頷く。それから、少し迷ったように口を開いた。

 

「鹿目さん。私は、距離の取り方を間違えることがあります」

「え?あ、はい」

「その際は、指摘してください」

 

鹿目知久は少し驚いたあと、柔らかく笑った。

 

「わかりました。でも、私も鈍いところがあるので、そこはお互い様で」

「ありがとうございます」

 

杏子は横で小さく息を吐いた。

鹿目知久がかなりの天然で良かった。

まどかが杏子のほうを見る。

 

「杏子ちゃん。また、あそぼうね?」

 

杏子は少し黙った。

神崎がこちらを見る。鹿目知久も見ている。

注目されると、余計に答えにくい。

 

「……時間があったらな」

「うん」

 

二人は少し笑った。神崎がそれを見ていた。

 

安心しているようで。少し寂しそうで。

何かを手放す練習をしているような目だった。

 

杏子はそれに気づいて、胸の奥が少しざらついた。

 

「帰るぞ」

 

杏子は神崎の袖を引いた。

 

「ああ」

「じゃあな」

「またね、杏子ちゃん」

 

まどかが手を振る。杏子は少しだけ手を上げた。

鹿目家の門が閉まる。

先週と同じ音。けれど、今日は少し違って聞こえた。

 

 

 

*

 

 

 

帰り道、神崎はしばらく黙っていた。

杏子も黙っていた。

 

夜の住宅街を、二人で歩く。

街灯の下を通るたび、神崎の横顔が明るくなり、また暗くなる。

 

「どうだった」

 

杏子が先に聞いた。

 

「友人として接してくれた。首尾は上々だろう」

「……よかったじゃねぇか」

「君のおかげだ。ありがとう杏子」

 

その声は、静かだが、珍しくはっきりと嬉しそうだった。

 

「……そういうのをさらっと言うな」

 

杏子はポケットに手を入れた。

 

まどかの顔が浮かぶ。

また話せるか、と聞いた声。

聞きすぎないと言った表情に対して、友達になりたいと言うまっすぐさ。

悪くなかった。

 

そして、それを認めるのは、少し癪だった。

 

「まどかさんとは仲良くなれそうか」

「……さあな」

 

杏子は少し歩幅を早めた。

神崎は無理に追いつこうとせず、いつもの半歩後ろを歩く。

その距離が、少しだけむずがゆい。

 

「別に……たまに話すくらいなら、いいんじゃねぇの」

 

杏子は前を向いたまま言った。

 

「そうか」

 

神崎はそれ以上なにも言わなかったため、必然として沈黙が落ちる。

けれど、その沈黙は嫌ではなかった。

 

神崎が鹿目知久と友人になろうとしていて、まどかが杏子と友人になろうとしている。

それは、二人だけだった部屋に、別の風が入ってくるようなことだった。

 

いいことなのか。悪いことなのか。

まだわからないが……ただ、少し怖い。

誰かが近づけば、隠しているものも増える。

 

魔女のことや父のこと。

神崎のかつての恋のことに、杏子自身の、まだ名前のない感情のこと。

 

 

 

*

 

 

 

部屋に戻ると、神崎はいつものように鍵を閉め、手を洗って鞄を置いた。

杏子はそのままテーブルの前に座る。

 

「飯は?疲れてんだろ。菓子パンでいいだろ」

「作り置きがある。すぐ準備するから待て」

 

神崎は台所に立った。

杏子はその背中を見ながら、まどかの言葉を思い出していた。

 

友達になりたい。

まっすぐすぎる言葉だった。

 

普通なら笑い飛ばしたり軽く流したり、あるいは面倒だと断る。

 

でも、断れなかった。

 

まどかが、聞きすぎないと言ったからかもしれない。

神崎のことを、優しそうと言ったからかもしれない。

神崎をかっこいいと言ったのは、正直かなり嫌だったが。

 

「……ないよな」

「何がだ」

 

神崎が振り向く。

杏子はしまったと思った。

 

「まどかさんのことか。

 君に友好的だったようだし、君も嫌ではなさそうだったが」

「……嫌ではなかったよ」

 

杏子はテーブルに頬杖をついた。コンロに火をつけながら神崎は杏子を見つめる。

 

「君が、誰かと話せることは良いことだ」

「友達いないみたいに言うな」

「……」

「なんだよ。いるよ!この前から失礼な奴だな」

 

杏子はむっとした。学校に行けば一応、話し相手くらいはいる。

面倒になるから積極的に声をかけていないだけで。

 

そもそも、神崎だって友人は全然いないんだから、ぶしつけなのではないか。

 

「そういうところだぞ!」

「どこだ」

「全部だよ!」

 

神崎は少し困ったように頷いた。

 

「すまなかった。学ぶように努力しよう」

「成功しろっ!」

「成功する」

 

鍋の音が静かに響く。

杏子はソウルジェムを取り出し、指先で転がした。

 

最近ずっと濁りがない。

 

見回り以外で夜に出る必要は今のところない。

 

まどかと話したり鹿目知久の家に行って、神崎がクッキーを習ったりする。

 

そんな普通のことのすぐ隣に、魔女がいる。

その落差が、少しだけ怖かった。

 

「まどかは……巻き込みたくねぇな」

 

神崎は振り向かなかった。

 

「魔女のことか」

「普通のやつだし」

 

そのとき、携帯が震えた。

まどかからのメッセージだった。

 

『今日はありがとう。よかったら、また遊ぼうね』

 

杏子は画面を見つめた。神崎は何も言わない。

杏子は携帯に文字を打った。

 

『暇だったらな』

 

送信。すぐに返信が来た。

 

『うん。暇なときでいいよ』

 

その一文を見て、杏子は少しだけ黙った。

暇なときでいい。

急かさないで待ってくれる。

 

どいつもこいつも、待つのがうまい。

 

神崎は少しだけこちらを見た。

けれど、追及しなかった。

 

杏子は携帯を伏せる。

まどかと少し仲良くなって、神崎は鹿目知久と少し友人らしくなった。

 

いいほうに向かっているのか。あるいは悪いほうに転がっているのか。

 

「……神崎。お互い……いや」

 

杏子は視線を逸らした。

 

「飯、冷める」

「そうだな」

 

神崎は頷いた。

 

杏子は椅子に座る。湯気の向こうで、神崎が箸を並べる。

 

なんだかんだで友人と呼べそうな人がお互いにできた。

それがひどく貴重な機会に思えて。杏子は口元がにやけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日、杏子にカギ閉めを任せて大学へ出勤する。

 

道すがら、登校をする子供たちを見る。

 

楽しそうに、危険なことなど何もないように彼らは歩んでいる。

 

自分はあの子にそんな普通の生活を歩ませることもできない。

気づくと、こぶしを握り締めていた。

 

杏子はそれでも日常をきちんと歩もうとしてくれている。

自分はその恩恵を預かっているのだから。

 

「そういえば、最近、巴さんと会っていないようだな」

 

改めて考えて、思い当たることが一点あることに唖然とした。

今日帰宅したら、杏子に言うべきこと……謝るべきことがある。

 

 

 

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