あと、この作品のレックス君は25~26歳くらいとしております。名前も一応出すつもりなので、解釈違いでありましたら申し訳ございません。
中央ユージア連合領土、その辺境。空と海が見える小さな家の中。ロッキングチェアに座った俺は、かつての自分と比べて細く、枯れ枝のようになってしまった手の中に納められた写真を眺めていた。
母艦エンデュランスの甲板に配備された五枚の翼のエンブレムが描かれた戦闘機────かつての愛機と、共に空を駆け抜けた戦友たちが写っている写真だ。
「…………」
目を閉じなくとも、はっきりと思い出せる、最悪と最高が反復横跳びのような勢いで……いや、最悪の方が多かった気がしないでもないが、それでも最高だった思い出もたくさんある、そんな日々。
多くの人から、託された。最初はほんの少しだけ、「なぜ俺が」と思わなくもなかった。たまたま、そう、本当にたまたま彼の後ろに乗っていた俺が翼となって……翼に様々な思いが、謀が、願いが託された。背負わされたし、背負った。自由に飛んでいた時よりも、どういうわけか自由に飛べていたような気がする。誰かの想いを背負って飛ぶことが、あんなにも自由に飛ぶ力に変わるのかと……そう、思った。
翼となったことに、後悔はない。どれだけ時間が経ったとしてもそれは断言できる。そんな翼も、気付けば俺だけがこうしてこの世に肉体を持って留まっているのだが。皆、逝ってしまった。戦争ではなく、人生を、天寿を全うして、この空の向こうへと飛んで行ってしまった。
「…………ああ」
後悔はない。後悔はないと、断言できるけれど……しかし、しかしだ。それでも……なお。心残りがある。
取りこぼした、まるで鳥が羽ばたく時に自然と抜け落ちた羽のように消えていった戦友たち。あと一歩、あと少し手を伸ばせば助かったはずの命が、ずうっと心残りになっている。あの日、少しだけ声を交わしただけの人間もいたけれど、それでも、同じ目的のためにあの広く、深い青の空を飛んだ者達。俺達が空を飛ぶために尽力してくれた海の者達……呆気なく消し飛んでしまった多くの命が、まるで俺を縛り付けるようにしている。もう飛べない体であるというのに、空を飛べと、俺達の分まで飛び続けろと言っているような、そんな気がしてしまうのだ。
「すまないが……俺はもう飛べない。見ての通り、老い耄れだからな」
ああ、空と海がまるで一つになっていくような、そんな世界が広がっている。どこまでも、どこまでも広がっているこの世界に────俺の意識が拡散していく。遠くに見える、あの白い光を追いかければ、あんたに、皆に、会えるだろうか。先に逝った戦友達は、ようやく来た俺になんて言うのだろうか? 遅かったとか、随分長生きしたなとか……そんなことを言ってくるのだろうか?
「本当に、遅くなった……」
あの頃の、かつての戦友たちの声が聞える。俺に向かって、呼びかけてくる声が。
「今、そっちに行くよ……」
向こう側では、自由にどこまでも飛んでいけるのだろうか……なんて、変な期待をしながら空の向こうに見える白い光へと、俺の意識は拡散していった。
* * *
(────────ん?)
水の音と、潮と遠くから微かに感じる硝煙の香り、そして乗り心地が悪い救命ボートに揺られる、あまり嬉しくはない感覚によって意識が戻ってくる。空の向こうの白い光に向かって、意識が拡散していったはずなのに、拡散した意識が、自分の肉体があることを知覚している。
「なあ、見ろよ」
知っている声が聞えた。俺が軍に入ってから、ずっと俺のことを気にかけて何かと世話を焼いてくれていた、頼れる空軍整備士官の相棒の声だ。
「これ以上の眺めはねぇよ。……終わってく」
「ジェン、キンス……?」
海水を飲み込んでしまったのか、しゃがれ声が俺の口から放たれる。全てが終わり、全てが始まった時の、しゃがれ声。
「今、燃えているのがFUCの────中央ユージア連合、最後の土地だ」
「今、何年だ……?」
「は? ……いや、悪い。さっきまで海水に沈んでたもんな。何か混乱しててもおかしくねえ」
そう言ったジェンキンスが口にしたのは、2029年の10月31日という言葉。その言葉を聞いた俺の意識は、驚愕と共に一気に覚醒していく。先程まで微睡みの中でぼやけていた視界が、音が、匂いが、鮮明になっていき────海水で冷えた身体が、ジェンキンスが本物であることをはっきりと認識した。
俺の頭がおかしくなったのか? 未だに夢を見ているのか? そんな考えが堂々巡りしている。俺の肉体はもう枯れ枝のようなものになっていて、走馬灯のようなものを見ているだけなんじゃないか。そう思いながらも、枯れ枝ではない、軍の人間として鍛えた、逞しい……と言うには少々細い腕で頬を抓る。鈍い痛みがあった。
「夢じゃ、ないのか……」
「まぁ、混乱する気持ちも分かるぜ。けど、残念ながら現実だ。このしみったれた海で漂流してるのがな」
中央ユージア連合の空軍パイロットとして空を飛び、戦況悪化によって整備不良の機体に乗って────それで、墜ちた。何度も、撤退戦をする羽目になって……その度に生き残りはしたものの、今はこうしてジェンキンス少佐と共に海を漂流している。
「全く、酷いもんだよなぁ……戦争が始まってから三か月、何回撤退してんだって話さ」
「今回で、五回目だな。しかも四回は不時着」
「言うなよ……このしけた海が最後になるなんて、思いもしなかったぜ」
ジェンキンスがそうぼやくのも仕方がないくらい、俺達は何度も撤退に撤退を繰り返した。これが終わりか、随分呆気ないものだな、なんてぼんやりと考えてしまうくらいには。この時の俺は確か……空ではなく、海で死ぬのかなんて思っていたような気がする。随分と前────いや、今の状況ではその随分前が今に該当するわけだが……本当に、どうなっているんだ? 俺は、年老いて死んだんじゃなかったのか? それとも……あれは、今の俺が死にかけた結果見た妄想だったのか?
「伝説の撃墜王、【翼】もついにはやって来なかった。運がないよな、俺達も」
「そう、だな……」
「釣り竿でもありゃ、どうにか凌ぐって気分にも────あん?」
後方から、ヘリが接近してくる音が聞えた。体が重く、後ろを見ることができないが、ジェンキンスの表情を見る限り、救助ヘリがこちらに向かってきているのだろう。
「おい、相棒! これは信じていいやつか? 夢じゃねえよな?」
「夢なら、思わず飛び起きそうな爆音だな」
「ははは! 最底辺に落ち切ったツキが回ってきたかもしれねぇな! よし、立てるか?」
ジェンキンスから差し出された右手を掴み、力が中々入らない体に鞭を打って立ち上がる。あの全てが夢だったかもしれないとか、これはただの走馬灯だとか考えている余裕などない。とりあえずは生き残らなければ。その一心で救助ヘリに引っ張り上げてもらった俺は、軽く誘導を受けつつ、座席に深く座り込む。
「なあ、このヘリはどこに向かうんだ?」
「アデア海峡を航行中の空母エンデュランスです! 少し時間がかかりますが、必ず送り届けます!」
「頼むぜ! っと、そうだ相棒。船に着いて、落ち着いたらどうする?」
どうする、と言われても……この後がこの記憶────妄想か、本当か分からなくなってきているこの記憶が正しければ、落ち着ける時間など随分先だ。だが……そうだな……
「ズヴェズダの航空ショーの動画を見たいかな」
「ユークの民間アクロバット飛行チームか。よく休憩時間に見てたやつだよな?」
そう、そうだった。目まぐるしく変わっていく状況で忘れてしまっていたが、俺は昔から戦闘機が飛んでいる姿を見るのが好きだった。正直、戦いで飛ぶ戦闘機よりも、航空ショーのように、平和な目的で飛んでいる戦闘機が。その中でも、ユークトバニア連邦共和国の民間アクロバット飛行チーム、【ズヴェズダ】の飛び方が凄く好きだったのだ。
「ああ。自由な飛び方をしているのが、凄く眩しいんだ」
「俺としちゃあ、あんただって負けてないと思うがね」
「ジェンキンスはどうしたい?」
「俺か? 俺は……そうだなぁ。ハンバーガーを食べたいかな」
サンドイッチでもいい。そう言って笑ったジェンキンスにつられるように、俺もクツクツと笑う。笑えるくらいの気力が戻ってきた、なんて考えが浮かんだ直後、海水に放り込まれて冷えていた体が休息を訴えて瞼を重くする。
「……悪い、ジェンキンス。少し寝る」
「あいよ。俺も少し寝るとするかね……起きたらきっと目的地に着いてるはずさ」
そう言って、俺達は揃いも揃って重たくなった瞼に逆らうことなく目を閉じる。ヘリの音すら子守歌に聴こえてくるくらい、随分と疲れが溜まっていたらしい。