ヘリの爆音に耳を叩かれ、目が覚める。
アデア海峡、そのどこかを航行している空母エンデュランスに着いたらしく、救助ヘリのドアが開いた。ぼんやりとしている視界に映り込むのは、懐かしい甲板の風景。誘導案内を受けて移動している民間人、物資搬入などで忙しなく動き回っている軍人、大きなビデオカメラを用いて撮影をしている撮影スタッフ、大型犬……そして────こちらに歩いてくる海軍の人間達。
「遭難者二名を救助しました。整備兵とパイロットです」
「ふたり?」
救助ヘリに乗っていた救助スタッフが、空母エンデュランスの副長────XO、ジェシカ・パイクに俺達を救助したことを伝えると、彼女は少しだけ訝しげな声を発した。この初対面ももはや懐かしい。
「まずは、本艦への合流ようこそ」
「あー……XO?」
ジェンキンスが不思議そうに呟いたのは恐らく、遭難者を迎えるためだけに副長が出張ってくるとは思ってもみなかったからだろう。実際、ジェンキンス本人が昔を思い返しつつ、そんなことを酒の席で言っていた気がする。
「デイビッド・ジェンキンス少佐? 整備士官?」
「ああ。でも、空軍のなんだ。海軍のじゃない」
「残念なことに、あなたが腕を振るえる航空基地はもうないわ」
事実確認をするような声音で、淡々と副長が告げる。陸海空、海兵隊、消防、警察、民間航空、その全て……FUCの機体が発着できるのはもう、このエンデュランスにしか存在していないと。この辺りに残っているFCU最後の土地がまさか空母しかないなんて、当時の俺は思いもしなかった。
脳に焼き付いている記憶に思いを馳せていると、現状をある程度把握したらしいジェンキンスが納得したように口を開く。
「仕事は海軍機の整備か。ハンガーは、どっちだ?」
「案内してやって」
「また後でな、相棒」
「ああ。頼む」
エンデュランスのスタッフに案内されていくジェンキンスを見送り、再度、副長に向き直る。
「そう────本艦は」
「人手が足りない、ですよね」
「そうだ。よく分かっているようで何よりよ、アレックス・ベケット少佐」
そう言って俺に任務を課そうとした副長の横に立っていた医師、アデリナ・サントスが俺の目に医療用のペンライトを当ててきた。当時の俺は確か、海水に浸かっていたものの、脳に異常があったわけではなかった……はずだ。
「通信で聞いてたけど、さっきまで気絶してたって? 脳に異常があるなら、精密検査を終えるまで操縦は……」
「ナビゲーターであれば、問題ないでしょうか?」
俺の提案を受けたアデリナ医師が驚いたように目を開く。
「え? ううん……操縦しないのであれば、ギリギリって感じかな。ただし!」
「任務から戻ってすぐに検査を受ける」
「ワーオ、言いたかったことドンピシャ。でも、もう一つ。最低限水分補給とレーションを少しでも食べておくこと」
「了解しました」
少々体が重いが、凄く辛いというくらいではない。体が、この記憶が覚えている。これから乗る機体、F/A18C……よくレガシーホーネットと呼ばれるあの戦闘機のことも、一番席に座る、あの男のことも。
「副長、俺の前に乗るパイロットはどちらに?」
「ああ、今準備をしているところだろう。あなたも準備を。機体データはタブレットに入れてある。できるだけ叩き込んでおいて」
空軍で主に採用されているF-15Cとは勝手が違うでしょう。
そう言って小さく笑った副長からタブレットを受け取り、敬礼してからその場を離れる。周囲にある程度気を配りつつ、データを見ながら歩く。航法、火器管制、レーダーなど、似たような箇所があれば、違っている箇所もある。だが、覚えている。もはや懐かしいとも感じてしまう、この機体のデータの数々。余裕が出てきた辺りには、F/A18E、F/A18F……スーパーホーネットと呼ばれる二機を作戦に合わせて使い分けるようになってしまったが、レガシーホーネットだって負けていない。こいつにはこいつなりの、いいところがある。
「お、アレックス!」
「ジェンキンス」
ハンガーに着いた頃、油汚れであちこちが黒くなっているジェンキンスが声をかけてきた。デイビッド・ジェンキンス……何だかんだで名ではなく、姓で呼ぶことが定着してしまったが、お互いに名前で呼び合えるくらいには、付き合いが長い。病み上がりだというのに、元気に機体を整備しつつ、他の整備士にも指示を出しているようだ。
「お前がリーダーなのか?」
「整備ができる民間人も含めてごった返してるんだ。階級的にも、俺が気張らないとな」
「頼りにしてるよ、ジェンキンス少佐。……ジェンキンス親方って呼んだ方がいいか?」
「やめてくれよ、相棒。……あんまり無理はするなよ?」
「お互いにな。戻ってきたら、ビールでも飲もう」
「ノンアルな」
まぁ、あればの話だが。お互いに笑い合って、空軍でやっていたように拳を軽く合わせてお互いの仕事に戻る。整備が終わった機体────翼のエンブレムが描かれたその機体と共に、ハンガーから甲板に上がっていく。
「お、来た来た」
ハンガーから甲板に上がっていく中で、また、懐かしい声が聞えた。
「やあ、ミスター・ニューカマー!」
どうにも軽薄そうな、飄々としているような、胡散臭いような……でも、どこか、奥底に熱があるような、そんな声。ヘルメットを片手に振り向いてみれば、スマホで動画を取っているスーツの男が立っていた。
「運が良かったな。陸地から飛んできたのは君達が最後でね。避難民収容はこれで終わり」
「……最後の陸地が空母とは思いもしなかったよ」
「だろうね。何もかもが無くなってしまったかのようだ。すっかりとね。でも────」
「電波は飛び交ってる?」
「はは! そう! よく分かってるじゃないか!」
妙に馴れ馴れしく肩を組んできた男はどこか嬉しそうに笑い、空母のレーダーアンテナや、空を指さす。
「君の言う通り、この空気中には無数の電波が飛び交っている!」
かつて連邦共和国として成立していた土地のあちこちで救助を要請している声、合流を呼びかける声、もう終わりだと考えて、家族や戦友に別れを告げる声……様々な声が、電波として飛び交っているのが今の現状であり、それを再組織するのが己の仕事であるとスーツの男が語る。
「自己紹介がまだだったね。僕はD.D.エンソー・オーダーから来てる」
「アレックス・ベケット。空軍の少佐だった」
「ベケット? なんだか聞いたことがある名前だけど……どこだっけな」
俺の姓について何か引っかかったらしいD.D.が何かを考えるような素振りを見せた後、今考えても仕方がないと考えたのか、握手を交わした後に口を開く。
「さて、僕達がこうして親睦を深めている間にも、こちらに近付いてくる飛行物体がある」
「識別信号は……出してないんだろうな、この状況で出撃ってことは」
「ああ。敵機かもしれないし、友軍かもしれない。無人ドローンかもしれないし、民間旅客機かもしれない」
「全部が不明ってわけだ」
「残念なことにね。我が社が偵察無人機の発注をもっと受けてれば、君達の負担が軽くなったんだが……ナイナイ尽くしの現状、直接行くしかないわけさ」
肩を竦めたD.D.が笑う。
「まぁ、大丈夫! 君を後ろに乗せて飛ぶのは【シーヴの翼】、ジャン “レックス” コープだ!」
その名前を聞いた瞬間、酷く鋭い、それでいて鈍い痛みが頭全体を襲う。まるで、下戸だというのに興味本位でスレッジハンマーを口にした時のような、あのぶん殴られたかのような感覚。それでいて、生でズヴェズダの航空ショーを観たいと言って、ジェンキンスを巻き込んでパスポートを取り、ユークの雪深い土地で鋭い、痛みすら感じる冷たさを運んでくる風を受けた時のような……そんな痛みが俺を襲っている。
「そう、誰だって知ってる伝説の撃墜王! この戦争で初めてダブルエースとなった戦闘機パイロット────って、大丈夫かい? 酷く辛そうだけど」
「ああ……大丈夫だ。少し、頭痛がしただけだ」
「おいおい、本当に大丈夫かい? 僕が言うことじゃないが、少し休んだ方が……」
「いや……大丈夫だ。もう収まってる」
本当は全く痛みが引いていないが、問題ないと伝える。おかしいな、こんな頭痛は、この時無かったはずなのだが……いや、アドレナリンで痛みを感じなかっただけなのか? しかし、そんな感じは全くない、ような気がする。
「無理はしないでくれよ? と言っても、君が気張ることはないと思うけれどね」
エンデュランスから戦闘機が発艦する地点に到着すると、D.D.に牽引車から降りるように促される。降りた先には────黒髪をオールバックに整えたサングラスの男が立っていた。
「あんたがアレックス少佐か?」
「は。アレックス・ベケット少佐です」
俺が名乗ると、彼は右手を胸元に当てる仕草をした後、こちらに右手を差し出してくる。今思えば……これはソトア流の挨拶作法だったのか。
「騎士のような動きですね」
思わずそう言うと、彼はどこかくすぐったそうな、困ったような笑みを浮かべる。
「ああ、さっきのか? ただの癖さ。……ジャン・コープだ。階級は中佐だが……敬語とかはなくていい。ジャンでも、コープでも好きに呼んでくれ」
「了解しまし……了解した。よろしく、コープ中佐」
「ああ、よろしく、アレックス少佐」
握手を交わし、同じ機体に上がる。俺達の命を預ける鋼鉄のスズメバチ。高速で空を飛び、敵を墜とすために作られた、戦闘機の二番席に座った俺は、機内の最終確認をしつつ、やってきた甲板員にサムズアップをして最終チェックが完了したことを伝える。
「生き残れよ。まずはそれからだ」
「ああ、ありがとう。そっちも無事で」
「それはあんたらジョーカー隊たちが頑張ってくれるか次第だな」
違いない。甲板員が下がり、キャノピーが閉じる。後部座席に座っている俺の頭はまだ痛みを訴えているが、それすら気にならない。なんとも懐かしい光景だ。後部座席に座ったことなど、この時と、あとは────
「後部座席、聞えるか?」
「! ああ、聞こえている」
「よし。……こちらジョーカー1。エアボス、音声聞こえるか?」
『こちらエアボス。音声明瞭だ。機体の最終確認だ。口頭で状況を伝えろ』
目の前に広がる計器を見つつ、先程叩き込んだデータと、空軍の経験、そして染み付いた晩年までの記憶が何を見て、何を伝えればいいのかを鮮明に伝えてくれる。
「こちらジョーカー1の後部座席搭乗中のアレックス。航法システム、レーダー良好。燃料フル、総重量23300。パイロットはコープ中佐」
『確認した。ジョーカー1、発艦を許可する』
エアボスの声と共に、カタパルトが作動する。ヘルメットのバイザーを降ろし、少しだけ光が遮られ、光の反射が減った視界が、空を映し出す。ダークブルーの空が広がる、どこまでも広がり続ける空だ。この空を自由に飛べたのなら、どれほど素晴らしいだろう。
そんなことを考えていると、体がシートに強く押し付けられる。エンジンが始動し、この機体が空母エンデュランスから飛び出したのだ。
「どんな情報を入れられた? あのD.D.に」
空へと飛び出した機体の中で、通信越しにコープが俺に問いかけてきた。
「コープがあの【シーヴの翼】……撃墜王だと」
「期待を裏切るようで悪いが、残念なことに俺はダブルエースどころか、エースでもないんだ」
ああ、知っている。最初、あんたにそう言われた時、俺は驚いた。あんたの纏っている空気がそうさせていたのか、あの時感じた『エース』の空気は嘘だったのか? なんて、本気で考えたものだ。そんな疑問は、フライト技術によって消し飛んでしまったが。エースとか、ダブルエースとか、それ以上に、俺はコープ……あんたの飛行に魅了された。
「俺は年季を積んだだけの、ただのパイロットってだけさ」
「プロパガンダ、か」
頭痛がする。まるで、何かをしろと俺に訴えかけているかのような痛みが続いている。
「ああ。撃墜王【シーヴの翼】なんてのは、情報が駆け巡る狭間で作り出された幻だ」
「……だが、それが今のFCUには必要なんだろうな」
「かもしれない。……何にせよ、そんな情報の元締めの一つが、あのネクタイの男、D.D.なんだ」
どうも我々とは違う民族だな、と皮肉っぽく言って笑ったコープは、飛び立った戦闘機の高度を下げる。荒れた波が続くアデア海峡の海面スレスレを滑るように飛んでいく。
「海を見ていると思うよ。俺達はちっぽけだ」
コープが呟くように言った。
「広大な海は、俺達に孤独とは何かを教えてくれる。そういうの、あんたにも分かるか?」
そう言われて、思い出すのは故郷のダム。幼い頃に見た、広い、本当にどこまでも広がっていて、どこまでも深い、深海ほどに深い水底があると思っていた、あのダムのこと。前回のあの時も、そう考えていた。
「何となく、分かるよ。故郷のどデカいダムでそんなことを思ったことがある」
「お仲間だな。……っと、そうだ、右側を見てみろ」
再度上昇した機体の右側を見れば、空母があった。海に浮かぶ、FCU最後の砦にして、島。俺達の帰る場所。
「挨拶しておけ。今日からあれがお前のおふくろさんだ」
「……まだ、実感がないな」
「じきに慣れるさ。それと、今俺達にぴったりとついてくるあの機体、あれはうちの4番機だ」
俺達と同じ機体に乗っている4番機、ウィリアム・コスター。TACネームはノイズの、パープル・マジックファン。戦争中も、戦後も音楽を布教してきたことを覚えている。確か、戦後に同じパープル・マジックのファンだったという消防士の女性と結婚して家庭を持ったはずだ。バクスターがいたら男泣きしてるだろうと、皆で笑って酒を飲んだ記憶がある。それで俺は真っ先にダウンして、皆から笑われたっけな。
『CDCよりジョーカー1、ジョーカー4。目標は右10度、距離9.7マイル』
エンデュランスの戦闘指揮所から通信が届く。エンデュランスに向かって飛んできていた飛行物体の反応までもう少しのようだ。
「ジョーカー1、了解」
コープが針路を変更し、ふと呟く。
「D.D.が言うには……陸地に取り残された人々には、生きるための灯……しがみつける何か、そう、イコンのようなものが、必要らしい」
「……それが、【シーヴの翼】」
「ああ。シーヴ脱出までの時間を稼いだ、伝説の救世主……その名が、どこでも構わないから情報として発信されることを、あいつは望んでいる」
伝説の撃墜王、【シーヴの翼】の名を、存在を、世界に知らしめることで、希望を生み出す。それが、D.D.の目的なのだと、コープは言う。
「まぁ、俺にも個人的な事情があるから、利用させてもらっているがね」
何か、思いつめたような、何かに想いを馳せるかのような声音。それが何なのか、当時の俺は聞くことができずにいた。コープ、あんたが言った、個人的な事情というのは恐らく────
「そろそろ目標地点が近い」
思考が打ち切られ、頭痛によって意識を戻す。ずっと続くこの頭痛は、コープと会ってからさらに強くなった。なんだのだ、これは。
「上昇して接近するぞ。目を凝らして目標を確認してくれ」
コープが操縦桿を引き、機体が上昇する。Gが体をシートに押し付ける、この懐かしい感覚に、「ああ、帰ってきたのだな」という、場違いな感想が脳裏に浮かんだ。
上昇が終わり、強いGから解放された体を動かし、水平線の向こう側に見える影を注視する。戦闘機よりも大きな影のゆっくりと輪郭が浮かび上がり────そこにいたのは、民間の旅客機。ソトアの偵察機や、爆撃機ではなかった。
「敵でないことは安心だが、合流したところでついて来れるかな……」
「旅客機がなぜここに……」
「それを今から確認する。こちらFCU海軍。旅客機、ここは戦闘空域に近い。貴機の所属を明かせ」
まぁ、理由は知っているのだが、分からない素振りをしておこう、なんて考えていると、旅客機から無線が飛び込んできた。
『こちらエアイクシオン365便! 乗員は民間人だ! 攻撃するな!』
「民間人……FCUの避難民か?」
『そうだ! 本機は難民支援NPOの要請に応じ、難民の脱出を支援している!』
旅客機の窓から見える人影が、鮮明に見えた。戦争の火に煽られて、恐怖に染まり切った人々の顔。子供を落ち着かせようと抱き締める母親の姿、祈るように手を合わせる男性の姿など……様々な顔が、なぜか鮮明に見えた。
「コープ」
「ああ、分かってる。貴機を安全な空域までエスコートする。こちらの指示に従ってくれ」
『頼む!!』
エスコートすると言われて、安堵の声を漏らした旅客機のパイロット。だが、窓から見えた避難民の表情にはまだ翳りが生じている。本当に大丈夫なのか、分からないという表情だ。その表情が見えてしまった俺は、思わず口を出してしまった。
「可能なら、音楽をかけてやってほしい。とびきり明るくて、元気が出るやつを」
「『は?』」
「不安なんだよ。皆そうだ。だから、少しでも気持ちを上に向けられる音楽を流してやってほしいんだ」
コープも、旅客機のパイロットも何言ってるんだこいつ、という声を上げたが、俺がそこまで言えば、俺の意図を察したようで……納得したように通信が入った。
『了解した。とびきり元気が出る音楽をかけておくよ!』
通信を終え、コープが何か俺に対して言おうとした直後。頭痛と共に、ザリザリと鑢で体を削られるような不快感が俺を襲った。あれだ。戦う中で感じるようになった、敵から向けられる、殺気。
「コープ、何か近付いてきている。北の方からだ」
「何? ……ああ、クソ。レーダーでも捉えた。こちらに一直線で飛んでくる機影が二つ」
一直線に、こちらへ向かって飛んでくるやつら。身も心も凍らせてしまうような、敵の襲来だ。不快な音楽も、ノイズ交じりに聞こえてくる。
「超音速二機編隊……おとりに使われたか……」
「どうする?」
「まずは旅客機を逃がす。コスター、旅客機を連れていけ」
コープが指示を飛ばすと、こちらを案じる声が通信越しに聞えた。
『大丈夫?』
「身軽な方が逃げやすい。行け」
『……了解』
コスターが旅客機をエスコートして離れていく。不愉快な音楽が聞こえている。戦後に、遊牧民の文化保存に尽力している人々に聴かせてもらった曲と似ているが、全く違う、酷く不愉快な曲が聞えている。もはやこれは音楽でもなんでもない、ただの雑音だ。その中に感じるのは、確かな敵意と殺気。
「この曲は、背中を押してくれるような慈悲を感じる曲のはずだ。こんな不快な曲じゃない」
思わず口から出たのは、俺の声とは思えないほど低い声だった。
「なんだ、この曲を聴いたことがあるのか?」
「遊牧民の意志を感じる、ちゃんとした、動画で」
「そうか。その動画については、あとで聞かせてもらうとして……連中を撒くぞ」
レガシーホーネットが動きを変える。旧式と笑われることもあるというが、未だ現役であるスズメバチの名を冠した鋼鉄の翼が空を切り裂いていく。
『いつもの逃げ方だ、【シーヴの翼】』
声が聞えた。オープンチャンネルでこちらへ通信してきているのか、ただ呟いただけかは分からないが、嘲笑が混ざっているように感じた。
『まるでおいぼれ羊のようじゃないか』
「また、あいつか……」
「熱烈な追っかけがいるみたいだな、コープ」
「勘弁してくれ。あんなストーカーは勘弁願いたい」
「だろうな。俺もそう思う」
敵機が迫る中、機体がさらに加速する。後方には黒い機体────シャドウズの戦闘機が、こちらを墜とそうと飛んでいる。先頭は……22の番号が刻まれた黒い機体。あの時、それを見た瞬間背筋が凍ったのを今でも覚えている。
「22……」
「存在を知らしめると、ああいうおっかないストーカーが来る。あれは俺が望む数字じゃない。あんたもそうだろう?」
「まぁ、現状ではそうかも」
「だよな。────だから、こうする」
急減速によって叩き込まれるGの中で見えた、前に飛び出していく黒い機体……オーバーシュートだ。本来であれば、これだけで一時的に撒けることすらあるが……今回の連中の練度では、ほんの一瞬の休息でしかなかった。
「許してくれないか……」
コープが苦笑する。敵機も急減速して再び俺達の後ろに戻ってきたのだ。まるで獲物を狙う猟犬……いや、猛禽のような、そんな飛び方だ。
「食いついてきたな……ミサイルが来る。フレアは頼むぞ、アレックス」
「了解。逃げるのは任せた」
「ああ、それは得意分野だから任せてくれ」
ミサイルアラートがけたたましく響く中、コープが操縦桿を倒し、世界が回転する。美しさすら感じるコークスクリュー・マニューバの中で、回避が間に合わないミサイルに対してフレアをばら撒くことで、ミサイルを逸らす。
「上昇するぞ!」
コブラ機動よりも鋭い上昇で雲の中へと突っ込むことで、ミサイルのロックを外す。敵が未だについてくる中、俺の頭痛がさらに酷くなる。これは、Gによる負担で痛むのか、それとも別の何かなのか? そんなことを頭の片隅で考えながら、迫るミサイルにフレアを撒く。今回も何とか凌いだ。だが、シャドウズはまだこちらを追いかけてくる。
雲を抜けてから、さらに強くなった焼けるような頭痛に、息が浅くなる。酷い痛みに、涙が滲みそうになる。この頭痛は、Gによるものじゃない。経験が、Gによるものじゃないと訴えている。だとすれば、これはなんなんだ。頭痛に負けている場合じゃない。この後、焼き付いた記憶が正しければ、俺達────コープは……!!
「コープ!」
「なんだ!」
「分の悪い賭けは好きか!?」
俺が橋を指さしたのが一瞬見えたのか、それとも俺の意図を察したのかは分からないが、にやりと笑ったコープが叫んだ。
「ああ、嫌いじゃない!」
コープが機体を急降下させる。迫る広大な海と、そこに架けられたベイブリッジ、その下をぶつかるかぶつからないか、そのギリギリを抜けていく。様々な風景が一瞬で流れていく中、シャドウズの放ったミサイルがベイブリッジに突っ込み、大爆発を起こした。ここまでは、記憶と全く変わらない。頭痛も、まだ強い。
「コープ、あんたの操縦を信じて頼みがある! 一機自滅に追い込めたら、橋の下に潜り込んでくれ! その後は────」
「なんだって?」
俺の提案に対して、本当に意味が分からないと言わんばかりの声を上げたコープ。ああ、本当に意味が分からないことを提案している自覚がある。これが成功したとしても、お互い無事な可能性だって低い。だが、しかしだ。
「頼む!!」
俺は、あんたを死なせたくない。俺は、ジャン・コープという男を死なせたくなかったのだ!! あの時も、晩年まで、夢に見るくらいには、あんたに生きててほしかった!!
「────ああ、分の悪い賭けだが、あんたに賭けよう!」
俺の提案に乗ったコープの動きが変わる。俺達に向けられて放たれたミサイルが、急減速によって回避した俺達の前を通り過ぎたシャドウズの機体の翼に激突して爆発を起こす。そしてベイブリッジの柱に激突して自滅し────俺達はすぐに橋の下に潜り込んだ。
「カウント、3、2、1────今だ!!」
俺の叫びと共に、キャノピーが外れて体が一気に上へと吹っ飛ばされていく。ベイルアウト。緊急脱出装置がちゃんと作動し、橋の天井に激突するギリギリにパラシュートが展開される。
乗り手がいなくなった機体は回転しつつそのまま橋の外に飛び出して……ミサイルが激突した。
『約束の地に向かえ』
そんな声が最後に聞えた後、戦闘機が爆散する。爆炎の閃光と爆風が、俺達の体を撫でるのを感じながら、パラシュートでゆっくりと海に落ちていく。俺達を墜としたと勘違いしたらしい影22の機体が飛び去って行くのが見えた頃────頭痛が、止んだ。
「コープ! 生きて────ぶっ!?」
俺が叫んですぐに海へとエントリーする。着水と同時に口の中に塩味がいっぱいに広がる。冷たくて、どこまでも続いている海が、俺を迎え入れた。こんなことになるなら、着衣水泳の訓練をもっとしておくんだった、なんて思いつつライフジャケットによって浮力を確保する。
頭上に広がる青い空と、塩辛い海の味、陽光を反射して死ぬほど眩しい海の中、途切れそうになる意識に鞭を打って叫ぶ。
「コープ! コープ!! どこだ!? 生きてるよな!? 生きてるなら返事をしてくれ!!」
浮力を得ているとはいえ、波によって何度も顔が海水に叩き付けられる。そんな中でも、彼の名前を叫ぶ。それはもう、迷子になって親を探す子供のように、半狂乱に近いくらいの叫びだった。祈るような叫びを発していた俺は不意に、腕を掴まれた。
「大丈夫だ、アレックス……どうにか生きてる」
「コープ……!!」
生きている。幻聴ではない、彼の声と俺の腕から感じる彼の気配。どうにか振り向いた俺は、写り込んだ彼の姿に安堵がやってきた途端に、体から力が抜けていく。意識が消し飛びそうになる。
「気をしっかり保て。着水は体力を使うからな……大人しく浮かんで救助を待とう」
コープの助言でどうにか意識を保ちつつ、ヘリを待とうとしたその時。戦闘機ではない、太くて低いエンジン音と共に、プロペラが空を切り裂く爆音が聞えてきた。本日で七回目となる救助ヘリの姿だ。海面スレスレを巧みに飛行する救助ヘリは、コープが放った発煙筒の煙を確認したのか、こちらへと迫り、ぴたりと俺達の真上に停止した。プロペラの風切り音と風が俺達を打ち付ける。
救助ヘリのドアが開き、ワイヤーに吊られた救助隊員が海面まで丁寧かつ迅速な動きで降下した後、俺達をしっかりと確保した。
「大丈夫だ! すぐに連れて帰る!」
「よく無事だったなあんたら! 良かったよ!」
救助隊員によって手早くワイヤーへと固定された俺達は、ゆっくりと海面から引き上げられ、遂にヘリの中に運び込まれた。海水に浸ったせいで凍えるほど寒いが、頭痛はしない。生き残ったという実感だけが、俺の中にあった。
「二人の状態は?」
「脈はあるが、体温が低い。打撲や出血もある……だが、助かる範囲だ。すぐに応急処置を!」
ヘリの音と、救助隊員の声が遠くなっている。ああ、これは気絶するな────なんとなく、それが分かった俺は、俺と一緒に引き上げられたコープを見る。お互い、ボロボロにはなっているが……それでも、生きている。生きているのだ。
「生き残ったな、お互いに」
「ああ……ありがとう、コープ……」
「お礼を言うのはこちらの方さ。ありがとう、アレックス」
「二人とも、お礼を言い合うのはまだ先だ。今は体力の温存だけを考えてくれ」
救助隊員の一人がそう言いつつ、俺達に酸素マスクを装着する。一切の揺れがない、怪我人の負担にならない見事な装着だった。
コープと共に、応急処置を受けながら酸素マスク越しに息をする。酸素が俺の肺を満たしていく中、俺は遠ざかっていく意識を保つことができず、目を閉じた。死ぬはずだった男を助けることができた────その思いを胸にして。
ベイルアウトに気付かなかった影22がなんか間抜けになった気がするけど、まぁ、いいか……
ベイルアウトした時、凄い距離ぶっ飛ぶらしいけど、見逃してください。コープを生かすにはこれしか思いつかなかったんです…