意識が浮上する。
規則的な電子音が耳に響き、ぼんやりと霞んでいる視界に映ったのは医務室の真っ白な天井と照明。空母エンデュランスの、医務室の中で俺は目が覚めたようだ。
「目が覚めたようね」
起き上がった直後に、副長の声が聞こえた。ああ、これは記憶と一致している。気絶している間に、あれこれと検査をしてもらったらしく、俺の脳波は正常なものであったようだ。アデリナ医師がそう言っていた気がする。
だが、この後はきっと俺が知っていることとは違うことを言われるのだろう。そんな期待をしていた俺は、副長の言葉を聞いて耳を疑うことになる。
「アレックス少佐、飛行を許可する。今後の配置は、ジョーカー隊一番機」
「……は?」
「コールサインは、コープが使っていたものを引き継いで使うこと」
「ちょ、ちょっと待ってください副長……!? 俺がコープの後釜!?」
「その通りだ」
「コープは生きているはずです! だというのになぜ!?」
病み上がりである自分の体などどうでもいいと言わんばかりに立ち上がり、副長の言った言葉に疑問を投げかける。
あの時、確かにコープは生きていたはずだ。救助ヘリへ一緒に乗せられて、俺と一緒にエンデュランスへと帰ったはずなのだ。だというのに、俺がコープの後釜? 百歩譲ってジョーカー5に着任だと思っていたのに、なぜ。そんな疑問に対して、副長は少しだけ複雑な表情を浮かべた後、淡々と状況を告げる。
「確かにコープはあなたと一緒に生還した。ただし、五体満足とはいかなかった」
「は……?」
「四肢の欠損があったわけではない。ただ、爆発による閃光によって目が焼けてしまったようで、右目の視力が著しく低下してしまった」
「それと、ベイルアウトによる脊椎のダメージが無視できないレベルだったというのも追加ね。リハビリをしたとしても、戦闘機には乗れないかも」
頭が真っ白になりそうだった。コープは生きていた。けれど、五体満足じゃない? 視力の低下と、脊椎へのダメージで戦闘機に乗ることができない? あの美しいとすら感じる、あの飛び方は、もう二度と見れないかもしれない? 俺は────コープの翼を、奪ってしまったのか?
「お、俺、は……」
「勘違いしないでもらいたいのだけれど、コープは空を飛ぶことを諦めているわけではないわ」
「へ?」
遠のきそうになっていた意識が戻ってくるのを感じた。
「リハビリを続けつつ、彼にはコールサイン・ディーラーと共にAWACSへと搭乗してもらう予定。彼の提案でね」
「そして、ジョーカー1を引き継ぐことを提案したのも、俺だ」
そう言って医務室に入ってくる男が二人。車椅子に座っている包帯姿のコープと、車椅子を押しているD.D.だ。
「コープ……」
「生きているだけ儲けものというやつさ。あんたの提案がなければきっと、影22の餌食になっていた」
もっとも、影22の前に鮫の餌になっていたかもしれないが。皮肉な笑みを浮かべながら言ったコープの表情には、何かを失った人間特有の翳りはない。むしろ、俺に対してどこか申し訳なさそうにしている。
「D.D.と少し話をしてな。俺にはあまり理解が及ばないが……【シーヴの翼】は、まだユージアには必要なのだそうだ」
「遥かなるユージアの大陸には、【シーヴの翼】を信じて泥水を啜ってでも生き延びようとしている人間が多くいるからね」
「彼らの心の支えは絶対に消えてはならない、ということよ」
そして、この場にいる人間の中でコープと同等のレベルで戦闘機を飛ばせるのは俺だけであると、副長は告げた。
「あなたの空軍の頃の飛行はジェンキンズ少佐から色々聞いています」
「ジェンキンズから何を聞かされたのかは聞かないことにしておきます」
あいつのことだから、絶対に余計なことまで喋っている気がする。というか記憶が正しければ、あれこれ余計なことをベラベラと副長に喋ったとかなんとか言っていたはずだ。あの塩辛いキャビアを突きながら。
「諸々の事情も踏まえて、アレックス・ベケット少佐、あなたが最もジョーカー1に相応しいと判断しました」
その諸々の中にはきっと、コープが撃墜されたということも含まれているのだろうが……副長、心なしか口角が微妙に上がっている。ジェンキンズめ、本当に色々と喋りやがったな? あとで塩辛いポテトを口に捻じ込んでやらんと気が済まん。
「アレックス・ベケット。今日からあなたが【シーヴの翼】。彼らの希望をつなぎとめるために、【シーヴの翼】を存在させ続けることを、命令する」
強い命令の言葉だ。本当に、人によっては呪いのような言葉だと思ってしまう程に強くて、重すぎる……そんな命令を下した副長は、まだ仕事が残っていると言って、医務室を去っていった。
「あー、つまるところ、だ。彼女は君にこう言いたいのさ。次も、その次も次も生きて帰れと」
ベッドにもう一度腰かけた俺の隣に座ったD.D.が、励ますようにそう言った。ああ、それは伝わっている。十二分に。あの人は一度も死んで来いという命令を下すことはなかった。むしろ、どれだけ惨めになったとしても生きて帰ってこいと命令していたはずだ。
「なーに、撃墜数なんて情報は、こちらでいくらでも作り出すさ」
「俺の時と同じように、な」
「そ。それが僕の仕事なんでね! さあ、アレックス君! 今、この瞬間から、君がこの戦争最大の撃墜王だ!」
渡されたのは、コープが被っていたものと同じ、緋色の翼のエンブレムが描かれたヘルメット。新品だというのに、妙に熱が籠っているような、そんな気がする……そんなヘルメットを受け取った俺は、目を閉じて一度深く息をする。艦内の、少しだけ狭苦しいような気がする酸素を肺に取り込み、ゆっくりと息を吐く。頭痛はしない。目を開ければ、こちらに視線を向けてくるD.D.とコープがいる。
「やれるだけ、やってやるさ」
「やる気十分なようで何より! ……まあ、現状君がやることと言えば、コープと一緒にリハビリなんだけどね」
ああ、だろうな。やっぱりそうだよな。体が凄く重く感じるし。
「気絶してから二日は経ってる。まずは眠っていた体を起こして、ふらつかずに歩けるようになるまで、ちゃんとリハビリをするように」
「了解しました、アデリナ医師」
「俺もリハビリに励まなければな……AWACSに乗るにしても、歩けなければ」
「コープ、あなたは今日から松葉杖生活。松葉杖を使えば立てはするでしょうけど、リハビリと称して運動するのは許可しない」
「ああ、だろうな。しかし、もう車椅子から卒業か……案外、俺はタフガイかもしれないな。あんなストーカーに追われても生きてるんだ」
生きているからこそ言える冗談ではあるが、実際このエンデュランスに集うメンバーはほとんどがタフガイかタフレディで構成されている。言ってはなんだが、ほとんど負けているこの現状にあっても、俺達はまだ負けていない! 私達はまだ立っているのだ! と叫ぶ人間をタフな人間と呼ばずになんと呼べばいいというのか。……まぁ、当時の俺だって、全く諦めていなかったわけだし、彼らと同類────同じ穴の狢というやつなのだが。
* * *
2029年、11月1日のサンサルバシオン北部沖を空母エンデュランスと、イージス艦ステルウォートが軍属の輸送船や徴用されたコンテナ船を二隻、民間の貨物船を含めた輸送船が後を追う形で航行している中、割り振られた部屋で課された筋トレメニューを終えた俺は、支給された翼のエンブレムが描かれたヘルメットを片手にエンデュランスの艦内を歩いていた。甲板で思い思いの時間を過ごしているであろうメンバーと会うために。
「あ! アレックスお兄ちゃん! こんにちは!」
「ああ、こんにちは。お昼は食べたかい?」
「うん! でもちょっと飽きてきちゃったなあ、毎日ハンバーガーって飽きてくるんだね」
前と同じように、軍服を着ている人間に躊躇なく話しかけてくる小さな子供達と軽く話をしてみる。民間人にも配給をしていることもあって、この時間帯は軍人や民間人で長蛇の列が生まれていることが多い。
「今はね、陸地に戻ったら何を食べようかなって皆で話してるんだ! アレックスお兄ちゃんは何か食べたいものある?」
「ううん……フォカッチャが食べたいかな。俺の実家がパン屋でね。作り方はもう耳にタコができるくらい叩き込まれたよ」
いや、本当に。軍に入ると言った時であってもパンの作り方を叩き込まれたくらいだからきっと、実家の人達は俺が軍の料理人を目指すとでも思っていたのかも。
「へー! 僕達も食べてみたい!」
「機会があったら教えてあげるよ。作り方も、美味しい食べ方もね」
「本当!? 約束だよ! 絶対だからね!」
「ああ、約束だ」
そうなるのは多分、戦争が終わってからになってしまうから約束を守るのは随分と先になってしまうとは思うが。そんなことを考えながら子供達と別れて歩いていると、肩口へと腕を回されて思い切り体を引き寄せられた。そんなことをする人間は現状、あいつしかいないだろう。
「よう、アレックス!」
「ジェンキンズ」
リハビリは終わっているとはいえ、日頃から様々な整備を行うために鍛え抜かれた筋力に勝てるほどの力はないために、少々よろけてしまった。
「配給食を食ってて思ったけどよ、やっぱりお前の作ったパンが恋しいぜ」
「それは嬉しいけど、小麦粉だって無限じゃないんだ。オリーブオイルだって、心もとないって料理人たちがぼやいてたよ」
記憶でも、今ここにいる俺が経験した、給仕係をしていた軍人たちが話していた現状足りないものの一つが食料。ビタミン剤などを用いることでビタミン不足などを補うことはできるが、やはり生の食材による心を休ませる力は計り知れない。その辺りについても現在、D.D.がエンソーにあれこれと交渉しているようだが……記憶が正しければそこまで期待はできないだろう。
「大規模に補給ができりゃあなあ……とはいえ、サンサルバシオンに着いたら少しは余裕が出るだろ! なあ?」
「そうだといいんだがな……」
この後待っているあの結構な絶望感を知っていると、思わず笑いたくなってしまう。まあ、この状況でFCUを名乗る連中を港に入れたくはないよなあ。
「にしても、信じられるか? 艦内が救いを待つ世界の縮図になっちまってる」
「嫌な縮図だな、本当に」
「ああ。こうしている今でも、世界中で食糧配給を待つ長蛇の列ってのが存在していて、配給をする人間がこの船の司厨員みたいな愛想がいい人ばっかりじゃない」
本当に嫌な縮図をこの船の中で見ている。暴動が起きていないのが不思議なくらいだが……やはりあれだろうか? 子供の前でちゃんとした大人であろうとする、良識ある人間が多く避難してきているのか?
「そうそう、お前が乗る機体のことなんだが────」
「ジェンキンズ少佐、ちょっとよろしいですか?」
「おっと、呼ばれちまった。今行く! じゃあな、相棒!」
「ああ、またな」
整備士の仕事か、何か疑問があったのか、はたまたどちらもか……整備士に合流していくジェンキンズと別れて、再び艦内を歩く。
「中々きついことを言うな、あんたの相棒は」
「コープ」
松葉杖を片手にリハビリに励んでいるコープが階段の中腹辺りから声をかけてきた。手すりも用いて階段の往復歩行を行っているらしく、額には汗がにじんでいる。幽霊として俺についてきた時も、この辺りでそんなことを言われた気がするな。
「だけど、生きてる。生きてるなら、俺達はどこまでだって足搔いてやるさ」
「違いない。……外に行こう。彼らがいるからな」
コープの先導に従い、階段をゆっくりと上っていく。コン、コン、と金属の板を踏む音を鳴らして階段を上り切った先にある扉を開けると、戦闘機の爆発と同じくらいの、しかしそれとは全く違ってむしろ心地良さすら感じる強烈な光が差し込む。今日も中々の晴れ模様だ。
「美しいよな。頭上に広がる青空と、どこまでも広がる大海原」
「……だな」
潮風を浴びつつ、空と海の境界線を見る。本当にどこまでも続いていそうな、こんな状況じゃなかったら写真でも撮っていたかもしれないくらいの、凄く美しい風景に心を洗われそうだ……なんて思った矢先のことである。
「ちょっと通るよ!」
「っと」
活発そうな少女の声と共に、ピンク色の影が通り過ぎていった。相も変わらず、元気なものである。
「ターシャ、怪我人もいるんだ。少しは落ち着きを────って、聞いちゃいないか」
先程までペンを片手にパズル雑誌を読んでいた大柄な男性は肩を竦めて、テーブルに放り投げるようにパズル雑誌とペンを置いてこちらを見た。
「全くダメだな……同じパズルを何度も解くってのは。この答えは全部記憶してしまった」
ぼやくように呟いた彼は、松葉杖を片手に歩くコープを一瞥した後、俺の方に問いかける。
「あんた、陸から何か読むものを持ってきてないか?」
「あー……悪いんだが、本の類は持ち合わせてないんだ」
「そうか……って、そうだ、思い出した。あんたは海水に浸かってたんだったな」
災難だが、運が最悪ではなかったな。そう言った男は、足に怪我をしているのか座ったままこちらに右手を差し出してきた。
「エリントン・バクスターだ。コープから話は聞いてる。よろしくな」
「アレックス・ベケット。よろしく、バクスター」
バクスター……俺の未練だった一人と握手を交わす。あの日感じた時と変わらない、硬い、誰かを守るための優しい手だ。
俺が少々の感慨に浸っていると、不意にバクスターが外で回診でもしていたらしいアデリナ医師に向けて叫ぶ。
「サントス! 頼むよ! いい加減包帯を取ってくれ!」
「あのね、バクスター。余計な被弾なんかしなけりゃ包帯なんて縁がないんだよ」
ぴしゃりとバクスターに言い切ったアデリナ医師が小さく溜め息を吐いた後、俺────ではなく、コープを見て口を開く。
「コープ! 階段歩行だけじゃなく、平面もしっかり歩きなさい!」
「おっと……じゃあこの周囲を歩くとしよう」
「ええ、そうして。それで? 今度はどこが痛いの、バクスター?」
リハビリを再開したコープを見送ったアデリナ医師は、バクスターに向き直って今度はどこが痛いのか────恐らく足だけではなく、膝やら腰もやらかしたことがあるのだろう────と問いかける。それに対し、バクスターはというと。
「痛みなんてない、足先も動くし、方向舵のペダルだって踏めるさ! 痒いだけだよ」
「はいはい、とりあえず確認するわね、バクスター教授」
アデリナ医師がバクスターの足元へしゃがんで、包帯を解き始める。俺はその間に、あの時は幽霊だったコープの声に教えられたことについて問いかけることにした。
「バクスター、教授っていうのは?」
「あー……元々俺はパートタイムで大学の非常勤講師をしてたんだ」
「へぇ……教科は? 数学とか?」
「教えられないことはないが、近代農業が専門だよ。特に水耕栽培のね」
恐らく、戦争が起きていなければバクスターは宇宙で様々な植物を育てる研究なんかをして、テレビで大々的に特集されたりもしたのだろうな、と思うくらい彼は超エリートだ。宇宙飛行士の資格を持っているらしいし。戦場に出していいはずがないくらいの超エリートで間違いないだろうな。
「興味があるか?」
「あー……実家がパン屋でね。使ってる小麦粉や野菜とかの産地とかに連れていかれたりしたんだ。専門的な話はできないけど、触れた感覚みたいなものは話せるよ」
「へえ。なら、今度ゆっくり話をしよう。うちの生徒も交えてな。授業ってのはやっぱり生の情報を持ってる人間がいるといいんだ」
何やら我らがジョーカー隊の紅一点の巻き添えが確定したような気がするが、気のせいだろう。食べ物に関しての話であれば、彼女も目を輝かせて話を聞いてくれる……はずだ。
「講義のコマを作るのはいいけどさ、バクスター。なんか特別なものでも食べた?」
「蜜たっぷりなアムブロシア? それともネクタルでも飲んだのか?」
「神様の食事なんて食べてないさ。って、案外博識じゃないかアレックス」
何か変なものを見たような表情を浮かべたアデリナ医師が、バクスターの傷を二度見してからおかしなものを見たような声音で叫ぶ。
「早く治りすぎだよ! どうなってんだい?」
「うーん……あれだ。丈夫なんだよ」
「ま、そういうことにしておくよ。────これでよし、と」
アデリナ医師はカルテにバクスターの容態を軽く書き連ねてから、包帯を完全に解いた彼の膝を軽く叩いて立ち上がる。回診もだが、甲板にも負傷者を安置させる場所があるらしく、彼女はテキパキと周囲の医療スタッフに指示を出しながら他の負傷者の方へと行ってしまった。
「で、だ……コープから聞いたが、次の一番機はあんたなんだな」
「そうらしい」
そう言って俺がコープから引き継いだ翼のエンブレムが描かれたヘルメットを軽く掲げると、バクスターは少しだけ考える素振りを見せてから口を開く。
「機体はどうするつもりなんだ?」
「あー……コープ曰く、整備がようやく終わったF/A18Eを使え……だとさ」
「なるほど。大事に使ってやってくれよ? 墜ちたF/A18Dも含めて、戦闘機は皆虎の子なんだ」
「もちろん。じゃないと相棒に大目玉喰らうからな。死にかけても地獄の底から引っ張り出されて正座させられるんだ」
あれはハデス様を叱るペルセポネ並みだね、とヘルメットを抱えて肩を竦めると、バクスターもクツクツと笑って自由になった足に力を入れて立ち上がる。
「そのエンブレムを付けたやつを生きて帰すのが俺の仕事だ。何があっても、必ず生きて帰らせる」
……ああ、なんでだろうな。凄く泣きそうになるよ。まるで大樹の下にいるような安心感がある彼のことを見ていると、気張らなければ崩れ落ちて大声で泣き叫びそうになる。あんたを生きて帰すことができなかったのは、俺の心残りだ。今度こそは、やり遂げるよ。
「あんたもそれでいいんだな?」
「それについてなんだが……ちょっと頼みがあるんだ。その……ジョーカー隊全体に」
「うん? まぁ、何かと勝手が違うだろうからな。一旦顔合わせしておくか。おーい、ターシャ! コスター! ちょっと────」
『クイーン隊が着艦のために接近する。ジョーカー隊、発艦準備。繰り返す。クイーン隊が着艦のため────』
集合をかけようとしたバクスターの声に被さる形で、艦内放送が響き渡る。意識が切り替わる。バクスターの目にも、戦闘機パイロットとしての火が灯ったように見えた。
「行こう」
艦内放送を聞いた青年────ウィリアム・コスターがバスケットボールを置いて、発艦準備のために動き出す。
「あいよ! ファーン! 行こう!」
「ワンッ!」
コスターの一言に反応した少女────アナスタシア・セヴェルスカヤが笑みを浮かべて走り出すと、バクスターの隣に座っていた大型犬のファーンもそれに続く。それを眺めていると、頭上をジェットエンジンを轟かせて飛行する戦闘機が通過した。クイーン隊の戦闘機だ。
「敵の追撃を少々喰らってね。常時上空哨戒中なんだ」
「落ち着いてお茶を飲むにはまだまだ時間がかかりそうだな」
「違いない」
『ジョーカー隊、発艦を急げ。ディーラーも準備ができているぞ』
バクスターと共に笑い合っていると、艦内放送が俺達ジョーカー隊を急かす。ディーラーも準備が整っているということは、コープも乗るのだろうか────と思ってコープがいる方を見ると、出撃準備に移ろうとしたコープがアデリナ医師を含めた医療スタッフに大目玉を喰らっているところだった。あれでは出撃どころじゃないだろうな。
「よし、行こうぜ、アレックス。俺達が交代しなきゃ、クイーン隊は降りられない」
「だな」
「背中は任せてくれよ。こんな俺で良けりゃな」
俺の背中を叩いて歩き出したバクスターの後を追うように、俺も艦内に入っていく。
少々急ぎ足で戦闘機が置かれているハンガーに向かうと、最終調整のためにあくせく動き回る整備士達の怒号が聞えてきた。その中心には指示をバンバン飛ばしているジェンキンズがいる。空軍でも最前線に立ち続けて場数を踏んでいることもあって、皆に頼られているようだ。
「ジェンキンズ!」
「よお! 来たな、相棒!」
俺が声をかけると、一段落着いたらしいジェンキンズが小走りでこちらに向かってくる。
「聞いているとは思うが、今回はこいつに乗ってくれ! 整備はしっかり終わってるし、あちこち相棒専用にカスタマイズしといたよ」
そう言って彼が指を差した方向にあるのは、【シーヴの翼】のエンブレムが描かれた戦闘機。F/A18E……スーパーホーネットと呼ばれる、レガシーホーネットの後継機がいた。丸っこいエアインテークだったレガシーホーネットとは違って、角ばっているように見えるスーパーホーネットは新品同然のピカピカに磨き上げられている。
「F型もあるんだが、あっちも中々のダメージでな。今すぐ飛ばせるくらいのダメージしか残ってなかったE型を先に修理させてもらった」
「F型に乗れるのは補給ができるようになってから、か」
そう呟いてから、古い殻を破り捨てて新たな姿を手に入れたスズメバチを見上げる。最後の最後まで俺に付き合ってくれた愛機の一つであり、前であれば死んでしまったコープから受け継いだ機体。だが────今回は違う。生きているコープに思いと共に託された機体だ。
「全く……あのエンブレムはあのネクタイ男が描かせたのか?」
「いいじゃん、いい感じだよ」
バクスターがそうボヤくと、俺の脇からひょっこりと顔を見せたピンク色の髪の少女。顔を見ずとも、新しい一番機がどんなものかと見極めようとしている悪戯好きな猫のような笑みを浮かべているのが分かる。
「ああ。音楽の趣味も良さそうだしね」
冗談なのか、本気なのか……ちょっと分からないが、どこか楽しそうなコスターの声に苦笑しつつ、ヘルメットを被って戦闘機に乗り込む。空軍に所属していた時に、VRシミュレーターではあるが、空母からの発着訓練はしたことがある。本当にやったことも、何度かあるが────あの時は自分にできることを精一杯やるのでいっぱいいっぱいだった。
だが、今の俺は凄く落ち着いている。記憶も、体も、俺が次にやるべきことを教えてくれるからだ。キャノピーが開いたまま、ハンガーからカタパルトへと牽引されていく中で、いつものように目を閉じて深呼吸を繰り返す。潮の香りを胸いっぱいに吸い込んでから吐き出せば、頭の中から邪念が消えていくような感じがした。
「よお、アレックス少佐! 今回は海水に浸からず帰って来てくれよ?」
前も俺達をエスコートしてくれた緑色の作業着を着ている甲板員が、冗談交じりに声をかけてきた。記憶が正しければ、こうしていつも俺の緊張を解そうと声をかけてくれたやつだったはずだ。
「そのつもりだよ。びしょびしょにならずに帰ってくる方に賭けといてくれ」
「生憎俺が賭けると負けるからな。びしょびしょになって帰ってくる方に賭けさせてもらうよ!」
お互いに冗談を言い合いつつ、最終チェックを終える。他の甲板員の誘導に従って機体を動かしていき────カタパルトへと配置についた俺はキャノピーを閉じて前を見る。アクセルとブレーキ、操縦桿、計器────全部ジェンキンズが完璧に仕上げてくれている。空軍にいた時、皆から馬鹿じゃねえのかお前、と言われた操作性に仕上げているとは……流石ジェンキンズだ。
「カタパルト接続! 前方、周囲、いずれもクリア!!」
『こちら上空哨戒指揮官、クイーン隊隊長。ジョーカー隊、早くおいでなさいな』
またまた懐かしい声が聞えた。強い女性────いや、本当に強い女性、傭兵達から姉御と呼ばれるだけある女傑の声が通信越しに聞える。
『空はどこまでも広く、青いわ。そして早く降ろさせてちょうだい。お手洗いに行きたいのよ』
戦場と化している場所とは思えない、気の抜けた言葉。だが、これがエンデュランスという空母の日常なのだ。
『エアボスよりレックス。聞こえているな?』
「こちらレックス。通信、聞こえています」
『よし。貴機のコールサインはジョーカー1だ。まずは生きて帰ってこい。もちろん、空を飛んでな』
コールサインを伝えられ、少し昔を思い出していた俺の意識が完全に切り替わる。ジョーカー1。コープから引き継いだ、【シーヴの翼】のコールサイン。FCUの希望として飛び続ける、プロパガンダ。だが────俺は背負うと決めた。だから今回だって、飛び続けてみせるさ。
『発艦チェック、オールグリーン。ジョーカー1、発艦を許可する』
エアボスからの通達を聞き、カタパルトに接続された機体のスロットルを押し込めば、鋼鉄のスズメバチが獰猛なエンジン音を掻き鳴らす。出力が徐々に上がっていく中で、甲板員が安全な場所まで散開していくのを見送る。
その直後、カタパルトが作動して機体が弾かれるように飛び出した。機体が甲板を離れ、凄まじい速度で青空へと羽ばたいていく。ああ、帰ってきた。始まる────いや、もう始まっている。【シーヴの翼】として、俺は再び空へと飛び立ったのだ。
ノーダメージだったアレックス君は恐らくオメガ11級の鋼の肉体を持っている