日本国召喚 〜文明圏外の超大国〜   作:1番道路

10 / 20
二つの国の最初の会談は、互いの名前を確かめるところから始まった。


第十話 初めての挨拶

 会談に使われたのは、港から少し離れた建物の一室だった。

 

 窓が開けられ、外から風が入っている。

 

 長机の上には、水差しと杯が並んでいた。

 

 エーリヒは、手元の書類の位置を一度だけ直した。

 

 隣では通訳が、用語をまとめた紙を確かめている。

 

 レオンは壁際の席に座り、筆を用意した。

 

 扉が開いたのは、約束した時刻の少し前だった。

 

「お待たせいたしました」

 

 入ってきた日本人の一人が、丁寧に頭を下げる。

 

 エーリヒも立ち上がった。

 

 公国側の担当官を介して、互いの所属と役目が紹介される。

 

 日本側は、現地で連絡業務に当たっている者たちだった。帝国との条約を、その場で決める権限は持っていない。

 

 その点は、最初に明確にされた。

 

「承知しております」

 

 エーリヒは答えた。

 

「本日は、我々の訪問の目的をお伝えし、今後のお話が可能かを伺えれば十分です」

 

 通訳が言葉を渡す。

 

 日本側の担当者が頷いた。

 

 全員が着席する。

 

 椅子の脚が床を擦る音が、やけに大きく聞こえた。

 

     *

 

「我々は、アルディア大帝国より参りました」

 

 エーリヒは用意した言葉を、少しゆっくりと口にした。

 

「貴国についての知らせが帝国に届き、まずは事情を確かめ、ご挨拶を申し上げるため、派遣されたものです」

 

 通訳を待つ。

 

 相手が聞き終えたところで、封書を取り出した。

 

「我が国の皇帝より、貴国の政府へ宛てた書簡をお預かりしております」

 

 日本側の担当者が、姿勢を改めた。

 

「確かにお預かりし、責任を持って本国へ届けます」

 

 受け渡しの手順が確認される。

 

 受領の記録を作り、双方が内容を確かめた。

 

 それが終わると、ようやく机の上の空気が少し緩んだ。

 

「帝国について、簡単にご説明してもよろしいでしょうか」

 

「お願いいたします」

 

 エーリヒは持参した地図を広げた。

 

 日本側の者たちが身を乗り出す。

 

 大まかな位置。

 

 主要な港。

 

 周辺の国々との関係。

 

 説明は、予想以上に時間を要した。

 

 同じ海の名を使っているとは限らず、距離の単位も違う。

 

 通訳が言い直し、レオンが換算のための数字を書き添えた。

 

「人口について、もう一度よろしいでしょうか」

 

 日本側の担当者が尋ねた。

 

「およそ十四億です」

 

 通訳が確認する。

 

 日本人たちは短く言葉を交わし、紙に数字を書いた。

 

 その紙を見せ、桁を確かめる。

 

 エーリヒが頷くと、一人が静かに息を吸った。

 

 驚かせる意図はなかったが、驚いたことは分かった。

 

     *

 

 次は日本側の説明だった。

 

 国の形。

 

 政府の仕組み。

 

 周囲の海。

 

 そして、元いた世界との往来が断たれたこと。

 

 エーリヒは、途中で一度、筆記する手を止めた。

 

「国土とともに、という理解でよろしいのですか」

 

「はい。我々の認識では、そのようになります」

 

 通訳が慎重に言葉を選ぶ。

 

 日本側も、言い換えながら説明を続けた。

 

 原因は分からない。

 

 戻る方法も見つかっていない。

 

 だから今は、この世界の国々との関係を築こうとしている。

 

 エーリヒは相手の顔を見た。

 

 途方もない話だった。

 

 しかし、語っている者たちの口調は、噂を楽しむ船乗りのそれとは違っていた。

 

 分かることと分からないことを、切り分けようとしている。

 

 それは、自分たちが出発前にしていたことと似ていた。

 

「ご説明、ありがとうございます」

 

 彼はそう言い、止めていた筆を動かした。

 

     *

 

 交易の話になると、やり取りは幾分具体的になった。

 

 帝国側は、農産物、織物、鉱産物など、主な産物を挙げる。

 

 日本側は、品質や数量、輸送に使える港について尋ねた。

 

 ただし、その場で買い付けの約束をすることはなかった。

 

「まずは、品目の一覧を交換できればと思います」

 

 日本側が言った。

 

「名称だけでは、同じ物を指しているか分からないものもありますので」

 

「見本のやり取りも必要ですな」

 

「はい。それから、重量や長さの単位についても」

 

 エーリヒは、持参した見本のことを思い出した。

 

 船に積む場所を巡って、船長と揉めた箱だった。

 

「そちらは、我々も用意しております」

 

 少しだけ、声が明るくなった。

 

 隣でレオンが、目を伏せて笑った。

 

     *

 

 会談は、昼を回ったところで一区切りとなった。

 

 交換したのは、連絡先と、説明資料と、次の話し合いに向けた確認事項。

 

 同盟も、条約も、まだない。

 

 それでも、出発した時にはなかったものが、確かにできていた。

 

 日本側の担当者が立ち上がる。

 

「本日は、ありがとうございました」

 

「こちらこそ。突然の申し入れに応じていただき、感謝いたします」

 

 別れ際、手が差し出された。

 

 エーリヒは一瞬だけ視線を落とし、それから握り返した。

 

 温かい、人の手だった。

 

     *

 

 宿舎へ戻ると、随員たちが一斉に息を吐いた。

 

「長かったですね」

 

 レオンが言った。

 

「最初の会談としては、順調だった」

 

 エーリヒは上着を脱ぎ、椅子に掛けた。

 

「では、報告書を」

 

「今からですか」

 

「今のうちに書かなければ、言葉の細部を忘れる」

 

 レオンは諦めて紙を出した。

 

 窓の外から、荷車の音が聞こえる。

 

 港は今日も動いていた。

 

 エーリヒは最初の一行を書いた。

 

 ――日本国との面会を実施。

 

 その下で、筆が止まる。

 

 伝えるべきことが多すぎた。

 

 帆のない船についても、見慣れない道具についても、まだ十分に確かめていない。

 

 だが、今日の報告には、まず書かなければならないことがあった。

 

 彼は筆を進めた。

 

 ――先方は、我が国との継続的な対話に応じる意向を示した。

 

 それを読んだレオンが、小さく頷く。

 

 遠い帝都では、皇帝が彼らの報告を待っている。

 

 三千年の歴史を持つ帝国と、異なる世界から来た日本。

 

 二つの国の関係は、この日、ようやく最初の挨拶を終えた。




第一話から第十話では、帝国の日常、日本の出現に関する情報収集、そして最初の接触までを描きました。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。