「これでは、値段が決められませんな」
商人の男は、目の前の紙を見ながら困ったように言った。
クワ・トイネ公国の商館。
大きな窓が開け放たれた一室に、アルディア大帝国の使節団と、公国の商人たちが集まっていた。
日本との通商を考えるための、非公式な意見交換である。
「何が問題でしょうか」
レオンが尋ねた。
「量です」
商人は即答した。
「日本側が求めている数量と、我々が普段扱っている数量では、単位が違います」
机の上には、農産物や鉱産物の一覧が並んでいた。
アルディア大帝国は広大な国土と莫大な人口を持つ。
農業生産も盛んであり、地域によっては大量の余剰穀物が発生する。
鉄や銅などの鉱物も、多くの鉱山から産出されていた。
だが、それらを外国へ売るとなれば、話は別だった。
「同じ麦でも、産地によって品質が違います」
商人は続ける。
「帝国の北部で採れるものと、南部の温暖な地方で採れるものでは、粒の大きさも水分も異なります」
「それは承知しております」
「ならば、単に麦を何万袋と書いても、相手には伝わらないでしょう」
レオンは頷いた。
まったくその通りだった。
これまでの帝国の交易では、長年の取引関係をもとに品質が判断されることも多かった。
だが、日本との間には、その積み重ねが存在しない。
「見本を送る必要がありますね」
「それも必要です。それから、輸送中に傷まないかどうかも調べねばなりません」
商人は別の紙を広げた。
そこには、航路と寄港地が記されている。
「我々の船で運ぶ場合、途中で何度か補給しなければなりません。船を増やせば済むという話でもない」
「では、日本の船を利用する方法は?」
「それができれば便利でしょうな。ただし、運賃が分かりません」
商人は肩をすくめた。
「商売というものは、運んだ先で高く売れればよいというものではありません。運ぶだけで利益が消えてしまうこともありますから」
*
会合の後半には、日本から持ち込まれた商品の話題になった。
公国の商人が、いくつかの品を机に並べる。
紙製品。
金属製の小物。
布製品。
日用品。
いずれも、すでに公国で取引されている品々の一部だった。
「これが日本の品ですか」
レオンが、金属製の小さな道具を手に取った。
「ええ。なかなか評判がよい」
商人は頷いた。
「何より、作りが揃っています。十個買っても、ほとんど同じものが手に入る」
「なるほど」
帝国でも、熟練の職人が作った道具は優れている。
しかし、大量に作るとなれば、品質を揃えるのは簡単ではない。
以前、港の巻き上げ機の試験で発生した問題を、レオンは思い出した。
異なる工房で作った歯車が、うまく噛み合わなかった事件である。
「大量生産に向いているのでしょうね」
「そうかもしれません」
商人は品物を一つ持ち上げた。
「ただ、これも値段次第です。高すぎれば売れませんし、安すぎれば帝国の職人たちが困るかもしれない」
「輸入品との競争ですね」
「ええ」
商人は穏やかに答えた。
「もちろん、良い品が安く手に入るなら、客は喜びます。しかし、商売は一度売って終わりではありません」
レオンは、その言葉を記録した。
*
翌日、エーリヒは日本側の担当者と再び顔を合わせた。
話題は、商品見本の交換と、将来的な商船の受け入れについてだった。
「正式な取引には、双方の政府による確認が必要になると理解しております」
エーリヒが言う。
「はい。日本側でも、貿易に関する制度や輸送の条件を整理する必要があります」
「我が国の商人たちも、強い関心を示すでしょう」
「それはありがたいことです」
日本側の担当者が微笑んだ。
「ただ、いきなり大量の取引を始めるのは難しいかもしれません」
「その点は、我々も同じ考えです」
エーリヒは頷いた。
「まずは品目、品質、数量、輸送条件を確かめる。そのうえで、双方に利益がある形を探していきたい」
「ぜひ、そうしていただければと思います」
会談は終始、穏やかに進んだ。
だが、その中身は決して軽いものではなかった。
大国同士の交易は、国家の経済にも、そこに暮らす人々にも影響を与える。
まして、両国はこれまで互いの存在すら知らなかった。
慎重さは、必要不可欠だった。
*
同じ頃、アルディア大帝国の帝都。
商業地区の一角では、複数の商会の代表者が集まっていた。
「東方に新しい国が現れたそうだな」
「聞いている」
「政府が調査団を送ったという話もある」
「それなら、何か商機があるかもしれん」
商人たちは、次々と言葉を交わした。
彼らは帝国の広大な市場を相手に、長年商売を続けてきた者たちだった。
周辺諸国との貿易にも慣れている。
だが、未知の大市場の存在は、やはり興味を引いた。
「その国は、何を欲しがっているのだ?」
「まだ分からん」
「何を売っている?」
「それも分からん」
「……分からんことばかりではないか」
一人が呆れたように言った。
別の商人が笑う。
「だから面白いのだろう」
そして、年配の商会主が静かに口を開いた。
「慌てるな。まだ相手の国の制度も分からぬのだ」
場が静かになる。
「新しい市場という言葉は魅力的だ。しかし、船を一隻失えば、それだけで潰れる商会もある。まず政府の報告を待とう」
その言葉に、何人かが頷いた。
帝国の商人たちは、新しい国との取引に期待していた。
しかし、三千年の歴史を持つ大帝国の商業は、好奇心だけで動いているわけではない。
経験と計算。
そして、失敗から学んできた慎重さ。
それらが、帝国の交易を支えていた。
遠い海の向こうの日本は、まだ彼らにとって未知の国だった。
だが、いずれその名が商館の帳簿に記される日が来るかもしれない。
商人たちは、その可能性を静かに見つめていた。
第十三話でした。交易に必要な品質管理、輸送費、国内産業との関係など、両国の経済交流に向けた課題を描きました。