「全部、積み終わりましたか」
船長マルタの声が、甲板に響いた。
「はい。積荷の確認も終了しております」
レオンが帳面を閉じる。
クワ・トイネ公国の港では、アルディア大帝国使節団の帰国準備が進められていた。
日本との初会談から、しばらくの時間が経っている。
その間に使節団は追加の聞き取りを行い、交易品の見本を集め、港の実情を調べた。
当初の目的は、おおむね達成されたと言ってよい。
「書類の箱が増えていますね」
マルタが言った。
レオンは、わずかに目を逸らした。
「必要なものばかりです」
「前にも聞きました」
「今回は、実際に必要なのです」
船長は積み込まれた箱を眺めた。
「分かりました。ただし、船室の通路は塞がないでください」
「承知しております」
「本当に?」
「……確認してまいります」
マルタは満足そうに頷いた。
*
出港前、エーリヒは公国の担当官を訪ねた。
「このたびは、大変お世話になりました」
「こちらこそ、遠方よりお越しいただきました」
担当官は深々と頭を下げた。
「日本との面会が実現したこと、我々としても嬉しく思っております」
「貴国のお取り次ぎがなければ、これほど円滑には進まなかったでしょう」
「いえ。日本側も、皆様との対話に関心を示しておりましたので」
エーリヒは頷いた。
今回の訪問で、クワ・トイネ公国の存在が改めて重要になった。
日本との最初の連絡窓口。
周辺海域の情勢を知る国。
そして、新しい相手との交流を支える港湾施設。
帝国から見れば小さな国であっても、その役割を軽んじる理由はない。
「今後も、必要に応じてご相談させていただくことになると思います」
「喜んでお力添えいたします」
互いに礼を交わした。
今回の使節団が得たものは、日本とのつながりだけではなかった。
*
船が港を離れたのは、昼前だった。
穏やかな風が帆を膨らませる。
岸壁の人々が少しずつ小さくなり、やがて港町そのものが水平線の向こうへ遠ざかっていく。
「行きよりも、随分と静かですね」
レオンが言った。
隣に立つエーリヒが頷く。
「海が穏やかなのもあるが、我々が慣れたのだろう」
「そうでしょうか」
「少なくとも、君は手すりにしがみついていない」
レオンは思わず自分の手を見た。
確かに、往路では立っているだけで精一杯だった。
「人間、慣れるものですね」
「油断するなよ。帰り道でも船は揺れる」
「それは、よく存じております」
二人は笑った。
遠くの空には、白い雲が浮かんでいる。
日本という国のことを知るために始まった旅は、いまや帝国へ新しい情報を持ち帰る旅へと変わっていた。
*
帰路の途中、船は帝国の友好国に属する港へ立ち寄った。
補給のためである。
ここでは、以前から帝国の商船が頻繁に寄港していた。
港務官は使節団の到着を知ると、すぐに挨拶に訪れた。
「日本という国について、何か分かりましたか」
その質問に、エーリヒは少し驚いた。
「ご存じなのですか」
「噂だけは、ずいぶん広まっております」
港務官は笑った。
「帆のない船があるとか、空を飛ぶ鉄の鳥がいるとか。商人たちは、その話で持ちきりです」
「そのすべてを確かめたわけではありませんが、日本という国家が存在することは確認しました」
「それは……本当でしたか」
港務官の表情が変わる。
「帝都へ正式に報告する予定です。現時点では、詳しい内容をお話しできません」
「もちろんです」
港務官は頷いた。
「しかし、これで東の海も賑やかになりそうですな」
何気ない言葉だった。
だが、エーリヒはその意味を考えた。
日本が交易を始めれば、その影響は日本と帝国の間だけに留まらない。
航路上の国々。
補給港。
商人。
船乗り。
多くの人々が、新しい交易の流れに関わることになる。
*
その夜。
エーリヒは船室の机に向かい、皇帝へ提出する報告書の概要をまとめていた。
最初の一文は、すでに決めてある。
――日本国の存在を確認した。
続けて、国家の基本情報。
現地で得られた証言。
目撃した技術。
そして、今後の外交方針に関する提言。
その途中で、筆が止まった。
日本は強大な国家なのだろうか。
技術水準については、少なくとも一部で帝国を大きく上回っている可能性が高い。
しかし、技術が優れていることと、国家としての力が強いことは、必ずしも同じではない。
人口。
国土。
経済。
軍事。
外交関係。
それらを総合して判断しなければ、正しい評価はできない。
エーリヒは新しい紙を引き寄せた。
そこに、短い一文を書き加える。
――日本国の総合的な国力については、現段階で評価を確定すべきではない。
書き終えると、彼は満足そうに頷いた。
推測を事実として報告することは、皇帝の判断を誤らせる。
それだけは避けねばならなかった。
*
数日後。
船は再び、帝国へと続く航路を進んでいた。
空は晴れ渡り、風向きも悪くない。
甲板では水夫たちが帆を調整し、船長マルタが海図を確認している。
レオンは手すりにもたれ、水平線を眺めていた。
「何を見ている」
背後からエーリヒが声をかけた。
「海です」
「それは分かる」
「以前は、向こう側に何があるのか知りませんでした」
レオンは振り返った。
「今は、日本という国があると知っています」
「そうだな」
「知らなかった頃と、同じ海には見えません」
エーリヒは少し考えた。
「それが、旅をしたということなのだろう」
二人は再び海へ目を向けた。
広い海は、何も変わっていない。
変わったのは、その向こうにある世界を知った彼ら自身だった。
アルディア大帝国の使節船は、故郷へ向かって進み続けた。
第十四話でした。最初の外交任務を終えた使節団の帰国と、今後の国家間交流を見据えたエーリヒの考察を描きました。