帝都カイザーヴァルト。
大河の両岸に広がるこの都市は、今日も朝から賑わっていた。
港へ続く街路には荷車が列をなし、川沿いの倉庫では役人たちが帳簿を確認している。
商人の声。
職人の槌音。
子供たちの笑い声。
そのすべてが、三千年の歴史を持つ帝都の日常だった。
「戻ってきましたね」
船の甲板から街並みを見上げ、レオンが言った。
「やはり、帝都は大きいな」
エーリヒが答える。
クワ・トイネ公国にも活気ある港はあった。
日本の船には、目を見張るほど優れた設備が備えられていた。
だが、目の前に広がる帝都の規模は、やはり圧倒的だった。
大河を埋め尽くす船舶。
幾重にも延びる道路。
地平線の彼方まで続く市街地。
これほどの都市を維持できること自体が、アルディア大帝国の国力を示している。
「さて、帰ったら報告書ですね」
レオンが言う。
「すでに書いたではないか」
「清書と提出用の整理が残っております」
「……そうだったな」
エーリヒは小さくため息をついた。
*
帰還から数日後。
皇宮の一室では、東方使節団による正式な報告が行われていた。
出席しているのは、皇帝フリードリヒをはじめ、外務、軍務、財務、商務などを担当する高官たちである。
エーリヒは用意された席に立ち、報告書を開いた。
「まず、日本国の存在についてでございます」
室内が静かになる。
「同国が実在することを確認いたしました。また、クワ・トイネ公国を通じ、日本政府の現地担当者と直接会談することができました」
皇帝が頷く。
「続けてくれ」
「日本国は、自国が異なる世界から移動してきたと説明しております」
その言葉に、数人の高官が顔を見合わせた。
「国が移動した、と?」
軍務担当の高官が尋ねる。
「はい。日本側の説明によれば、国土と国民を含む形で、以前の世界との往来が断たれたとのことです」
「そのようなことが可能なのか」
「現時点では、我々にも分かりません」
エーリヒは率直に答えた。
「ただし、日本国の出現以前、同地域に現在の国土が存在しなかったとする証言は、複数得られております」
「つまり、説明と合致する部分はあるわけだな」
皇帝が言った。
「はい。しかし、現象の原因や仕組みについては不明でございます」
フリードリヒは頷いた。
「分からぬことを無理に説明する必要はない。次へ進めてくれ」
*
続いて、報告は日本の技術に移った。
「帆を用いず航行する大型船舶を確認しております」
「魔導船か」
軍務担当の高官が尋ねた。
「日本側の説明によれば、魔法を使用しない機械によるものです」
「ほう」
高官たちの間に、静かな驚きが広がった。
帝国にも、多様な動力技術や魔法を利用した装置が存在する。
だが、日本が持つとされる機械技術は、それらとは異なる発展を遂げているらしい。
「我が国の技術者にも見せてみたいものだな」
商務担当の高官が呟く。
皇帝は、その言葉を聞き逃さなかった。
「必要なら、正式に見学や技術交流を申し入れればよい」
「許可されましょうか」
「それは相手が決めることだ」
フリードリヒは穏やかに答えた。
「こちらが学びたいと考えることと、相手に教える義務があることは別だ」
「御意にございます」
報告はさらに続いた。
貨物管理の方法。
度量衡。
港湾設備。
商取引の制度。
エーリヒが説明し、必要に応じてレオンが資料を示した。
皇帝は途中で何度も質問したが、決して説明を急がせなかった。
*
「さて」
一通りの報告を聞き終えた後、フリードリヒは静かに口を開いた。
「君自身は、日本をどう見た」
エーリヒは少し姿勢を正した。
「高度な技術を持ち、外交交渉にも慣れた国家と考えております」
「それだけか」
「いえ」
エーリヒは一度、言葉を選んだ。
「彼らは、現在の状況に強い危機感を抱いているように見受けられました」
「危機感?」
「以前の世界との往来が断たれたことでございます。必要な資源や物資について、新たな調達先を探しているとの説明がございました」
皇帝は黙って聞いていた。
「つまり、彼らもまた、我々との関係を必要としている可能性がございます」
「なるほど」
フリードリヒは椅子の背に身を預けた。
「相手が困っているからといって、こちらがその弱みに付け込むべきではないな」
「はい」
「長く付き合う相手なら、なおさらだ」
皇帝は机の上の地図に視線を落とした。
アルディア大帝国の広大な領土。
周辺に広がる友好国や保護国。
そして、そのさらに遠くに存在する日本。
「我が国には、十分な余力がある」
フリードリヒは静かに言った。
「だからこそ、落ち着いて判断できる。急いで利益を奪い合う必要はない」
誰も異論を唱えなかった。
*
報告会の終盤。
皇帝は各部門の高官たちを見渡した。
「日本との関係について、継続的な協議を進めたい」
その言葉に、室内の空気が引き締まった。
「まずは、正式な外交窓口の設置について検討せよ。商務部門は交易可能な品目を整理し、海軍は航路と港湾の条件を調べること」
「承知いたしました」
「また、相手の制度を十分に理解するまでは、拙速な取り決めを避けるように」
皇帝はエーリヒへ視線を戻した。
「よく務めてくれた」
「恐れ入ります」
「遠路、ご苦労だった。同行した者たちにも、そう伝えてほしい」
「ありがたきお言葉にございます」
エーリヒは深く頭を下げた。
*
皇宮を出た頃には、すでに夕方になっていた。
レオンは長い息を吐いた。
「緊張しました」
「私もだ」
「そうは見えませんでしたが」
「慣れているように見せるのも、仕事のうちだ」
エーリヒは笑った。
二人は皇宮の階段を下りていく。
眼下には、帝都の街並みが広がっていた。
遠い日本との接触。
その報告は、無事に皇帝へ届けられた。
だが、これで仕事が終わったわけではない。
むしろ、本当の外交はこれから始まる。
「明日から、また忙しくなりそうですね」
レオンが言った。
「ああ」
エーリヒは頷いた。
「だが、今日は帰ろう」
「よろしいのですか」
「妻に、帰国したら早く家に帰るよう言われている」
レオンは思わず笑った。
三千年の帝国を動かす大きな決定が下された日。
その決定を伝えた外交官は、ようやく家族の待つ家へ帰っていった。
第十五話でした。皇帝フリードリヒへの正式報告が行われ、日本との継続的な外交協議に向けて帝国が動き始めます。