日本国、東京都。
霞が関の一角にある会議室では、異世界諸国に関する報告書が次々と配られていた。
日本が突如として異なる世界へ転移してから、政府の各機関は膨大な仕事に追われている。
外交関係の構築。
資源と食料の調達。
海上交通の安全確保。
新たな世界の地理情報や各国情勢の収集。
どれも日本の存続に関わる重要な課題だった。
その中に、新しい案件が加わっていた。
「アルディア大帝国について、現時点で判明している情報を整理しました」
外務省の担当官が、資料を示した。
会議室には外務省のほか、経済や安全保障を担当する関係者も出席している。
「先日、クワ・トイネ公国において、同国の使節団と我が国の現地担当者が接触しています」
「皇帝からの親書が届いた件ですね」
「はい。正式な外交文書として受領し、関係部局で取り扱っています」
担当官は説明を続けた。
「アルディア大帝国は、第三文明圏の外側に位置する巨大国家と見られます。人口は、先方の説明によれば約十四億人」
その数字が読み上げられた瞬間、室内に小さなどよめきが起きた。
「十四億?」
「はい」
「それは確かな数字ですか」
「現時点では、先方の申告です。独自に確認できたわけではありません」
担当官は慎重に答えた。
「ただ、周辺諸国から得られた情報でも、非常に大きな国家であることは共通して指摘されています」
別の出席者が資料をめくった。
「国土の広さも相当なものですね」
「ええ。大陸の広い範囲を領有しており、周辺の島嶼国家や小大陸にも影響力を持つようです」
「その周辺諸国とは、どういう関係なのでしょう」
「属国、保護国、友好国など、さまざまな関係が存在するとされています」
担当官は少し間を置いた。
「ただし、帝国の使節団からは、周辺諸国に対して一律の直接統治を行っているという説明はありませんでした」
「なるほど」
出席者の一人が腕を組む。
「単純な植民地帝国とは違う可能性があるわけですね」
「はい。その点も含め、今後の確認が必要です」
*
会議の話題は、アルディア大帝国の政治制度へ移った。
「元首は皇帝。三千年にわたる王朝の権威を継承しているとのことです」
「三千年……」
驚きの声が上がった。
「日本の皇室との比較は慎重に行う必要がありますね」
「もちろんです。制度も歴史的な経緯も異なります」
担当官は頷いた。
「現在の皇帝は、フリードリヒ・ヴォルフガング・フォン・アードラークローネ。使節団の説明では、国内政治と対外関係の双方に強い影響力を持つ統治者とされています」
「専制君主という理解でよいのでしょうか」
「権限の面では君主への集中が見られますが、帝国には広範な官僚制度が存在します。行政実務については、官僚機構が相当の役割を担っているようです」
資料には、帝国の行政機関について判明した範囲の情報が記されていた。
地方行政。
税制。
港湾管理。
公共事業。
そして官僚の任用制度。
「巨大国家を維持するには、当然ながら相応の行政能力が必要です」
担当官は言った。
「人口十四億という数字が正しいなら、なおさらでしょう」
出席者たちは頷いた。
日本側にとって興味深かったのは、アルディア大帝国が単に広大な領土を持つだけではなさそうなことだった。
多数の都市を結ぶ交易網。
国家主導の公共事業。
民間商会との協調。
そうした仕組みが、長い年月をかけて形成されているらしい。
*
「次に、安全保障上の観点から確認しておきたい事項です」
資料が切り替えられた。
帝国の軍事力について、現在判明している情報が示される。
「先方は大規模な常備軍を保有しているとされています。ただし、兵力の内訳については確認が不十分です」
「周辺諸国の評価は?」
「地域で最も有力な国家の一つという評価が多く見られます」
「パーパルディア皇国との関係は?」
その質問に、担当官は別の紙を取り出した。
「歴史的な競争関係にあるとされています」
「敵対しているのですか」
「単純な敵対関係とは言い切れません。外交や交易を維持する一方、地域への影響力を巡って競い合う関係のようです」
会議室の一角で、出席者が小さく頷いた。
「大国同士によくある関係ですね」
「そう考えられます」
担当官は続けた。
「なお、帝国には風竜を独立戦力として扱う軍事組織が存在するとの情報もあります」
その言葉に、別の出席者が顔を上げた。
「竜ですか」
「はい。ただし、通常の戦闘で頻繁に投入される戦力ではないようです」
「詳細は?」
「今後の調査事項です」
説明はそこで止められた。
不確かな数字や推測によって、未知の国家の軍事力を決めつけるべきではない。
その認識は、会議の出席者にも共有されていた。
*
会議が終盤に差しかかると、話題は通商へ移った。
「日本としては、食料と資源の調達先を増やす必要があります」
経済関係の担当者が発言した。
「アルディア大帝国の生産能力が説明通りなら、非常に重要な取引相手になり得ます」
「特に農産物と鉱物資源ですね」
「はい。ただし、安定供給が可能かどうかは別の問題です」
担当者は資料を指差した。
「いくら生産量が多くても、日本まで運べなければ意味がありません。港湾の能力、輸送距離、品質管理、価格、決済方法など、確認すべきことは多い」
「それでも、可能性は大きい」
「ええ」
誰も、その点を否定しなかった。
日本は高度な産業技術を持っている。
しかし、必要な資源のすべてを国内で賄えるわけではない。
一方、アルディア大帝国は広大な国土と豊富な生産力を持つ。
互いの長所を生かせれば、双方に利益が生まれる可能性がある。
*
会議の最後に、議長役の職員が発言した。
「現段階では、アルディア大帝国について分からないことが多すぎます」
出席者たちが顔を上げる。
「ただし、同国が日本との対話を希望していることは、すでに確認できています」
机の上には、帝国からの親書に関する資料が置かれていた。
「まず、正式な外交協議を進めるための連絡経路を整える。それと並行して、経済と安全保障の両面から情報収集を進めましょう」
異論は出なかった。
こうして、日本政府内でアルディア大帝国への対応方針が少しずつ形になっていった。
人口十四億。
三千年の王朝。
広大な勢力圏を持つ文明圏外の超大国。
日本は、その国家と向き合おうとしていた。
第十六話でした。日本政府の視点から、アルディア大帝国の国力や政治制度、経済的可能性について描きました。