帝都カイザーヴァルトの商業地区。
大河に沿って広がる市場には、今日も数え切れないほどの人々が集まっていた。
穀物商。
織物商。
金属商。
香辛料商。
そして、海を越えてやってきた外国商人たち。
アルディア大帝国の市場には、帝国の広大な領土と周辺諸国から集められた商品が並んでいる。
その一角に、古くから続く大商会の建物があった。
「日本との交易について、政府から照会が来ております」
若い商会員が書類を差し出した。
机の向こうに座る年配の商会主は、眼鏡を掛け直す。
「ほう。ようやくか」
「はい。輸出可能な商品の種類と、供給できる数量について確認したいそうです」
商会主は書類を読み進めた。
「穀物、織物、金属、それから木材か」
「その他にも、いくつか候補がございます」
「なるほど」
男はしばらく考えた。
「まず、北部の商館に連絡しろ。昨年の収穫量と、今年の見込みを確かめる」
「承知しました」
「それから、西方の鉱山を扱っている者にも話を通せ」
「はい」
若い商会員が頷く。
商会主は書類を机に置いた。
「ただし、契約の話はまだするなよ」
「なぜでしょうか」
「相手の買いたい量も、値段も決まっておらん」
男は笑った。
「商売というのは、売れるかもしれんというだけで船を出すものではない」
*
数日後。
帝国商務部門の会議室では、日本との交易に関する意見交換が行われていた。
政府の担当官に加え、複数の商会の代表者たちが招かれている。
「日本側は、農産物や鉱物資源に関心を示しているとのことです」
担当官が説明した。
「ただし、現時点で正式な購入数量が決まっているわけではありません」
「輸送は、どのように行うのでしょうか」
商人の一人が尋ねる。
「そこも、今後の協議事項です」
「日本の船を利用することは可能なのですか」
「先方へ確認する必要があります」
商人たちが顔を見合わせた。
「それなら、まず運賃を調べたいところですな」
「我が国の船で運ぶ場合と比較せねばなりません」
「途中の港を利用するなら、その費用も必要です」
会議は、すぐに具体的な話へ移った。
商品を売るだけなら、難しくはない。
しかし、遠方の国家と安定した交易を行うには、さまざまな条件を整えなければならない。
しかも、今回の相手は未知の日本である。
従来の経験が、そのまま通用するとは限らなかった。
*
「政府としては、民間商会の経験を活用したいと考えております」
担当官が言った。
「国家間の取り決めを進める一方、実際の商取引については、皆様の知見が必要です」
年配の商会主が頷いた。
「それは結構なことです」
彼は少し間を置いた。
「ただ、ひとつお願いしたい」
「何でしょう」
「国内の商人や職人のことも、考えていただきたい」
担当官は姿勢を正した。
「具体的には?」
「日本から優れた商品が入ってくるのは、歓迎すべきことでしょう。しかし、国内の産業にも影響があるはずです」
「その点は、政府としても検討しております」
「それなら結構です」
商会主は頷いた。
「我々は新しい商品が嫌いなのではありません。むしろ、大歓迎です」
会議室に小さな笑いが起きる。
「ただ、何が起きるか分からないまま大量に流通させれば、混乱することもありましょう」
「おっしゃる通りです」
担当官は書類に何かを書き加えた。
帝国の経済は、政府の命令だけで成り立っているわけではない。
民間商会。
工房。
農村。
都市。
数え切れないほどの経済活動が、巨大な帝国を支えていた。
*
会議の後。
商務部門の担当官は、皇宮へ提出する報告書をまとめていた。
輸出可能な品目。
民間商会の意向。
輸送に関する問題。
そして、日本からの輸入品が国内経済に与える影響。
そこへ、レオンが資料を届けに来た。
「ご依頼の港湾記録です」
「ありがとう。助かったよ」
担当官は資料を受け取った。
「君は日本の船を見たそうだな」
「はい」
「どうだった?」
レオンは少し考えた。
「大変、優れた船だと思いました」
「やはりか」
「ただし、輸送能力については、詳しく確認できておりません」
「なるほど」
「日本側の船が大きいからといって、どこにでも入港できるとは限りません。港の水深や設備も関係するでしょう」
担当官は頷いた。
「それは重要だな」
「はい」
「君の報告書にも、その点を書いてもらえるか」
「承知しました」
レオンは答えた。
そして、少し迷ってから付け加える。
「それから、もうひとつ」
「何だね」
「日本の荷物管理は、とても整っていました。我々の港でも参考になる部分があると思います」
担当官は興味深そうに顔を上げた。
「詳しく聞かせてくれ」
レオンは椅子に座り、港で見た光景を説明し始めた。
*
その夜。
帝都の商業地区では、店じまいが始まっていた。
荷車が倉庫へ戻り、露店の天幕が畳まれる。
大商会の建物では、商会主が今日の会議の記録を読み返していた。
「日本か……」
男は小さく呟いた。
三千年の歴史を持つ帝国。
その商業は、幾多の時代を経て発展してきた。
新しい国との出会いも、これが初めてではない。
だが、今回の相手は、これまでとは少し違うらしい。
「さて、どんな商売になることやら」
商会主は書類を閉じた。
その表情に、不安はなかった。
未知の市場への警戒と、それを上回る期待。
商人として長年生きてきた男の胸には、その両方があった。
日本とアルディア大帝国。
二つの巨大な経済圏が結びつく可能性は、まだ小さな話題にすぎなかった。
しかし、その小さな話題は、確実に帝都の商人たちの間へ広がり始めていた。
第十七話でした。アルディア大帝国の官民協調型経済と、対日交易を見据えた商人たちの動きを描きました。