皇宮の執務室には、朝の柔らかな光が差し込んでいた。
窓の外では、庭師たちが植木の手入れをしている。
遠くから鳥の声が聞こえた。
「日本との関係について、各部門の意見がまとまりました」
外務担当の高官が、書類を机に置いた。
皇帝フリードリヒは、手にしていた筆を置く。
「聞こう」
「まず、外交関係の構築を優先すべきとの意見が多数でございます」
「当然だな」
皇帝は頷いた。
「相手がどのような国かを十分に知らぬまま、大きな約束はできぬ」
「はい。また、商務部門からは、段階的な交易拡大を提案する報告が届いております」
「具体的には?」
「最初は少量の商品見本を交換し、品質や輸送条件を確かめる。その後、双方の合意に応じて取引を拡大するというものです」
「よい方針だ」
フリードリヒは書類をめくった。
「軍務部門の意見は?」
「日本の技術に関する情報が少なく、継続的な調査が必要とのことです」
「それも、もっともだ」
皇帝は静かに答えた。
相手が未知の国家である以上、警戒を解くことはできない。
だが、警戒することと、敵視することは違う。
アルディア大帝国は、数多くの国々と長年にわたり関係を築いてきた。
その中には、友好国もあれば、競争相手もある。
重要なのは、感情によって判断を誤らないことだった。
*
「ひとつ、確認しておきたい」
皇帝が言った。
「日本との交流によって、周辺諸国に不利益が生じる可能性は検討したか」
高官が少し姿勢を正した。
「はい。特に、既存の交易航路を利用する国々については、影響があると考えられます」
「具体的には?」
「日本との直接交易が増加した場合、中継貿易を担う国々の収入が変動する可能性がございます」
フリードリヒは頷いた。
帝国の勢力圏には、数多くの国々が存在する。
大小の島国。
大陸沿岸の王国。
古くから帝国との関係を持つ都市国家。
彼らは帝国から一方的に利益を奪われる存在ではない。
帝国が安全な航路を提供し、周辺諸国が港や特産品、交易の拠点を提供する。
その相互関係によって、長い繁栄が築かれてきた。
「新しい交易によって、古い友を困らせることがあってはならぬ」
皇帝は言った。
「航路上の国々にも利益が生まれる方法を考えよ」
「承知いたしました」
「必要なら、彼らの商人にも新しい交易へ参加してもらえばよい」
高官が頷いた。
「その方針であれば、周辺諸国からの理解も得られやすいと存じます」
「そう願いたいものだ」
*
続いて、話題は日本への正式な使節派遣に移った。
「日本側からは、継続的な対話に応じる意向が示されております」
「うむ」
「我が国として、次の使節団を派遣する準備を進めたいと考えております」
「誰を送る」
「前回の任務を務めたエーリヒを中心に、商務と技術の担当者を加える案がございます」
皇帝は少し考えた。
「本人の意向は確かめたか」
「まだでございます」
「では、まず聞いてみることだ」
高官は一瞬、意外そうな顔をした。
皇帝は微笑んだ。
「前の旅から帰ったばかりだろう。必要だからといって、休む暇も与えず送り出すのは感心せぬ」
「仰せの通りにございます」
「もっとも、本人が望むなら話は別だ」
「承知いたしました」
高官が書類に書き込む。
フリードリヒは、さらに続けた。
「次の使節には、相手の国を正しく理解することを求めたい」
「はい」
「先方の技術を知ることも重要だが、制度や暮らしを知ることも忘れてはならぬ」
「と申されますと?」
「国を動かしているのは、兵器や船だけではないということだ」
皇帝は窓の外へ目を向けた。
「農民が作物を育て、商人が品を運び、職人が道具を作り、役人がその営みを支える。日本にも、同じように暮らす人々がいるはずだ」
「御意にございます」
「相手の強さを知りたければ、その国の暮らしを見ることだ」
高官は深く頷いた。
*
午後。
皇帝は、別の会議に出席していた。
議題は南部地方の灌漑設備についてだった。
新しい揚水機の導入。
水路の整備。
農村への資金支援。
技術開発を支援するための制度。
日本との外交という大きな課題が生じても、帝国の政務は止まらない。
「試験の結果はどうなった」
フリードリヒが尋ねる。
「新型の揚水機は、従来より少ない人員で運用できることが確認されました」
「故障は?」
「一部にございましたが、改良案が提出されております」
「その原因も調べたのだな」
「はい」
「よろしい」
皇帝は頷いた。
「実際の農村で使うものだ。壊れた時に直せなければ、役には立たぬ」
担当官たちが頷く。
帝国は、外国の優れた技術を積極的に取り入れる。
しかし、導入するだけで満足することはない。
自国で修理し、改良し、生産できるようにする。
そうした努力が、広大な帝国の技術基盤を支えていた。
*
夕刻。
執務室へ戻ったフリードリヒは、日本に関する報告書を再び手に取った。
遠い海の向こうから現れた、新しい国家。
高度な技術。
独自の社会制度。
そして、これまでの世界とは異なる歴史。
興味深いことは多かった。
だが、皇帝が最も重視しているのは、別のことだった。
「長く付き合える相手であればよいな」
誰に聞かせるでもなく呟く。
机の上には、三千年の歴史を刻んできた帝国の地図が広げられている。
数多くの国々が生まれ、栄え、時には姿を消してきた。
その中でアルディア大帝国は、長い年月を生き続けてきた。
力だけでは、国家は永続しない。
必要な時に変わり、守るべきものを守り、他者との関係を築く。
それもまた、帝国を治める者の仕事だった。
フリードリヒは新しい書類を引き寄せた。
そこには、次期使節団の編成案が記されている。
皇帝は内容を確かめ、静かに承認の印を記した。
日本との関係は、次の段階へ進もうとしていた。
第十八話でした。皇帝フリードリヒの統治者としての考え方と、既存の友好国にも配慮した対日外交方針を描きました。